第59話 ある探索者の話 ①
俺の名前はジャッカル。
元々はメリージェンで探索者をやっていたが、とある情報を得てここダーマ領へと訪れていた。
「ここがメルクォディアの迷宮か……。本当に岩で塞がれていやがる」
メルクォディアの迷宮のことは、噂程度には知っていた。
曰く、新人潰しの迷宮。曰く、2層までで心が折れる迷宮、曰く、広すぎるのも考えもの……。
実際、俺の知り合いにも、メルクォディアで活動していたという者もいたが、だいたい評価は同じだった。
――わざわざあそこで潜る意味がない。
――魔石の買取は少し高いが、ろくな酒場すらない。
――街に面白味がない。
それで一度は集まった探索者たちも一人抜け二人抜け――今では物好きか、地元から離れられない奴だけしか潜っていない。そういう話だったはずだ。
迷宮は通常は迷宮管理局に運営を頼むものだが、欲を出して領主が自らやろうとした末路だと、探索者界隈ではたまに話題になった。
だから、別にメルクォディアに興味なんてなかった。
「だが、あんな話を聞いちゃあな……」
行商人をやっている知り合いと酒を飲んでいた時の話だ。
メリージェンでは探索者向けに商売をやっている奴が多いんだが、知り合いの行商――リックは、拠点を持たず、荷馬車一つであっちこっちに商品を売りまわっているような奴だった。
酒場で知り合って、地元がいっしょだってんで意気投合して、それからはたまに飲む仲だ。
その日も、馴染みの店で落ち合って近況なんかを話した。
俺は相も変わらず5層~8層に潜る中堅探索者で、特定のパーティーを持たず日銭を稼ぎ、使い切ったらまた潜る……そんな暮らしを送っていた。
だから、俺が話すことなんて、上級探索者パーティーの【雷鳴の牙】が呪いの罠に引っかかって、廃業寸前にまで陥り、解呪のための金を捻出するために、リーダーのジガ・ディンが奴隷に堕ちた――そんな話くらいだった。
ジガは、この街じゃあまあまあな有名人で、獣人オンリー、しかも、魔法使いや僧侶を含まない一党で下層へ挑んでいる変わり者でもあった。
まあ、獣人は肉体的ポテンシャルが高く、戦士の加護を受けているものも多いから、ゴリ押しでもけっこうなんとかなるのだろう。
俺がその話をすると、リックは声を潜めて言ったものだ。
「そのジガを買ったのが誰かは知っている?」
「はぁ。知るわけねぇだろ。競売にかけられたって噂は聞いたが」
「実はね――」
リックの話によると、ジガを買ったのはメルクォディアの領主だという。
しかし、それ自体は別に珍しいことではない。高位探索者ならば護衛にも使えるし、剣闘士にするという手もある。ジガは魔法こそ使えないが位階も高く、なによりまだ若い。剣闘士としても、かなり上位に行けるだろう。
貴族でなければ、興行主とか、あるいは豪商か。そんなところだろうとは思っていた。
だが、メルクォディアの領主というと、確かダーマ伯爵だったか?
