トレンチ12 考古学は宝探し?
「ジュさんが紹介してくれたもう一冊の本、“シン風土記”も意味ある本でした」
どうやらこの本は、かつてブレインガルドに存在した古代統一王朝シンが、各地域の地理的な特質や特産品などの状況を知るために編まれたものらしい。しかし、この中にはそれにとどまらない様々な情報がないまぜになっていた。かつてこの池には蛇が棲んでいて……、というような民話や、かつてここに伝説の王様がやってきたのだ……、という神話のようなものまで。良平からすればそういった話はあんまり見るべきものはないけれど(民俗学クラスタや比較人類学クラスタの出番だろう)、一方で考古学クラスタにとっては面白い話題もあった。
「たとえば、セト郊外のサンセータイという地域には、かつて黄金の都があったという記述があります」
「サンセータイ? ああ、畑が広がるばっかりのところだな」
「ええ、けれど、かつてそこに都があったんですって。このように、文献史料からも遺跡を同定することができます」
「それは、すごいのか」
「ええまあ」
もっとも、こうやって文献史料が残っている遺跡の場合、盗掘による被害は甚大であると考えていい。
だが……。焼酎ロックのグラスをどんと置いたユエは、くはーと酒臭い息を吐いて良平を後ろから羽交い締めにした。どうでもいいけど、ユエの柔らかな胸の感触が頭の辺りに……。
しかし、色っぽい展開とはならない。
「よぉーし! ではそのオーゴンの都サンセータイを掘ろうではないか! そうすれば、城の糞莫迦どもも考え直すだろうよ! さあ早く掘りに行くぞ! やれ行くぞ、さあ行くぞ」
「ちょっとストップ! そうはいきませんよ!」
「何故だ!」
「考古学は宝探しじゃありませんから!」
「違うのか?」
「全然違います!」
そう。全然違う。
考古学者を主人公に据えた某ハリウッド映画のせいで『考古学って結局はただの宝探しでしょ?』と言われてしまいがちだ。確かに、考古学者にとって発掘資料は宝も同然だ。しかし、その意味するところはまったく違うということを理解していただきたいものだ。盗掘者は発掘したものを金に換える。しかし考古学者は発掘したものを元に論文を書いて学問に捧げるのだ。……もっとも、黄金のマスクで知られるツタンカーメン王墓を発見したハワードカーターとそのパトロンであるカーナヴォン卿とて、どこまで学問に対して真摯だったかについては諸説あるくらいだ。結局、考古学と盗掘が分化したのは、歴史的スパンでいえばごくごく最近のことに過ぎない。
「いえ、考古学というのは宝探しじゃないんです。出てきた資料を基に人類に資する知見を得てフィードバックするという」
「いや、だから、それが宝探しとどう違うというのだ?」
え?
思わずフリーズしてしまった。
しかし、ユエはそんなフリーズに付き合ってくれる様子はない。顔を真っ赤にしながら続ける。
「いや、どうも君は今の立場を理解しておらぬようなのでなぁ。もしかすると、君がいた世界では悠長なことが言えるのかもしれないが、ここはブレインガルドのショク王国だ。それをわきまえたほうがいい」
「なっ--!」
ユエは焼酎のグラスを傾けて良平の怒りを躱し、詠うように続ける。
「今のショク王国は他国との戦の最中だ。幸い、異世界からやってきた“旅人”たちのおかげで我々はこうして束の間の平和を手に入れてはいるがな。しかし、この国は戦によって成り立ち、戦に注力することで立ちたる国であることに違いはない」
さらには――。ユエは不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「あの忌々しきコウコウのせいで、文教政策がほぼ壊滅しているというのはジュの説明にあった通りだ。私が言いたいのは、君の言う正論では必ずしも世間は回らないということだ」
「で、でも、それは譲れないところ……」
「ほう、それは、“死んでも”と言いきれるほどに譲れぬものか?」
なぜか冷笑を浮かべたユエは、良平から目を離してふっと寂しげな顔を浮かべた。そして、のろのろと枝豆を取り上げて中の豆をまずそうに口にした。
「君は、生きねばならない。今、君にどれだけ一時金が残っているのかは知らないが、君はこのブレインガルドで何らかの生業について自らの食い扶持を稼がなくてはならん。それは口を酸っぱくして言っておくところだ」
「な、いくらなんでもそれは」
言いかけたそのとき、ユエの身に変化が起こった。
ごとん。
突然突っ伏した。そして、ZZZという声が……。
「え、あ、あの、ユエさん?」
肩を揺さぶっても反応がない。何度か強く揺さぶって初めて反応があったものの、その反応たるや「むにゃむにゃもう食べられないよぅ……」というあまりにベタなものだった。
も、もしかして。
すると、カウンターのフェイが、あっちゃあ、と声を上げた。
「もう寝ちゃったのかよ! ユエちゃんはまったく酒に弱いんだから困るぜ」
「え、いつもこんな感じなんですか」
「ああ、俺が請け負ってやってもいい!」
フェイがまだ軍にいたころからそうだったという。戦勝祝いでは常にいの一番に酒に飲まれ、宴席に同席する女官たちに介抱されていた。それどころか参戦する際に皆で景気づけに呑む一杯ですら酔っ払ってしまうので、彼女だけは水盃だったという。
