夜風舞う戦い
エマの言葉に、しかしフェルディナンは沈黙で返す。唇を食いちぎらんばかりに噛み締め、頑なに床を見つめている。
「フェルディナン、つまり、てめぇはあれか?」
場に流れる微妙な沈黙にしびれを切らし、アンドレが口を開いた。少しばかりの敵意を込めながら、フェルディナンを指さす。
「親父とは違う一派、いわゆる『親政派』ってやつじゃないのか?」
その言葉に皆が注目する。夢男が顎をさすりながらアンドレに問う。
「アンドレさん、それは一体どういうことだね?」
「旗持ちにもよ、派閥の対立があるってこった」
アンドレが初対面のクレマンソー警部(実際は夢男だが)に、少し訝しげに答えを返す。
「旗持ちは大きく二つの派閥に分かれるんだ。『立憲派』と『親政派』だ。一言で言えば国民議会を残すかどうかが大きな違いだ。立憲派は議会を残したまま、王の権限を拡大する立場で、親政派は議会そのものを廃止して、君主独裁への回帰を掲げる派閥だ。同じ旗持ちにゃ変わりないが、この二つの派閥は互いに敵対してる。そんな中、親父は立憲派だった。だから、フェルディナンが旗持ちで、親父を殺した張本人だとすりゃ、本当は親父と対立した立場だったんじゃねぇかと思ったんだ。もしそうなら、それは親政派に違いねぇ」
「ふむ、派閥の対立か」
夢男が、アンドレの説明に納得して頷く。それとは対照的にエマが首を傾げる。
「私は外国人なのでいまいちピンと来ていませんが……旗持ちは派閥間の対立などというくだらない理由で互いに殺し合うような組織なのかしら? だとしたらあまりにもお粗末ではなくて? もう少し一枚岩な組織かと思ったけど」
「お嬢、派閥の対立ってのを甘く見ない方が良い。それは人を殺す理由としては充分だ」
エマの言葉にボリスが答えた。
「俺は元々ポドポラ出身だからな。お嬢もちょっと前のポドポラの内戦について、知識だけなら知ってるだろう?」
ボリスが遠い目をして、昔の記憶に思いを馳せる。
「民族間の対立がきっかけではあったが、内戦が拡大していく間にそれは徐々に思想の対立へと変質していった。俺もノイラート家に仕える前は内戦に巻き込まれて戦った口だからな。俺は自分の身と……大切な人間を守るためにやむなく戦わざるを得なかったが、仲間の内には思想の対立のために敵を殺そうとする奴も多かった。敵だけじゃねぇ、仲間にスパイの疑いをかけて尋問だ拷問だは日常茶飯事だった。俺はそんな『思想警察』どもに目をつけられないように、クソくだらないイデオロギーを受け入れざるを得なかった。毎日頭の中で、これはポドポラの未来のため、ポドポラの未来のため……って自分に言い聞かせながら、頭の中にしか存在しない思想とやらのために、同じ国に住む人間の口に銃を突っ込んで、毎日引き金を引くんだ。……頭がおかしくなりそうだった」
ボリスが頭を抱えて、俯く。
「思想ってのは、人を喰らう怪物だ。その怪物を少しでも受け入れて人を殺しちまえば、もう後には引けねぇ。思想の方が間違っていたので、自分は悪くないです、許して下さい、なんて言い訳は、通用しねぇんだ……」
そこまで言うとボリスは目を瞑り、大きくため息をついた。
小さな声で「何を言ってんだ俺は……」と自嘲的に呟くと、何かの記憶を振り払うかのように頭を振る。
そうして気持ちを切り替えると、俯けた頭を上げ、エマに顔を向けた。
「……少し脱線しちまった。とにかく、派閥対立で敵を殺すなんてのは、当たり前に行われることなんだ。……フェルディナンさんよ、つまりはこういうことなんじゃねぇのか?」
依然としてだんまりを決め込むフェルディナンに、ボリスが自身の考えをぶつける。
「そこのシャロンさんがどれだけ旗持ち達にとって重要人物なのかは俺には分からねぇが、とにかく村長は彼女を確保しようとこの屋敷に招いた。しかし、村長とは派閥違いであるあんたにとっては、村長に彼女を掻っ攫われるのは都合の悪いことだったんじゃねぇか? なんせ王がご所望しているシャロン家の令嬢だ。確保できた派閥の勝利は決定的になる。だから、あんたにとって村長がシャロンさんを確保してしまうのはマズい展開だったはずだ」
対立する二勢力。それらが自らの理想を実現するため、王の信頼を獲得しようと動くことは容易に想像が付く。王から信頼を得られれば、その発言力が大幅に増すからだ。
そんなところに、突如お目当てのカロルがころりと現れた。
旗持ち達がこのチャンスを逃すはずがない。
そこに更に、派閥闘争という要素が追加されたらどうなるか?
