学園のカリキュラム 3法学2
ぐるりと教師は教室内を見回した。さりげなくアナスタシアたちーーマティスのほうは見なかった。
教室内の視線が教師に集まり、しんと静かになる。
それを見計らって教師は次の内容に移った。
「さてここからは王族公認特例の話をしよう」
アナスタシアはちらりとマティスを見た。
マティスも王族公認特例を受けている。
その色気過剰症は個人の努力によってではどうにもならないと認定され、それによって引き起こされた一切のことについて責任は負わなくてよいと認められたのだ。
そうでなければマティスは領地の屋敷から一歩も出られなかったに違いない。
「この特例が初めて公式の文書に現れてくるのは、三代前の国王陛下の御代のことだ」
何人かがちらちらとマティスを見ている。
アナスタシアたちの世代でこの特例を受けているのは今のところマティスだけなので、それは致し方ないことなのかもしれない。
滅多に出るものではないのだ。
「その前から公式に認定されていないだけで似たようなことはなされていたはずだ」
いわゆる王族特権で気に入ったものを優先していたということだろう。
先程やった不敬罪乱発時代より以前にも、王族が依怙贔屓して大変な時代というものが何度かあった。
気に入った者に要職を与え、優秀でも気に入らない者を閑職に追いやったりとか。
当然国は荒れた。
たいていは息子に退位させられ、幽閉された。
「諸君も知っての通り、王族がお気に入りの者ばかりを優遇し国が荒れた時代が何度かあった」
まさにアナスタシアが思い出していた通りのことを教師が言う。
「だから王族公認特例というものの発令は慎重に行われなければならない」
教師は力強く言い切る。
何人もの生徒がそれに頷き返す。
乱発されれば歴史が繰り返されることになる。
とはいえ、王族公認特例というものは権力を与えるようなものではない。
「とはいえ、今の王族公認特例は保護の意味合いが強い」
教師も言う。
「何かを強制させられたり、本人ではどうにもならないことについての責任を取らされないようにするためのもの、特殊な事情を抱えた者が普通の生活を送れるようにしたものが今の王族公認特例制度だ」
マティスの色気も生来のものだ。
抑えようにも本人の意志ではどうにもならない。
周りでばたばた人が倒れていく責任を取らなくてはならなかったら、マティスは本当に閉じ籠って部屋から一歩も出られなくなってしまう。
この制度のお陰で、普通の人よりは制約があってもマティスは外に出られるのだ。
「記録として初めて残されたこの特例の適用された者もそのような者だった」
どんな人だったのだろう?
どんな理由を持っていたのだろう?
興味がありつい前のめりになる。
もったいぶるように間を空けて教師が口を開く。
「傾国の、ともいえるほどの絶世の美女、ただし男爵令嬢だった」
それだけで彼女を取り巻く環境が見えてしまう。
「彼女の周りには好意も悪意も集まった」
教師ははっきりとは言わないが、恐らく求婚者だけではなく、恋人や愛人になれと迫る者たちが群がったのだろう。
それを面白くないと感じた者たちからの嫌がらせも相当あったに違いない。
「彼女自身はとても大人しい性格だったという。家族や友人と穏やかに暮らしていきたいと、そう願うような少女だったそうだ」
絶世の美女でそれは珍しいのではないだろうか。
周りからちやほやされればどうしたって傲慢な性格になるだろう。
家族を始め周囲の者に恵まれていたのだろう。
「彼女の家族も友人たちも彼女を庇った。だが彼らも爵位の低い者たちばかりで高位の貴族に抗い続けるのは難しかった」
それでも庇ってくれたのだ。
家のために差し出されてもおかしくなかった。
自分たちに火の粉がかからないように見て見ぬふりをしてもおかしくはなかった。
そうせずに庇ったということは彼女の人望が厚かったということだ。
性格のいい少女だったのだろう。
「彼女に救いの手を差し伸べたのは、当時の王太子殿下だった」
大物が出てきた。
学園でのことならば王族の中での一番だ。