「あそこはなんか借金がどうのって前に言ってなかったか? リック。お前から聞いた話だったよな?」
「そうだね。本来あの領にそんな金があるはずないんだ」
「だろ? どういうことだ? 金鉱でも掘り当てたとか?」
「いや、そういう話は聞かないけど……いや、金鉱みたいなものかもしれない」
「なんだよ、ハッキリ言えって」
で、リックが声を潜めて口にした話は、にわかには信じられないようなものだった。
メルクォディアの迷宮から、考えられない品質の品々が出るようになったというのだ。
同時に、迷宮が領主の名のもとに閉鎖され、一定期間後に再開放される予定なのだとか。なんでも領主の娘が陣頭指揮を取り、迷宮街を再興するために動いているのだという。
「だけどよ。あそこは終わった迷宮なんだろ? いくら宝箱からいいもんが出るったって、それくらいじゃどうにもならないんじゃねーか? 罠の解除ができるやつを連れてくるだけでも、まあまあ手間だぞ」
俺の質問に、リックは薄く笑い、鞄から何かを取り出した。
「なんだそりゃ。酒瓶……か? ずいぶん整った形をしてるが」
普通はガラスの瓶はもっと形が歪なものだ。
リックが出したものは、それ自体が芸術品のように整っている。
色も深い琥珀色で、何らかの塗料をガラスに混ぜて作っているのだろうが、少なくともここいらでも見た記憶のない品だった。
「すごいだろう? 探索者の君でもこれの価値がわかるほどに」
「そりゃこんなもん見たことねぇからな。……ってこたぁ、これが出るのか? 迷宮から?」
宝箱はメリージェンでもどこでも、迷宮ならば時々、脈絡なく出現する。
通路にポツンと置いてあることもあるし、一番奥の部屋に恭しく鎮座していることもある。
毎日通っている道にいきなり湧き出ていることもあるのだ。だから、宝箱を見つけるのは完全に運頼りだと言われていた。
だが、上層で出るようなものはゴミみたいなものばかりだ。鉄の剣などの価値のある実用品が出るのは中層以降で、魔法の品となれば下層でなければ絶対に出現しない。
そうでなくても、宝箱は出現率自体が低く、俺も数十回しか発見したことがない。
さらに宝箱には罠がかけられている。腕の良いシーフならば罠の解除も可能だが、だとしてもリスクだ。厳密には、リスクと報酬とが見合わないのである。ある程度腕の良いやつでも、100%絶対ということはありえない。万が一、転移の罠にでも引っかかったら助かる可能性は限りなくゼロに近い。
俺も、さすがに中層以降の宝箱は開けたが、罠の解除に失敗した時は本当に肝が冷えたもんだ。
だが、上層でこれが出るなら話は別だろう。多少のリスクを押しても開ける価値がある。
「競売に出しゃあ、それなりの金になりそうだな」
「なるだろうね。……でも、問題は中身のほうなんだよ」
リックが瓶を振ってみせると、ちゃぽちゃぽと液体の音がした。
なるほど、瓶なのだから当然中身入りというわけだ。
「迷宮から出たもんを飲むってことなのか……?」
「大丈夫。僕も飲んだし、他にも何人も飲んでる。害はないよ」
「なるほどねぇ……で、その中身がなんだって? もしかして、魔法薬かなにかだったのか?」
「いや、ただの酒」
「酒?」
俺はその時、リックの奴め何を大げさにしやがると高をくくっていた。
迷宮から出た酒となれば、そりゃあ珍品だ。好事家は買うかもしれない。
だが、それだけだ。酒なんて酒場に来れば売るほどあるんだ。
「ジャッカル。これは本当に貴重なものなんだ。きっと、君は気に入るだろうが……次に飲める機会があるかどうかはわからないよ」
「なんでぇ、ずいぶん勿体ぶりやがるな」
「僕だって飲むのは我慢してるんだから」
「じゃあ、お前の分まで楽しませてもらおうか」
リックがちょっと笑ってしまうほど慎重にグラスに注ぐと、それは瓶と同じ琥珀色の液体だった。
顔にグラスを近づけると、ツンと来るほどに強い芳香が鼻腔を突き刺す。
なるほど、リックが勿体ぶるだけはある。俺が知るどんな酒ともこれは違うと、その瞬間に理解した。
「すげぇな。匂いだけで酔えそうだ」
「ああ。味はもっと凄いぞ。最初はほんの少しだけ口に入れたらいい」
「どれどれ」
瞬間。香りが、味が、酒精が脳を突き抜けた。
酒? これが酒なのか?
