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トレンチ6 図書館で自習しよう

「ほら、ここだ」

 不機嫌そうな顔をしながら、ユエはその建物を差した。

「お、大きい……!」

 思わず良平は息を呑み、小雨の中であっても威容を誇る建物を見上げた。

 パルテノン神殿か、とツッコミたくなるようなギリシャ建築様の建物。しかし、ところどころ、ディディールがいい加減なのがご愛嬌だ。ギリシャ建築にはありえざる、蝶番式の大きなドアがしっかり取り付けてある。それにしても、大きい、ということそれ自体がこれほど圧巻とは。

「それにしても」ユエは呆れ顔を浮かべた。「なぜこんなところに来ようと思ったのだ?」

「いや、試験勉強といえば図書館っていうのは基本でしょう」

「そ、そういうものか……? 文人の考えることはよく判らんな」

 ユエは顔をしかめた。

 勅任試験に挑戦する。とりあえずその目標が定まった。試験であるからには、勉強をしなくてはならないはずだ。というわけで、ユエに『どこかに図書館はありませんか?』と聞いてみた。その結果、ユエが教えてくれたのがここだ。

「王立図書館。ここにはショク王国中から収集された図書がある。ここに収まっていない文献資料はないとまで謳われているぞ」

「日本でいえば国立国会図書館みたいなものですね」

「いや、ニホンとやらを知らぬゆえ、わからぬが……」

「そうでした、忘れてください」

 どうやら、勅任試験まで十日ほどあるらしい。それまでにこの異世界の歴史を学んでおこうと思ったのだ。世界の考古学は微妙に違うけれど、良平が学んだ日本の考古学は歴史学と密接な関係にある。むしろ、歴史学の一部に考古学があるとすらいえる状態だ。それが考古学にとって幸せだったかというと怪しい気がしているものの、とりあえず歴史は知っておいて損はない。

「では、私は城に行かねばならん。これよりは一人で」

「あ、はい、ありがとうございました」

「……ああ」

 いつもはてきぱきと動くはずのユエも、今日は動きにキレがなかった。王都のど真ん中だというのにアーマーメイルに外套という重装備の姫騎士は、降りしきる小雨に肩を落としながら、町の雑踏の中に消えていった。

 どうしたんだろう、ユエさん。なんか変なものでも食べたのかな。

 一瞬だけ疑問に思ったものの、良平の興味は既に図書館へと向いていた。

 重苦しい扉を思い切り開く。

 中から、古紙独特の酸っぱい香りが洪水のように押し寄せてくる。その香りにつられるように中に首を突っ込むと、ひんやりとした空気が良平のことを出迎えてくれた。

 林のように立ち並ぶ本棚。真ん中には読書スペースなのだろう、大きな机が椅子ごとに仕切られている。昼間だというのに、そこには誰も座っていなかった。

 ほう……。国立図書館なのに、だれもいない……?

 疑問に思っていると。

「ようこそ、王立図書館へ」

「へっ!?」

 出し抜けな呼びかけに、思わず変な声が出てしまった。振り返ると、そこには緩やかなローブをまとう女の人が立っていた。年の頃は三十くらいだろうか。燃えるような赤い髪の毛を後ろに結んで垂らし、優しげに微笑みながらもその目には強い意志を感じさせる。スレンダーな体形だけれど、全身に力が満ち満ちている。赤髪とも相まって、まるで火山のような人だという印象を持った。そして何より、その耳は尖っている。エルフだろう。

「あの、ええっと……」

 すると、その女性は自己紹介をした。

「初めまして、私は王立図書館の館長のカトルと申します」

「カトル、さんですか」

 すると、カトルと名乗ったエルフは良平の顔をまじまじと覗き込んできた。その瞬間、フローラルの香りが良平の鼻に忍び込んできた。

 ああ、なぜ女の人の香りというのはこうも麗しいのだろうか……!

 そんな良平の下心丸出しのモノローグにカトルは付き合ってくれそうになかった。

「あなた、異世界からやってきたのですね」

「え、わかるんですか」

「そりゃもう」カトルは淡く微笑んだ。「だって、瞳孔の開き方がこちらの人たちと違うのだもの。どうやら異世界のほうが光が強いみたいで、異世界人のほうが瞳孔の収縮と弛緩が速いのよ」

「へえ……、物知りですね」

「それはそうよ。私は図書館の館長ですもの」

 こともなげにカトルは薄く笑う。笑うとこの人は途端に女の人っぽくなる。そんなことを心の隅で呟いた。

「あのう、すいません、今日は本を読みに来たのですが」

 来館の目的を告げた。しかし、カトルは意外なことを言った。

「すみませんね、ここに収蔵されている本を読むためには資格がいるのです」

「は!?」

 言うには――。王立図書館に収蔵されている本を読むことができるのは勅任文人や地方官以上の文官に限られ、無位無官の人間は本を手に取ることさえできないのだという。

「あの、ちなみに、庶民が手に取れる本が置いてあるところは……」

「図書館はショク王国内でここだけですし、基本的には庶民は本を手に取りません」

 なるほど……。

 “ブレインガルド物語”は(というか日本で流通しているRPGの多くは)中世ヨーロッパをモデルにしている。その時点で気付くべきだった。中世において、庶民に開かれた図書館などありえない。国民に開かれた図書館などというのは、識字率の高まりと、出版技術の発達が見られる近世から近代にかけての所産だ。それどころか、中世においては権力が知識を独占することで権威を保っていたという歴史がある。このショク王国の文教政策もそれに準拠しているのだろう。

