第70話 ある探索者の話 ③
迷宮が開く日。
俺は早起きして迷宮の前に来ていた。
斥候は迷宮に入ってから出てくるまで、一時も気が抜けない。寝不足は大敵だから、探索日の前日は酒も控えるほどだ。
「それにしても、この腕時計ってやつはすげえ魔道具だな……」
ギルドが探索者証として支給してくれた時計型の魔道具だが、いつでも時間がわかるというのは想像していた以上に便利だった。
俺は常に朝一つ目の鐘で起きるようにしているが、これがちょうど5時。
今まで意識したことがなかったが、「時間」の概念があるのとないのでは、生き方そのものが違ってくると言っていい。
この時計を全員に持たせることを提案したのは、あの子ども……マホちゃんらしい。
なるほど、リックのやつが言うように、普通のガキじゃないのは確かだ。普通はこんなもんを全員に配るなんて狂気の沙汰だ。普通に売ればカネになるのに、そうしないんだから。
ギルド嬢によると、迷宮調査中、宝箱の中から大量に発見されたのだそうだ。つまり、これは迷宮のお宝だということ。本来ならば、オークションに出すような品である。俺は絶対に売らないが、売って金にするようなバカも絶対に出てくる。それくらい、腕時計は素晴らしい。
「よう、早いな。待ちきれなくて起きちまったのか?」
迷宮の回りを何周かして休んでいると、赤髪の男に声をかけられた。
「キースか。俺は毎朝走るようにしてるってだけだぜ。戦士の加護がないやつは、こうして毎日トレーニングしてないと、すぐなまっちまうのさ。お前は?」
「そりゃ難儀だな。俺はポチちゃん一番乗りするために来た」
「ポチちゃん一番乗り⁉ なんだそりゃ」
厳つい戦士の口からはなかなか聞けないような単語が出て思わず突っ込んでしまったが、ソワソワと何かを待っている様子なのは見て取れた。
「は? お、お前……知らないのか? ひょっとして昨日の打ち上げに来ていない……? そういえば、見なかったような気がするが」
「昨日は、今日に備えて街で準備していたし、夜はそのまま宿に戻って早めに休んだからな。そういえばなんかやるって言ってたっけ」
「うわー! マジか。お前……ギルドが大盤振る舞いしてくれて、建国祭並みに盛り上がったってのに、カァー! 顔に似合わず真面目だねぇ!」
そんなに⁉ いや、確かにリックにも誘われはしたんだが、それより新規の迷宮で斥候をやることにプレッシャーを感じてたんだよ。どのみち、前日じゃ酒も飲めねぇしと思ってやめといたんだが……。
「その時にお披露目されたのが、ダンジョンマスコットのポチちゃん、タマちゃん、カイザーちゃんだ! これがデッカくてかわいいのなんの」
こいつ……! むくつけきオッサンのくせに、なに女子供みてぇなこと言ってやがるんだ⁉
「そのダンジョンマスコット……? ってのはなんなんだ? ポチちゃん?」
「でっかいワンちゃん、ニャンちゃん、トカゲちゃんよ。しかも、みんな喋るんだぜ? みんな遊び好きでさぁ、ポチちゃんなんて乗せて走ってくれたりするんだよ。これがもう最高で」
「そ、それで、早起きして来た……ってこと?」
「その通り。ジャッカルよ、そんな顔をするな。見てみろよ、ほれ、あそこ」
キースが顎をしゃくると、そこには獣人たちの一団が、キースと同じようなウキウキ顔でダンジョンが開くのを待っているようだった。はしゃいだ声がここまで届いている。
「あいつらもポチちゃんたちを待ってやがるのさ……。強力なライバルだぜ……」
「探索者だろ……? 迷宮が開くのを待ってるだけなんじゃ……?」
「いや、違う。顔を見ればわかる」
「マジかよ」
確かに獣人たちはまだ探索用の装備を用意していない。
「手ぶらだもんな」
「……いや、あいつら、手ぶらじゃねぇぞ。ポチちゃんたちにあげる『おやつ』を用意してやがる。くそっ! 俺はなんにも用意してねぇ。抜かったぜ」
「おやつ……」
な、なるほど……。確かに肉やら魚やらを用意しているように見える。
時折こちらを見る視線は、なにやらこっちをけん制しているようにも……。
「おっ、ダンジョンが開くぞ! うおおおおお! ポチちゃーん!」
「そんなに⁉」
キースが大声を出しながらダンジョンへと突撃していく。
俺はその様子をあっけに取られながら見ていた。
獣人たちに混じって、ダンジョン前で声援? を送るキース。
中から出てきたのは――
「な、なんだありゃ? 魔物じゃねぇのか⁉」
デカいとは言っていたが、デカいなんてもんじゃねぇぞ。ちょっとした家くらいある犬、猫、トカゲがのっそりと迷宮から出てくるではないか。
