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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第3章 商都攻防
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第3話 『市街戦』


ブンガ・マス・リマ西市街 〈アグニヤー神のスカート〉通り

2013年 1月6日 15時32分



 各地からの交易品を運び込むのに都合が良いように、ブンガ・マス・リマの街路は市外から中心の交易広場に向かって延びている。上空から見れば交易広場を中心に放射状に広がる街路が、まるで太陽の光条こうじょうのように見えるだろう。

 その中でも最も広く真っ直ぐな道が〈アグニヤー神のスカート〉通りである。大型馬車を4台並べて疾走させられるほどの幅を持つこの通りには、旅籠はたごや雑貨屋、両替商などが軒を並べ、普段は人と荷馬車が途切れることはない。

 人々は目の前でひらひらと揺れる商売のチャンスを、ある者は眺めて楽しみ、ある者はその手に掴もうと手を伸ばした。

 そんなことから名前の付いた〈アグニヤー神のスカート〉通りは交易広場で他の街路と合流すると、そのまま中央商館街に架かる〈ジェスルア大橋〉へと続いていた。



 いま、その街路上を異形の兵たちが進撃している。2メートルはあろうかという巨体を厳つい革の甲冑で固め、手に蛮刀や戦斧を提げた豚頭の妖魔は、〈帝國〉南方征討領軍主力のオーク重装歩兵の一隊であった。鬼面を模した大盾が周囲を威圧するかのように並んでいる。

 オークたちは逃げ惑う市民を蹂躙じゅうりんしながら、ひたすらに南瞑同盟会議の本拠地である中洲を目指していた。その突撃は地鳴りを伴い、人の手では止められないと誰もが思った。



 突如、オークの先頭が血しぶきをあげて倒れた。豚頭の妖魔兵たちは鼻息荒く周囲を見渡し、見た目からは想像出来ない素早さで大盾を並べ防御隊型をとる。指揮官は攻撃が街路の左手に建つ商館の二階から加えられたことに気付いた。

 閃光と共に軽快な破裂音が響く。商館からさらなる攻撃がオーク重装歩兵たちに降り注ぐ。ずらりと並んだ鬼面が一瞬で突き破られ、何者にも負けぬとばかりに盾を掲げていたオークもまた、頭蓋ずがいや胴を砕かれた。

 怯えたオークが豚の悲鳴に似た警告を発した。

「敵襲! おのれェ! 盾が役に立たぬか。敵はあの商館ぞ。オークを突入させよ!」

 重装歩兵を指揮する〈帝國〉騎士が馬上で命令を発した。さすがに妖魔の指揮に長けた南方征討領軍である。下級騎士たちがオークに命じ、妖魔兵の一団が商館に向かって突進する。

 しかし、それは街路の反対側から加えられた新たな攻撃により、粉砕された。横合いからの火礫にオークはバタバタと倒れた。生き残りに動揺が走る。

「くっ、挟み撃ちか──グァッ!」

「指揮官殿!」

 馬上でさらなる命令を発しようとした指揮官が、狙い澄ました一撃を胸に受け落馬した。従者が慌てて駆け寄るがすでに事切れている。敵の魔術士は恐るべき手練れである。従者が愕然がくぜんとする間にも、今度は下級騎士たちが次々と撃たれていった。

「ブヒイイィイイ」

 指揮官を失ったオークたちは、ただの獣に戻ったかのようだった。敵から逃れようとてんでバラバラの方向に走り出し、挟み込むように加えられた攻撃の前にことごとく打ち倒された。


「よし、いいぞ。やっつけた!」

 オーク重装歩兵に攻撃を加えたのは、西市街を担当する普通科中隊第1小隊第1分隊であった。最も侵攻が容易な街路の左右に火点を構築し、十字砲火でオークの突撃を破砕はさいしたのだ。オークの巨体も革鎧も大盾も、5.56㎜小銃弾の前には、紙同然であった。


「小隊長、裏道の敵が背後に回りそうです」

「そうか、くそッ。次の拠点まで下がるぞ。向こうにも伝えろ!」

 小隊長の遊佐ゆさ二尉が、吐き捨てるように命じた。わずか一個小隊では全ての道を抑えることは出来ない。やむを得ず、重要な道に火点を構築し敵を迎え撃つと共に、包囲を受けそうな状況になるたび、後退を繰り返している。

