(番外編)企画作品記録:匿名契約結婚企画「すべては最愛の女王陛下のために」
匿名契約結婚企画 提出作品の記録です。※あらすじと物語冒頭のみ、今のところ連載予定はありません。
(あらすじ)
女王の侍女であるエルフリーデは、主のヤドヴィカ女王陛下を敬愛している。
が、ある日衝撃的な告白を受けた――女王は病に罹り、余命は数年。また、女王は心残りとして、弟のマレク殿下(女嫌い)の結婚を案じていた。
女王の心残りを晴らすため、エルフリーデはマレク殿下と契約結婚をすることに。だが女嫌いの彼との生活は、一筋縄ではいかない。
「ひっ、それ以上寄るな、蕁麻疹が出る!」
「女王陛下の前なのだから、もっとくっついて! 仲の良い夫婦に見えないでしょう?」
「あらあら、今日も二人は仲良しね」
反りの合わない二人はどうにか仲睦まじい夫婦を装いながら、女王の病を治す方法を見つけ出そうと共闘する。やがて愛する女王の命が尽きるとき、二人は何を思うのか。
女王を敬愛してやまない侍女エルフリーデ(元隣国の王女)と、女王の弟マレク(重度のシスコン&女嫌い)の契約結婚。
すべては最愛の女王陛下のために――。
--------
「それでは……手を組むということでよろしいですわね?」
「ああ」
さながら何かの裏取引のような。甘さなど微塵も感じられないやり取りで、私たちは結婚を決めた。
目の前の青年――女王陛下の弟君マレク殿下は、涙の滲む眦をきっと引き上げる。
「姉上のためなら、どんなことでもする」
彼の柔らかなはしばみ色の瞳には、急速に熱がともった。つい今までさめざめと泣いていたのが信じられない。
端正なつくりの顔にひたむきな感情がのると、凄みが出るものだ。一瞬迫力に呑まれそうになって、我に返る。
この男、そんな表情もできるんじゃない。私の面会を渋々受け入れたときの、気怠げな姿とはまるで別人。
その熱が、女王ヤドヴィカ様へ向けられたものだというのが、どうにも癪だけれど。
こうして私エルフリーデが、互いに好きでもなんでもないマレク殿下と契約結婚をするに至ったのには、理由がある――
* * *
「……ねえ、エルフリーデ。あなた、人生に心残りというものはあるかしら」
晩春の午後。ヤドヴィカ女王陛下の侍女である私は、陛下の休憩時間を、ともに庭園のガゼボで過ごしていた。
咲き誇るライラックの香りが溶け込んだ、あたたかな空気の中で。ふと向けられた問いに、私はなんの迷いもなく答えた。
「心残り、ですか? そんなものはございません。私はこうしてヤドヴィカ様のお側にいられることが何よりも幸せです」
「まあ、嬉しいことを言ってくれる」
「ヤドヴィカ様には、何かおありなのですか? でも心残りだなんて……その言葉の選択はなんだか変ですわ。ヤドヴィカ様はお若いのですから、まだこれからだというのに」
麗しき女王陛下は、隣の私を振り向いて微笑みをくれる。そして、正面へ向き直ると、どこか遠くを見るように瞳を細めた。
「エルフリーデ、妹のように思っているあなただから言うわ。実は、“これから”というほど私の余命は長くないかもしれないの」
「え……?」
敬愛する主からの突然の告白。それは、ヤドヴィカ様の御身は「若くして亡くなった父・先王と同じ病気に罹っている、余命は数年程度だろう」という内容だった。
正直、まったく頭に入ってこなかった。ただ、先ほどまで芳しいと感じていたライラックの匂いが、急に重く甘ったるく、息をするたびに胸の奥に溜まっていった。
「そんな……でも、先王陛下がお隠れになったのは四十代でしたでしょう? ヤドヴィカ様はまだ二十二歳。お顔色だって普段と変わらずお美しく、とてもご病気には見えません。侍医はなんと? きっと、彼らの診断が間違っているのですわ!」
「気遣いをありがとう。でもね、わかるの……自分の体のことだから。死ぬのは怖くないわ。短くても、私の人生は幸せだったと言い切れる。ただ、少しだけ気がかりがあって」