そして、そいつらにキース+獣人たちが奇声を発しながら我先にと抱きついていく。
――異様な光景だ。
ここはただのダンジョンじゃない。マホちゃんが自信満々でそう言っていたが、こりゃ確かに普通じゃない。
◇◆◆◆◇
キースがポチちゃんとかいう巨大な犬の背中に乗ってはしゃいでいるのを横目に、俺は日課のトレーニングを熟し、宿へと戻った。
装備を整えて、ギルドへ。
「おお、けっこう混んでやがるな。パーティーの斡旋もしてもらえるって話だったが……」
俺は斥候だ。一人じゃ潜れないし、できればある程度は有力なパーティーにもぐりこみたい。中級で長く活動していて、腕のほうにもちょっとは自信がある。
探索者登録をしてくれた受付嬢のカウンターにとりあえず並ぶと、その隣にいたマホちゃんが俺に気付いた。
「あ、ジャッカルさん来た。こっちこっち!」
「お、マホちゃんか。おはようさん。どうしたんだ?」
「ジャッカルさんのパーティーは私が用意しましたので!」
なんでも、マホちゃんが用意したメンバーで、ダーマ迷宮の探索をリードしてほしいとのことだった。中級以上の実力があれば6層まではすぐいけるらしい。
「だが、新規の迷宮じゃ慎重にならざるを得ないし、そんなにとんとん拍子じゃ進まねえと思うぜ? 地図だってこれから作るんだし」
「あ、地図ならもう配ってますよ? まだ受け取ってませんでした?」
「ギルドが作った地図かぁ。気分を悪くさせるつもりはねぇんだが……使いもんにならねぇだろう?」
前にもメリージェンでギルドが地図を販売したことがあったが、これが初心者には到底理解できないようなお粗末な出来で、逆に遭難者を増やしたなんて話すらあった。それ以来、俺は自分で作った地図以外は信じないことにしている。
「ん、まーどうかな? 確かに地図って人が作った物って使いにくい部分あるかもだけど、十分実用に足る出来だと思うよ? どのみち、無料だから持ってってちょうだいな」
「無料⁉ 地図をただで配ってんのか⁉」
「そりゃあ、そうでしょ。別に私たちは探索者たちに苦労をさせたいわけじゃないんだから。できるサポートは全部やるつもりよ」
すげぇな。メリージェンのギルドが配った地図は、たしか銀貨をボッたはず。
本当にここのギルドは気前がいい。いや、ギルドというよりマホちゃんが――か?
「ほい、コレ。地図。まだ6層までしかないけどね」
「ありがとよ。……って、おいおい、マジか……」
「どうしたの?」
「……これ、誰が作ったんだ?」
「だいたい私」
「う、嘘だろ……。マホちゃんは斥候なのか? こんな詳細な地図……。うおっ、4層なんてめちゃくちゃ複雑な地形だぞ? これ、確かなのか?」
「それなりに動き回って確認したから、ほぼほぼ合ってるよ。それに目印も置いてるから、迷うこともないと思うな」
事もなくそう言うマホちゃん。俺はこの時、リックの「彼女は凄いよ」という言葉をまたしても思い出していた。
地図を作るってのは言葉ほど簡単なことじゃない。それが万人にわかるように作るとなると、特殊な技能となる。人間によって歩数は違うし、距離感も違う。それを正しく計測しながら地図にすることなど、探索しながらでは不可能だ。
それでも斥候ならば、最低限どこになにがあるかを知っていなければならない。
だが、この地図は根本的にそういうレベルの代物ではない。『完璧』な地図だ。
「Eランク探索者は2層までなんだったか……」
「そうだね。今日は他の探索者と魔物の取り合いになっちゃうかもだから、お行儀よく頼みますね」
魔物の取り合いは、他の迷宮でも時々起こる。戦っているところに横から来て、自分の魔石だと主張する厄介な探索者というのも実在する。
そういう意味でのお行儀だろう。俺は大丈夫だが、初心者が多い迷宮となると、確かにそういったトラブルは起こりやすそうだ。
「それじゃ、他のメンバーを紹介しますね。ジャッカルさんは斥候として、戦士3名と、魔法使い2名とともに潜ってもらいます。僧侶はなしです」
「僧侶なしか。そいつらは、ある程度位階が高いのか?」
「戦士はそうですね」
「なら余裕だな」
2層はゴブリンが出るそうだが、ちゃんとした戦士が3名もいればまったく問題ない。俺は、魔法使いたちを守りつつ立ちまわればいいだろう。
しばらくして、マホちゃんが用意したパーティーメンバーが揃った。
「よう、縁があるなジャッカル」
「お前か。まあ、知ってる奴ならやりやすい」