 遊佐の率いる小銃班は、ぎしぎしと鳴る階段を駆け下りると、〈アグニヤー神のスカート〉通りに飛び出した。反対側の建物からも部下が駆けだしてくる。遊佐は手信号で素早く命ずると、自らも次に目を付けた火点に向けて走り出した。

(もう、幾らも下がれんなぁ)

 〈帝國〉軍に多大な出血を強いることに成功している遊佐の小隊であったが、変わりに広大な面積を敵に明け渡していた。あと2回も戦えば、後ろには中央商館街へと通じる〈ジェスルア大橋〉を残すのみとなるだろう。

「それに……ああ、84が使えればなぁ」


 彼らにはそれを使えない理由があった。



「射撃止め! 撃つな撃つな!」

 〈アグニヤー神のスカート〉通りに隣接する街路を担当していた第2分隊の隊員たちは慌てて射撃を止めた。

 30メートルほど先の路上には、犬面の妖魔がうごめいている。遮蔽物に隠れることを知らないようで、射撃を加えれば容易く全滅させることが出来た。

「何で止めるんですかッ!」

 89式小銃を突き出すように構え、頬付けしたままの姿勢で隊員の一人が怒鳴った。

「犬面の向こうに民間人だ。ここから撃つと当たるかも知れん」

「え? ああ、何であんな所に……」

 市民の避難は遅々として進んでいなかった。西市街8万の市民に対して、邏卒と市警備隊はごく僅かで、しかも彼らは絶望的な防衛戦闘に駆り出されている。避難誘導を行う者が存在しなかった。

 結果として、逃げ惑う市民の中を〈帝國〉軍の妖魔兵暴れまわっている状況が発生していた。小銃弾は容易く敵兵の身体を貫通するため、流れ弾の危険性は排除出来ない。ましてや、危害半径の大きな火器は使用することすら出来なかった。


「どうします?」銃口を下げた陸士が訊ねる。分隊長は左右を見回し、事も無げに言った。

「お前ら二階に上がれ。俺が囮になって引きつける。撃ち下ろしならなんとかなるだろう」

「分隊長も無茶だな。ヘマして転ばないで下さいよ」

「うるせぇ。お前らこそ外して俺が死んだらぶち殺すからな!」

「了解」


 分隊長は部下たちが木造家屋の二階に登ったのを確認すると、妖魔に向きなおった。軽口を叩いてみせたものの、足は震えていた。

(怖ぇな。だいたい俺は犬好きなんだぞ)


 覚悟を決めた分隊長は両手を振り上げると大声で叫び始めた。



ブンガ・マス・リマ西市街 ジェスルア大橋前交易広場

2013年 1月6日 16時02分



 陸上自衛隊マルノーヴ先遣隊普通科中隊第1小隊長遊佐二尉は、交易広場にでっち上げたバリケードの上で通りの向こうをうかがっていた。

 広場に通じる幾本もの広々とした大通りには、家財道具や荷車といった品々が散乱している。それだけではない。かつてここで威勢の良い呼び込みや、楽しげな笑い声を上げていた老若男女だった『もの』も、路上に無惨な姿を晒していた。

 酷い情景だった。ごく平均的な日本人サラリーマン家庭に生まれ、防大を出て任官し、自衛官となった遊佐にとって、目の前の情景は衝撃以上の何かだった。

 凄惨な光景を前にした彼の戦意に陰りは無い。しかし、隣で彼を補佐する小隊陸曹は薄々気付いていた。遊佐の行動には、必要以上に我が身を危険に曝す傾向が出始めている。 

 小隊陸曹は僅かな危惧を持ったが、戦意を失うよりはましだろうと、取り敢えず無視することに決めていた。


 遊佐は顔中に異様な量の脂汗を浮かべ言った。

「ここで食い止める。曹長、準備は?」

「各班配置に付きました。敵を火制区域に誘い込み十字砲火を浴びせられます」

 遊佐は大きくうなずいた。歯をむき出し、つぶやく。

「外道どもめ。早く来い。今度こそ殲滅してやるぞ」

 彼の第1小隊は、大きく戦力を減じていた。戦闘による直接的な被害は少ない。しかし、後退に次ぐ後退で一個分隊が分断され現在地不明。さらに一個分隊が敵に包囲された神殿に立てこもる邏卒隊と市民の救援に分派されていた。

