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流転するアルケウス ~inherited Meme~  作者: イトウ モリ
第23章 旧懐の黒 〜cooperation〜
244/395

piece.23-3



 小さなパン屋の裏口から入ると、赤ん坊を抱いた若い女の人が待っていた。

 それと……ふわっと香るおいしそうなパンの匂い。


「どうだったサフラ、セリさんに会えた?

 ……あれ? その人誰? ここじゃ見ない人だね」


「こいつはカイン。セリさんと今まで一緒だった人。

 残念だけど門前払いだった。一応パンだけ渡してきたけどな」


 だった人……。

 過去形で言われてショックを受けている僕がいる。


 サフラさん――レッドさんが僕を振り向いて女の人を紹介する。


「カイン、こいつは俺の女房、んでちっこいのが娘」


 奥さんがにこっと笑ってお辞儀をしてくれた。


「よろしくカイン。

 ところで今日の門番誰だったの?」


「ラノフィン」


 奥さんの目が少し細くなった。


「あー、あの人かー。

 あの人ってさー、表面的には優しいんだけど、あんまり深入りしたがらないよねー。責任取りたくないーっていうかさー」


「そう言ってやんなよ」


「まあいいわ、この子そろそろ寝かしつけてくるね。

 セリさん連れてきてくれるかなーなんて思って起こして待ってたんだけど」


「悪い、さすがに今回は探りで精一杯だった」


 奥さんはにっこり笑うと赤ん坊を奥の部屋に連れて行った。

 レッドさんが傷を洗う用の水と包帯、それにパンの盛り合わせをテーブルの上に並べていく。


「カイン、腹減ってるだろ? 俺の作った試作品の味見してくんない?」


「あ、はい、いいですよ」


 レッドさんはムスッとした顔をして、手を洗おうとした僕から水の入った(おけ)をひょいっと遠ざけた。


「敬語はなし。お互い対等。遠慮なしの関係でいこうぜ。その方が俺も気が楽」


「あ、うん。了解」


 僕が返事をすると、レッドは満足したように(おけ)を戻してくれた。そして並んでるパンの説明を始める。


 腹ペコだったせいで大体のパンはおいしく食べれたけど、なかなかヘンテコなパンもあって、それは素直においしくないと伝えた。でもレッドは嫌な顔もせず笑ってくれた。


 僕が満腹になりかけた頃――。


「俺がパン屋始めたのってさ……セリさんのおかげなんだ……」


 レッドがポツンと話し始めた。


「ガキの頃、親も家も金もないから人の金を盗んで生活しててさ。でも、へたくそでよくバレちまって……だからいっつも殴られて血まみれのボロボロ。そんで付いたあだ名がレッドってんだ……ひでえあだ名だろ?

 でもさヘタだろうがなんだろうが、死にたくねえし腹は減るからさ、やっぱ人の金を盗むしかないわけ。で、懲りずに狙った相手がセリさんでさ、やっぱバレちまったんだよね。

 ばっさり言われちまったんだ。『下手くそ。向いてない。パン買ってあげるから今日のところはもうやめときなさい』って」


 レッドが懐かしそうに穏やかな笑みを浮かべてパンをかじった。


「セリさんが買ってくれたパンがさ……無茶苦茶うまくてさ、俺……食いながら涙止まんなくなっちまってさ。

 そんで決めたんだ。俺パン作れるようになりたいって。そんでセリさんがしてくれたみたいに、俺みたいなガキに腹いっぱいパン食わせてやれるような人になりたいって」


 レッドはそう言ってから、「恥ずかしいからセリさんには内緒だけど……」と頭をかいた。


「俺さ……セリさんがブラッド・バスって言われるの好きじゃねえけど、俺がレッドって呼ばれるの嫌いじゃねえんだ。なんか……セリさんとおそろいみたいでさ。これも……セリさんには内緒だけど。

 そんでさ、これうちの看板商品なんだけど、レッドのレッドパンってやつ。これ……セリさんに早く食ってもらいたくてさ……。食って感想聞かせてくれよ」


 レッドが出してきたのはびっくりするくらいに真っ赤なパンだった。口にするのをためらいそうになるようなすごい色だ。


 恐る恐る口にしてみると、想像と全然違う味がした。

 甘酸っぱくておいしい。そしてふわふわで柔らかい。


「色んな種類のベリーを組み合わせてみたんだ。見た目は真っ赤でヤバそうだけど……子どもに大人気なんだ。うちの店で一番売れてるんだぜ? どうだ? うまいだろ?」


 子供に大人気……。


「……セリちゃんみたいな……パンだね……」


 言葉に出した途端、歯止めが効かなくて涙があふれてきた。

 胸がいっぱいで苦しかった。


 やっぱりだめだ。僕はセリちゃんと離れてなんか生きていけない。


 レッドが気を遣って、僕から視線をそらしてくれていた。


「僕……やっぱりこのままじゃ、納得できない……! セリちゃんに会って話をしなきゃ……!」


 思わず声がもれたとき、僕の後ろで『ふふ……』と笑い声が聞こえた。


 いつの間にか奥の部屋から奥さんが出てきて、僕たちの話を聞いていたらしい。


「サフラ、ここはうちらの出番じゃない?

 セリさんもよく言ってたじゃん。『悪知恵はしょっちゅう使うもんじゃない。ここぞというときに思いっきり使え』って。

 今がその『ここぞ』なんじゃないの?」


 奥さんの顔はさっきまで赤ん坊を抱いていたときとは全然違う、どこかギラギラした表情だった。


「お前、昔の顔に戻ってんぞ。ま……気持ちは分かるけどな。

 こりゃあ仲間に招集かけねえとだな」


 そういうレッドの表情も、さっきまでの穏やかで優しい表情から、好戦的な光を宿す目に変わっているのだった。

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