トレンチ4 掘ってみよう
次の日、良平は石鏃を拾った白い土の地に立っていた。手には鋤簾やスコップや移植小手、箒や塵取といった道具類や、紙や鉛筆といった最低限の筆記具を抱えて。
それにしても、ブレインガルド物語の製作者が考証に熱心でなくて本当によかった。正直、移植小手とか鋤簾は諦めていたし、紙類は中世ヨーロッパよろしく羊皮紙が出てきたらどうしようかとひやひやしていたのだ。しかし、道具屋は日本で見るのと変わらない農機具を出してくれたし、文房具屋から出てきたのはわら半紙のような質感の紙だった。どうやらここまで考証の手が回らなかったと見える。
ここで石鏃が出た。ということは、この下に遺跡がある可能性が高いということだ。
掘ってみたい。それが良平の偽らざる気持ちだった。
打算や理屈ではない。それにそもそも職も決まっていない上、ユエから貰った一時金(どうやら、異世界に降りてきた人々に『せめてものお情けに』と王様が下してくれる性質のお金らしい。裏を返せば、ショク王国は働きもしない異世界人をずっと養ってくれるつもりはないようだ)を切り崩して道具を買ってまでここを掘ろうと決めたのは、単純に考古学者の卵としての興味だった。
異世界の発掘なんて、シュリーマンもハワードカーターだってできないぞ。そんな、考古学徒以外にはピンとこないモノローグを抱きながら、ここに立っている。
しかし、いつまで気負って立っていてもしょうがない。さっそく作業に取り掛かった。
まずは、発掘すべき場所の選定とグリッド作りだ。
グリッド、というのは、直訳すると格子。発掘地をチェス盤のように分割し、縦の列に数字、横の列にアルファベッドをつける。そうしておけば、後々発掘物が出たときに、『1Bグリッドで○○が出土』という風に記録を残すことができる。本来ならかなり広い範囲でやるのならこのグリッドにも意味はあるのだけれど、今回は良平一人だ。そんなに広いグリッドを取ってもしょうがない。というわけで、一定の間隔で棒を立てなくてはならないわけだけど……。
さあ、ここで出てくるのはこれだ! キュビット尺!
実を言うと、現実世界と変わらない道具類を手に入れることができたことで、良平は安心していた。というのも、「度量衡関係もそんなに変わらないんじゃないか」という期待があったのだ。こんなことになるとは露にも思っておらず、現実世界からは巻尺はおろか定規すら持ってきていない。しかし、考古学においては度量衡は基本中の基本だ。だからこそ、度量衡が現実世界と違わないことを祈っていた。
だが、出てきたのがよりにもよってキュビット尺だったこの驚きよ!
キュビット尺とは、古代オリエントや西洋で広く用いられていた尺度のことで、肘尺とも訳される。この名の通り、王様の肘の長さから定められたという伝説がある。元々が体の大きさを元に作られている尺であるがゆえに地域によってのバラつきもあり、また時代によってもまちまちだけれど、おおまか五十センチメートルくらいを差す。道具屋の親爺曰く、『これは今の王様の肘の長さなんだそうで』とのことだ。まったく、このゲームの製作者よ、どうしてこんなところだけやけに考証を緻密にやるんだよコンチクショウ!
まあいい。ちょっと乱暴なのは自覚しつつも一キュビット=五十センチとして、その四倍の二メートルで一つのグリッドを構成する。しかし、一人で発掘するには限度があるため、四つグリッドを作ってよしとすることにして、買ってきた棒と紐とで田の字にグリッドを作り上げた。
さて、まず差し当たっては……。
まずはこの鋤簾の出番だ。本来は地面を均すのに使うひしゃげた鍬のような農具だけれど、考古学においては表土を等しく漉き取るのに使う。それこそ化石人骨が出土するくらいの昔となれば地球の地層活動による撹拌は無視できないけれど、石鏃が出るほど近い過去ならば、撹拌もそんなに多くないはずだ。そもそも、表土に出土品が出てきてしまうということ自体、現代人の活動によって影響を受けてしまうくらいその遺物が“近い”過去のものであるという証拠でもある。(念の為。“近い過去”とはいうものの、それは地質学的スケールに立脚した見地だ。そのスケールで比べれば数万年前の昔など“近い過去”となる。)となれば、鋤簾で等しく土を取り浚っていけば堆積した地層を等しく取り除いていくことができるはずだ。
が、掘り返してみて、良平はこの遺跡が当たりであることに気づいた。
鋤簾で掘り返しているうち、すっかり真っ白になった貝が顔を覗かせたのだ。
これはもしかして……! ここ、貝塚なのか!
