147.情報格差は恐ろしいです
王立外来危険種対策騎士団の補充人員がぞろぞろと騎士団本部前に集合している様を本部の窓から見下ろしながら、俺は思わず感嘆の声を上げる。
「おお、ひげに騙された哀れな贄たちがぞろぞろと」
「嫌な言い方っすね。決して間違いと断言できないのが更に嫌なところっす」
「これで騎士団の戦闘人員は百五十人を突破したんでしたっけ?」
「まぁ、部隊を二分するから一部隊あたりの人数は減るんだがな」
いつもの後輩、キャリバンとカルメもまた下を眺めている。一応は騎士団の後輩という事になるメンバーたちだが、その年齢層は二十~三十歳後半と年上が殆どだ。これは、「王国で安月給騎士をしてくれる冒険者」という条件から考えれば至極妥当どころか意外に若いくらいのものである。
大陸冒険者は実績が全てであり、のし上がるのは実力はもとより討伐任務という限られた利益を奪い合わなければならない。故に冒険者ギルドは巨大な組織になったが、同時に食いっぱぐれてしまう低所得冒険者を数多く生み出している。
出来高制の生んだ悲劇と言うべきか、実績を挙げる機会さえ少ない冒険者の所得はその辺の農民並みかそれ以下とさえ言われ、更には上納金制度や武器等の金銭負担が重なり逆に借金を抱える冒険者も少なくないと聞いている。
ひげジジイはここに目をつけ、前々から自分の手の者を大陸に送り込んでは地道なスカウトを続け、育てれば芽が出る者や実力があるのにそれを活かしきれない人、安定した生活を求める人を密かに集めていたらしい。
そして集めた人員を相手に王国式オーク討伐法をオークの本場たる大陸で実戦を交えて訓練し、選りすぐりの五十名が騎士団にやってきたのである。
「俺ら第一部隊に精鋭を集めて王都から遠くの任務に就かせ、第二部隊は比較的王都に近くて難易度の低い討伐を行ってもらう方針だ。場合によっては二つの部隊総出ってのもありえるのかもしれんが……」
「僕らの第一部隊に冒険者さんは入ってこないんですね……なんだかちょっと残念」
カルメとしては海外の冒険者たちという存在にそれなりの興味があったらしい。俺も実を言うと興味はある。主に大陸で出る魔物との戦いの話や、王国に今後上陸する可能性のある魔物は何かといった討論など。
しかし、ともに戦うのは早くとも来年度からだろう。
キャリバンが慰めるようにカルメの肩を叩く。
叩かれた側から「ひゃっ」と女の子のような悲鳴が聞こえたが気にしない。
「しゃーないさ。訓練したとはいえ王国内のオーク討伐じゃ、足並みが揃えられるかも分からんだろ? 試験運用みたいなもんさ」
「曲がりなりにも実戦経験はある連中だ。案外一年で俺らを追い抜くかもしれんぞ?」
「ヴァ、ヴァルナ先輩が追い抜かれる事なんてある訳ないじゃないですか!! 先輩はいつだって最強無敵ですっ!!」
「いやいやそういうことじゃなくて」
「確かに……あの連中が束になっても先輩に勝利するヴィジョンは耳クソ程も浮かばないっすね」
「だからそういうことじゃねーっつうの!! 個人の力じゃなくて集団戦闘の話!!」
もちろん五十人抜きをやることになったとして負ける気は毛頭ないが、確かに一年で追い抜くというのは言い過ぎだったかもしれない。オーク討伐というのはオークを殺すだけなら簡単だが、国内でのオーク殺しと海外のオーク殺しでは全く達成条件が異なる。
前に冒険者の友達に聞いた話だが、大陸でのオーク討伐はオスメス関係なくとにかく多く殺せばそれでいいらしい。つまりメスオークが生き残ってまた別の場所で繁殖する、といったことを許容している。
もとより絶対数が多いのが災いして、根絶の意識がまったくないのだ。
或いは根絶が事実上不可能なほど魔物に溢れている、が正解かもしれない。
もちろん問題はそれだけに止まらない。
現地被害者とのコミュニケーション、殺すための作戦、確実に殺す為の長期に亘る下準備、殺した後の段取り。長時間の移動や休暇の少なさなども含めて制約や課題はキリがない。レクチャーを受けたとはいえ、実戦経験という一点だけを見て評価を高く見積もるのは早計だろう。
「そういう意味では、ロザリンドも心配っちゃ心配なんだがな……」
冒険者たちが集合する中、新たに配属された王立魔法研究院の協力者や料理班の新メンバー――見覚えのあるそばかすの女性がいてて思わず顔が綻んだ――に交じり、一人だけ明らかに高貴なオーラを放つ美しい令嬢に目が行く。
一応ながら事前に「式典用の豪華な服など決して着てこないように、戦いに出られる服で来い」と伝えていたのだが、服装だけでは隠し切れない服の生地の上質さと当人の気品が、既に衆目を引き付けていた。隣にのんきに突っ立って足をブラブラさせている田舎っぺ女な後輩は欠片も気にしていないが。
おい、そのシャツよく見たら縫い目だらけで新しいファッションみたいになってるぞ。捨てて新しいのを買いなさい。それぐらいならお金出してあげるから。横の新人騎士が隙間から見える素肌を偶然装ってチラチラ見てるの気にならないのかお前は。
と、横からカルメが二の腕をつねってきた。
「嫌らしい目で見るのはいけないと思います」
「嫌らしいって何がどう? 具体的に解説してくれカルメ」
「えっ、お、女の子の素肌をちらちら見たりあの美人の子の体をじろじろ見たりですっ!」
「そうか、そんなに俺の目線を詳細に見ているなんてカルメはいやらしいやつだな」