「あんたはどうにかして村長を止めるか、もしくは出し抜こうとしたんじゃねぇか? それで村長の所へと赴いた。そこでどんな話し合いが持たれたかは分からねぇが、しかし結局はお互い譲る事がなかった。しかも村長は仲間を呼んでしまっている。このままでは自分の派閥の敗北は決定的になってしまう。だから、殺した」
ボリスの声が途切れると、その場を静寂が覆った。
闇の中にランタンの明かりが揺らめき、ジジッと音を立てた。
皆の目は一人フェルディナンへと向けられる。
背中を丸め頭を垂れたフェルディナンの表情は分からない。
ただ、固く握りしめられたその拳は、フェルディナンにこれ以上の話をする意思が無いことを表しているように思われた。
「……ルメール警部、これでもう充分でしょう。マクマジェルさんは彼に陥れられたことは明らかだ」
夢男がルメール警部にそう言うと、ルメール警部は苦虫を噛み潰したような口惜しそうな表情を浮かべた。
「……貴様なぞに言われずとも。エドモン、奴を捕らえろ」
ルメール警部の命令に、ハッ、と返事を返すと、エドモンがフェルディナンへと近づく。
フェルディナンがハッと顔を上げ、情けない表情でルメールに問うた。
「私は逮捕されるのですか?」
「クレマンソーなぞの思い通りに動くのは極めて業腹だが、国家の安寧を担う警察官の一人として、個人的な感情を優先するわけにもいくまい。貴様を逮捕する」
ルメールが厳粛に言い放つ。その言葉にフェルディナンは呆然としたまま何も言い返さない。
「おとなしくしろよ」
エドモンがフェルディナンを捕らえようと、腕を捕まえた時。
「おっ、おおっ!?」
突然、エドモンの身体が浮かび上がった。
そのままエドモンは暴れ馬にまたがる人間のように振り回され、シッ! という鋭い呼気が辺りに響くと、思い切り廊下の端まで吹き飛んでいった。
「ぐあっ!」
壁にぶち当たって悲鳴を上げたきり、エドモンはぐったりと身体を投げ出す。
フェルディナンが蹴り足を突き出したままその場に固まっていた。
「て、てめぇ!! 抵抗する気か」
突然の出来事にその場の人間が固まる中、ボリスがフェルディナンに向かって叫ぶ。
徒手空拳の構えを取りフェルディナンが答えた。
「もはや私はこれまでのようです。かくなる上は……」
フェルディナンが突如走り出した。
素早い動きで皆の前を駆け抜けていく。
その鋭い目線の先にはカロルがいる。
「危ないっ!」
ボリスが咄嗟に手を伸ばすが、フェルディナンには一歩届かない。
アレンが驚き固まるカロルの前に飛び出し、ナイフを抜いた。
「フッ!」
アレンが横薙ぎにナイフを降るが、すでにその視界には居ない。
ふと、アレンの頭に誰かの手が乗った。
アレンの頭上へと軽々と飛び上がったフェルディナンが、曲芸じみた動きでアレンを横から蹴り飛ばす。
「うおおっ!?」
アレンの身体がまるで石ころのように廊下を転がっていく。その隙にフェルディナンがカロルを捕まえる。
「きゃっ!」
「おっと、皆さん動かないでください」
フェルディナンの言葉に、その場の人間全員が動きを止める。
「はっきり申し上げて、全てノイラート嬢の仰るとおりですよ。上手くやった気でいましたが、私はとんだ大間抜けだったようですね」
フェルディナンが自嘲的に言うが、先程までの狼狽ぶりとは打って変わって、今や邪悪な光を瞳にギラギラと浮かべながらエマを睨む。
「しかし、最終的にシャロン嬢を確保できればそれで良い。それさえ叶えば私自身はどうなろうと構わない。この身はデパルトの栄光のために……」
そう言うとフェルディナンはカロルを抱えたまま跳躍した。
「わあぁっ!」
