トレンチ11 異世界の考古学前史
「おお、これはすごいぞ!」
山のような本を順に読破していった。そうしてふと気づくと、外が薄暗くなり始めていた。現実世界から持ち込むことができたGショックを見ればもう夕方の五時。いい時間だ。背中に感じる凝りを取るためにうーんと伸びをする。背中に血が巡る感覚が心地いい。
と――。
「君は本を読んでいるときには本当に何も見えなくなるのだな」
なぜか不機嫌な顔をして、ユエが良平を睨んでいた。
「ど、どうしたんです? なんでそんな、虎が獲物を見つけたような顔をなさって……」
「いくら声を掛けても応えてくれなかったからだ! おかげで昼飯を食い損ねたぞ」
「あ、ああ……」
そういえば、現実世界でもよくそんなことがあった。学部生時代には、図書館に朝から晩まで図書館に居続けて、二人して『腹減った!』と笑い合っていたっけか。あの時はもしかすると憧れの先輩と一緒に居られるという下心めいたものがあったのかもしれないけれど、実際に楽しかった。と、思い出さなくてもいいことを思い出して少し凹む。
「どうした、腹減ったのか」
「あ、ええ、腹減っちゃいました」
心の中に居座り続ける寂莫を空腹のせいにして頷くと、ユエはとたんに満面の笑みを浮かべた。
「では、夕飯を食いに行こうではないか。今日はわたしのおごりだ。感謝しろよ」
「いいんですか?」
「構わんよ」
姐御!
思わずそう言いたくなったその時、ユエの姿が並河さんのそれと重なった。並河さんも良く後輩を安酒飲みに連れて行ってくれったっけ。
胸にチクチクした痛みを抱えたまま、ユエに引きずられるようにして向かったのは、中世ヨーロッパを参照しているであろうレンガ造りの町並みの隅っこに佇む、皿を模した小さな看板を掲げる二階建ての建物だった。
「うーっす、入るぞ」
遅れて良平が中に入り、熱気あふれる中を見渡した。チェストメイルをつけたままの戦士や三角帽子をかぶった魔法使い、はたまた真新しい拳法着を纏う男など、とにかくさまざまな人々が、思い思いの席に座って酒を酌み交わしている。奥のほうではバイキングのような格好をした大男が仲間と思しき連中と腕を組んでヘタクソな歌を歌い、その横では怪しげな雰囲気をまとったローブ姿の男たちが対面してぼそぼそと何かを呟き合っている。
そんな男くさい熱気をさらに後押しするかのように、カウンターに立つ、年の頃四十ほどの向き剥きマッチョな虎髭の大男がダミ声を浴びせかけてきた。
「おお、ユエちゃんじゃねえか! よく来たな!」
「ああ、ご無沙汰しているな」
「最近仕事忙しいんだろ? まったく大変だよなあ」
と、その大男は良平に気づき怪訝な顔をした。そして、怪訝に顔をしかめた。
「ユエちゃん、このもやしみてえなのは誰だい」
「ああ、最近私が面倒を見ている“旅人”でな」
「ほう、“旅人”、ねえ……?」
いわくありげに顔をしかめた中年男は、それでもユエと良平をカウンターに案内した。そして二人が席に着いたタイミングで、おしぼりを二人に出してニカリと笑う。
「いつものでいいんだろ?」
「ああ、それはもう」
ユエの頷きを見た男はカウンターの奥にあるバックヤードに消えた。
すると、ユエはおしぼりで手を拭きながら笑う。
「彼はフェイという。昔はショク王国に仕える将軍だったんだ」
ギ国の兵一万人を相手にたった一人でしんがりを勤め切ったことから『退き口のフェイ』とまで謳われた名将で、軍に入った当初からユエは世話になっていたらしい。しかし、八年ほど前に政変に嫌気がさして将軍職を辞して下野し、今では酒好きが嵩じて酒場を開いているのだという。
ほう、あの人がね……。顔をおしぼりで拭きながら、良平は合点した。あの筋骨隆々たるさまは飲み屋の主人というよりは武人のそれだ。っていうか、湯気が頬をぬらす感触、やっぱりおしぼり超気持ちいい。
と、しばらく待つことなく店主フェイが厚い胸板を揺らしながらこちらに戻ってきた。
「おう兄ちゃん、若いっつうのにおしぼりで顔を拭くなよ。おじさん臭くなるぜ」
「はっ」
思わずおしぼりを投げ捨てたその時、良平は首をかしげた。
当たり前のことだと思っていたけど、酒場でおしぼりが出るなんて習慣、日本くらいのものだろう。確か昔、テレビで「ホットおしぼりが出る、これぞクールジャパンのオモテナシ!」と褒め殺してるんだか揶揄しているんだか分からないジャパンアゲのトリビアを見た気がする。
そして極め付きにフェイが出してきたのはキンキンに冷えたあれだった。
「ほれ、ビールとお通しお待ちッ!」
ああやっぱりだ。日本の居酒屋と変わらない光景が広がっている。
ビールは冷えているもの、という感覚は決して世界共通ではない。学部生時代に中国へ発掘実習に行ったとき、夏場の発掘に疲れた僕らを出迎えたのは室温のビールだった。さすがにキレて冷たいビールはないのかと抗議したところ、今度は凍ったビールが出てきたものだ。これ、もしかして意地悪をされているのではないかと友達と声をひそめ合っていると、教授が『中国では飲み物を冷たくする習慣がないからなあ』と言われたことがある。
に、してもだ! 枝豆が載った小皿にジョッキに入ったビールって! おいゲームの製作者出て来い!
