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「説明、してもらえる?ストックウィル女伯爵様?」
なぜわざわざ屋敷まで訪ねて来たのか。ナルシスはにやにやと近づいてくる。
コーディリアが思わず一歩下がると、彼女の前にさりげなくジルベルトとエリクが出た。
「誰、知り合い?」
「この方は、ナルシス・エンドガート様。アーレンシャール魔法部隊副隊長を務めていらっしゃる方です」
「魔法部隊……」
「……」
エリクがなんでそんな人物がここにいるのだろう、というような顔をした隣で、ジルベルトは思考を巡らせる。
「探してたんだよ、ジルベルト・ウォリナー。エリク・オドラン。君達が以前住んでた下宿の火事についての事情聴取要請を君達に送ったのに、返事が来なかったからね。調べてみたら住所もよくわからなくなってたし。そっちの君には、昨日話を聞いたね」
「しょ、職場まで来られましたから……」
ナルシスは火事にあった下宿に住んでいた3人を探していたようだ。ロイクからは話が聞けたが、他2人はストックウィル家に引っ越した関係で居場所がわからなくなっていたらしい。
「私はちゃんと受け取りましたよ。少し忙しかったことと、任意だったので先延ばしにしていたんです」
「わージル君さすが抜け目ない。私は登録してる連絡先までまだ手紙取りに行ってなかったからなー」
エリクは実家から逃亡するために知人の家を連絡先として残し、ストックウィル家に住んでいる。手紙などはその連絡先に届くのだ。昨日の今日ではまだ取りには行く暇はなかっただろう。
「そんな事情はどうでもいいけど、なんで火事事件の関係者が3人も領主の屋敷にいるのか、説明してもらえるんだろうね?」
「あ、それは……」
「私達が書生だからですよ」
「書生?」
困惑を浮かべるコーディリアとは違い、ジルベルトは穏やかに言った。
「ジルベルト様は医学生、エリク様は画学生。お2人共優秀な方でございます。ロイク様は豊富な知識を持ち、バーナード様は著名な小説家でございます。書生として領主であるコーディリア様がお預かりするのは、なんらおかしいことはございません。すべてはアーレンシャールの発展に繋がるのですから」
「ふーん。今の経済状況じゃ、書生を抱えるような余裕はないはずだけど」
セバスチャンがすらすらと事前に決めておいた設定を話す。ナルシスの訝しげな言葉にコーディリアはぎくりとした。まさにその通り。
書生は屋敷の部屋を提供する代わりに、屋敷内の仕事を引き受けたりする関係だ。つまり、書生側がお金を払う必要はない。そこに金銭関係が生じるのが下宿なのだ。
そして相変わらず、このナルシスという人間はこの時も爆弾を放り込んだ。レベルでいうと手榴弾レベルの言葉を。
「んじゃ、僕もここに住む」
「え?」
「は?」
「ん?」
「……」
ナルシスはまるでそれが当然だとでも言うように、腕を組んだ。
ちゅどーんと現実には起こっていない爆発が彼の後ろで弾けた気がする。
「優秀な人材を書生として抱えているんでしょ。なら、僕はその条件に合格してると思うんだよね」
「それは……」
「もし受け入れてもらえないなら、このこと世間に言いふらしてもいいわけだし」
脅してまでこの屋敷に住みたいというナルシスの目的とはなんだろうか。
燃えた下宿に住んでいた人間が3人いること。そして自分が疑われたことから考えれば、ここに住むというのは監視、もしくは観察の意があるのだろうか。
コーディリアは下宿人達をこれっぽっちも疑っていない。彼らはジルベルトが選んだ信頼できる人物だから。
そして現実に彼らに接して、犯罪に手を染めるような人達ではないといえる。
痛くない腹を探られる生活をするのか。それとも、彼には他の目的があるのか。
ナルシスを受け入れるのは構わない。魔法部隊副隊長というなら信用もできる。特にセバスチャンと仲もいいようだし。ただ、彼を受け入れて下宿人の人達が気まずく感じることがないか心配だ。