 現状遊佐が指揮するのは、消耗した二個小銃分隊約20名であった。彼はその大部分を広場の周囲に潜ませた。正面を守るのは彼を含め数名でしかない。

 大変に度胸のいる配置である。広々とした交易広場に申し訳程度に築かれたバリケードは、オーク重装歩兵の突撃を受ければ、濡れた半紙のように容易く打ち破られるだろう。

 だが遊佐はあえてそう配置した。敵がこちらを侮って突撃したところを左右からの射撃で叩くつもりだった。

 彼の背後は中洲に通じる〈ジェスルア大橋〉である。ここを抜かれれば本拠地が戦火に曝される。通すわけには行かなかった。

(相当叩いたのに、次から次へと湧いて出てきやがる。三好一佐、恨みますよ……)

 遊佐は敵の数と戦意に舌を巻いていた。火力も陣地構築も足りていない。結果として博打のような作戦を採らざるを得ない。だせぇ戦い方だぜ。彼は密かに自嘲した。



 金属の擦れ合う音が、細波のように空気を震わせ、隊員たちに届いた。すぐに正面の〈アグニヤー神のスカート〉通りに、敵影が現れた。禍々しさを感じさせる黒の革鎧に身を固めた軍勢が、鬼面の盾を掲げつつ隊列を組んで前進してくる。

 歩調はとれていないが、戦意に不足は無いようだ。兵士に指示を出す下士官の怒鳴り声が、数百の足音と混ざって隊員たちを威嚇する。

 さらに左右の通りにも敵が見えた。建物から建物へ、遮蔽物を盾にして迫るのは犬面──コボルト斥候兵の群れだろう。戦闘力は低いが、高い機動力で都市に浸透するコボルトは侮れない相手だった。

 さらに背の低いゴブリンの姿も見えた。蛙にも似た醜い声が通りを埋める。粗末な鎧にバラバラの武器を携えたゴブリンたちは、多くがその武器や身体に血痕をこびりつかせていた。89式小銃を構えた若い隊員が、奥歯を噛み締める。

 広場に通じる通りという通りから、敵兵が押し寄せてきていた。その全てが橋を奪おうとしていた。


「射撃始め」

 遊佐は小さく命じた。バリケードから散発的な発砲が始まる。微かな硝煙を残して放たれた5.56㎜小銃弾は、確実に敵を撃ち倒していく。しかし、敵の数に比してそれはあまりにも少ない。

 銃弾に戦友を撃ち倒されながらも、〈帝國〉軍はじりじりと前進した。経験豊富な南方征討領軍の騎士たちは、恐るべき威力の攻撃に驚きながらもその数の少なさを看破していた。距離が確実に詰まっていく。その距離は100メートルを切った。

「各班射撃用意」

 遊佐が小隊陸曹に言った。

「各班用意よし」

 小隊陸曹から間髪入れず答えが返ってくる。遊佐はうなずくと〈アグニヤー神のスカート〉通りを見た。敵兵で埋まる大路。倒れ伏す市民の死体。生きているものは〈帝國〉軍だけだった。

「敵が火制区域に入り次第、令なく射撃開始。カールグスタフ用意。敵が突撃に移ったら榴弾を叩き込め」

「装填よし」


 今まさに、自衛隊によって西市街最後の防衛線に仕組まれた罠が準備を整え、〈帝國〉軍に牙を剥かんとしていた。



〈帝國〉南方征討領軍歩兵団本営 ブンガ・マス・リマ西市街

同時刻


 最前列のオークが血煙を上げ、どぅと倒れた。胸に空いた傷口は小さいが、背中から大量の血を流してそのオークは死んだ。敵の魔法は分厚い鉄張りの盾も鎧も、その下の脂肪と筋肉も容易く撃ち抜いていく。信じられない威力だった。

