希望の先の現実
世界は、僕たちの小さな希望を待ってはくれなかった。
国境付近まで、爆音が聞こえるようになったのだ。
「ここも、もう危険なのかな…」
ある子どもが、小声でつぶやいた。
僕たちはうなずくしかなかった。
声を上げても、手紙を書いても、戦争は止まらなかった。
難民キャンプの水は、いつも足りない。
食べ物も、医療も、十分じゃない。
熱でうなされる子、腹を空かせて泣く子、怪我をして助けを求める子――
それでも、僕たちはノートを抱えて集まった。
小さな希望を手に、少しでも生き延びようとして。
外の支援者が来ることもあった。
手を差し伸べ、笑顔で励ましてくれた。
でも、爆音は鳴り止まず、戦闘は悪化する一方だった。
世界は、何をしているんだろう。
なぜ、止められないんだろう。
「僕たち、意味あるのかな……」
アスランがぽつりとつぶやいた。
「生きる意味って、なんだろうな」
サイードも同じことを考えていた。
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
希望はまだあるはずなのに、現実はあまりにも残酷で、光は遠い。
それでも、誰かに見てもらいたいという気持ちだけは消えなかった。
手紙を書き、言葉を紡ぎ、希望を信じる――
それしか、僕たちにできることはなかった。
戦争がいつ終わるかは、誰にも分からない。
それでも絶望の中で、僕たちは声をあげ続ける。
もしかしたら、その声の先に光が待っているかもしれない――。
ある日の朝、キャンプに緊急の情報が伝えられた。
政府軍と反乱軍の衝突が、国境近くで再燃したという。
「ここも、巻き込まれるかもしれない」
大人たちは慌ただしくなり、物資は一時的に止まり、本格的に避難の準備が始まった。
サイードが僕のテントに駆け込んできた。
「アスラン、武器を持って逃げたやつらがいる。自警団を作るつもりだ」
「……どうして?」
「守るためだ。誰かが来たとき、丸腰じゃ、何もできない」
アスランは、言葉が出なかった。
「守るために戦う」――それは、ずっと耳にしてきた言葉だった。
父さんも、たぶんそう言って戦地に向かった。
サイードはもう、銃を持つことに迷いはない顔をしていた。
「お前も来るか?」
僕は首を横に振った。
「僕は、別の方法で守りたい」
サイードはしばらく黙って見つめ、そしてゆっくり笑った。
「……お前は最後まで、変わんねぇな。でも、それがお前なんだろ」
そう言って去っていった。
その夜、僕は母と一緒に“こえのノート”を抱え、違う国への避難列に並んだ。
爆撃の音はまだ遠かったけれど、風の匂いが変わっていた。
「母さん……」
「うん?」
「僕ね、ずっと考えてた。なんで僕だけこんな国に生まれたんだろうって。
でも、もうそう思わないことにした。
ここで生まれたからこそ、言えることがあるなら、それを言いたい」
母は肩に手を置いた。
「アスラン……強くなったわね」
震えていた手は、温かかった。
避難先の国で、僕たちは新しい暮らしを始めた。
ここは驚くほど静かで、清潔で安全な場所。
以前ヨハンが見せてくれた、美しい外の世界は本当にあったのだ。
サイードは国内の別のキャンプに移ったけれど、たまに連絡をくれる。
相変わらず口は悪いが元気そうだった。
アスランが難民キャンプから出てから3年がたった。
“こえのノート”は今、数ヶ国語に翻訳され、いくつかの学校や図書館に置かれているらしい。
アスランとサイードの名前も、小さく載っていた。
でも、大事なのは、出版されたことじゃない。
泣きたい、怒ってる、家族をかえしてほしい――
誰にも見えなかった子どもたちの声が、今、誰かの目に触れていることが意味なのだ。
アスランは今でも戦争が嫌いだ。
誰かが死ぬたびに、その家族を壊していることを思う。
それでも、アスランは生きていく。
暴力じゃない方法で、少しずつでも、言葉で、想いで、何かを守りたいと思う。
戦争のある国で生まれたけれど、それだけがアスランの物語じゃない。