喉を通った液体が、そのまま腹へと落ちていくのがハッキリとわかる。
臓腑が燃えるように熱くなり、吐息までもが火を噴くかのような熱を帯びていた。
「あー、もったいない。そんな一気に」
「お、おおおおおお! ま、マジか。なんだこりゃあ」
「火を噴くような味だろう? 僕たちはこれを火酒と名付けた」
リックによると、こんな酒が毎日毎日、何本も宝箱から出たらしい。
しかも、驚くべきことにそのすべてに罠がかかっていなかったのだそうだ。
つまり、見つけたらノーリスクでこれが手に入る。
瓶の価値だけじゃない。
この酒が毎日手に入るかもしれない。
俺はよほど呆然とした顔をしていたのだろう。
その顔が満足のいくものだったのか、リックはにっこりと笑って、グラスに二杯目の酒を注いだ。
「……どうしてこれを俺に飲ませたんだ? 商人が気前良く飲ませるようなものとは思えねぇ」
「ジャッカル。メルクォディアに移らないか?」
リックの頼みは簡潔だった。
あの迷宮が変わったのは確かだが、その情報を信じて動く人間がどの程度いるのかはわからない。
だが、あの街が本当に変わるには、人の移動が不可欠。
中でも探索者の数は多ければ多いほど良い。
その先鋒として俺を誘ったということだった。
「ジャッカルは、いろんなパーティーに伝手があるだろう? 移る前に、なるべくたくさん誘ってほしいんだ。受けてくれるなら、未開封のこれを一本進呈するよ。できれば、自分では飲まずに、今日の僕みたいに勧誘に使ってほしい」
「なるほどな……。確かに魅力的な話だが、どうして探索者を誘うんだ? 自分たちで独り占めするためか?」
「メルクォディアで店を持つことにしたんだ。僕もいつまでも行商なんてやってられないからね。そのためにも、あそこは発展してもらわなきゃ困る。今から動き出せば大商人になるのも夢じゃない」
リックの奴は、意外と将来のことを考えていやがった。
俺みたいなチャランポランと飲んでるから、一人で適当に稼いで適当に生きてければいいと考えているのかと思ってたぜ。
確かに、いつだって一番儲かるのは胴元だ。
迷宮だって、競売だって、賭場だってな。
こいつは、この情報を上手く使って、メルクォディアの胴元になろうってんだろう。
その夢に一枚噛むのも悪くない。
――そんなわけで俺はメルクォディアに来たというわけだ。
リックの頼みも聞いて、知り合いの探索者はだいたい全員誘った。
俺自身も、別の迷宮で探索者をやるには、仲間が欲しかった。もともと、固定のパーティーを組んでいなかったこともあり、少なくとも前衛が必要だったのだ。
……まあ、みんな「考えさせてくれ」で終わってしまったわけだが。
「ジャッカル⁉ ジャッカルじゃないか? 来てくれたのか!」
後ろから声がして振り返ると、そこにいたのはバケツを持ち塗料で服を汚したリックだった。
この街に骨を埋めるつもりだとは言っていたが、まさか迷宮前で会うとは思っていなかったな。
「ああ。来た。またあの酒が飲みたかったし、面白そうな話だったからな。ま、迷宮がコレじゃあ、次にあの酒が飲めるのはいつになるんだかって感じだが」
「はは、やっぱりアレにやられたか。君以外にもう何人か探索者が来てくれてるんだよ。最初としては上出来じゃないかな」
「なら俺もパーティーに潜り込めそうだな。それより、お前はこんなとこで何してるんだ?」
「実は、店を任してもらえることになったんだ!」
「店を⁉」
リックからは自分の店を持つ大変さをこれまで何度も聞かされていたが、妙にウキウキと楽しげなのはそれが理由か。
「だけど、お前。任せてもらえるってことは、人の店だろう? 雇われじゃあ、今と大差ねぇんじゃねぇのか?」
