ホンショウ
ヤクザたちが引き上げていき、浩市はホッとしていた。
とりあえず、今日のところは無事にしのげた。このまま、知らぬ存ぜぬを続けていけば、いずれほ連中も諦めるだろう。そうなれば、あとは田山が国外に脱出するのを待つだけだ。まだ他にも課題はあるが、渡部らと田山が消えてくれれば、後は何とかなるはずだ。
しかし、浩市の見立ては甘かった。ここから、さらにとんでもない事態へと突入していったのだ──
午後になり、駐在の中里が店に入ってきた。いつもと同じく、とぼけた顔つきで浩市の前に立つ。
「あっ、どうも。いつも御苦労さまです」
浩市が挨拶すると、中里はニヤリと笑った。
「何時間か前に、ここから四人の男が出ていったよね」
「はい?」
思わず聞き返す浩市に、中里は鋭い視線を向ける。普段とは、まるで違う雰囲気を漂わせていた。
続けて中里の口から放たれた言葉に、浩市は愕然となる──
「あいつらってさ、ヤクザだよね」
「えっ? いや、どうなんですかね──」
「隠さなくてもいいよ。俺にはわかってるから」
どうにかごまかそうとした浩市だったが、中里は冷酷な口調で切り捨てる。
思わず顔をしかめる浩市に向かい、中里は語り続けた。
「どうも変なんだよね。ここには、もうひとり客が来ていたはずだよ。メガネかけててマスクしてた怪しいオッサンがさ」
一瞬、心臓が跳ね上がるのではないかと思うような衝撃を感じた。
その衝撃を押し隠し、無言のまま中里を睨みつける。この男、いつの間にか田山の存在に気づいていたらしい。しかも、気づきながら泳がせていた。
何のために?
「あいつは、毎日食べに来てたよね。そのオッサンが、ヤクザが現れるようになった途端にピタリと来なくなった。これは、どういうことなのかな?」
聞いてきた中里に、浩市は何も答えられなかった。相手が何を考えているのか。狙いは何なのか。それが見えて来ない。
中里は警察官だ。犯罪を取り締まり、状況によっては容疑者を逮捕するのが仕事である。しかし、この場合はどうなのだろう。
誰かを逮捕するつもりなのか。だが、そんな雰囲気は感じられない。
沈黙を続ける浩市に、中里は静かに語っていく。
「俺は、ちょっと調べてみたんだよ。そしたら、凄いことがわかったんだ。半年くらい前だったかな、士想会っていうヤクザの仕切る裏カジノから、売上金が奪われたらしいんだ。それも五億円だよ」
話を聞き、浩市はさらなる衝撃を受けた。またしても心臓が跳ね上がる。
田山がこの店に現れるようになったのが、だいたい半年ほど前だ。しかも名刺によると、渡部は士想会のヤクザである。
間違いない。その五億円を奪ったのは田山だ。
「その売上金はさ、公に出来ないものなわけじゃん。だから、士想会は警察に被害届は出せないんだよ。まあ、ヤクザが強盗に遭ったなんて笑い話にもならないけどね。だから、あいつらは警察には言わないよ。その代わり、ケジメは取らないといけないからね。奴らは今、必死になって犯人を探しているんだよ」
中里は、すました表情で語っていく。
言うまでもなく、こんな情報はネットで調べられるようなものではない。かといって、一介のヒラ巡査に知らされるようなものでもないだろう。
おそらく、この男には独自のネットワークがあるのだ。
「その犯人が、ここらに逃げてきてるって情報が入ったらしいんだよね。で、あいつらも来てるってわけ。あの四人は、たぶん偵察部隊てなところじゃないかな。でも、強奪した奴を見つけたら、すぐに襲うだろうと思うよ」
聞いている浩市は、渡部らの統率のとれた行動を思い出していた。
あれで偵察部隊だというのか。では、本隊はどんな連中が来るのだろう。想像するだに恐ろしい話だ。
「ヤクザに限らず、裏の連中ってのはしつこいからね。あいつら、ナメられるのを極度に嫌うから。五億の金を取り戻すのに、五十億くらいは使うだろうね」
「な、なんでですか?」
五十億という額の凄まじさに、浩市は唖然となっていた。思わず口をついて出た言葉に、中里は苦笑しつつ答える。
「そうだよね。俺たち堅気の人間からすれば、なんてアホなんだろうって思うよ。けどさ、奴らにしてみりゃ仕方ないのよ。なんたって、面子が何より大事な人たちだからさ。ナメられたら、商売にならないわけ。ただでさえ、ヤクザは暴対法でいろいろやりづらくなってるんだよ。同業者からナメられたら、もう終わりだろうね」
そこで、ようやく浩市はまともに喋れるようになった。疑問をぶつけてみる。
「あ、あんたは何がしたいんですか?」
「俺さ、ぶっちゃけた話お巡りなんか辞めてもいいんだよね。実は、俺の兄貴がいろいろやらかしちゃってさ、そのせいでこんな村に飛ばされちまったんだよ」
「えっ……」
愕然となる浩市に、中里は口元を歪めつつ語る。
「俺の兄貴はさ、まともなサラリーマンだったんだよ。ところがさ、二年前に横領が発覚して逮捕された。そうなると、警官の俺も立場が悪くなる。まあクビにはならなかったけど、ここ北尾村に飛ばされちまったんだよ。もう、出世なんか無理なんだよね」
中里の醸し出す空気は、またしても変化していた。その顔つきからは、欠片ほどでほあるが本音が感じられる。中里は今、初めて本心を語っているのかもしれない……そんな気がした。
だが、それは一瞬だった。すぐに、悪徳警官の顔に戻る。
「なんか、俺らって似てるよね。浩市くんはさ、バカな弟のせいで損してる。俺は、バカな兄貴のせいでこんなとこに飛ばされたんだよ」