貝塚。主に縄文時代に、集落の住民たちがゴミ捨て場に使ったところだ。当時、海岸線に生活していた人類は貝を主食にしていたらしく、集落の周囲に貝を捨てる場を作り、そこに生ゴミを捨てていた。それが貝塚だ。
白い土が表面に出ている時点である程度想像していたとはいえ、まさか本当に当たりとは。ってことは、ここはまさしく宝の山だ。良平は心中で快哉を叫ぶ。
貝塚は貝のカルシウム成分により普通は残りづらい骨を残しやすい。それに、ゴミ捨て場として使われていたため、要らなくなった土器や石器も打ち捨てられている場合も多い。それどころか、日本の場合だと貝塚に人を埋葬した例すら珍しくはない。ゴミ捨て場に人を埋葬するという精神が現代人にはわからないけれど、当時の人たち特有の死生観が反映されているのだろう。
俄然やる気になってきた!
そうして鋤簾で貝を漉き取ること二時間ほど。約四メートル四方の発掘地をひたすらに鋤簾掛けしていると、2Bグリッド地点に白い貝とは異質な土が姿を現した。辺りが真っ赤なのにここだけ黒い。ほぼ円形をしたその穴は、直径二キュビッド(約一メートル)はあるだろうか。
たぶん、ピットだな。良平は紙の上、2Bグリッド地点に丸を描き、そこに“ピット”と書き入れた。
ピットとは穴のことだ。人間は決して地表のみで生活するわけではない。たとえば掘立柱の建物を建てる時、ごみを捨てたいとき、井戸を作りたいとき、トイレを作りたいとき、はたまた貯蔵庫を作りたいとき……。しかし、そうやって掘られた穴はいつか忘れ去られ埋もれてしまう。すると、昔の地層を貫く形になっている穴に別種の土が入る。それを考古学者の手で発掘すると、このように円形の穴として検出ができる。
ピットを掘ろう。即決した。
ピットが出てきたときの対応方法は二つある。一つはピットを無視して全体に鋤簾を振るっていくやり方。もう一つは、ピットのみを先に発掘するやり方だ。しかし、前者のやり方では時間がかかる。それに、その生成形態にもよるものの、ピットは同時代の堆積である場合が多いため、層位にそこまでこだわる必要もない。
次に取り出したのはスコップだ。東日本と西日本でシャベルと言われたりスコップと呼ばれたりするあれだが、使っているのは足をかけるところがある奴のことだ。これで勢いよく掘っていく。もちろん何か出てくるかもしれない。派手に掘り進めながらも土に目を凝らす。そうしてしばらく掘っていくと、やがてその黒土の中に青い色彩が混じりはじめた。
ん? これは……。
スコップで掘るのをやめ、移植小手に切り替える。手元に全景図とは異なる紙を引き寄せ、記録しながら。
黒土の中から現れたものは、青い硝子のようなものだった。もとは何か形あるものを構成していたみたいだけれど、すっかり砕けて破片になってしまっていた。ガラスのような、と形容してみたものの、手触りはむしろ陶器のようだ。
確かこれ、ユエが持っていたやつだ。
ふと思い出す。ユエが“知恵の薬”を入れていた青い小壜。あの素材と瓜二つだ。もっとも比べ物にならないほど、出土品のほうが厚みはあるのだが。
まじまじと青い破片を眺めていると。
「何してるの?」
声の方に振り返る。果たして、その声の主は昨日出会った石鏃少年だった。
「ああ、エルフの君か。君こそここで何してるんだい」
「エルフじゃない。ハーフエルフだよ」少年は一瞬翳を見せたものの、それを追いやって朗らかな笑みを向けてきた。「なんでここを掘ってるの?」
「なんで、って、この下に遺跡があるだろうからさ」