「いや、それが雇われじゃないんだな。家賃さえ払ってくれればいいって、一等地を借りたんだ。ほら、すぐそこの建物だよ」
指さした先は、本当に迷宮の目と鼻の先。一等地だ。
「おめぇ、こんな場所、メリージェンだったら目ン玉が飛び出るような金がなきゃ借りられねぇぞ」
「あはは。運が良かったんだよ」
運でこんな一等地を借りられるもんか? とも思ったが、実際メリージェンと比べれば、ダンジョン前だというのに閑散としていて、いるのはなんらかの作業をしている人間ばかりだ。
建物自体が少なく、噂通り「終わった迷宮」だったのだろう。リックみたいな行商人がいきなり店を借りられるくらいなのだから。
だが、リックの目の輝きを見ればわかる。
終わった迷宮であると同時に、これから始まる迷宮でもあるのだろう。
「あー、リックさん。その人だれ? 見たところ探索者っぽいけど」
リックと話していると、ちびっこいガキが馴れ馴れしく話しかけてきた。
地元のガキだろうか。見たことがないような服を着ている。
「マホさん、こんにちは。こいつはメリージェンで中級探索者やってたジャッカル。けっこう腕がいい斥候だったんだよ。説得してメルクォディアに移籍してもらったんだ」
「おおー! さすがリックさん。いい仕事してるね!」
「ずいぶん馴れ馴れしいガキだな。リックの知り合いなのか?」
「バッカ! ジャッカル、アホ! この!」
リックが突然怒りだして俺の腕を引っ張った。
そのまま、ガキから引き離すように移動させられる。
すげぇ力だ。いくら俺が斥候で戦士の加護がないったって、これでも位階は9もあるんだぞ。
「……ジャッカル。ここで仕事をしていくなら、あの人には逆らってはいけない。絶対に覚えておいて」
「なんでぇ、ただのガキじゃねぇのか?」
「絶対にガキなんて言っちゃダメだよ。彼女はマホさん。今、このメルクォディア迷宮を実質取り仕切ってるのは彼女だ」
「ああ、例の貴族の娘ってのか。それっぽくねぇから気づかなかったぜ」
「いや、違う。ダーマ伯爵の娘……フィオナさんとも会う機会あるだろうけど、マホさんは彼女が呼んだ専門家らしいんだよね。まだ知り合ってわずかだけど……すごいよ、彼女は」
まっすぐにキラキラした目であのマホとかいうガキの話をするリックは、完全に心酔しているように見えた。
商人は人の裏の裏を読めるようでなければ、儲けるのは難しい。リックも行商として、あっちこっち歩き回って、それなりに経験を積んだ男だ。
そのリックがここまであんなガキに心酔するとは。ちょっと意味がわからん。
「すまなかったな。マホちゃんだっけ? 俺はジャッカル。斥候だ。これからこの街で厄介になる。よろしくな」
「ジャッカルさんね。ガキ呼ばわりしたことは水に流しましょう。私はこう見えて、とてもおおらかなタイプだからね」
おおらかな奴はそう自称しないと思うが、まあいい。
どうやら彼女流の冗談のようだ。
「マホちゃんがこのあたりを仕切っていると聞いたが、迷宮もなのか? いつ開く?」
「オープン日まではあと5日だよ。あ、探索者ならギルドで事前登録を済ませておいてね」
「事前登録? ああ、ここは管理局が入ってないのか。じゃあ、これも使えねぇな」
「お、管理局の探索者証だね。中級じゃん。けっこう探索者歴長いの?」
「もう10年近ぇよ」
「ほうほう……。なるほどね」
ニヤリと笑うマホちゃん。
「じゃあ、ジャッカルさんには特別になにか頼み事するかもしれない。その時はよろしくね。ちゃんと報酬は出すから」
「特別な頼み事……? まあ、報酬が出るならいいぞ」
どんな頼み事だか知らないが、なにせ、たいした準備もなく来ちまったからな。収入源は多めに持っておきたいところだ。