一人は戦士のキース。こいつはメイザーズで活動していた戦士で、酒好きの上に、ヤバいレベルの動物好きだが悪い奴ではない。今も全身に長い毛をつけたまんま現れて、マホちゃんを唖然とさせているが、返す返す悪い奴ではない。
「フリンだ」
戦士一人目のフリンは、垂れ目が特徴的な色男で、なんと、かの勇者とパーティーを組んでいた戦士らしい。勇者がこの街に来ているという話は有名だが、まさか俺がそれと組むことになるとは。
「勇者パーティーは解消したってことなのか?」
「いや、今はここのマホちゃんの頼みでね。期間限定で個別に活動してるのさ」
「その大盾。タンクか」
「ああ。ゴブリン相手にこれがいるかはわからんけどな」
デカくて重そうな盾をポンポンと叩く。確かに、ゴブリン相手なら盾を叩きつけてやったほうが効果的なくらいだろう。
だが、勇者パーティーといえばメイザーズのトップ探索者だ。位階も俺より上のはずだ。
「ムートですだよ」
もう一人はとても体格の良い牛の獣人だった。
「ムート? 雷鳴の牙のムートか?」
「おらを知ってるだか? そうとも、雷鳴の牙のムートだべ」
「マジかよ」
メリージェンは獣人が多かったし、俺も獣人と組んで潜ったことも何度もある。彼らを差別する奴らは少なくないが、少なくとも探索者としては人間なんかよりずっと適性がある。
斥候に関しても、認めたくないが猫獣人の瞬発力には敵わない。まあ、奴らは集中力が長く続かないから、俺たち人間の斥候と比べても一長一短なところがあるのも確かではあるのだが。
しかし、ムートと組ませてくれるとは。
「……確かにこれならマホちゃんが言うように、6層までなんて楽勝でいけそうだな」
フリンもムートも上級探索者だ。油断するつもりはないが、これで1層2層に潜るだけなんて、過剰戦力も甚だしいというものである。
「で、そっちの少年たちが魔法使いってことか」
「はい! アレスです!」
「ティナです! よろしくお願いします!」
元気よく挨拶してくれた二人は、まだ子どもと言ってもいいような年齢で、ちょうどマホちゃんと同じくらいに見えた。
魔法使いということだし、まったくの初心者ではないらしいが――
「二人は元はどこで潜ってたんだ? メリージェン? メイザーズ?」
「私たちはここです。二人とも」
「ここ……って、つまり? メルクォディア? いや、今はダーマだっけ」
「そうです。といっても、1層専門だったけど」
1層専門とはいえ地元の探索者とは珍しい。メルクォディアはすでに死んだ迷宮で、誰も潜っていないのかと思っていたからな。まして、こんな若いのが。
「2層以降は行ったことあるのか?」
「いちおう3層まであります」
「契約神と位階は?」
「二人とも炎神ア・グノーで、魔法位階は2です。迷宮深度のほうは、お金がなくてまだ……」
炎神の魔法位階が2なら十分戦力になる。少なくとも、あれだけ評判が悪かったメルクォディアで生き残ってきたというのなら、探索者の才能があると断言していい。
これは持論だが、探索者にとって最も大事なのは臆病であること。なにより、生き残ること、だ。一度の死を切っ掛けにして、ずるずると迷宮探索者から足を洗うことになる者は、けっこう多いんだ。
たまに笑い話で聞く勇者の逸話なんかもそう。彼女は決して無理をせず、安全な階層でしか探索をしないという。だからこそ、彼女は生き残り続け、トップ探索者と言えるくらいの力も名声も手にしているのだ。っと、そういえば勇者のパーティーメンバーがこの場にいるんだったな。
「なあ、フリン。全然関係ない話なんだが、聞いてもいいか? 勇者が一度も死んだことがないって本当?」
「ああ、マジだぜ。アイネ様は死どころか、深い傷すら負ったことがない」
「そりゃすげえ」
これには俺だけでなく、他のみんなも驚いていた。
迷宮探索は極端なことを言えば、怪我をしに行くようなものだ。探索の本質は戦闘であり、俺たちは魔物と戦うために潜っている。魔石を掘っているのだから当然だ。だからこそ、怪我は付きものなのである。十分な収穫を得ながら、怪我をしないで戻ってくるというのは、それこそ名人の域だ。
「勇者パーティーの斥候はどんなやつなんだ? よほど腕の良い奴なんだろう?」
「ロビンっていう猫獣人だぜ。アイネ様とは古い仲で、迷宮内ではロビンの言うことには絶対服従ってのがルールだったな。目的地はアイネ様が決めてたけど」
「やっぱ獣人か。下層での斥候術、教わってみたいもんだ」
そのロビンという斥候。間違いなく恐ろしく腕が立つ。
話じゃ、勇者と共にこっちに来ているというから、話を聞くチャンスがいずれあるだろう。
楽しみだ。