 まだ、およそ百五十歩の距離があるにも関わらず、敵は致死の光矢を撃ち込んでくる。

「たかが南瞑の蛮族風情がここまでの手練れを揃えているというのか? あれだけ軍を叩かれて?」

 〈帝國〉南方征討領軍歩兵団長レフ・エギンは顔の下半分を埋める豊かな髭を震わせた。獅子を想わせるがっしりとした体躯を、機能一点張りの黒鋼製板金鎧で固めた姿は、戦場の将帥に求められる風格を十二分に備えている。

 ヘルムの下から覗く瞳は、その言葉ほど興奮してはいない。むしろ口に出すことで現状を整理しようという意図さえ見えた。

 南方征討領軍先遣兵団主力を預かる彼は外道を用いる立場ながら、常道の将軍でもある。


 彼は経験豊富な指揮官らしく斥候兵による入念な索敵ののち、遊撃隊としてゴブリンを街に侵入させるとともに、主力のオーク重装歩兵を押し立ててひたすら中洲を目指した。

 彼に与えられた任務は『敵本拠の攻略』であり、そのためには中洲へとつながる〈ジェスルア大橋〉を速やかに打通する必要がある。彼は奇をてらわず堂々と主力を前進させた。

 街にろくな守備兵は残っていない。それは、西市街の大部分をあっさりと自軍が蹂躙じゅうりんしていることが証明している。しかし、彼の元には快進撃を遂げる報告とともに、異様なまでの損耗報告が伝えられていた。


「すでにゴブリン軽装歩兵隊の二割が喪われました。コボルト斥候兵も有力な敵に遭遇し、崩れるもの多く──」

「先陣のオーク重装歩兵が壊滅、騎士アブロシキン殿敵陣にて討死」

「敵守備隊は退いた模様。退き陣は素早く捕らえられません」

「敵は、少数なれど強力な魔術士が多く在るものと思われます」

 散発的に伝令がもたらす報告は、時系列が入り乱れている。しかし、そのどれもが少数ながら強力な敵部隊の存在を示していた。


「どう見る?」

 エギンは傍らの参謀魔導師に尋ねた。どう考えても尋常ではないと感じている。我の進撃速度が速いのは敵が素早い後退を行っているおかげだと、彼は検討をつけていた。 

 魔導師のローブに地位を示す徽章をつけた参謀は血色の悪い顔面をさらにどす黒い色に染め、重々しい口調で答えた。

「恐らくは……同盟会議の冒険者ギルド子飼いの精鋭でありましょう。手練れの冒険者ならばあれほどの魔術多用も考えられます」

「敵に後備はあるか?」

「こちら岸にはもはやありますまい。しかし、橋の守備があれだけとは思えませぬ」

 さらに一頭、前衛のオークが倒れる。しかし、すぐさま後列が間隙を埋め重装歩兵の横陣は着実に歩みを進めていく。

「放てェ!」

 後方から、弓手頭の号令に続いて弓鳴りの音がした。ザァという音を残して敵陣に矢が降り注ぐ。敵陣からの反撃は力を弱めた。弓隊による援護が敵兵の頭を抑えている。


「敵には罠があるというのだな」

「御意」

「だが、それを探る手間はかけられん。儂の手勢はひたすら押し出し、橋を打通する。サヴェリューハ閣下の魔獣兵団は敵本陣への切り札だからな」

「では?」


 参謀の問いに、エギンは大音声で言った。


「我、南方征討領軍歩兵団長レフ・エギンの名の下に命ずる。全隊、突撃発起点に着き次第、敵陣にかかれ! 対岸まで止まることを許さず。敵魔術士を討ち取り誉とせよ!」


 命令を受けた本陣付き軍太鼓が乱打を始めた。太鼓のリズムに合わせるように重装歩兵の歩みが早まり、地鳴りのような音を立てる。興奮したオークが唸り声を響かせ、それはあっという間に全隊に伝播でんぱした。

 過去、幾多の敵勢を怯ませてきた獣の雄叫びである。

 エギンは、敵陣に向けて駆け出した手勢を見ながら、参謀に言った。


「罠は〈悪疫〉どもがどうにかするだろう」

「御意」



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