ジケン
その日、浩市は店を開けなかった。
もはや限界である。昨日は、高田の仲間らしき者たちが店にやって来た。あいつらは、簡単に引き下がらない。また、店に来るだろう。
ならば、一刻も早くここを離れる。今のうちに荷物をまとめておくのだ。
荷物を整理しつつ、浩市は改めて家の中を見渡した。
様々な思いが、胸にこみ上げてくる。まさか、こんな形で家を離れることになるとは思わなかった。
始まりは、父の死だった。さらに怪物が現れ、高田が死んだ。そして、ヤクザと駐在が怪物に殺された。
全て、ここ一月以内に起きた出来事である。改めて振り返ってみれば、あまりにも現実離れしている。実際にあったこととは思えない。友人から、こんな話を聞かされたなら、嘘をつくなの一言で終わりだろう。
だが、これは現実なのだ──
それ以前に、この店の経営を続けていくこと自体に無理があった。工場が閉鎖され寮がなくなり、客足はバッタリ途絶えた。普通の人間なら、その時点で店を引き払っていただろう。
にもかかわらず、父は店の存続にこだわっていた。店は続けろ、と言い張っていたのだ。浩市が無理やり店をたためば、健人は怒り狂うだろう。その矛先は、間違いなく理恵子に向けられていた。だからこそ、客も来ない店を続けていたのだ。
本当に、生きている間は、家族みんなに迷惑をかけ続けていた男だった。
今、ようやく店をたたむことができる。過程に問題はあるが、これで良かったのかもしれない。
その夜、誠司はそっと家を抜け出した。
スマホと懐中電灯を手に、国道沿いを歩いていく。時刻は既に零時近くなっており、光のない真っ暗闇だ。付近に民家はなく、店舗の類いも見当たらない。道路を外れると、木々が生い茂る森となっている。
そんな中、誠司は歩いていく。顔は青白く、体は痩せ細っていた。Tシャツの袖から伸びた腕は、棒きれのように細くなっている。
前から、一台の車が走ってきた。どこにでもある国産の乗用車である。
車は、誠司の数メートル手前で停まった。誠司はというと、構わずに歩いていく。
誠司が車の横に来た時、後部座席の窓が開く。中から、男が声をかけてきた。
「お兄さん、これ」
言いながら、手を伸ばしてきた。誠司は頷き、その手を握る。
だが、すぐに手を放した。握手の瞬間、男が手渡して来たものがある。そのものを、手を広げ確認した。
切手くらいの大きさのビニール袋だ。中には、砕いたハッカ飴のようなものが入っている。
誠司は頷き、ポケットに手を入れる。中から、折りたたんだ紙幣を取り出し男に渡した。
男は紙幣を確認し、ペコリと頭を下げる。
「ありがとうございます。また、お願いします」
言った後、車はUターンし去っていった。誠司もまた、来た道を戻っていく。
今、誠司が受け取ったのは覚醒剤だ。かつて少年刑務所にいた時、薬物の売人と知り合った。その売人は、隣の市に住んでいる。金を払えば、車でわざわざ来てくれるのだ。
誠司は、完全に覚醒剤に溺れていた。初めは、死体の処理はシラフでは出来ない……という思いから薬を買ったのだ。しかし、今の誠司は違う。薬物のもたらす偽りの幸福感を得るため、覚醒剤を買うようになっていた。
やがて家に到着すると、そっとドアを開け中に入っていった。
その時、浩市は熟睡していた。したがって、誠司の動きには全く気づいていなかった。
しかし、起きていた者もいた。理恵子である。彼女は、誠司が家を抜け出した事実を把握していたのだ。
・・・
同じ頃、一台のトラックが国道を走っていた。
ドライバーにとって、いつもと同じ一日である。物流倉庫に行き、トラックに積まれた荷物を届ける。時刻は既に翌日となっていたが、これまたいつものことである。
だが、いつもとは違う事態が待ち受けていた。
始まりは、偶然の出来事だった。
ドライバーの目線が、前方からフッと逸れた。彼には悪い癖があり、運転中によくスマホをいじっていたのである。今もまた、スマホの方に視線が移ってしまった。
その時、弾みでクラクションを鳴らしてしまったのだ。
マズいと思い、前を見た。こういう時、下手をすると煽り運転とみなされ他のドライバーと揉めることもあるのだ。
