トレンチ5 雨の日も考古学者は忙しい
次の日は雨だった。
窓からどんよりとした空を見上げ、良平は忸怩たる思いに襲われていた。現実世界では、遺跡を雨から守るために、作業終了時にビニールシートなどで保護をする。そうすることで、雨風による撹拌を防ぐのだが、まさか異世界で雨が降るとは思っておらずその準備はしていなかった。そういえば、“ブレインガルド物語”には天候というフィールドステータスがあったなあ……と今更のように思い出していた。
基本的に、雨が降ったら発掘は休みだ。これは遺跡保護の観点からもそうだが、むしろ雨によって掘り返した土が崩れて思わぬ事故になるのを防ぐという意味合いのほうが大きい。
しかし。
考古学者の仕事は、むしろ雨の日にあるといっても過言ではない。そう言っていたのは、あの並河さんだった。
『晴れの日は発掘三昧。雨の日は論文書いたり遺跡資料を整理したりするのが仕事よ』
まだ論文を書くほどの資料は揃っていない。やるべきは遺跡資料の集成だ。
部屋の隅には、昨日掘り返した発掘資料が箱に入った状態で収まっている。ここに入っている資料は発掘段階でタグ付けをしてあり、どこのグリッドからの出土品か分かるようにしてある。本当なら、発掘現場にXYZ軸を測ることができる測定装置を持ち込めばいいのだけれど、異世界にそんなものがあるわけはない。大学時代、その測定装置と同じ計算を自力でやろうとしていた奴がいたけど、そいつは高校時代ぶりの三角関数に悩まされ、最後には「サインコサインタンジェント!」と叫ぶだけの廃人と化した。
現代の発掘のように厳密である必要はない。
これはあくまで試掘だからだ。
しかも、この試掘は、この異世界で発掘という方法論が役に立つかどうか、考古学という学問の基本中の基本に据えられる法則が、この異世界でも有効であるかを精査するためのものだ。
それは――。
と、部屋の戸が勢いよく開かれた。
「おーい“旅人”。いつまで寝ているつもりだ……、ってなんだ、起きてるのか」
「あのうユエさん、これでも男の部屋なんですよ、ノックくらいしてから入ってくださいよ」
「ははん、何を言う。“旅人”が何やらベッドの上でがさごそやっているのを私は知って――」
「シャラップ!」
“ブレインガルド物語”は全年齢対応だろうが! やめろそういうのは!
しかし、慌てる良平などものともせず、ユエは話の方向を変えた。
「で、何をしているんだ?」
「これから、発掘資料をレベルごとに並べてみようと思っています」
「は? 物にレベルがあるのか? ちなみに私は今レベル92だが、物もレベルアップするのか?」
間違いなくレベルという語をRPG的に理解している。っていうかユエさんレベル高っ!
「そのレベルじゃないです。ここでいうレベルとは、“高さ”のことです」
「高さ?」
「はい。僕のいた世界だと、『地層累重の法則』というものがありました。法則と名前はついていますがそう難しいものじゃありません。基本的には、古い地層ほど地下にあり新しい地層ほど表土に近いところにある、というだけの法則です。つまり、低いレベルの遺物は古く、高いレベルの遺物は新しいということになります」
「ほう、つまりレベル92の私は若いということか。ちなみにわたしは二十だが」
ああ、結局わかってない。ってかユエさん、若っ!
「まあとにかく、遺物の地層の関係から、あるていど遺物の古さを並べることが可能なんですよ」
とりあえず、現実世界では一般的だった“レベル”という言い方は改めたほうがいい。余計な誤解を生むだろう。
ってか、こんなことを話していても始まらない。とりあえず、床の上に前後関係がはっきりするように遺物を並べていく。
遺物は三十程度しかない。すぐに終わった。
「ほう」ユエが声を上げた。「瑠璃陶が帯のようになっているな」
「ええ、瑠璃陶はB1グリッドのピットからしか出土しませんでした」
ピット(穴)は、周りの地層(この現場の場合は貝塚層)より新しいものだ。その中でしか瑠璃陶が見つからなかったということは、貝塚の時代には、まだ瑠璃陶は誕生していなかったという可能性があるということだ。
またユエは、瑠璃陶のかけらの中に並ぶ異質なものを差した。
「なぜ、骨があるのだ?」
「出土したから並べただけです」
大体十センチくらいの――現実世界でいえば鶏の腿骨に似た骨が検出された。
「ユエさん、ショク王国では肉を食べるんですか?」
「ああ。お祭りの時くらいしか食べないが、全く食べないというわけではない」
なるほど。ってことは……。良平の推論はほぼ当たりのようだ。
あのピット(穴)は、恐らくは貝塚が使われた時代より後の、家族が使うようなゴミ捨て用の穴だったのだろう。それが証拠にピットの深さは一メートルほどだった。家の主がせがまれてえいこらと穴を掘ったさまが想像できる。そしてそこに食べ残しや割れた瑠璃陶を捨てたのだろう。そのうち有機物の多くは黒土に変化し、残ったのが無機質である瑠璃陶の欠片や、比較的安定的に推移する動物の骨だったということだろう。
そして、ピット(穴)以外のところからも発見があった。
貝塚層であるA1グリッドに置いてある遺物などはまさにその代表だ。
「む? なんだ、あの土くれのようなものは」
「たぶん、あれは土器です」
「土器? つまり、瑠璃陶のようなものということか。だが、それにしてはまったく美しくない……」
「確かに瑠璃陶みたいな美しさはないですけどね」
美しさという基準ほどいい加減なものはない。現実世界でも、現代美術家である岡本太郎が称揚したことによって縄文土器に美が見出されたという歴史がある。それに、そもそも器物に美しさなど必要がない。結局は、器としての本分を果たせばいい。