今は見合い的意義の強い学園だが、もちろん当時から学園はあった。確か、貴族同士の交流を図る目的が強かったはずだ。
派閥に属したり、人脈を広げたりするためのもので、今もその側面はあるが、当時はそちらに重きが置かれていたと聞いている。
「王太子殿下自身は彼女に惹かれることはなかった。幼い頃からの婚約者と仲睦まじく、他の女に目がいかなかったと言われている」
だからこそ彼女に手を差し伸べられたということか。
変な勘繰りをする輩というものはどんな時でも出てくる。
それをはね除けられるほど仲睦まじく、かつ、払拭できるほどの実力を持っていたのだろう。
そうでなければ、数多の者に好悪含めて狙われる彼女に手を差し伸べられるはずはない。
「自分の名のもとに彼女を保護した。王太子殿下の婚約者も協力したらしい」
ああ、王太子殿下の婚約者も協力的であるなら磐石だろう。
本当に仲睦まじい婚約者同士だったのだろう。
「特例の内容は知られていなければ意味がない。だから各家に通知されるようになった」
この制度は知られてこそ効力を発揮する。
そうでなければ、いくら特例が出ていると主張したところで取り合ってはもらえないだろう。
このことが徹底されたからには何かあったのだろう。
「それにより彼女もようやく普通の生活が送れるようになったそうだ。友人たちや王太子殿下とその婚約者、側近たちと学園生活を楽しんだそうだ。よかったね」
本当によかった。
きっとその先も幸せに暮らせたのだろう。
そうであってほしい、とアナスタシアが願った時、そうそう、と教師が付け足した。
「彼女は幼馴染みの子爵令息のところに嫁いで仲睦まじく暮らしたと言われている」
彼女のその後が気になる。
これも調べよう。
アナスタシアはノートの端にメモ書きして丸で囲った。
ぐるりと教師が教室内を見渡した。
「さて今日はここまでにしよう」
ぱたんと卓上に置いてあったノートを教師が閉じる。
「自主的なレポートはいつでも歓迎だ」
授業の終わりはいつもこの言葉で締められる。
アナスタシアも自分で調べたことをレポートにして提出したことが何度かある。
図書室で同じように調べていた学生同士で意見交換や情報交換だってしたことがあるのだ。
……彼ら彼女らと教室で話せたことはないが。
遠巻きにされている現状なら仕方ない。
きっとマティスが近くにいることだけではない。
アナスタシアにもきっと何かあるのだ。
人目のつくところでは関わりたくない何かが。
それを考えると心の中にぽつんと陰が生まれる。
「アナ、どうかした?」
マティスの声で我に返る。
教室はざわざわと賑やかだ。
授業が終わり、それぞれ荷物をまとめたりおしゃべりしたり、足早に教室を出ていったりしている。
教師は学生の質問に答えている。
「いいえ、何でもないわ」
マティスもロンバルトもすでに荷物をまとめ終わっている。
アナスタシアも慌てて荷物をまとめた。
だがすぐには動かない。
ある程度学生が教室を出てからでなくては倒れる者が多くなるだけだ。
「マティスとロンはレポート出す?」
「あー、俺は気が向いたらな」
「僕もかな。アナは?」
「一応、調べてみようとは思っているわ」
何故か二人は胡乱な眼差しをアナスタシアに向ける。
アナスタシアは首を傾げる。
「法学関係のことは二階奥の法学の場所に、個人的なことが知りたいのなら、三階の個人伝記の場所にあるはずだよ」
割って入った声にアナスタシアが教師のほうに視線を向ける。
「レポート、楽しみにしているよ」
それだけ言って教師は教室を出ていった。
「あれ、絶対面白がっているぞ」
「アナが調べるのはいつも本筋と関係ないことなのにね」
「だからこそ、かもな」
小声で話す二人の言葉はアナスタシアには聞き取れない。
「なあに?」
「いや、何でもない。そろそろ行くか」
ロンバルトが立ち上がる。
「そうだね」
それにマティスが頷いてロンバルトに続いた。
気づけば、教室の前のほうには誰もいなくなっていた。
まだ残っている者たちはみな後方に固まっている。
アナスタシアは釈然としないまま二人の後を追った。
読んでいただき、ありがとうございました。