カロルはフェルディナンに軽々と持ち上げられ、思わず悲鳴を上げた。そのままフェルディナンとカロルは手すりを超えて、階下へと落ちていく。
「野郎、『ギフト』を使って逃げようって腹だ!」
ボリスが叫ぶ。ボリスの言う通り、フェルディナンは物を軽くする『ギフト』を使って、アレンを吹き飛ばし、カロルを人形のように軽々と担ぎ上げていた。
フェルディナンは吹き抜けから階段の踊り場へと着地した。
「フェルディナン・マショー! 私を下ろしなさい!」
カロルが『ギフト』を発動しようとする。しかし。
「……? この状況でわざわざあなたを手放すわけないでしょう?」
そのまま階段を下りながら、フェルディナンは疑問の声をあげるだけだった。
偽名……!
カロルは自力で状況を打開できない歯がゆさに、思わず歯ぎしりをする。
フェルディナンは急いで玄関の扉を開けると外へと飛び出した。
「このまま馬で首都まで……!」
突如、甲高い銃声が響いた。
フェルディナンの目の前の地面が土を巻き上げて抉れる。
思わず足を止めてフェルディナンが屋敷の二階を仰ぐと、書斎の窓から細長い銃身が覗き、硝煙がその銃口からたなびいていた。
「その娘を放すんだ」
フェルディナンに銃口を向けながら、ボリスが声をあげる。
銃のボルトを操作して、長銃に次弾を装填する。
「娘ごと撃ち抜くつもりですか? 銃撃はむしろ悪手でしょう」
フェルディナンがカロルの首を抱えて楯にする。
「さあ、その銃を引っ込めていただきましょうか」
「牽制射撃ですよ。あなたの意識を奪えればそれで充分」
突如カロルとは異なる声がフェルディナンの胸元からあがった。フェルディナンは仰天し、思わず目線を胸元に下ろす。
「驚きました? これが私の『ギフト』ですよ」
フェルディナンの腕の中には、いつのまにかククが居た。
「なっ!?」
フェルディナンが驚愕に目を剥く。
ククは身体を摺り下げてフェルディナンの腕から脱出すると、風の力を利用しながら空中で後転した。
そのままフェルディナンの顔面に蹴りを見舞う。
「グヴゥエッ!」
フェルディナンが後方へと吹き飛ぶ。地面に背中から倒れ、そのまま横倒しに転がる。
「よくも私を嵌めてくれましたね……」
ククが大きく目を見開き、昏い目でフェルディナンを見下ろす。
「カロル!」
アレンと一緒に玄関ホールまで降りていたククが突然カロルと入れ替わった。
アレンはそれに気づくとカロルへと駆け寄る。
「無事か!? 怪我はないか!?」
「大丈夫です!」
勢い込んで聞いてくるアレンにカロルが答える。
「このままここに居るんだ!」
そういうとアレンは玄関から外へと飛び出していった。
「アレン!」
「カロル様、ご無事ですか!?」
階段を駆け降りてきたエマが心痛に堪えないといった表情でカロルに声をかける。
「はい、無事です! それより二人が!」
「カロル様、フェルディナンの狙いはあなたです。奴の捕縛はアレンさんとマクマジェルさん、ボリスの三人に任せましょう」
そういうとエマがカロルの腕をとる。カロルは一瞬泣きそうな表情になるが、アレンの傍へと駆けていきたい衝動をぐっと飲み込み「はい……」と苦しげにつぶやいた。
アレンが外へ出ると、ククとフェルディナンが闘いを繰り広げていた。
懐に忍ばせていたのか、フェルディナンはナイフを抜いており、同じくナイフを手に握るククと刃の応酬を交わしていた。
二合、三合と刃を打ち交わした末、フェルディナンがククのナイフを横に弾く。
膂力の差で踏ん張りきれず、大きく腕を開いて体勢を崩すククに、フェルディナンが刺突を繰り出す。
しかし、ククが風を操ってその一撃から身を躱すと、そのまま回し蹴りの要領でフェルディナンの胴体を右足で蹴りつける。
「うっ!」
