特務機関・廃工場4
轟音が廃工場の広い空間を駆け巡り、その場に居たカロル達の耳朶を強かに打つ。
カラン、カラン、と何かの金属が床を転がり、ガラスの砕け散る繊細な音が辺りに広がる。
もうもうと舞い上がったホコリは木屑の匂いに満ち、薄茶色の霞のように漂っていた。
その霞がだんだんと晴れ上がるにつれ、横倒しになった机が壁にもたれている光景が浮き上がってきた。
全ての騒音が止むと、もはやカタリとも音がしなくなった。
「ターちゃんっ!!」
ギヨルパが矢も盾もたまらずに叫んだ。
「くっ! この、おとなしく……!!」
「離せ、離せぇっ!」
カロルの拘束から抜け出そうと、ギヨルパが暴れだす。もがくうちにギヨルパの爪がカロルの服の袖をビリビリと切り裂いた。その下の肌から鮮血が噴き出す。
「あっ……ぐっ……!」
カロルが痛みに思わず腕を押さえると、その隙をついてギヨルパが脱出し、一目散にタチヤーナの下へと向かった。
「カロル、大丈夫か!?」
入れ替わりのようにアレンがカロルの下へと駆け寄ってくる。
「は、はい……これくらいなら……なんとか」
痛みを堪えながらも、かすかに微笑む。しかし、アレンの目にはそれなりの深手に見えて、少しばかり息を呑んだ。
「ボリスは? ボリスならこの傷を治してくれるはず」
「ボリスさんはそこに」
カロルの指差す先を見ると、そこにはうつ伏せに倒れ伏すボリスの姿があった。
「ボリス!? おい、大丈夫か!?」
アレンは彼の下へと駆け寄り、仰向けに転がす。頬を叩くと、僅かなうめき声を上げて、ボリスが目を開いた。
「う……アレンか……」
「良かった、生きてたか。あの獣人娘にやられたのか?」
「やられたと言やぁ、その通りだが……血を流しすぎた……貧血だ。……あの女は倒したのか?」
「ああ、なんとか。カロルのおかげだ」
アレンがそう言ってカロルの方を見ると、カロルは少しばかり辛そうにしながらも、ニコリと笑った。
ギヨルパの方を向くと、彼女はタチヤーナへと呼びかけながら、なんとか机を引き剥がそうと必死になっているところだった。
「ターちゃん! ターちゃん!!」
重たい机を引きずるようにして引っ張る。ギヨルパの腕力では相当難儀したが、どうにか隙間を開くとその向こうを覗いた。
「っ!! ターちゃんっ!!」
タチヤーナは机と壁に挟まれて、そこにいた。額から血を流し、ぐったりとしている。
よく見ると、タチヤーナと机の間にはクモの巣状の網が張られていた。おそらく机が襲いくる直前、咄嗟に彼女が張ったものだろう。その防御のおかげで直撃こそ免れたが、全ての衝撃は吸収しきれず、頭を打って昏倒した、といったところか。最悪の事態になっていなかったことにギヨルパはほっとした。
しかし、見たところそれなりの出血のようだ。それに頭も打っている。あまりのんきに構えてはいられないだろう。
重たい机と強靭な網とに阻まれつつも、なんとかタチヤーナを外へと引きずり出す。細身の割にしっかりと筋肉のついてる彼女は重い。四苦八苦しつつタチヤーナをなんとか背負ったところで、ギヨルパはアレン達の視線に気づいた。
「……もう、勝負はついたってことで良いんだな?」
ボリスをその肩に担いだアレンがギヨルパに声をかける。ギヨルパは悔しそうに顔を歪めた。
「ううう……私じゃカロルちゃんを捕まえられないし、ターちゃんは怪我してるし……もう戦えないよ……」
目の端に涙を浮かべるギヨルパを見て、アレン達は黙って踵を返した。カロルを取り返し勝負も決した今となっては、もはや彼女らにかける言葉はない。ギヨルパ達を後に残し、三人は正面玄関をくぐった。
薄暗い廃工場から外へ出る。
やや傾いて、黄色みの強くなった日差しが眩しい。アレンもカロルも、手で庇を作って目をしばしばと瞬かせる。
三人は工場の敷地を正門に向かって歩みだした。
