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その次の日、ジルベルトはソレイユ医術学校から帰ると3人の男性を連れて来た。1人はエリク・オドラン。どこか飄々とした彼はジルベルトと同じところに下宿していて、焼け出された画学生だった。火事で下宿先を失い、ジルベルトに誘われてこの屋敷に来たかと思いきや、彼の事情はそんなに単純ではないようだった。
実はエリクの実家のオドラン家は元は商人の家ながら成功をおさめ、本人曰くとうとう貴族の位に引っかかる家にまでなったらしい。そこでエリクの父親は当然ながら長男であるエリクを跡取りに据えようと、貴族しか通えないパブリックスクールに通わせようとした。ところがエリク本人はというと、幼い頃から父親の取り扱う美術品などの商品に触れてきたからか、芸術の道に進みたいと思っていた。特に絵を描くことが楽しくて仕方なかったらしい。そこで父親に画家になりたいと訴えたが相手にされず、無理矢理パブリックスクールに通わせられそうになったという。
そこで彼が起こした行動は、パブリックスクールに行くと見せかけてリュミエール美術学校に入学。知人の家に連絡先だけ残し、あとは下宿先を転々としてオドラン家から逃げ続けているという。
だからこそストックウィル側から指定した条件を、彼は喜んで受け入れた。書生のフリをするのは目くらましになるだろうし、まさか両親も領主の家に下宿しているとは思わないだろう、ということである。一度この屋敷に入ってしまえば、おいそれと手出しできないという計算も含まれていると、当の本人がケロッとコーディリアに明かしていた。
ちなみに彼には弟がいるので、オドラン家は彼が継げばいいとエリクは思っているようだ。
もう1人はロイク・リオ。
少しびくびくしているところが気になる華奢な青年だった。彼は学生ではなく、アーレンシャールの古書店に勤めつつ、ソレイユ医術学校の図書館の司書も務める、自他ともに認める本の虫である。彼自身も多数の本を所蔵し、毎回置き場所に困っていたという。先日とうとう本の重みで床が抜け、下宿から追い出されたらしい。他の部屋を探そうにもアーレンシャール中の下宿から宿屋までブラックリストに名前が載ってしまったために行き場所がなかったというところに、ジルベルトに声をかけられたらしい。
一軒家を借りれば問題解決かもしれないが、残念なことに彼は本のこと以外はとんと無頓着で、食事だけでも誰かに世話をしてもらわないと不安な人物だと、エリクはため息をつきながら言った。
一度本に没頭しすぎて餓死寸前のところをジルベルトと2人で救出したことがあるらしい。それなのにロイクは人付き合いが苦手で、いつも人と話すときはびくびくと怯えた態度なので、人に世話をしてもらわなければならないのに、人が苦手という、なかなか複雑な事情を抱えている人物だった。本当かとジルベルトに視線をむけると、彼は苦笑しつつ頷いた。
ロイク自身はそれほど悪い人物ではなさそうだという印象を、コーディリアは受ける。エリクもまた同様だった。なかなかに厄介な事情を持っているが、他人を蔑にするような人物ではない。
2人からは画材をかなり多く持ち込むことと、本をたくさん持ち込むこと。両親からの捜索を避けるための軽い協力と、びくびくした態度をとるかもしれないことを許容してほしいと条件を言われたが、それは全く問題ないのでコーディリアは笑って受け入れた。
事情があるのはお互い様だ。
そして3人目。この人物は正確にはジルベルトの紹介ではなかった。彼の名をシルヴェスター・ゴールドスミス。
職業は小説家だそうで、これは筆名で、本名はバーナード・ヒスコックというらしい。周りの人は長い名前よりも単純に先生、と呼んでいるらしかった。
バーナードはジルベルト、エリク、ロイク達3人とも知り合いだった。更にいえば、セバスチャンとも知り合いだった。彼らが連れだって歩いているのを発見し、興味を持って後をつけてきたようだ。気づいたときには2人に紛れて玄関に立っていて、誰だと思う間もなくここに住むと宣言した。
彼が求めたのは、締切に書きかけの小説をむしり取っていく編集者から隠れられる隠れ家と、書くためのインスピレーションが浮かびそうな環境だった。そしてそれがぴったりと合致するのがこの屋敷だと、ここに住む、と訴えた。
下宿代の滞納をするような人物ではないし、変わっているが悪い人物ではないと、全員の見解が一致したことによって、彼もこの屋敷に下宿することになった。
新たな住人達を見回し、コーディリアは微笑む。
「あらためまして、この下宿の大家であるコーディリア・メイデ・ストックウィルと申します。厄介なこちらの事情を汲んでいただいてありがとうございます。慣れないことで至らない部分もあるかと思いますが、精一杯お役目を務めていきたいと思っております。これからよろしくお願いします」
「いやいやその分、こちらの複雑な事情も受け入れてもらってますから!お気になさらないでください!」
「……これから、よ、よ、よろしくお願いします!」
「うむ」
それぞれの2階の部屋にむかう彼らをみて、セバスチャンはぼそりと呟いた。
「なかなか個性的な方々ですね」
「ええ。うまくやっていけるか不安だけど、でも楽しみだわ」
コーディリアは楽しそうに、彼らに部屋を案内するために追いかけた。
