ゴメンナ
「お前……来たのか」
浩市は、自分に出来る精一杯の声を出した。
その途端、怪物は動きを止めた。ゆっくりとこちらを向く。掴んでいる理恵子の死体は、無惨なものだった。顔、手、足、胴……そういった各パーツが、全て砕かれ潰されていた。もはや、醜い肉の塊でしかない。こごまで破壊された人体を、浩市ほ初めて見た。
もっとも、人生の最後の日に見たいものでもないだろうが……。
怪物は理恵子の死体を放り投げ、浩市のそばに近づいてきた。グチャリという音と共に、理恵子だったものは地面に落ちる。見るも無惨な姿だった。かつて愛した女だったが、今はグロい物体である。
だが、そんなことはどうでも良かった。怪物がいったい何をする気なのか、全くわからない。ひょっとしたら、自分を食べるつもりなのかもしれない。
もっとも、こいつに何をされようが別に構わなかった。食われるのも仕方ない。しかし、この怪物には言わなくてはならないことがある。
「ごめんな」
言った瞬間、口から血が垂れてきた。同時に、体が急激に冷えていく。腹に力が入らず、足は麻痺状態だ。もう、どうあがいても死は避けられない。死神は、すぐそこまで来ている。
それでも、浩市は残った体力を振り絞り語りかけた。
「最初に出会ったのが、俺じゃなきゃ……」
それ以上、喋ることは出来なかった。動くことも出来ない。浩市は仰向けの状態で、天を仰ぐ。
瞳から、涙がこぼれ落ちた──
この怪物は、本当に純粋だった。大勢の人間を殺しているという事実はあるし、人間たちから駆除されても仕方ないだろう。だが、それは浩市たちの招いたことだ。
誠司、理恵子、田山、中里、渡部、高田……自分の周りにいた人間は、みんなクズだった。特に理恵子には、最大最悪の裏切りをされた。
にもかかわらず、自分は人間の方を助けるために動いていた。怪物にどのような運命が訪れるかについては、全く考えていなかったわけではない。哀れとも思った。だが「仕方ない」の一言でごまかした。
しかも、最終的には怪物に騒ぎを起こさせ、そのドサクサに紛れて逃げることを選んだ。怪物に、自分たちの罪を押し付けたも同然である。
みんな最低だ。もちろん、自分も──
その時、視界に怪物の顔が入る。
見れば見るほど異様だ。出会った頃に比べ、ずいぶん変わってしまった。しかし、こいつの優しいところは変わっていなかった。
家族も仲間も……いや、周囲の全ての人間が自分を裏切った。しかし、怪物は裏切らなかった。違った形で出会っていれば、こんな事態を避けられていたのかも知れない。
せめて、名前くらい付けてやりたかった……。
浩市は、何か言葉をかけようとした。だが、声が出ない。意識も遠のいていく。もう、ここまでらしい。
なんという人生だろうか。自分は、ごく平凡な生活をしたかっただけだ。なのに、こんな最悪の結末を迎えてしまった。
誰の何が悪かったのだろう。だが、今さら考えても仕方ないことだ。何より、思考すらマトモに働かなくなっていた。頭に霧が立ち込めているかのようだ。
もう終わりか……と思った瞬間、声が聞こえてきた。
「ア・リ・ガ・ト・ウ」
間違いなく怪物の発した言葉だ。出会った当初より、ずっと上手くなっている。
浩市の裡に、暖かいものが満ちていく。この得体の知れない怪物に、たまらない愛情を感じた。何とか生き延びて、この日本の片隅で生きていって欲しい。
浩市は、ニッコリと微笑んだ。
死ぬ前にお前に会えて、本当に良かった。
・・・
あいつは、死体になってしまった。生きているものの匂いがしない。
やっと見つけたのに、死んでしまった。
怪物は、どうすればいいのかわからなかった。やっと会えたのに、こいつは死んでしまったのだ。
「ア・リ・ガ・ト・ウ!」
