5.
「彼女になって」
服のフィッティングをしている間に男仕様に戻っていた佳人が、いきなり何か言いだした。聞こえない、いや聞き返したくもない。
真剣な顔をして言っているが、それはもっと別の女に言った方がいいと思う。ってか彼女がいたはずだが。何考えてるんだ、佳人は。てか、俺は男だ!
「断る!」
もちろん即答した。
「え?あ、いや違う!最後まで話を聞け、篁」
珍しく狼狽する佳人。こちらも動揺しまくっている。
なんだこの空気。
「そういう意味ではなく、彼女の振りをしてもらいたいんだ」
ひとつ咳払いをして佳人は話を続けた。
「実は、先日父からの頼みで断れない見合いがあって。会うだけ会ったんだ。どんな相手だろうと断るつもりで。その後、仲人を通して先方にきちんと謝罪と断りを入れたにもかかわらず、相手がしつこく付きまとって来るようになったんだ。馨に被害が行かないか心配で、先に手を打っておこうかと」
ほう、彼女の名前は馨さんか。ほうほうほう。
「なんだよ。篁今のその顔、男にするなよ。襲われるぞ」
何!?今鳥肌たった、鳥肌がたった。
「佳人、恐ろしい事を言わないでくれ。それで?手を打つのはいいけど、プランは?」
「彼女に直接会って、お互い付き合っていることを説明する。効き目があるかは判らないが、やれることはやっておく」
かなり真剣だ。佳人こそ今のその顔、女たちにはしない方がいいだろう。襲われる。
「ふーん?上手くいくか?エスカレートしそうでなにやら怖いぞ?そのストーカーさん」
「まあ、な…」
苦悩している。相当参っているようだ。今までストーカー事件が佳人になかったわけではない。だが、それなりにこいつは自分で対処してきた。自分や他のメンバーにこういう相談を持ちかけると言うのは相当行き詰った時だ。
はぁ、仕方が無い。一肌脱ごう。ここまでされたのではもう逃げられないし。今度上手いワインでも奢ってもらうか。
「今日、仕事が休みなのは向こうも判っているはずだから、行きつけの店に行けば高確率で遭遇するだろう。その場所へ篁と2人で行く。すぐに終わらせるよ」
話が終わり2人でブースから出ると、こちらを見て店員の動きが固まった。原因は十中八九自分にある。
いや、もうこれ以上は化粧でも隠し様が無い。ひげの跡が無くなっただけでも良しとしてくれ。ああ、もう早く終わってくれ。恥ずかしい。
熱くなった顔をパタパタと手で仰ぎながら店を出た。
現場へは佳人の車で向かう事になった。マセラティーのストラダーレとか。佳人らしい。
店から車で15分ほど走らせると目的地に到着した。ここは自分もよく知っている店だった。経団連の定時総会に顔を連ねる様な連中が憩いの場としてふらっとやってくる店だ。自分も旦那様や奥様のお供で何回か足を運んだが、プライベートでは絶対来ない。うっかり旦那様の取引相手と鉢合わせなどしたら寛げないから。
マセラティーを駐車スペースに入庫してから外へ出る。そこは相変わらずフェラーリやらアルファやらレクサス、はてはマーチンまで高級車の博覧会状態だった。
よし、旦那様の知り合いはいないな。こんな姿間違っても見られたくないし。
「どうした?行くぞ」
佳人に促され店内へと入る。中に入ると注目された。これでも佳人は実業家の息子だ。次男だが、それなりに注目される立場にある。使う側に立てる人間が使われる側の執事になっているのが皮肉と言えば皮肉か。だが、だからといってこいつをバカにすると痛い目にあう。何しろこの年齢で余りある財産を築いている男だからな。といってもここで大っぴらに馬鹿にした態度を取ろうものなら、即座に三下のレッテルを貼られるからそういう輩はいないわけだが。
「何か頼む?」
まだ仕事があるからアッサムを頼む。今日紅茶何杯目だ?
注文をした品が届くのを待っていると、後ろから声をかけられた。自分にではなく佳人に。
「ああ、これは宗谷さんお久しぶりです。いつ日本に?」
30代位の男前がそこには立っていた。服の趣味がいい。
宗谷と言えば主に医療機器でグローバル展開していた企業だったな。医療だけでなく別分野にも強かったはずだ。いまや宗谷が開発したというVRシステム"Branch"は世界中で使用されている。目の前の男性は社長ではないようだが…息子?弟?うーむ、旦那様の取引先とあまり関係がないと、なかなか顔と名前が思い出せない。はぁ、まだまだだな。頑張ろう。
「つい最近だよ。そうそうお父上は元気か?」
「ええ、父は相変わらずです」
「そうか。まぁ、お父上とは今度ゴルフを一緒に回る事になっているから、その時に会えるんだけど。そう言えば佳人君の通っていた大学はアメリカだったな。もう大学卒業したんだっけ?これからは日本を拠点に?」
「ええ、卒業しました。暫くは日本で色々勉強しようかと思っております」
「そうか。っと、失礼。そちらのお嬢さんをそっちのけで話こんでしまったね?」
「すみません紹介が遅くなり。こちらは右山こ…」
「こ?」
「いえ、こちらは右山コイさん」
名前考えてなかったな。滅茶苦茶適当。まぁどうせ使い捨てだしいいけど。それでもコイって。おい。
「はじめまして宗谷様。右山コイと申します」
「ああ、はじめまして。俺は宗谷えぃ…」
「佳人さん、その女はどなた?」
どうやら例の女が来たようだ。凄くタイミングが悪い。
それにしても人が話をしている途中に割り込むとか、ないわ。
ほら、宗谷さん眉間に皺寄ってるから。