そんなモノローグを繰り広げていると、とろんとした目をしたユエがジョッキを掲げた。
「おい、何している。飲もうではないか」
「あ、すいません」
良平もジョッキを掲げる。すると満足気に微笑んだユエが、良平のジョッキに己のジョッキをぶつけてきた。黄金色の液体がジョッキの中で緩やかに揺れる。
「乾杯」
ユエはそのままジョッキに口をつけ、一息にジョッキを傾け、すぐに空っぽにしてしまった。ぷはあ、と幸せそうな吐息をついて満面に笑みを浮かべるユエは、いつも仏頂面できりっとしている戦乙女の顔ではなかった。
「ああ、マジ幸せ……。これのために生きてるって感じがするなあ……!」
銀髪の姫騎士ユエが、“マジ幸せ”とか言ってる……。エーテルの時にも気づいてたけど、この人、すげえ酒癖が悪いぞ……。
フェイにビールのおかわりを頼んで唇で枝豆を挟んだユエは、未だビールに口をつけただけの良平のことを咎めた。
「おいおい、飲みが甘いんじゃないか?」
「ああ、すみません」
良平はビールをあおった。そういえば、昔並河さんとよくこうやって飲まされたなあ……。ビールのホップが強い気がしたのは、きっと僕の心のどこかにずっと並河さんが居座っているからなのだろう、そんなモノローグと一緒にジョッキを飲み切った。
「いい飲みっぷりだ。フェイさん、もう一丁ビール!」
「あいよ!」
フェイが威勢よく応じる。
「で」枝豆の殻を皿に捨てながら、ユエは怪訝な顔を向けてきた。「ところで、図書館で読んでいた本についてだが、何か分かったか」
「ええ、収穫がありました。でも、ここでお話しするのはちょっと」
「なぜだ? 国家機密でもあったのか」
「いえ、そういうわけじゃありませんが、きっとつまらない話です」
するとユエはカウンター卓をドンと叩いた。一瞬枝豆の皿が浮いた気がした。
「ハッキリ言っておくが、私は君の話がつまらないと思ったことはないぞ。むしろ、面白くて、いやその何だ、すすすすす、好き、だぞ」
なぜかしどろもどろになるユエ。そしてカウンターの奥でにたりと笑うフェイ。
「ありがとうございます。じゃあ」
ちょうどフェイがビールのおかわりを持ってきてくれた。ジョッキを手に取り、自分の記憶を定着させる意味でも、良平は今日の成果を述べた。
「まず、どうやらこの世界でも考古学の黎明はあったようなんです」
「そうなのか?」
「とはいっても、あまり進歩はしていません。ただ、考古学的なるものがあったという理解をしていただければ。たとえば、“石鏃降下記事”がありました」
「セキゾクコウカキジ?」
「石鏃降下記事とは、石の矢じりが空から降ってきたという記事です。具体的には、大雨の後に外に出ると、石の矢じりが地表に落ちていたというものです」
「面妖なことがあったものだな。空から矢じりが降ってくるなど」
「実はあんまり不思議じゃないんです。これは空から降って来たのではなく、大雨によって地表面の土が洗われて、埋まっていた石の矢じりが出てきただけのことです」
「ほうほう、なるほど?」
よくユエは分かっていないようだ。ぐびぐびとビールを飲みながら話を先に促してくる。しかし、良平は空気を読まずに続ける。
「それだけじゃありません。カン王朝時代、何人かの貴族がそういった石の矢じりとか土器とか、あるいは石器なんかを集めているんですね」
「は、何のために?」
「好きだから、みたいです」
ジュに紹介された本“カン王朝時代の古物収集趣味”によれば、そういった貴族たちは同好の士たちと珍しい土器や石器を見せびらかし競い合っていたようだ。しかし、良平の見た限りではそれは“趣味”としか言いようのないもので、学問的な洗練がなされているかといえば疑問符が付くような代物だ。しかし、そこから読み取れるものもある。
「でも、貴族たちは気づいたみたいなんですよ。見つかる土器や石器に種類があることに」
「種類?」
「ええ」
ぐびりと喉を鳴らしながらビールを飲んだ。
具体的なことは説明しなかった。だが、良平からすればこの発見は大きい。この異世界では打製石器と磨製石器の違いが知られており、しかも素焼きの土器にも(現実世界でいう縄文土器と弥生土器のような)違いが見出されているらしい。全くの手さぐりで地面を掘るより、なんとなくイメージがある方が取り組みやすいのは純然たる事実だ。
それに。
今度は芋焼酎のロック(あるのかよ)をおかわりするユエを見据えながら良平はさらに続ける。