「なっ、なななななな何でですかっ!? 男が男を見ているだけでいやらしいって……ぼぼ、ボクが先輩のこと見ちゃ駄目ですかっ!?」
最初はジトっとした視線を送っていたくせにちょっとつつけば涙目になるカルメ。その胸中はよく分からないが、多分胸の大きい女性が現れると胸の大きさに一斉に視線を取られる正直な男たちを見て呆れる文化人の心境なのだろう。
この可愛い後輩――他意はなく後輩として可愛がっているだけ――が一つ下の後輩にナメられないか、改めて心配になるのであった。
◇ ◆
嘗て、王国の民は大陸での利権争いに疲れ果て、新天地を求めた。
それは未知の土地への過酷な航海、長く苦しい開拓の道だったとされている。
その先に待っていたのは、魔物による被害に悩まされることのない土地。
王家は実に才能と幸運に恵まれた。
事実上の植民地化であるにも拘わらず、原住民たちを支配せず、かつ君臨という体裁を保つことで無駄な争いを一切せずに王国という新興国家を軌道に乗せた。
しかし、完璧な統治も障害のない発展も世にはない。
王国民はこのときより、平和の代償となる何かを支払った。
「百余年だ。百余年前、魔物への脅威を忘れた王国の民の驕った行動により、王国内にたった一種類の魔物が入り込んだ。それは恐らく侵略ではなく、ただ成り行きがそうさせたのだろう」
厳かな声が、響く。
屋外の樹木の葉が擦れる音も、虫や鳥の囁きもある。しかし声に込められた存在感が音の一切の優先権を得ているかのように、それが漏れなくその場にいる全員の耳に届いていた。
王立外来危険種対策騎士団団長、ルガー。
その功績は語るに及ばず、今の対オーク体制の全てを形作ったともされる男。
齢七十にも届こうかという高齢でありながら、その姿には弱さの欠片も感じられない。
「魔物たちはオークと呼ばれた。大陸にありふれた、よく討伐される魔物だった。誰もが最初、オークが目に見えた脅威になるとは考えなかった。しかし――それから僅か数年のうちに、気が付けば事態は死者を出すほどに悪化していた。オークの大繁殖……生態系という概念の重要性を、王国はこの時になってやっと知った」
それは、長い戦いの始まりだった。
討伐に駆り出された聖騎士団は犠牲を払わされ、聖騎士団は平民騎士に犠牲を払わせ、平民騎士たちの奮闘に理解を示さない者たちによって民の血が流れた。幾度とない失敗と成功を繰り返し、今になってやっと王国は平民騎士団の偉業を理解しつつある。
「特権階級が何を思い我々騎士団の創設を許可したか、今どのように扱っているか。知る者にとっては度し難く、知らぬ者はこれから知っていくことになるだろう。だがしかし、敢えて言おう。我々の持つ信念とその行動に、他の何者かの意志など関係があろうか? 私は断言する――誰が何と言おうと、オークを滅ぼし民を守るのは我らの使命に他ならぬッ!!」
大気が震え、目の前の老人が何十倍にも膨れ上がるような錯覚を覚えさせるほどの、気迫。或いは信念。折れぬ意志。己が命を賭しても道は誤らぬ覚悟が、全てを注いで尚有り余る情熱がその瞬間に込められていた。
それは新天地に降り立った戦士たちを鼓舞させるに余りある言葉。
金と名誉を掴もうとして挫折した人々に、誇りを取り戻させる啓示。
「誇りを掲げよ! しかし敗走と死を恐れよ! 殉職は許さん。何故ならば……我らは民を護る折れない剣なのだからッ!!」
ルガー団長が抜刀し、煌めく刃を天高く掲げる。
それはまるで、時代を切り開く者の先駆けのようで、冒険者たちにその息を呑む光景は余りにも眩しかった。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
「王立外来危険種対策騎士団に、俺たちは剣を捧げるッ!!」
「今日からだ! 俺は今日から変わるんだッ!!」
「もう父さんと母さんにわびしい気持ちはさせない!!」
冒険者たちは誰に指示されるわけでもなく、団長に続いて剣を掲げて叫ぶ。それは余りにも雑然とした咆哮の噴出であったが、叫ぶ者の心は一つに美しく纏められてゆく。
が、その光景に別の意味で息を呑んだ者もいるわけで。
「……ぶ、ボホォッ!! だ、ダメださっきのおじいちゃんの面白顔を思い出してブッフー!! ひー、ひー、はっふふふふふッ、ぶふふひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
「ちょっとアマル、堪えなさい!! いま真面目なところですからッ!!」
「だってぇ……あんなにらめっこ大会優勝間違いなしな顔見せられ……あ、ダメだ笑う! ぶひゃはははははははははっ!!」
「嗚呼、神聖な筈の騎士団就任式が……私の夢が、思い描いていた未来が崩れてゆく……」
我慢できずに蹲ってバンバン手を地面に叩きつけながら大爆笑するアマル。立ち眩みのようにふらっと揺れて膝から崩れ落ちるロザリンド。珍しくそんな二人に気付かず団長の奥にいるヴァルナを見つけてむっつり大興奮しているコーニア。そして先輩方から真実を聞かされていて「現実を知らない哀れな人達」とばかりに冒険者ドロップアウターたちに同情の視線を向ける出向組。
新たなる年を迎える騎士団内には、早くも情報格差の高い壁が立ちはだかっていた。
入社する会社は事前にきちんと調べましょう。
もしかしたらとんでもない会社かも知れません。