「違う」
なぜか、浩市の口からそんな言葉が出ていた。
「ん?」
「俺は、あんたとは違う。わかった風なことを言うな」
低い声で凄んだ。
そう、自分はこんな悪徳警官とは違う。普通に生きたかっただけなのだ。だいそれた夢など持っていなかったし、犯罪で一攫千金を目論んでいたわけでもない。
ただ、静かに暮らしたかった。なのに、こんなことになってしまった……。
そんな浩市の気持ちは、全く伝わっていないらしい。中里は、ヘラヘラした態度で両手を前に出す。まあまあ、熱くなるなよ……とでも言わんばかりの態度だ。
「ちょっとお、そんなに怒らないでよ。それにさ、俺を敵に回しても得はしないよ。なんたって、俺は警察官だからさ。浩市くん、いろいろ隠してることあんでしょ?」
浩市は、顔をしかめつつ目を逸らせた。この男、どこまで知っているのだろう。ひょっとしたら、誠司が高田を殺したことも知っているのか。
何も言えない浩市に対し、中里は口元に笑みを浮かべつつ語る。
「はっきり言うよ。俺はさ、五億をいただきたいだけ。君や誠司くんが何してようが、興味は無いんだよ。ただね、ひとつ問題がある。士想会は、まだ本格的に動いていない。しかし、本隊がここらに投入されるようなことになったら手遅れだ。確実にヤバいことになる。俺としては、その前に片付けたいんだよ。五億いただけば、あとはもう知ったことじゃないからさ。あっ、浩市くんの分け前を引いて三億だね」
そんなことを言いながら、馴れ馴れしい態度で浩市の肩を小突いてくる。もう逆らえまい、という絶対の自信があるのだ。
「そこんとこをわかった上で、君に確かめといてもらいたいんだよね。あのメガネかけた奴が、士想会から五億盗んだ犯人なのかどうかをさ。浩市くんは、あのオッサンと連絡とってるんだよね?」
一方的に語り続ける中里に対し、浩市は黙ったまま考えを巡らせていた。どう動けばいいのか。この不良警官まで殺すことになるのは避けたいが、かといって代案もない。
その間にも、中里は喋っている。
「まあ九分九厘、間違いないとは思うよ。けどさ、確認だけはしときたいからね。浩市くんさ、聞いといてくれない?」
「俺は、そんなことにかかわりたくありません」
そんなことを言っても無駄なのは、浩市もわかっている。だが、今はひとまず時間稼ぎだ。とにかく相手に喋らせて、情報を引き出させる。
それに、ふたりの会話を理恵子も聞いているはずだ。
「悪いけどさ、それじゃすまないんだよ。浩市くんはさ、もう充分かかわってる。もし嫌だって言うなら、ヤクザたちにバラしちゃうよ」
「何をですか?」
「この店には、一昨日まで毎日来ていた常連客がいた。その常連客が、急に来なくなったことをヤクザたちに話したら、どうなるかな?」
中里は、得意げに語っている。彼が何を言わんとしているかはわかっていたが、黙って耳を傾けていた。
「あいつらだってバカじゃない。何か怪しいと感づくよ。そしたらね、浩市くんはシャレなんない目に遭わされるだろうな。ああいう昔堅気のタイプはさ、結構とんでもないことやるよ」
そこで中里は言葉を止め、顔を近づけてきた。
「だからさ、俺と組もうよ。あのメガネのおっさんと連絡とってんでしょ? ふたりでさ、あいつを取っ捕まえて金いただいちゃおうぜ」
「その場合、メガネのオッサンはどうなるんです?」
「うーん、死んでもらうしかないでしょ」
恐ろしいことを言いながら、浩市の肩をぱんぱん叩いてくる。まるで、今夜飲みに行こうよ、とでも言っているかのごとき軽さだ。
しかし、この軽薄そのものの男が、密かにヤクザの金を奪う計画を練っていたとは……またしても、予想もしていなかったことが起きてしまった。
ややあって、浩市はどうにか口を開く。
「嫌だと言ったら、あのヤクザたちに俺を売るんですか?」
「もちろん。その場合でも、多少は分け前をもらえる可能性があるからね」
「でも、そうなると五億どころか五百万すら入らないんじゃないですか?」
「そうだよね。下手すりゃ五十万も入らないかもしれない。でも、零よりはマシだよ。それにさ、ヤクザと仲良くなっとけば後々うまい話に加えてもらえるかもしれないからね」
またしても、恐ろしいことをさらりと言ってのけた。警官の制服を着ていながら、よくそんなことが言えるものだ。
「悩むほどのことでもないでしょう。俺と組めば、浩市くんの分け前は二億だよ。だけど、断ったらヤクザに殺される。どっちが得か、バカでもわかるでしょう」
この提案を鵜呑みにするならば、悩むことはない。
しかし、浩市は中里を信用できなかった。そもそも、警察官でありながらヤクザの金を奪おうというのだ。どう考えても、まともではない。
それに、この男は今までずっと本性を隠していた。軽薄な警察官という仮面を被り、浩市を騙してきた。いや、浩市のみならず北尾村の人間を騙していたのだ。
こいつは、いざとなれば平気で裏切る。おそらくは、五億すべてを自分のものにする計画なのだ。ならば、こんな男と手を組むことは出来ない。
だが、浩市の口からはこんな言葉が出ていた。
「わかりました。とりあえず、店が終わったらまた来てくれますか? 万一、あのヤクザたちにあなたと話してるところを見られたら、面倒なことになりますからね」
「了解」
そう言うと、中里はおどけた表情で敬礼してみせた。