コーディリアはジルベルトを見上げた。
2人の内緒話を隠すように、セバスチャンが話しかけてナルシスの気を引き、さりげなく移動したエリクとロイク、バーナードと牛が彼の視界から隠す。
それぞれ違和感のない立ち位置。見事である。特に牛。
ジルベルトとコーディリアは声を潜めた
「ジルベルトさんはどう思われますか?」
「私が決めてもいいのですか?」
「我が屋敷に住んでいただく一番の条件は、あなたがいいと思われる方ですから」
その言葉に驚き、ジルベルトは微苦笑を浮かべた。
「では……」
ジルベルトの意見を聞き、コーディリアは頷く。そして顔を上げて声を張り上げた。
「ナルシス様がこのお屋敷に住んでいただくのは構いません。ですが、条件があります」
「へえ」
緊張する彼女とは対照的に、ナルシスは口角を釣り上げた。
「この屋敷に置いてくれるなら、毎月部屋代を払ってもいいよ」
「いいえ、あくまで書生ですので、このお屋敷の仕事を受け持っていただきます。もろもろの雑用と、そしてこの牛の世話を承諾していただけるのなら、認めましょう」
「牛……」
ジルベルトはナルシスのセリフやコーディリア達の言葉で事情をある程度把握していた。コーディリアが地方騎士団に呼ばれたことも、疑われたことも、自分達が疑われていることも、更には魔法部隊が出て来たことで精霊狩りの可能性まで辿り着いていた。
そんな彼が出した結論は、彼を書生の扱いで受け入れること。
精霊狩りが出てきた時点で、コーディリアは領主である限りこの件に関わらなければならない。どうせ関わるなら近くにいたほうがうまく連携できるだろうし、これから彼女が領主として構築しなければならない魔法部隊との関係を築く機会になりうる。
もし互いが確執を持ち、不和になったのならそのときに丁重にお引き取り願えばいい。
そしてナルシスには書生として、牛の世話や洗濯など、既に下宿人が行っていることを彼も同様に担ってもらう。部屋代はもらわない。
ただし、元の下宿人達はこれまで通りの契約で生活を続ける。下宿人達はそれぞれに事情があるのでこっそりと。
自分達をみていて好きなだけ疑えばいい。そのうち容疑は晴れるだろうし。むしろバーナードあたりに小説のネタとして詰め寄られる姿が目に浮かぶ。
ということだった。
「……。ま、いいけど。本当に部屋代とかいらないわけ?」
「あくまで私達は書生ですよ」
「……。はいはい、わかった。書生のフリしろってことか」
ナルシスはおそらくこの茶番の真相に気づいているだろう。だが、それを続けることが重要なのだ。
ジルベルトはナルシスの見下すような視線に気づきながら、それに穏やかな笑みで返した。
ナルシスの部屋はコーディリアの斜め向かいの部屋となった。なぜかその部分は彼がわがままを通したからだ。
領主の部屋は別にあるが、コーディリアは元の自分の部屋で休んでいるので、必然的に顔を合わせる機会が多くなる。
「そもそも、なんで大家が部屋を貸してる人間と同じ階にいるわけ?」
「領主の寝室はあるのですが、そちらは父の部屋という意識が強くて、ゆっくり休めないんです」
「ふーん」
コーディリアの説明に不満そうにナルシスは返したが、納得しているはずだ。なぜなら、彼は魔法部隊の寮の部屋から自分の寝具一式をもって来たからだ。
いつもと違う布団や枕だと眠れなくなるのは、彼も身に染みてよく知っているはずだからである。
しかしそれ以降、ナルシスが部屋から出て住人の前に姿を現すことはほとんどなかった。彼は部屋に閉じこもり、呼びかけても答えない日々が続く。
そして二週間後、今度は仕事で外に出かけると戻ってこなくなった。ちょうど梅雨の時期で長雨が降り、連絡もない長期不在にコーディリア達は不安になり慌てて魔法部隊にナルシスの安否確認の手紙を送ると、魔法部隊隊長からの謝罪と事情説明の丁寧な手紙と共に、風邪をひいて寝込んだナルシスごと送り返されてきた。
屋敷の中は予想外の高熱が出た病人にパニックになり、落ち着いていたセバスチャンとジルベルトが処置を施し、彼を部屋のベッドに押し込む。
