第六十三話:魔法が消えた朝、神々の視線
【システム・エラー。接続先が見つかりません】
【ログアウトしました】
世界中の人々の脳内に表示されていた「ステータス画面」が、プツンと消えた。
同時に、空を飛んでいた魔法騎士たちは揚力を失って墜落し、重い荷物を軽々と運んでいた運送業者たちは、その重量に押し潰されて悲鳴を上げた。
王都の病院では、治癒術師たちが青ざめていた。
「ヒール! ヒール!! ……なぜだ、光が出ない!?」
目の前の怪我人の血が止まらない。これまでは「魔法」で安易に塞げていた傷が、今は致命傷となる。
「包帯だ! 薬草を持ってこい! 縫合手術の準備を!」
「そ、そんな原始的な治療、やったことがありません!」
世界は、一瞬にして「ハードモード」へと叩き落とされた。
一方、その頃。
世界の「外側」にある、さらに高次の領域――『多元宇宙管理センター』。
無数のモニターが浮かぶ暗闇の中で、一つのモニターが『NO SIGNAL(信号途絶)』を表示し、赤く点滅していた。
『……おや?』
そのモニターを覗き込む、巨大な「眼」があった。
セレスティーナとは異なる、別の神性。
『第77管理世界「アース・ガルド」からの応答が消失。……セレスティーナ君、やらかしたかね?』
「眼」の持ち主は、面白そうに観測データを巻き戻した。
そこには、一人の人間が、管理者の心臓を握りつぶす映像が記録されていた。
『ほう……。被造物が創造主を殺したか。稀なケースだ』
『システムが落ち、世界は「自律」へ移行。……さて、どうする?』
別の声――機械的な響きを持つ「上位神」の声が介入する。
『規定により、管理者のいない世界は「廃棄」対象となります。……ですが』
『この「イレギュラー(ミナト)」のサンプルは興味深い。……しばらく、放置(観察)としましょう』
『賛成だ。システムを失った人間たちが、どこまで「生存」できるか。……見せてもらおうか』
赤く点滅するモニターの向こうで、神々は残酷な観察を続けることに決めた。
介入(侵略)はまだない。だが、この世界は今や、宇宙という荒野に裸で放り出された孤児となったのだ。
そして、地上。王都アルカディア。
王城の一室で、ミナトは目を覚ました。
「……っ、ぐぅ……!」
激痛が走る。
全身が鉛のように重い。右腕は包帯でぐるぐる巻きにされ、固定されている。
(……痛い。治ってない)
今までなら数分で完治していた傷が、そのまま残っている。これが「人間」に戻ったということか。
「気がついた?」
ベッドの横から、声がした。
「……リリアーナ、様?」
そこにいたのは、王女リリアーナだった。彼女の目は真っ赤に腫れていた。
「よかった……。あなたが空から落ちてきた時、もう駄目かと……」
「誰が、俺を?」
「私の愛馬よ。……魔物ではなく、純粋な幻獣だったから、システムが消えても飛べたの。ギリギリで間に合ったわ」
ミナトは安堵の息を吐き、そして窓の外を見た。
王都からは、歓声ではなく、怒号と悲鳴、そして混乱の喧騒が聞こえてくる。
「……ひどい状況ね」
リリアーナが、力なく笑った。
「魔法が使えない。アイテムボックスが開かない。通信もできない。……水道も止まったわ(水魔法で動いていたから)」
「国中の機能が麻痺している。……パニックよ」
ミナトは、痛む体を起こそうとした。
「……俺が、やったことだ」
「ええ。あなたが神様を殺したから、便利な世界は終わった」
リリアーナは、ミナトの目を真っ直ぐに見つめた。
「恨んでる?」
「……まさか」
リリアーナは首を振った。
「不便にはなった。……でも、私の心は、あの日よりずっと軽い」
「だって、もう誰かに『踊らされる』ことはないんでしょう?」
その時、バンッ! と扉が開いた。
「神崎!!」
高橋たちが、ドタドタと駆け込んできた。彼らもまた、ボロボロの服を着て、手には大工道具や農具を持っていた。
「目が覚めたか! 心配させやがって!」
「高橋……外は?」
「地獄だぜ。エリート魔法使い様たちは『魔法が使えねえ!』って泣き喚いてるし、騎士団は鎧が重くて動けねえってへたり込んでる」
高橋は、ニカッと笑って、親指で自分を指した。
「でもよ、俺たちは平気だ」
「……え?」
「開拓地で散々やらされたからな。魔法なしで火を起こすのも、重い木材を運ぶのも、井戸から水を汲むのも、俺たちは『人力』でできる」
「今、王都で一番頼りになってるのは、騎士団でも魔導師でもねえ。……俺たち『元・農奴』だ」
皮肉な話だった。
女神が「ゴミ」として捨て、ミナトたちを苦しめた「不便な開拓生活」が、システムなき世界において、最強の「生存スキル」になっていたのだ。
「ミナト。お前が壊した世界だ。責任取れよ?」
高橋が手を差し出した。
「俺たちが手伝う。……一から作ろうぜ。神様のいない、俺たちの国をよ」
ミナトは、包帯だらけの左手を伸ばし、高橋の手を握り返した。
「……ああ。忙しくなるな」
スキルはない。
魔法もない。
あるのは、痛みと、不便さと、そして無限の自由。
神殺しの英雄は、ベッドから立ち上がった。
ここからは、戦いではない。「復興」と「生存」の物語だ。
(第三章・完)
(そして――エピローグへ)




