事件の朝
「ふぃ~、さっぱりした、さっぱりした」
翌朝、濡らした布で身体を拭き終わったボリスが、自室から出てきた。
「朝飯にでもすっか。エマも腹減ってんだろ」
そう言うと、隣の扉をノックした。中から「ボリス?」という声が聞こえる。
「お嬢、朝飯にしようぜ」
「ちょっと待って」
エマの言葉にしばし待つと、中から衣擦れの音が聞こえてくる。
「今日は日差しもあって、まぁまぁ天気いいなぁ。出発するにはいい感じかな」
ボリスは壁に寄りかかりながら呟いた。
そうして待っていると、部屋の扉がカチャリと開かれ、エマが廊下に姿を現した。
「おはようお嬢」
「おはようボリス」
エマは髪の毛をバサリと払い、手ぐしで整えながら朝の挨拶をする。
「飯にしよう。昨日の食堂行くか?」
「あそこは嫌。気分悪いもの。それにたくさんは食べたくない。パンとハムとチーズだけでいいわ」
「じゃあ女将に出してもらうか。……そういや昨日の三人はまだ居るんかね? もう出発しちまったかな?」
「さあ。顔合わせたら別れの挨拶をすればいいし、合わせなかったら単にそれだけの話よ」
「お嬢は連れないねぇ」
二人はそんな会話をしつつ、階段を降りて一階の玄関ホールまでやってきた。
「女将! 女将ーっ!? ……居ねぇのかな?」
ボリスがカウンター奥の部屋に向かって呼びかけるが返事がない。
「女将居ねぇみたいだ」
「部屋の掃除かもね。そうしたらカロル様達はもう出発しちゃったのかも……」
「お? なんだお嬢? 残念そうな顔しちゃってぇー! やっぱりちょっと寂しいんだろぉ?」
気落ちするような表情を浮かべたエマをボリスがからかうと、エマは顔を真赤にしながら「う、うるさい!」と大声をあげた。
「仕方ねぇ。やっぱ食堂に行こうぜ」
「う~、嫌なんだけどなぁ……」
そう言って二人が宿の玄関を開けると、朝の日差しが宿の中に差し込んだ。二人が目を細めて光に慣れるのを待つと、何やら周りが騒々しいことに気がつく。
「なんだなんだ?」
宿の前……というよりも、この辺り一帯に村中の人間が集まっているようだ。これだけの人間がこの村にいたのかと驚くくらい、そこかしこに人だかりが出来ている。中には何かを指差しながら隣の人と話し合う男も居る。何か前方の方を気にしているようだ。
そうやって二人がキョロキョロと周りを見渡すと、目の前の婦人たちのグループに宿の女主人が居ることに気づいた。
「女将」
ボリスが片手を上げながら近づく。女主人は二人の姿に気がつくと、周りの婦人との会話を切り、腰に手をあててムスッとする。
「この騒ぎは一体どうしたことだよ?」
ボリスが問うと、女主人は興奮するように身振り手振りを交えながら喋り始めた。
「どうしたもこうしたも、昨日、村長が殺されたのさ!! それで村中、鍋をひっくり返したかのような大騒ぎよ!!」
「はぁああっ、殺人!? マジかよ!!?」
「あそこよ、あそこ。村長の屋敷」
女主人が指差す方向に目をやると、なだらかな傾斜を持つ丘の上に、邸宅があるのが見えた。
「あんなところに村長の屋敷があったのね」
「はー。俺昨日、部屋でタバコ吸いながら『あそこに屋敷あるなぁ』って思ってたんだけど、村長の屋敷だったんだな」
二人がそう話し合っていると、女主人が二人に詰め寄ってくる。
「あんたら昨日の三人組の仲間かい!?」
「仲間っていうか、昨日知り合ったばかりの奴らさ。まぁちょっと会話したくらいの仲だ。あいつらがどうかしたのか?」
「どうもこうも!!」
女主人は怖い表情を浮かべた顔を紅潮させながら、叩きつけるように言った。
「犯人はあの三人組なんだよ!! エルフの女が殺人犯さ!!」
「なんだって!?」
エマとボリスの顔が驚愕に染まる。ようやく事の重大さを認識した。
「カロル様がなんであそこに居るのよ!? ここに泊まってたんじゃないの!?」
エマが勢い込んで女主人に疑問をぶつける。