そこで初めてナルシスの部屋に入ったコーディリアはその部屋の様相に気絶しそうになったが、ジルベルトの処置を隣で見守った。ついでにいうと、他の住人達もひっきりなしに見舞いに来ている。はたしてあれが、病人に安静をもたらす見舞いだったかは疑問が残るが。
濡らしたタオルを絞り、うなされるナルシスの額にあてる。
ジルベルトが学校に行っている間は、コーディリアが看病を受け持っていた。
最初は学校を休むと言ったジルベルトだが、コーディリアがそれを止めたのだ。ジルベルトにはできるだけ学業に力を入れてほしかったし、コーディリア自身もナルシスが気になり仕事に身が入らなかった。
とはいえ、ちゃんとセバスチャンと交代で仕事もこなしている。
本来の話、領主が領地経営をしなくてもいい。家宰と呼ばれる役職の人間がいれば、彼に代理を果たしてもらうものなのだ。ただ、その家宰を置きもせず遊びほうけていたのが元当主というだけの話。
コーディリアはいずれ家宰にセバスチャンを指名しようと考えているが、自分がそれ以前の状態なので、今必死に仕事を覚えている段階なのだ。
「うう……」
苦しそうにうめくナルシスのわきの下や首にも冷やしたタオルをあてながら、コーディリアはふと部屋全体を見回した。
壁には怪しげな紋様のタペストリーがかかり、不思議なガラスの道具が本棚に並べてある。元からその本棚に入っていた本は既に移動済みで、おそらくロイクの部屋にあるのだろう。
キラキラ光る、宝石でもガラスでもない滴の形をしたものがビンの中に浮かんでいるし、暖炉は改造されて黒い大鍋が置かれていた。
机の上は魔法関係の本や魔法部隊の資料があるし、反対の壁には地図が張り付けられて、ところどころ×が書き込まれている。
いつのまにやら持ち込まれていた杖置きには魔法使いの杖が三本立てられているし、まだ整理されていない荷物が箱から無造作に零れていた。
「こほっげほっ」
苦しいのだろうか。慌ててジルベルトに用意してもらった粉薬を吸い飲みのような器具に入れ、彼の口に差し込み吸ってもらう。かなり細かい粒子の薬は煙のように器具の中でまい、ナルシスはそれを吸い込んだ。
呼吸が楽になる薬だと聞いている。
魔法部隊隊長からの手紙では、ナルシスはここ最近起こる事件の調査や研究で引きこもり生活を続けていて、この屋敷に移り住んでもそれを継続していたらしい。そのうえ精霊狩りの件の捜査でいろいろ無理をしていたらしく、雨の降り続く町などを駆けずり回ったという。
それを止められず責任を感じているが、今はどうしても彼に割く時間がない。申し訳ないが、彼の世話をよろしく頼むといった内容が書かれていた。
もちろん。領主に対しての丁寧で、非常に婉曲な願いの書かれ方をしていたが、まとめればそういうことだ。
魔法使いは相対的に数が少ない。今回の精霊狩りの件はとてもややこしく複雑な事件のようだ。
「うっ……」
「ナルシスさん、お目覚めになられました?」
「……はぁ」
ゆっくりと目を開けるナルシスに、コーディリアが顔を覗き込む。しばらくぼんやりと彼女の顔をみていた彼だが、やがてそれがコーディリアだと認識すると飛び起きた。
「なっ、なんであんたがごほっごほっ!ここにっ!けほっ」
「まだ寝てなければダメですよ!熱が……」
オロオロと寝かせようとするコーディリアの腕を掴み、ナルシスは病人とは思えない力強さで引っ張った。
「ナルシスさっ!」
「勝手に僕の部屋に入るな!ごほっげほっ!」
「ナルシスさん!ダメです、まだ寝てないと!」
ベッドから体を引き摺り出て、ナルシスはコーディリアを引っ張り、ドアの外に突き飛ばした。
「きゃっ!」
「出てけっ!」
バタンとドアが閉まり、鍵のかかる音がする。ドアをしめる前にみたナルシスの顔はまだ真っ赤で、熱の高さを物語っていた。
コーディリアは途方に暮れて、座り込んでいた。
あー、たぶん怒ります。彼が。うん。ナルシス、がんばれ。