「そりゃまた縁起でもない」
「は? 何が」
「いや、水盃って……」
と言いかけて、本当は口から出すはずだった『(水盃って)死出の旅に出る人たちと交わすものですよね』という言葉を諦め半分に飲み込んだ。何せここは歴史クラスタ激おこゲームと名高い(?)、ブレインガルド物語の世界の中でのことだ。
「でも」良平は卓の上に突っ伏すユエを眺めながらため息をつく。「よくぞまあ、女の人がこうやって泥酔して眠れるよなあ……」
その言葉の意味を察したのか、フェイは少し下世話な笑みを浮かべた。
「はは、こいつ、酒に酔うととんでもない暴れん坊になるからな。寝込みに触れてみろ。次の瞬間にはずったずたに切り刻まれるぞ」
なるほど、そりゃ怖い。
だが、フェイは後ろ頭を掻いて目を細めた。
「それに、この娘は例外なのさ」
「例外? どういうことです」
「まあそのなんだ。本来は軍人でなんかいちゃいけない人間さ。本当だったら鎧兜に身を包んで戦場になんて出ずに、きれいな召し物を着てどこぞの貴族とダンスを踊っていればいいんだよ」
どういうことだろう。
しかし、これ以上のことをフェイは教えてくれなかった。おっとっと、喋りすぎちまったよ、と言い訳っぽく口にして、良平に銀貨を一枚含ませて、ユエを送り届けるように言われてしまった。
この人はいったいどういう人なんですか? なんでそんなに気を遣われるんですか? その疑問に蓋をして、良平は酒場を後にした。すっかり大トラになったユエを背負って。
真っ暗な空に三日月が浮かんでいる。その月明かりを頼りにしながら良平は家路を急ぐ。
三日月、とはいったものの、実はこの世界には三日月以外の月齢は存在しないらしい。もう何度も夜を見送っているだけに、さすがに気づいた。ということは、太陽と月と地球の位置関係が全く変わらないということになり、いったいこの世界の天体の運動はどういうことになっているのか心配になったものの、根っからの文系である良平にはその考察はできない。
と、つらつらそんなどうでもいいことを考えないとならないのは……。
ぷにっ。
ぷにぷにっ。
そう、背中に甘くてけしからん感触が襲い掛かってきているからである! さすがにユエをお姫様抱っこにするわけにもいかず背負ってみたものの、そうするとユエの胸が背中に密着する格好になる。酒場まではユエがしていた銀の胸当てを、『胸当てなんか外していけ。明日取りに来させればいいからよ』とフェイに言われ外してきてしまったのがまずかった。
心頭滅却心頭滅却キエーッ! はーらーいーたーまーえーきーよーめーたーまーえー悪霊退散悪霊退散(|どんつくどんつくどんつくどんつく)悪霊退散悪霊退散(|どんつくどんつくどんつくどんつく)……。
よくわからない呪文が頭の中でリフレインする。
ううーむ。
さすがに三十近い男が送り狼はまずい。ってかそもそも何歳であってもまずかろう。心の中にいるスケベ鬼を無理矢理封じ込めて紳士良平を召喚する。
そして紳士良平は、きりっと顔を引き締めて、今後のことを考え始めた。
今後、どうする?
この世界、特にこのショク王国は文化事業に理解がない。そんな状況下で考古学者としてやっていけるだろうか。じゃあ他の国に亡命でもするか? いや、亡命したところでほかの国だって似たような状況だろう。何せ今、このブレインガルドは三つの国が覇権を競って争っているのだ。大なり小なり、どの国も軍事優先の国づくりをしているに違いない。
どうしたもんかなあ……。
思えば、現実世界でこんな苦労はしてこなかった。もちろん現代日本では文系不要論とか予算削減なんていうのはよく聞いた話だったけれど、なんだかんだで国や地方自治体が金を出してくれたし、大学という巨大な集金システムによって研究費が確保されていた。その恩恵の元、研究者は研究ができるのだ。でも、ここでは――。
これはもう、考古学は趣味に留めるべきかもしれない。そんなことさえ思い始めた、その時だった。
ユエがもぞもぞ動き始めた。
寝ぼけているのか、良平の首に回している腕をきゅっと締めて、良平の肩に細い顎を乗っけた。そして、とろんとした声で囁きかけるように口を開いた。
「君は、君の学問を、やらないと、だめだぞ」
「え?」
けれど、ユエは良平の問いには答えなかった。そこから続いた言葉も、良平への返答というよりは、だれへともつかない独り言をひたすらに繰っているようだった。
「だって、学者は、学問をやらないと、学者じゃないもの。だったよね、父さん……」
「父さん?」
振り返る。しかしもう、ユエは夢の世界に逃げ込んだ後だった。そんなユエの寝顔の目尻には、玉のような涙が浮かんでいた。
きっと聞いちゃまずいことがあるのだろう。
良平はその涙をそっと払ってあげて前を向いた。
学者は学問をやらないと学者じゃない。
そうだ。ただそれだけのことだ。僕は学者だ。まだ卵だけど、一応学者の端くれだ。そうであるからには、どんなことになっても学者をやるしかない。
『学者ってのは、死ぬまで学者なんだろうね』
そう笑っていたのは、並河さんだっただろうか。
やろう。何があっても。良平は一人、手を握った。