フェルディナンがたまらず一歩後退する。ククはそのまま空中で回転し、さらに左の蹴りを顔面に向かって放つと、フェルディナンがそれを腕でガードする。
フェルディナンが『ギフト』の力を使い自身の身を軽くすると、ククの蹴りの勢いそのままに身を任せて空中を飛び退り、威力を殺す。
ククが気合のこもった叫びを上げながら、フェルディナンに向かってナイフを投げる。
「らぁっ!」
フェルディナンはそれを自身のナイフで弾く。ククのナイフが空中をクルクルと回転し明後日の方向へと飛んでいく。
一瞬ククから目を逸らしたフェルディナンが前を向くと。
ククの居た場所には今しがた弾いたばかりのナイフがクルクルと回転していた。
「はっ!?」
「ぉおりゃあっ!」
フェルディナンが振り向くよりも早く、『ナイフと場所を入れ替えた』ククがフェルディナンの後頭部を蹴りつける。
「ぐっ!」
短いうめき声を上げて、フェルディナンが吹き飛ぶ。しかし、またもや『ギフト』でククの打撃をいなす。そのまま2回、3回と地面をバウンドしつつ倒れる。
その間にククが風の力で疾走する。地面すれすれでナイフを拾い上げると、フェルディナンに向かって突進した。
「くっ、この!」
フェルディナンがククの突進に備え、素早く身を起こそうとするが。
まるで磁力が働いてるかのように、フェルディナンの身体が地面に『引っ付く』。
「なっ!?」
突然の出来事にフェルディナンが焦りとともに驚愕する。後ろには、『黒玉』を投擲した格好のアレンが立っていた。
ククがナイフを逆手に振りかぶりながら、フェルディナンに迫る。
「うわああああっ!」
「おおおおおおっ!」
フェルディナンが咄嗟に足を前に突き出すと、それがカウンター気味にククの腹に入る。
「ぐっ! ……ぅうううっ!」
しかしそれにも構わず、多少強引にナイフを振り下ろそうとする。
それよりも早く、フェルディナンのナイフがククの左肩を捉える。
ずぶり、と刃がククの肉体に突き刺さる。
「アッ!!」
肩への衝撃と苦痛による怯みで、ククのナイフは狙いを外す。フェルディナンを掠めて地面を叩いてしまう。
「ククッ!!」
咄嗟にアレンが白玉を放つ。
それらがフェルディナンとククの身体に吸い込まれ、二人が弾かれるように離れる。フェルディナンの追撃のナイフが空を切る。
ククが地面へと落ち短いうめき声をあげる。
今度はアレンがフェルディナンを攻める。
地面に倒れ伏したフェルディナンにナイフを振るう。
フェルディナンは咄嗟に腕で身体を支えようとして、身体が地面から自由になっていることに気づく。
そのまま勢いよく身体を後転させて飛び起きる。アレンのナイフが地面を掬い上げるように空を切る。
フェルディナンが体勢を立て直し、ナイフを構え直したところに、アレンが走り迫る。
フェルディナンが『ギフト』で後退しようとすると、そこへアレンの黒玉が放り投げられた。フェルディナンの身体へと吸い込まれる。
「おおおっ!?」
身を軽くして攻撃をかわそうとしていたフェルディナンは、逆に軽くなった身が災いして、踏ん張りも効かずアレンへと吸い寄せられる。
「おらぁあああっ!!」
アレンが気迫のこもった肘打ちをフェルディナンのみぞおちへと叩き込む。
「おごぉあっ!!」
そのままフェルディナンが吹き飛び、地面へと倒れる。その場に盛大に吐瀉物を撒き散らす。
フェルディナンは呼吸困難に陥り、起き上がろうとした身体が再び地面へと崩れ落ちた。
戦いに決着がついた。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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