もう一度、怪物は叫んだ。途端に、目から何かがこぼれる。液体だ。血液ではない。ではこれは何なのか。
わからない。だが、止まらない。拭っても拭っても、目から溢れてくる液体。同時に、胸に空いた大きな空洞──
怪物は、慌てて自身の胸に触れる。無論、穴など空いていない。にもかかわらず、ぽっかりと穴が空いてしまったような感覚がある。
わけのわからぬ衝動に突き動かされ、怪物は吠えた──
自分は、なぜここに来てしまったのだろう。
なぜ、こんな人間と接触してしまったのだろう。
こんなことになるくらいなら、卵のまま宇宙を飛んでいた方が良かった。
その時、不思議なものを見る。周辺の木々が、パチパチと音を立て燃えていたのだ。怪物は、火を見るのは初めてである。だが、周囲の温度の変化は感じ取っていた。熱い。これ以上、ここにいては危険だ。
怪物は、浩市の死体を担いた。火を飛び越えつつ、凄まじいスピードで走り去る。怪物の姿は、一瞬にして消え去っていた。
怪物の蹴飛ばした車からガソリンが漏れ、さらに機器が火花を発したのだ。その結果、山の木々が燃え出した。
炎は、あっという間に広がっていき、山の中を包んでいった。この大規模な森林火災により、警察や猟友会らは引き上げざるを得なかった。
一部の人間たちが血眼になって追い求め、奪い合った五億円も、森林火災により灰となってしまった。今では、もう何の値打ちもない。
やがて火事は鎮火した。
警察は、付近をくまなく捜索したが、怪物は見つからなかった。様々な人間が応援に駆けつけ、山や光司湖周辺、さらには湖の中に潜水艇まで派遣してみたが、影も形も、棲んでいた痕跡すら見つからない。完全に消えてしまった。
警察は、あの怪物は火事により焼死したと思われる……と発表する。マスコミ各社の中には疑う者もいたが、ネット社会における情報の移り変わりが早い。半年も経たぬうちに「ああ、そんな事件あったな」程度のものへと変わっている。となれば、金と時間と人員を投じて取材しに行く価値もなかった。
さらに時が流れると、怪物は陰謀論のネタでしかなくなっていた。
・・・
その怪物は、地下洞窟の奥に潜み準備をしていた。
いつか、地上に上がるために……そして、この惑星の支配者となるためだ。どうやら、人間との共存は無理らしい。
中には良い奴もいたが、大半の人間は、異質なものを見れば排除する性質があった。予想外の事態にはパニックを起こし、騒ぎを大きくする。さらに、未知の生物は捕らえようとする。
人間から見れば、自分はどこまでいっても下等生物であり害獣なのだ。怪物の姿を見れば、必ず攻撃してくるだろう。
自分が生きていくためには、人間を絶滅させるしかない。そのために必要なのは、戦力の増強である。
怪物の知能は、さらに上がっていた。知識も増えたし、体も変わっていた。だが、彼自身の殺傷力よりも、もっと重要な変化かあった。
その横には、まだ昆虫ほどのサイズの生物がいる。かつての怪物と同じ姿……いわば幼生体だ。子供らしく、暗闇の中を元気よく動き回っていた。最初から陸地にいたため、順応も早い。水中と違い刺激の多い世界で誕生したため、知能も親より高くなりそうだ。
そう、怪物はさらに進化し単為生殖という能力を得た。この特性を持つ生物は、たった一匹で子供を生むことが可能なのだ。
既に一匹が卵から孵っており、さらにふたつの卵がある。これから先、さらに増えていくだろう。戦争には、数が必要だ。
幼生体は、地面に置かれた不思議なもので遊んでいる。人間の骨だ。体を形成する大半の部分が、綺麗に残されていた。まるで骨格標本のようである。捕らえた獲物は、骨ごと噛み砕き飲み込むのが怪物の特性だ。しかし。この骨は綺麗に残っている。
心なしか、頭蓋骨は優しく微笑んでいるように見えた。




