イワカン
店の営業時間が終わり、浩市はシャッターを閉める。
そのまま、真っ直ぐ家に帰った。
誠司は、珍しく家にいた。理恵子の話によれば、朝から二階の自室にこもっているらしい。
かつて浩市は、バカという人種は用もないのに出歩く習性がある……などという説を聞いたことがある。誠司は、まさにその説が当てはまるタイプだ。何か大事な用事を頼もうとした時には、九割方どこかに行っており見つからない。昔は、そんなことがよくあった。
ところが、今日は家にいてくれたのだ。誠司にしては上出来である。
浩市は二階に上がると、部屋のドアをノックする。同時に声をかけた。
「俺だ。今、大丈夫か?」
「ん? ああ、大丈夫だよ」
声が返ってきた。浩市はドアを開け入っていく。
殺風景な部屋だった。広さは六畳ほどで、ちゃぶ台ひとつと座布団に扇風機、それにタンスがあるだけだ。洒落た小物などは見当たらず、心なしか照明も暗い気がする。若者らしさがまるで感じられない。刑務所の独房を思わせる。
この部屋は、もともと誠司の自室として使われていた。数年前まで、彼はここで生活していたのだ。当時の室内は飾り立てられており、タバコの煙がもうもうとしていた。ヤクザ映画に出てくるチンピラの住処を、そのまま再現したような状態であった。
やがて誠司は家を飛び出したが、いつ帰って来てもいいように、部屋の物には何ひとつ手を付けずにいた。
ところが、その誠司が逮捕されてしまう。しかも、ワイドショーやネットニュースで実名を報道されてしまったのだ。
父は激怒し、奴とは親子の縁を切る……とまで言い出した。母の懇願により縁切りは避けられたものの、部屋にあった物は全て処分されてしまった。
浩市は、そのやり取りを直接は見ていない。母から伝え聞いただけである。だが、父が倒れ実家に戻った時、ガランとした誠司の部屋に少しばかりの寂しさを感じた。
もっとも、浩市の部屋も似たようなものである。実家を出た時は、葬式の時以外は帰らないつもりだった。家族との全てを断ち切るため、部屋にあったものを全て処分したのだ。
今の実家には、浩市にとっても誠司にとっても、幼い頃の思い出と呼べるようなものは残っていない。
誠司は、薄汚いジャージ姿で床に座っていた。その顔には覇気がなく、表情は暗い。この男でも、悩むことがあるらしい。ひょっとしたら、死体の始末の仕方について頭を悩ませているのか。
だが、今はそれよりも差し迫った問題がある。
「昼間、昼に高田とかいう奴が来たぞ。店に入ってきて、誠司くんいますか? って聞いてきた。お前の中学ん時の同級生だと言っていたし、俺のことも知っていたんだよ。お前の知り合いということで、間違いないな?」
「高田? う、うん、知ってるよ」
元気のない声だ。もっとも、この男が元気を発揮する場面は、基本的にろくでもないものばかりだった。バイクの暴走、喧嘩、窃盗、カツアゲ、そして強盗。他人が喜ぶようなことはほとんどやらず、他人に迷惑をかけることのみで目立っていた。
いっそ何もせず、ずっと家にこもっていて欲しいものだ……などと思いつつ、浩市はさらに尋ねる。
「どんな奴だ?」
「どんなって、そんなに悪い奴じゃないよ。うん、そんなに悪い奴じゃなかった」
そんなに、ということは、かつて悪事にかかわったことがありそうだ。先ほど顔を合わせた印象からして、コツコツと地味な仕事をしてきたタイプには見えなかった。そもそも、前科者の誠司の幼なじみであり、わざわざ会いに来るという時点で、一般人ではない気がする。
「てことは、お前みたいにあちこちで悪さしてた奴なのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
投げやりな態度で答えた。高田という人間には、全く関心がないように見える。旧友との再会ともなれば、何らかの感情の変化があるはずだ。にもかかわらず、誠司の表情は変わっていない。ということは、さして仲が良くないのか。
そんなことを思いつつ、誠司の様子を窺うが、彼は何も言わず床を見つめている。
浩市は、軽い違和感を覚えた。さっきから、誠司の様子が変だ。どうにも歯切れが悪い返事しか返ってきていない。しかも、こちらと目を合わせようともしないのだ。
何を考えているのだろう。さすがの浩市もイライラしてきたが、どうにか平静な態度を作り話を続ける。
「その高田って奴が、連絡をくれと言ってきた。これが連作先だそうだ。ここに置くぞ」
言いながら、浩市は託された紙切れを床に置く。だが、誠司はそちらを見ようともしない。その視線は、ずっと床に向けられたままだ。当然、視線の先には何もない。
こいつと暮らすのも、限界かもしれない……そんなことを思いつつも、出来るだけ静かな声で話を続ける。
「高田を、この家にも店にも近づけるなよ。出来るだけ遠ざけておけ」
「えっ、何で?」
聞いてきた誠司の表情は、先ほどから全く変わっていない。上の空、という態度である。
浩市は、思わず溜息を吐いた。誠司が、ここまでバカとは思わなかった。今の状況を何もわかっていないのか。あるいは、死体処理をどうするかで頭がいっぱいなのか……いや、それでも高田の存在が邪魔であることくらいはわかるだろう。
襟首を掴んで、罵詈雑言を浴びせたかった。しかし、その衝動をかろうじて堪える。
「今、この店と湖にはな、それぞれ不発弾が落ちてるような状態なんだよ。その辺の事情を何も知らない高田が、考えなしに踏み込んできたらどうなる? 何かの偶然で、爆発するかもしれねえんだ。それにな、片方の爆発により、もう片方も誘爆する可能性もある。そうなりゃ、全てがパーだよ。こんなこと、いちいち言うまでもないだろうが。だいたいな、不発弾が爆発したら、一番ヤバいのは俺じゃない。お前だ」
その時、誠司はようやく顔を上げた。今になって、己を取り巻く状況の危険さに気づいたらしい。こわばった表情で口を開く。
「んなこと言われてもな……俺は、どうすればいいの?」
「知らねえよ。適当なこと言っとけ。とにかく、高田に今この辺をうろつかれると迷惑だ。ああいう奴は、頼みもしねえのに、いろんなとこに首を突っ込みそうだからな。口で言っても無理そうなら、殴ってでも追い返せ」
そう、高田は呼びもしないのに現れた。誠司が前科者であると知りつつ、バイクに乗ってわざわざ家に訪ねてくる……この行動から察するに、高田もまた普通の人間とは異なる価値観の持ち主であることは間違いない。
都内ならともかく、北尾村のような田舎では、前科があると知られただけで村八分だ。
「わかったよ……」
誠司は、どこか納得いかない様子で答えた。
その顔を見ていて、浩市の胸に言いようのない不安が湧き上がってくる。思えば、最近身の回りで起きた出来事は、あまりにも異常だ。
発端は、誠司が父を死なせたところから始まっている。湖に未知の怪物が現れ、田山に秘密を知られた。そして今日は、誠司の友だちと称する得体の知れない男が訪ねてきた。
高田の存在が、また新たな災厄を呼び込むかもしれない。浩市は迷信深い方ではなかったが、ここまで異常事態が続くと、この家には呪いでもかかっているのではないか……という気すらしてくる。
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
浩市の願っていたことは……家族から離れ、平凡でもいいから静かな生活を送ることだった。大きな夢や野望など、抱いたこともない。
にもかかわらず、そんなささやかな願いすら叶っていない。それどころか、想像もしなかったことが次々と起きている。
これから、どうなってしまうのだろう。




