■80.そして、最終戦争へ!(前)
さて、異世界における地上戦が一段落ついた頃。
鳥獣保護管理室長の藍前は日本に戻り、山積する業務を片づけて、ようやく久しぶりの休暇を確保することに成功した。
とはいえ、完全なるオフでもない。
起きがけに一服してからすぐさま官舎を出て、JR中央線からJR総武線に乗り換えて向かったのは秋葉原である。
(休暇が取れる度にこうやって秋葉原へ繰り出さなきゃならんとは、上下関係これもうわかんねえな……)
89式小銃を携行して警らする警視庁・万世橋署員を横目に、藍前は溜息をつきながら事前に調べておいたホビーショップやアニメショップへ向かう。購入すべき物品の名称はすべて頭に入っているが、どこで購入できるかはよくわかっていない。
きょうは厳しい戦いになるだろう。
(“日日野まもりジェノサイダーフォーム1/7フィギュア”、“日日野まもりメイドver.1/7スケールフィギュア”……つーか日日野まもりが本編でメイド服着たことねえだろうが)
資本主義と人の欲は恐ろしい、と藍前は思う。
当然ながら、“日日野まもりジェノサイダーフォーム1/7フィギュア”から、日日野まもりの特集が組まれている萌え系ミリタリー誌“MC☆ゆないてっど”に至るまで、藍前の趣味ではない。
すべてフォークラント=ローエンの依頼によるものであった。
(通信販売で手に入れば楽なんだけどな)
外資系の大手通信販売サイトは度重なる戦争の余波でことごとく潰れ、生き残った国内の通信販売業者は個人情報の扱いや、発送スケジュールの面で信用に欠けるところがある。さりとてフォークラント=ローエンのためだけに、ホビーショップの会員登録をして通販を利用するのも癪だ。
というわけで結局、全てを買い揃えて環境省環境保全隊横須賀基地へ宅配便を依頼するまでに、半日以上かかってしまった。
(これが全部、日本国民の血税と世界各国から搾り取った金で支払われると思うと泣くぜ)
その後、藍前は再び電車を乗り継いでいく。
気づけばもう斜陽の刻であった。
次に腰を落ち着けたのは、明らかに流行っていない居酒屋のカウンター席。
「生中で!」
厨房に立つ背中に声をかけるとタバコに火を点けて紫煙を吐いた。
「環境省環境保全隊が害獣駆除目的の化学兵器の使用に5分間も協議したということですが、これが事実なら恐ろしいことですよ!」
居酒屋の隅、壁にかけられたテレビは、臨時国会の質疑の模様を垂れ流している。ちょうど野党側が閣僚に対して詰め寄っているところだ。見覚えのある女性の野党議員が、マイクの前で気炎を上げている。
「もしもこの空白の5分間に、敵が攻撃をしてきて環境省職員に死傷者が出ていたらどうするおつもりだったのか。化学兵器の使用、その時機については適正だったのでしょうか!?」
女性野党議員の質問に、他の野党議員も「そうだ!」「まず使ってから協議しろ!」と大声を張り上げた。
対して指名を受けた環境相はたじろいだまま、答弁に立つ。
しかも準備されたカンペをよく読まないまま口を開いたものだから、藍前は思わず顔を覆った。
「えー、今後は化学兵器使用の協議について協議していくことをお約束いたします……」
「環境相のご自宅では、害虫駆除ひとつにも協議するのか!?」
と、野次が飛ぶ中、環境相はすごすごと席に戻っていく。
間髪入れずに、“環境相、たじたじ”と大袈裟なテロップ。
そのまま藍前が見ていると、話題は異世界に旧アメリカ海軍の残党が存在するのではないか、というところに移っていった。
「現在、警視庁は旧アメリカ海軍関係者および旧連邦政府高官を中心とした広い範囲の受刑者から情報収集をしており、また現・アメリカ町内会関係者に自称・国連軍を名乗る武装組織から接触がなかったか調べているところです」
(いつの間にか自治政府ですらなくなったか……)
などと報道に意識を向けていると、背後の引き戸がガラガラと音を立てた。
「おっ、先に来てたか」
「坂下先生」
思わず立ち上がりかけた藍前を、ベージュのパンツを履き、青いセーターを着た60絡みの男は中腰になって制した。
「おいおいおいおい、いいんだよ」
柔和な表情を作ったままの男は、藍前の隣に座ると、「久しぶりじゃないか」と破顔一笑した。
名前は、坂下水六。藍前が中学3年生のときの担任である。
「環境省じゃ、いまいちばん大変なときだろう」
「ええ、まあ」
水六は藍前の肩を叩くと「大将、“江戸開城”を。お猪口はふたつで」と注文をつけてから、「どうした、急に」と聞いた。
「いや、たまの休みでこの辺りに寄りましたので」
「そうかあ……そういえば1週間前、田中と飲んだぞ」
「田中と?」
そこからは昔話が続いた。
他愛のない話である。藍前が驚きながらもやっぱりな、と思ったのは水六がかつて担任した生徒達のことをよく覚えていたことと、いまでも卒業生たちと親交があることであった。
ただ、時に水六の老けた横顔には翳りが走る。
それに気づかないほど、そして問うほど藍前は幼くはない。若くして逝った卒業生は多い。藍前のクラスメイトはもしかすると2割程度、すでにこの世を去っているのかもしれなかった。
「で、どうしたんだよ。きょうは」
そうして1時間ほど盃を交わしたところで、切り出したのは水六だった。
「えっ」
「この馬鹿ちんが。こっちだって伊達に38年間、教員をやってたわけじゃないんだよ。何か相談があって、呼んだんだろう」
にやりと笑った水六に、藍前は「なんでもお見通しなんですね」と苦笑いをしてから、おずおずと言葉を紡いだ。
「迷っているんです」
「迷い?」
「自分のやっている仕事に、です。これが、正しい行いなのか……正直言って、迷ってます」
「なるほどなあ」
水六は瞼を閉じてうなった。
ふたりの間に沈黙が訪れた。
テレビが発する音声だけが、響いている。
「はじめに言っておくと」
やはり切り出したのは、水六だった。
「私は君たち教え子――というか、君たちの世代のことを尊敬している。私よりも遥かに生きづらい時代を生きている。私たちよりも君たちは、遥かに強い。君たちの決断に、全幅の信頼をおいている」
だから、と水六は続ける。
「迷うことはない。いままで歩いてきた道と、その先に続く道を信じなさい。そして走り抜けなさい――いまは脇目もふらず、全力で走り抜けることが求められる時代だから」
「それは間違った道かもしれません」
「間違っているか、いないかなんて、いまの時点では誰にもわからない。私が進路指導した卒業生の中には、自衛官もいる。いまは……。でも、その、彼の進路選択が間違っていたのか。私が強硬に反対すればよかったのか。そんなことは当時も、現在も、わからない」
「……」
「人という漢字は」
水六は、卓上に指先で“人”と書いた。
「人という漢字は、人がひとりで立っている姿から出来ている。人という字は人と人が支え合って出来ているわけじゃない。自分が歩んできた道を信じて行きなさい」
「……はい」
藍前は、吹っ切れた。
その途端、午後21時前のニュースが彼の耳朶を打った。
――国際連合安全保障理事国・国際連合軍(自称)、現・アメリカ町内会を通して異世界における主権を日本政府および国際連合に対して主張。
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次回更新は2月28日(日)となります。
しかし“金”曜日・午後“八”時からの放送からの命名って冷静に考えてすごいっすね……