「信じません」
「エルフリーデ……」
どこまでも穏やかなヤドヴィカ様の瞳が、かえって事を実感させた。胸に溜まった花の匂いが、雫と化して溢れ出そうになる。
けれど、唇を噛んで抑えると。私はヤドヴィカ様の手を取り、大きく息を吸って、胸の憂いごと何もかもを吐き出すように宣言した。
「ご病気だなんてお話、私は信じません。ですが、御心にかかることがあると仰るのなら。私はヤドヴィカ様のご生涯にかかる、すべての靄を晴らしてみせます……!」
*
「……俺は、姉上から呼び出しがあるというので来たんだが」
弟君のマレク殿下に面会したのは、ヤドヴィカ様の告白を受けた翌日のこと。
用意された場が、姉のヤドヴィカ様とではなく、その侍女との会合だと知って。マレク殿下は心底嫌そうに眉を顰めた。彼は紅茶の置かれたテーブルに着くこともせず、扉付近に立ったままでいる。
女王の弟という身分でありながら、表舞台に顔を見せることは滅多にない。王族の威を捨てる形で軍部に身を置く彼は、女嫌いで有名だ。
そして、この“女嫌い”こそが、ヤドヴィカ様の心残りのひとつだった。
「単刀直入にお願い申し上げます。マレク殿下、私と結婚してください」
「はっ……? 何を言っている、この女、正気じゃない」
「あ、ちょっと待ってください殿下、これはヤドヴィカ様が望まれたことで……」
逃亡せんとドアノブに手を伸ばした殿下を、私は急いで呼び止める。ヤドヴィカ様のお名前を出したところで、彼はぴたりと静止した。
「軽々しく姉上の御名を出すな。虚偽であればただじゃおかない」
「敬愛してやまない陛下の御名を汚すようなこと、私がするはずないでしょう」
「なんだと?」
つい売り言葉に買い言葉が出てしまい、慌てて顔に笑みを浮かべる。いけないいけない、相手は王弟殿下で、理由はどうあれ求婚に来たのだから。
「私エルフリーデは、ヤドヴィカ女王陛下を心からお慕いしております。誓って嘘偽りはございません。だからどうか、話を聞いてくださいませんか」
――昨日の庭園での話によると。ヤドヴィカ様は、弟のマレク殿下のことを心配していた。詳しい経緯は聞けなかったが、マレク殿下の女嫌いは「私のせい」だとも仰っていた。
『私の亡きあと、後継ぎの問題もあるけれど……そういう話を抜きにしても、かたくなに他人を寄せ付けない弟のことが、姉として心配で。
それでね、エルフリーデ。もしも妹のように大事なあなたがマレクと結婚して、本当の妹になってくれたらなんて、そんなふうに考えてしまったの。でも、もちろん二人の気持ちもあることだから。これは冗談だと思ってくれれば……』
はにかんで、友だち同士のないしょ話みたいに打ち明けてくれた。そんなヤドヴィカ様が愛おしくて、……先の話が再び胸をぎゅっと掴んで。私はすぐにでもマレク殿下にお会いしたいと伝えたのだ。
「ヤドヴィカ様のお体の件、殿下は既にご存じと聞いています。ヤドヴィカ様は、残されるマレク殿下のことが心配だと仰って、それで結婚相手に私をという話で……」
「認めない」
「えっ」
「認めるはずがないだろう。なぜ俺が、こんなちんちくりんと結婚しなければならないんだ」
「ちんちくりん……」
未だテーブルには着かず、扉横の壁にもたれて腕を組んでいるマレク殿下を眺める。
上背があり、体の軸がすっと通って。重い軍服を着こなす姿からは、細身ながら鍛えられているのが見てとれる。淡い金髪とはしばみ色の瞳は、ヤドヴィカ様と同じ。目鼻立ちは隙なく整って、王族ということを差し引いても皆が振り向くほどの美貌。
対する私はというと、背は低く、ヒールの低い靴を履いたら子供に間違われた経験がある。瞳ばかりが大きい幼い顔立ちで、十八歳の淑女には見えないのを自分でも気にしている。“ちんちくりん”と言われるのも仕方ない。
「それに、なぜ……なぜただの侍女であるお前なんかに、姉上はお体のことを話したんだ」
――ん?