「遺跡って何?」
「昔の人たちが残した生活の痕跡のことさ。僕はその痕跡から当時の生活を再現してみたいんだよ」
けれど、少年は、ふん、と鼻を鳴らした。
「だから、それがなんになるのさ。それがわかったところで何にもならないじゃん」
なぜかすがるように、少年は言葉をぶつけてきた。
はは、異世界に来ても人の言うことは一緒、か。思わず良平は苦笑いを浮かべてしまった。
『だから、それが何になるの?』。この疑問は考古学だけではなく、およそ文系の学問を志す人間にとっては一度や二度は浴びせかけられる言葉だ。言う方には何の痛痒もなく発しただろうこの言葉だけれど、その言葉を浴びせられた方は七転八倒する羽目になる。もちろん、文系の学問だって社会に貢献している。けれど、その効果は極めてあいまいで迂遠なものだ。
だから、良平はいつも用意している――けれど決して嘘ではない答えを放った。
「うーん、好きだから、かな」
「好き? 土を掘るのが?」
「違う違う。掘るのが好きなんじゃないよ。僕自身、こうやって過去を知るのが好きなんだ。だからやってる」
実はそれどころではない。一時金だってすぐに底をつく。それまでに何とか生活の手段を得なくてはならないのに……。だが、好きなのだ。これ以上なく。それに嘘はない。それに――。発掘をしている間は、並河さんのことが忘れられる。今はそんな後ろ向きな気持ちも混じっている。しかしそれは口にしなかった。
少年はあかんぺーをした。
「ふん」
なぜか頬を膨らませながら、少年は行ってしまった。
なんだあれ。石鏃を拾ってるから考古学みたいなものが好きなんじゃないかと思ったのになあ。子供っていうのは分からないなあ。
はあ。一人息をついていると、そこにユエが通りかかった。
「何してる」
声が冷たい。見れば声よりもはるかに視線が冷たい。遺跡の縁に立ち尽くすユエは銀髪とも相まってさながら氷の戦乙女といった趣だ。
「え、発掘をしているんですけど……。あ、そうだ、ユエさん、聞きたいことが。この青い破片は何ですか?」
「ハックツ? 何を言っているのだ」
発掘した破片を見せてやると、ユエは答えた。
「ああ、これは“瑠璃陶”だな」
「瑠璃陶?」
「ああ。熱を加えると青くなる粘土があってな。普通の粘土とは違って強度がかなり出るから、今ではほとんどの陶器はこれになっている。しかし、こんなに肉厚なものは最近見ないが」
やっぱりだ。最初に見たあの薄い壜とはわけが違うわけだ。ということは、この破片は古いものであるという可能性がある。一般に、土器類は誕生から現代にいたる道程で、どんどん肉薄になっていく傾向がある。
「で。ハックツとはいったいなんなんだ? 仕事か?」
「仕事じゃないんですけどね」
良平は発掘、ひいては考古学のあらましについて足早に説明した。最初は怪訝な顔をして話を聞いていたユエだったが、そのうちその表情が変わってきた。氷のような表情が少し緩み、こちらの言うことに頷くようになった。
「そうだ、いっそのことやりませんか、発掘」
一瞬、ユエは淡く微笑んだ。しかし、首を振ってその表情を追い出して、元の仏頂面に戻った。
「いや、やらぬ。私は王国の騎士ゆえな」
「そ、そうですか」
そうして、ユエも発掘現場から離れてしまった。
うーん。あの少年といいユエといい……。もっとも、現実世界でも考古学の扱いなんてこんなもんだ。
気を取り直して、また地面を掘りはじめた。
その日の発掘は、結局日没まで続いた。
早くも発掘できてよかった。