「昨日の夕方くらいに村長の使いが来たんだよ!! それで何か話してたかと思うと、ここをチェックアウトして村長の屋敷に向かったのさ!! 昨日は村長の所に泊まったみたいだよ」
「おいおい、マジかよ……そんなことが……。なんであの三人は村長の所に行ったんだ?」
「そんなこと、あたしゃ知らないよ!! 急にあそこの執事が来て、三人は居ないかって言うから、取り次いだだけさ!! その後のことは知らないよ!!」
「「…………」」
ボリスとエマが予想外の事態に呆けていると、女主人は腕を組みながら二人を睨みつける。
「あんたら、あの三人の仲間じゃないだろうね?」
「はぁあっ!? なんでそうなるんだよ!?」
「だってあんたら親しそうに話してたからさ」
「勘弁してくれよ! さっきも言ったように俺たちゃ、昨日知り合ったばかりの赤の他人だよ!! 一緒に飯食ってたのも、旅人同士のお喋りを楽しんでただけだよ!」
「フン! どうだか」
そう言って女主人はそっぽを向く。
「とにかく、事件のおかげでこの村も一時封鎖だよ。あんたらもしばらくはここから出られないからね」
「はぁーっ!? なんだそりゃ!?」
「この村の警部さんの判断さ。こんな騒ぎで人が出入りされると捜査が混乱するからってんで、事件が落ち着くまで人の出入り禁止だってさ」
「そんなばかな話ある……?」
エマが呆然としながら呟く。
「あんたらもシロだって言うんなら、早いとこ警部さんのとこ行って、身の潔白を訴えてくるこったね。ただでさえ村長が殺されてピリついてんだ。何者かもしれない怪しい外国人がうろついてると、何はなくとも捕まっちまうよ!!」
そう言って、女主人はもうこれ以上の話は無いとばかりに、二人を払いのけるかのように手をひらひらとさせた。
「最悪だぜ……なんでこんなことになっちまったんだか」
今二人は重い足取りで村長宅に向かっている。この村唯一の警部が村長宅に出張っているからだ。わざわざ自分たちから向かう必要は無いのだが、今朝は村人の視線が痛い。こちらを見てヒソヒソと何事かを呟き合う村人たちの視線にさらされるのは正直言って辛いものがあった。そのような中でのんきに朝食を取る気にも慣れず、空腹感も何処かへ飛んでいってしまったため、気は進まないが女主人の言う通り、自分たちが無実であることを訴えに向かっている。
「最悪よ……。地面もぬかるんで歩きづらいし……せっかく靴の泥を落としたのに、また汚れちゃうわ」
地面が湿り気を帯びながら、二人の足を掴んでくる。日差しはあるが、乾き切るにはまだ時間がかかる。水たまりのそばになると泥で滑りやすくなっており、エマは何度か転びそうになりながらも、ボリスに支えられてなんとか歩いている。
屋敷が間近に見えるようになると、警官の姿が目立ち始めた。中世の兜のように縦長の警帽たちが、なんのためかは知らないが、とにかく忙しそうにあちこちと走り回っている。
その内の一人を捕まえて警部の居場所を聞くと、めんどくさそうにしながらも二人を案内してくれた。
「お忙しいところ失礼します! 警部に会いたいと言う者たちをお連れしました!」
「? 私に会いたいとな?」
警官が敬礼しながら大きな声で伝えると、男が何事かという目で二人の姿を捉えた。
「あー……俺たちは旅のものなんだが、この村が封鎖されたって聞いてな。にっちもさっちも行かないもんで、さっさと身の潔白を証明してこの村を出たいなと……」
「つまり、自ら事情聴取に協力しに来たと?」
「まぁ、そんなようなもんだ」
「ふむ、そうか。わざわざご協力頂き感謝する。私はレイモン・ルメールだ」
そう言って警部が手を差し出したため、ボリスが握手に答える。
「俺はボリス・バーレク。この娘の従者だ」
「私はウェルゲッセン地方領主ノイラート家次女、エマ・シャルロッテ・フォン・ノイラートと申しますわ、ルメール警部」
そう言ってエマが挨拶すると、警部は「これはどうも」と言いながら中折れ帽を脱ぎ、一礼を返した。