幸いなことに、他の車は走っていなかった。ホッとした瞬間、とんでもないことが起きる。
トラックが、いきなり横倒しになったのだ──
その時、怪物は陸地に上がっていた。地面を歩き、周辺をじっくりと観察している。彼の行動範囲は、さらに広がっていた。今では、森の中を歩き回るくらいになっていたのだ。
トラックが走っていくのが見えた。大きい。自分よりも、遥かに大きな体をしている。前から思っていたが、奴は強いのだろうか。
もっとも、怪物はトラックと戦おうなどという気持ちはなかった。通り過ぎるトラックを、離れた位置から眺めるだけのつもりだった。
ところが、そこでクラクションが鳴る。その音は、怪物を不快にさせた。
次の瞬間、体が動いていた。怪物は、トラックめがけて走り出す。その走るスピードは、どの生物よりも速い。陸上最速といわれているチーターですら、今の怪物には追いつけないだろう。
凄まじい速さでトラックに追いつくと、両手で思い切り押した。
途端に、トラックは横転する。爆発でもしたかのような轟音とともに、車は横に倒れた。
怪物はというと、あまりにも簡単に倒れてしまったことに戸惑いを感じていた。以前より、トラックが奇怪な音を鳴らしながら通る姿を、遠くから見ていたのだ。
昔は、こんな巨大なものには勝てないだろうと思っていた。今でも、絶対に勝てるという自信があったわけではない。ただ、間近で聞いたクラクションの音はあまりにも不快だった。そのため、反射的に飛びかかってしまったのである。
ところが、あまりにも呆気なく倒れてしまった。しかも、起き上がる気配がない。
こいつは、倒れたら起き上がれないのか。
なんと弱い生き物なのだろうか。
今までは、その体の大きさゆえに遠くから見ているだけだった。勝てるとなど、思っていなかった。
しかし、このザマはなんだ。まるで陸に上がった魚のように、地面でジタバタもがいているだけだ。
今まで、こんな奴を恐れていたのか。
怪物の裡に、奇妙な感情が湧き上がってくる。その感情の赴くままに、腕を叩きつけた。
硬い。石や岩よりも硬い外皮をしている。だが、怪物は攻撃を止めなかった。硬い鉄板を、力まかせに引き剥がす。鉄片を軽々とぶん投げ、さらに破壊を繰り返す。
と、中から美味そうな匂いが漂ってきた。あいつが前にくれた、小さいが美味しかったもの。それと似た匂いがする。
実のところ、トラックには大量の菓子が積まれていたのだ。もちろん、怪物はそんな事情など知るはずもない。
彼にあるのは、ここに大量の食べ物があるということだけだ。怪物は手を伸ばし、ダンボール箱を引き裂きビニールを剥がした。中身を取り出し、むさぼり食らう。
積んであった大量の菓子は、全て怪物の胃袋へと消えてしまった。同時に、怪物の怒りの感情も少しずつ引いていく。
満ち足りた気分で、怪物はその場を離れていく。その様子を、じっと見ていた人間がいたこともわかっていたが、今さらどうでも良かった。菓子の方が、人間より美味い。しかも、今は満腹している。もはや、人間を殺す理由などなかった。
トラックが倒された時、運転していたドライバーは、運良く無傷で済んでいた。彼は、そっと運転席から這い出る。
僅か数メートル先には、信じられない光景があった。見たこともない生物が、トラックを力まかせに破壊しているのだ。
気がつくと、ドライバーはスマホを手にしていた。震える手で、怪物の動向を撮影する。見つかったら、一撃で殺されることはわかっていた。にもかかわらず、スマホをかざし続けたのだ。
数分後、怪物の存在は、大勢の人間の知るところとなった。トラックを破壊している映像が、ネットにて流されたのである。
怪物が暴れる映像だけならば「フェイク」の一言で済ませることも出来ただろう。しかし、トラック横転事故の映像は他のメディアでも放送していた。初めは単なる事故の扱いだったが、トラックの状態が普通ではないのだ。まさに、怪獣に壊されたような様である。
しかも、ネットでは怪物が暴れている映像が流れていた。ドライバーが撮ったものだという。疑り深いマスコミも、これは本物だと判断せざるを得なかった。