とにかく、その土器片は、内側が黒く、外側が赤っぽくなっていた。内側が黒いのは炭化作用によるものだろう。つまり、何らかの炭化物を収めて火にくべることにより煮炊きなどをしていたと想像できる。現実世界でいうと土鍋のようなものだ。
そしてここからが大事なのだけれど――。
「この試掘のおかげでわかりました。どうやらブレインガルドでも、考古学はできそうです」
「どういうことだ?」
「地層累重の法則はこちらでもほぼ使えそうなんです」
地層累重の法則は、現実世界での法則である土砂の堆積作用によってもたらされたものだ。裏を返せば、MMORPGの世界で土砂の堆積作用なんていう細かい法則が適用されると考えるほど、僕はゲーム製作者の仕事を信頼してはいない。それに、ここは“ブレインガルド物語”の世界だ。歴史クラスタからすれば『色んな文化や時代のキメラ』扱いされているこのゲームに、厳密な原則が適用されるとは思っていなかった。
だが、地層累重の法則はここで生きている。
それは――。
良平は赤土層から発掘された土器片を差した。
「見てください。この土器を」
「むう?」
ユエは目をしばたたかせて床の上に転がる土器片を拾い上げた。そして、舐めるように見回しては次の土器片を拾い、また他の土器片を拾い上げて眺め……を繰り返していたものの、そのうちに「わからん!」と匙を投げてしまった。
「ただの赤い土器だ! これが何だっていうんだ?」
「ふふふふふ。よく見てください。土器片の厚みを」
「厚み……?」小首を傾げながらも、ユエは良平の言った通りにする。「あ!」
「気づきましたか」
「ああ。なるほど!」ユエの顔はまるで子供のように緩んだ。「厚みが違う!」
「正解です。でも、正確には、下の地層にあった土器ほど、土器厚があるという特徴を見出しました」
「下の地層ほど? それがどうしたんだ」
「結構これが大事なんです。一般に、土器というのは時代が下るにしたがって厚みがなくなっていきます。昔は技術があまりなかったからどうしても土器を肉厚にして丈夫に作るしかなかった。けれど、時代が下って技術が進むと、どんどん肉薄になっていくんです」
うむむ? ここでユエが疑問の声を上げた。
「いや、それは論理が飛躍しているんじゃないか? 分厚い土器をずっと使い続けることだってあるのではないか?」
「いえ、これはあくまで個別の現象じゃなく、傾向の話です。二十ほど見つかった土器に、そういう傾向が見つかったというのは大きいと僕は考えてます」
「む?」
良平は頷いた。
「結局、地層累重の法則が正しい、と仮に決めちゃえ、ってことです。今後、もし地層累重の法則を裏切るような事実が分かったら改めればいい。それだけの話です」
「ほう、そういうことか」
この時、良平は、はっ、とした。
しまった。またいつもの悪い癖が出ちゃったよ。
この通り、良平は考古学馬鹿だ。学部生時代から仲間たちと論文を回し読みしてああでもないこうでもないと泡を飛ばして議論し合っていた。それは院に入ってからも、ポスドクとして外の研究室に入ってもなお変わらなかった。そんな奴だから基本、考古学くらいしか他人と話すことがない。合コンのときに女の子が気を遣って『良平君って趣味とかある?』と水を向けてきたのを幸いに『いやあ、趣味は山内清男の形式論の精査ですね!』と言い放ち、合コンのテンションをどん底まで叩き落としたのは一度や二度ではない。いや、場を白けさせようとしているわけではないのだ。でもそれくらいしか話すことがないだけで。
「……すいません、ユエさん」
「は? 何がだ」
「こんな話、面白くないですよね。本当にすみません」
「いや、面白いと思うぞ」
「え?」
意外だった。今まで考古学の話をして喜んでくれたのは同好の士くらいのものだった。
だが、目の前の銀髪の姫騎士は、確信をもった顔で頷いて見せた。
「我らがショク王国は、かつては武人よりも文人を高く買う慣習があったからな。それゆえ、異世界から落ちてきた“旅人”たちを雇い入れて人不足の戦地に送っているわけだが……、おっと」
何やらショク王国のホンネが聞こえたような気がしたものの、全力で聞こえないふりをした。
「何より、非常に分かりやすい。さらには地面の中に埋まっているものから人間の活動を想像しようなどという学問、これまで見たことも聞いたこともない」
そうか、この世界には考古学は存在しないのか。
すると、ユエはポンと手を打った。
「そうだ! まだ仕事は決まっておらぬのだろう?」
「ええ、残念ながらですけど」
「ならば、我が国の勅任試験を受けてみたらどうだ?」
ユエが言うには、年に二回、ショク王国の王、リュウ王の名のもとに文人の登用試験があるのだという。その中でも、勅任試験はその白眉で、これに合格すると文人としての未来が約束される。
「勅任文人ともなると、その権威たるや地方の行政官にも張り合えるほどだ。それに、年に二回付与される勅任官禄によって左団扇だ」
この国のことはまだ全然わからない。だが、どうやら悪い話ではない。心配があるとすれば……。
「大丈夫ですかね。そんな大規模な試験ということは、この国の中でも秀才って人たちが集まるわけですよね。その中で勝ち抜く自信が」
「もちろん、本来ならば勝ち抜くのは厳しい。しかし君は“旅人”だ。我が国の法に、“旅人が望めば勅任の最終試験に無条件で参加できるものとする”という一節があってな」
異世界から降りてきた“旅人”は時折ショク王国の技術革新に寄与するような進言をすることがあり、そういった人々を上手く文人として吸い上げるための制度らしい。
「あとは君の意思次第だ。どうする?」
どうするもこうするもない。どうせ駄目で元々の試験だ。
「受けます」
二つ返事をしたのだった。