警部は茶色のスーツの上に少し厚めの黒いコートを着込んだ老警部だった。顔面には縦横に皺が刻まれているが、そのグレーの目の力強さと、骨格がガッチリした様、機敏な動作からは老いてなお現役といった活力を感じさせる。クリーム色の髪を丁寧に後ろへと撫で付け、髭も綺麗に剃られている。警部の几帳面さが伺われた。
「まぁ、正直言えることは何も無いんだがね。俺たちはあそこの宿に泊まってただけだし」
ボリスは握手した手をそのまま後方に持っていき、自分たちが利用していた宿を親指で差す。
「ふむ。モラン婦人のところかね」
そう言って警部はメモを取り始めた。
「なに婦人かは知らんけど、まぁそうだ」
「昨日の22時から明けて0時くらいまで、どこで何をしていたかね?」
「その時間は部屋に居たよ。俺はタバコ吸ったりなんだり、暇を持て余してたかな。お嬢もそんなもんだろ?」
「ええ。もうその時間には就寝していましたわ」
「それを証明できるかね?」
「証明っていうのは……俺たちは部屋に居ただけだからなぁ……。女将が戸締まりしてりゃ、外に出ていない証明にはなるかと思うが」
「ふむ。それは後で聞いてみよう。では、バーレクさん。その時間は起きていたということだが、何か変なことや気になることはあったかね?」
「気になること?」
そう言われボリスは首を捻って考えこんだ。
「うーん……、特には無かったと思うが。……あ、いや、あるなそう言えば」
「何かあったかね?」
警部が鋭い目をして、ボリスの言葉に耳を傾ける。
「いや、確か宿の時計が23時を打ったあたりで、屋敷の前に一組の男と女が居たな」
「男女?」
「ああ。なんだか密会しているような雰囲気だった」
「その者たちの人相は分かるかね?」
「いや流石にそこまでは。あの宿からここまで遠いし」
「その割に、良く男女が居ると分かったね?」
「まぁ目がいいのと、昨日は21時位には雨が止んで、月が顔を出してただろ? 月明かりのおかげで、良く見えたぜ。場所は門の辺りだったか、一人はスカートを穿いてるようだったんで、ああこりゃ男女の逢瀬かなって、タバコ吹かしながら、宿の窓からぼんやり眺めてたな」
「その男女はその後どうした?」
「いや、わりい。それだけ眺めたあとは寝ちまったんで、分からねぇ」
「なるほどね。他には?」
「もう一つあるな。23時よりもうちょっと前だったか、あの屋敷の二階の窓辺で、明かりがゆらゆら揺れてるのが見えたよ」
「明かりが?」
「そう。カンテラかな? 館の正面の二階の窓。ええと……あれかな」
そう言ってボリスが指差したのは、二階にある窓の右から二番目の窓だった。警部はそれをメモする。
「他に明かりが無かったから良く覚えてるよ。なんだありゃ? 風で何かが揺れてんのか? ってね。俺が気づいたことはこれで全部かな」
「確認するが」
そう言って警部はメモ帳の記述を頭の中で整理する。
「君は昨日の夜、23時より少し前辺りの時間に、二階の窓で明かりが揺れているのを発見する。その後、23時になったあたりで、門の前で男女が密会しているのを目撃する。この後は何が起こったか知らない。そういうことかね?」
「ああ、それで正しいぜ、警部さん」
「承知した。君達はモラン婦人の宿に泊まったというが、その時に居た他の三人の客を知っているかね?」
「知っている。彼らが犯人と思われていることも、女将から聞いた」
「それなら話は早い。彼らとは何か話したかね?」
「ああ、旅人同士の交流ということで、昼食を一緒にして少し会話した」
「その時の会話の内容は?」
「いや、他愛もない話さ。どこへ向かってるだのなんだの」
「彼らは何処へ向かっていると言ったかね? 旅の目的などは?」
「リュテに行くって言ってた。何か家宝的なものを探しているとも言ってたな」
「家宝? それは何かね?」
「いや、そこまでは。何か丸いエンブレムみたいな物だと言ってたが」
「それ以外には? 例えば誰かに何かの恨みがあったとか、何かの敵討ちだったりとか」