ちんちくりんというのは否定しませんが、と。そう話を続けようとしていた私は、咄嗟に言葉を呑んだ。
そこはかとない違和感。この、ほんの些細な感覚をとらえることができたのは、たぶん。
「……ヤドヴィカ様は、私を信頼してくださっているのです、それはもう厚く。私もヤドヴィカ様のことをこの世の誰より敬愛していますし、いちばんの理解者と自負しておりますわ」
「なっ……、お前ごときに姉上を理解されてたまるか。姉上への愛は、俺がいちばん……」
――やっぱり。
私は違和感の正体に、確信を得た。マレク殿下は、私との結婚話が嫌というより――いや、それももちろんあるだろうけれど――彼自身よりも、姉ヤドヴィカ様に近い存在がいることが気に食わないのだ。
つまりどういうことかと言うと、この人は姉への愛が重すぎるのである。
そして、こうした彼の性質に気がついたのは、きっと私が同類だから。ヤドヴィカ様への愛というなら、私のほうこそ負けないのだから。
「お言葉ですが殿下。ヤドヴィカ様への愛なら私のほうが上ですわよ。侍女として仕えるため、母国を捨ててきたのですから」
「何……?」
「八年前、ヤドヴィカ様がこの国を救うために。元々あった友好国との縁談を破棄して、敵国の王と婚姻を結んだことは覚えてらっしゃるでしょう」
そう。実はヤドヴィカ様は元々、隣の友好国の王子へ嫁ぐ予定だった。八年前、彼女は結婚準備として、友好国へ渡って向こうの王宮で生活していた。
しかしそうこうする間に、この国は敵国の干渉を受けた。大きな戦となればとうてい勝てぬ相手だ。先王が慎重に対話を重ね、どうにか取り付けた和平の条件は、敵国の王とヤドヴィカ様の婚姻だった。
「友好国の王子とヤドヴィカ様は、それは仲睦まじいご様子でした。けれど、国のために泣く泣く別れたのです」
「なぜお前が、さも見てきたように言うんだ」
「実際にこの目で見たからですわ! 友好国の王子は私の実兄。王女であった私は、ヤドヴィカ様をお慕いするあまり、母国を離れこの国へと付いてきました。ヤドヴィカ様がお辛いとき、ずっと側にいたのは私です。
一方のマレク殿下は、敵国からの干渉といった危機に際して何もできず、お部屋に引きこもってらしたとか。それでも本当にヤドヴィカ様への愛がおありだと?」
――まずい、さすがに言いすぎたかしら?
ようやく自身の暴走に気がついて、私はハッと口をつぐんだ。
ヤドヴィカ様への愛の深さを競うにとどまらず、これではマレク殿下の悪口だ。求婚するはずが、喧嘩を売ってどうする。
恐る恐る殿下をうかがうと、綺麗なお顔からは血の気が引いて、結んだ唇のあたりが小刻みに震えているのは。やはり怒り、だろうか。
「あの、申し訳ございません、出過ぎたことを……」
「間違いない」
「えっ」
「八年前、俺が姉上のお力になれなかったことは、間違いない」
……怒りではない。あろうことか、マレク殿下は泣いていた。腕を組んだまま、静かに。長いまつ毛を濡らして、頬を伝う涙を拭いもせずに。
呆気にとられていると、彼は、ぼそっともう一言を付け足した。
「――お前と結婚するという話、受けてやってもいい」