「でも、図書館が使えないなら、どうやってみなさん勉強しているのですか」

「勅任文人の方に弟子入りして、学問を修めるのです」

 ああ……なるほど。

 つまり、知識へのアクセスが絶望的に難しいということだ。現実世界の日本では、知りたい情報はネットでちょちょいと調べられる。しかしここは違う。知識の多くは国家に独占されていて、もしそれでも知識を得たいのならば知識階級に弟子入りして得るしかない。ある深い知識を得るためには、どうしても長い年月が必要になるという塩梅だ。

 うわあ……。

 良平が頭を抱えると、カトルが小首を傾げながら、ちょこっと提案をしてくれた。

「では、これでいかがでしょうか」

「え……?」

 その提案に、結果として良平は乗っかった。


 宿舎に帰ってきたのは、もうとっぷりと日も暮れた後だった。

 ドアを開く。しかし、誰もいないはずの部屋の中に鬼が立っていた。

 いや、鬼というのは見間違いだった。

 ゴゴゴゴゴ、と地響きのような音を立て青筋をデコに浮かべながら、金砕棒の先を床に突き刺すようにして仁王立ち。全身からオーラのようなモノが立ち昇り、長い銀髪の先がふるふると逆返っている。これ、戦場に放り込めば『我こそは三國無双なり!』とか名乗りを上げちゃいそうな雰囲気を湛えているのは――。

「おお、戻ったか」

 そう、ユエだ。

「あ、ああ、ただ今戻りました……」

 なんかめちゃんこ怒ってる……! いくら空気が読めない良平と雖も、ここまで分かりやすく機嫌が悪いのを表してくれれば察することができるというものだ。もっとも、どうして怒っているのかは分からないのだけれど。

 臨戦態勢を解かぬまま、ユエはぴくぴくと口元を震わせながら口を開いた。

「いかにここが王都といえど、夜道の一人歩きは危ない。特に君は武の鍛錬を積んでおらぬ。君の身に何かあったらことだ」

「ああ、すみません……」

「して」

 ユエはとてつもなく重そうな金砕棒を握り、ドスンと肩に担いだ。

「やけに遅かったではないか? 何かあったのか? やけにげっそりしているようだが。まさか、歓楽街に行ったなどということはあるまいな? え、あるまいな?」

「違います。王立図書館でひたすらカトルさんの話を聞いていたんですよ。(っていうか歓楽街なんてあるんですか)」

 すると、さっきまでハリセンボンのようだったユエから、風船が抜けるように殺気が抜けていった。

「ああ、カトル殿に会ったのか。というか、カトル殿と話すことができたのか」

「いや、普通に図書館にいましたけど」

「ほう、ということは、図書館は空いていたことだろう」

「ええ、いかにもそうですけど」

 すると、カカと笑いながらユエはその所以を教えてくれた。

「カトル殿はあの図書館の本をすべて読破したとまで言われるほどの博識でな。しかも、その内容を他人に話してくれるのだ。元来がお喋り好きなのだろうな。しかし、寝食を忘れてがーがーと喋るものだから皆嫌がってな、カトル殿が出勤する日には誰も図書館に寄りつかん」

「ああもう、それは身を以て学びましたよ」

 思い出しただけでもげっそりする。

 あの時、カトルが提案してきたのは、『本は読めないけれど、その代わり、私が本の内容について講義することができる。それならば法に抵触することなく知識を学ぶことができます』というものだった。本が読めないのは残念だけれど、空振りに終わるよりましか、とその提案に乗った。

 しかし、それが間違いのもとだったと気付くのに時間はそうかからなかった。歴史をお願いします、と口にしたその瞬間、

『では……』

 すうと息を吸ったその瞬間、カトルの顔から柔和さが消えた。

 鬼、この人は鬼よ!

 正直ドン引きするレベルで女人が浮かべてはならぬ顔をしたカトルが、まくしたてるように何事かを喋りはじめた。あまりに話す速度が早すぎてもはやモスキート音に近い。しかし、その中から有用な情報を拾い上げて――。

「何とか、ショク王国の……。ひいてはブレインガルドの歴史が分かりました」

「ほう、やはり君はすごいな」

「いえ、そうすごいってわけじゃないですけど」

 むしろ、昼食や夕食、それどころかトイレの中座すら許されなかったというこの地獄を思い知って頂きたい。

「我らがショク王国の歴史、か。そういえば私も知らぬ。教えてくれぬか」

「え、ユエさんもご存じないんですか」

「そりゃそうだ、私は武官だからな」

 そういうもんか。

 しかし、とりあえず納得した良平は、今日、昼ご飯と夕ご飯を犠牲にして聞き出したブレインガルドの歴史を話し始めた。

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