「いや、そういうことは一切話してなかったな。とにかくリュテに行きたいから、今日あたりにはさっさとここを出たいとは言ってたぜ」
「しかし、彼らはここを出たいと言う割には、村長宅を訪問し、ベルナール氏を殺した」
「そこの事情までは、俺たちは知らねぇよ! 知ってるのはさっき話したことくらいだ。昨日の16時くらいに宿で顔を合わせたが最後。その後のことは俺たちは知らねぇ」
「ふむ……承知した」
警部はそういうとメモを懐にしまった。
「こんなもんでいいのかな? 警部さん」
「ああ。とても有益な情報を教えてくれた。今一度、感謝申し上げる」
警部が礼をする。今度はボリスが質問する。
「なぁ警部さん。さっき村の人から聞いたんだが、エルフの女が犯人だって?」
「ああ、そうだ。クク・マクマジェルと名乗るエルフの女を殺人の容疑で逮捕している」
「そいつ、何したの?」
「それをこれから聞き出すところだ。マクマジェル容疑者は昨日午後23時過ぎ、館の使用人によって、ベルナール氏の書斎にいたところを目撃された。傍らにはベルナール氏の死体が横たわっていたと使用人は証言している。さらに、書斎には鍵がかかっていたことを考えると、当然、その中に居たマクマジェル容疑者がベルナール氏を殺害したと考えるのが自然だ」
「23時……」
「さきほどバーレクさんが教えてくれた情報も、大体そんな時間だ。だから先程の情報はかなり有益だ。最も、だからといってマクマジェル容疑者の疑いは晴れそうに無いが。何と言っても現場に死体と一緒に閉じこもっていたわけだからね」
警部がそう言うと、少しためらいがちにエマが話しかけた。
「あの、警部さん。館にいた貴族のお嬢様のことなのですが……」
「ああ、カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロン嬢のことだね」
「彼女は今?」
不安そうにエマが問いかける。
「クク・マクマジェル容疑者の同行者ということで、殺人に対する共謀の疑いで警察の聴取を受けている。しばらくはこの村の署に勾留となるだろう。ただ、ここでは充分な取り調べができないので、数日後には首都に移送される。その時はマクマジェル容疑者と一緒だ。もう一人のアレン・ゴードン氏も同様だ」
「そんな……彼女が具体的に何かをしたのですか?」
エマが泣きそうな顔で問いかけると、警部は幾分同情的な顔を浮かべて答えた。
「いや、供述によればシャロン譲ともう一人の同行者ゴードン氏は、事件発生時は自室で休んでいたとのことだ。その後警察が館に到着したタイミングで、使用人によって起こされ、事件の発生を知ったという。シャロン嬢はマクマジェル容疑者が殺人を犯したという話を聞いて、その場で卒倒したそうだ」
「……」
「とは言え」
エマの沈黙に警部が言葉を継ぐ。
「それはシャロン嬢、ゴードン氏の証言でしか無い。マクマジェル容疑者の犯行を手伝って、何食わぬ顔で自室に戻ったという可能性も無くはないからね」
「そんな……」
エマはさきほどから顔面を青ざめさせて、警部の話を聞いている。
「まぁ、ともかく、これが事件の概要だ」
警部は帽子を被り直して言った。
「こんなところで良いかね? そろそろ私は仕事に戻らなければいけない。このあとすぐ容疑者の移送手続きで、一度リュテに行かねばならんもんでね。……それではお二人とも不自由をかけて申し訳ない。近日中には封鎖を解くので、それまで辛抱していただきたい」
そう言って警部はその場から歩み去った。後には青い顔で手足を震わせるエマと、なんとも言えない硬い表情で立ち尽くすボリスばかりが残された。
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【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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