「アレン……助けに来てくれてありがとう……」
カロルがぽつりと呟いた。
「私、あの地下の部屋に一人で居た時、すごく心細かったです。もちろん、簡単に奴らの言いなりになるつもりは無かったので、もしもの際は思いっきり暴れてやる所存でしたが……」
「カ、カロルらしいな……」
アレンが幾分引きつった苦笑いを浮かべる。カロルは微笑むと言葉を続けた。
「それでも、結局は無駄なあがきになるんだろうなと、半分あきらめていて……。王の下へ連れて行かれたらどうなってしまうのか。父の遺志を果たすことはもうできなくなってしまうのか。アレン達とも二度と会えなくなってしまうのか。いろんな気持ちがまぜこぜになって、とても不安になりました。……だからアレンが助けに来てくれて、私、とても嬉しかったです」
そう言って、カロルはアレンの目をまっすぐに捉えると、満面の笑みを浮かべた。日差しよりも眩しいその笑顔を向けられて、アレンはつい赤面してしまう。内心の動揺を隠しきれず、ああ、と、おお、が混ざったような、なんとも間抜けで曖昧な返事しかできない。
「お二人の世界に浸ってるところ悪うござんすがねぇ。ここに今日イチ頑張ったおっさんもいるんですがそれは」
「あっ、あっ、もちろんボリスさんにも大変感謝しております! アレンだけという意味ではありませんよ!!」
「へぇへぇ。そういうことにしときましょ」
ボリスはそう言うと、片手をひらひらと振った。両眉を上げて口を真一文字に結んだ表情はいかにも皮肉げだ。
カロルは居心地の悪さを感じて、慌てて話題を変えた。
「そ、それで、えーと、他の皆さんは今は……?」
「ああ、ここへはククとエマも来ている。……夢男もな」
「夢男……」
アレンの言葉に、さきほどとはうってかわって、にわかに緊張した面持ちになるカロル。
「エマと夢男は、メルクリオっていう奴の相手をしてもらってる。二人が足止めをしてくれたおかげで、俺はここに来ることができた」
「おい、お嬢がいねぇと思ったらそんなことになってんのかよ!? 大丈夫なのか!?」
「彼女の『ギフト』と夢男がいればなんとかなる相手だとは思う。とはいえ、助けに行かなきゃだな。それに、ククも敵の一人を引き受けてくれてるが、その後どうなってるかわからない。……カロルを奴らの目のつかないどこかに隠した後、みんなを迎えに行く必要がある」
「まじかよ……ちときついな……」
「ボリスはカロルと一緒にいてくれ。みんなのことは俺が一人でなんとかする」
ボリスが目を見開いてアレンの顔を見た。
「おい、大丈夫なのか?」
「カロル一人にはできないし、俺なら大した負傷もしてない。それが一番いいだろう」
「……すまん、お嬢を頼む」
「ああ」
二人の会話が一通り済んだ後で、カロルが口を開いた。
「あの……アレン。ちょっといいですか?」
その言葉にアレンが振り向く。カロルが何かの決意を固めるような、重苦しい表情でアレンを見つめてきた。
「夢男のことなんですが……」
「夢男?」
「はい。実は――」
カロルが話しだそうとした瞬間、ボリスが突然割り込んできた。
「ちょっとまて二人とも。あそこに人がいる」
その言葉に反応して、アレンとカロルが正門の方に顔を向ける。
そこには黒いコートを着込んだ偉丈夫が一人、仁王立ちしていた。黒髪の大男で、コートの上からでもそのたくましい体つきが想像できるほどの重量感があった。背丈はボリスよりもなお高いだろうか。
その男が鋭い眼光でこちらを見据えてきた。
三人が足を止める。
「……お前は何者だ!?」
アレンが大声で呼びかけると、その男は僅かに身じろぎしたあと、こう答えた。
「……特務機関の長を務めている者だ。アレン・ゴードン。カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロンをこちらに引き渡せ」