次の日、コーディリアは早朝4時に起きだし、ドレスに着替えた。本来はもっと遅くてもいいのだが、慣れない仕事をするために早めに仕度をする。
最初に行く場所は厨房だ。
これからこの厨房は、コーディリアの城となる。まがりなりにも貴族の屋敷の厨房は数日前まで、20人程のコックを筆頭とする料理人とキッチンメイド達によって運営されていた。養う人間は少なくなったとはいえ、この規模の厨房をコーディリア1人で切り盛りするのは無理がある。だが、そこはなんとか折り合いをつけなければならない。
貴族の屋敷の中の組織図は、大きく分けて3つに分類できた。主に屋敷の主人の世話をする執事を筆頭とする男性使用人部門。女主人の世話をする女性使用人部門。そして晩餐会や日々の食事関係を担当する料理人部門だ。だから厨房は独立した部門といえる。つまり、20人で1日中厨房関係の仕事をし続けられるほどの仕事量があるということだった。家人の数が減ったので、今はそれほどではないかもしれないが。
亡くなった母親の采配により一通り家事ができるよう教育されたコーディリアは、それら全ての仕事を浅くだが知っている。
ストックウィル家にはカマドとコンロが2つある。カマドは主にパンを焼き、コンロは煮込み料理や炒め物に使う。コンロとは香菜が使っていたガスコンロとは違い、灰の中に三脚のような金属製の鍋置きがおいてあるものだ。鍋置きではなくごとく、といってもいいかもしれない。全体的には高さのある囲炉裏のようなものだ。
加熱器具のある場所にはもちろん煙と煤が生じる。それを外に逃がす煙突があるわけだが、それなりにまめに掃除しなければ詰まってしまう。今までは専門の業者に頼んでいたが、これからは言わずもがな。
少しすれば皆が起きだすだろう。目覚めの一杯のための湯をコンロで沸かす。次にカマドに火を入れ、しばらくしたあとは硬くなったパンを切り、温めなおす予定だ。
火にかけたやかんをみつめながら茶葉の入った缶の蓋を開けると、慣れ親しんだ紅茶の香りが漂う。
今までコーディリアはこの屋敷の女主人として毎朝焼き立てのパンを食べていた。だが、これからも料理人が毎朝仕込みをしてパンを焼くという同じことを続けることは時間的にも余力的にも難しい。領民達は毎朝パンを作ったり買ったりするようなことはせず、硬くなったパンはスープに浸して食べるのが一般的だ。それを知ったコーディリアはこれからはそのようにしようと考えたが、そこでふと前世の記憶を思い出した。
毎朝食パンをトースターで焼いたという記憶。
つまり、硬いパンでも温めれば柔らかくなる。そのことに思い至った彼女はカマドでパンを温め直す、もしくは水を入れて蒸し焼きにする方法を試すことにした。
目標は焦げ目がつくまで焼くか、柔らかさを取り戻す水加減を探ること。とはいえ、カマドが温まるまで時間がかかるので、その間洗濯室に入る。風通しのいいその部屋は、一面白い壁で、井戸から水を汲んで洗濯する。ここでも本来は毎日服だけではなくシーツを洗わなければならないが、とてもではないが彼女1人ではできない。元々の契約で洗濯は各自で行うことになっているので、いずれこの洗濯室が活躍するだろう。
今洗濯するのは彼女の衣類だ。さすがに男性の手で洗われるのは気恥ずかしさを覚えるので、きっちりと自分の手で洗う。
再び厨房に戻るところで、セバスチャンと会った。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、セバスチャン」
「掃除は私にお任せください」
「ええ、たのむわね」
掃除は毎日午前中に行う。いつ来客があるかわからないからだ。前はメイド達がコーディリアが目覚める前にしていた仕事だった。今は、セバスチャンが担当してくれている。
朝食とお弁当を用意し、眠そうな人もいる中起きだした下宿人達に紅茶を配った。夕食時とは違う、朝食室という部屋にそれぞれ集まって座る。
昨夜作った野菜スープと、ベーコンエッグとパン。今日はそんな朝食を用意した。カリッと焼いたベーコンの香ばしさと、スープの柔らかな匂いが寝起きの頭に優しい食欲を刺激する。
だが、誰もフォークに手をつけようとせず、じっとコーネリアをみつめた。
「え、えっと……」
「どうぞ、コーディリアさんも座ってください。あなたを差し置いて食べるのは、心苦しいですから」
「あ!ごめんなさい」
いくら下宿の大家と言っても、貴族の身分であるコーディリアを差し置いて食事をするのは確かに彼らにとって厳しいだろう。その遠慮を少し寂しく思うが、本来は一緒に食べましょうと、平民である彼らから言うのも憚られること。
コーディリアの気持ちを察して言葉にしてくれたジルベルトに内心お礼を言いつつ、コーディリアも席につき、それと共にセバスチャンも席に着いた。
「それでは、朝の神の慈悲に感謝を」
「「「「慈悲に感謝を」」」」
いただきます、の代わりに神に祈りを捧げ、私達は楽しい朝食を始めた。
「うわぁ。パンが柔らかい、温かい!」
「お口に合うといいんですが」
「いいえ、とても美味しいですよ」
「贅沢……ですね」
「うむ。味もなかなか」
それらの感想にほっとする。温めると味は普通でも美味しく感じるというごまかしを行った気はするけれど、美味しいと感じてくれることは素直に嬉しい。
そのとき、誰かの来訪を告げる鐘がなった。
「失礼いたします」
セバスチャンがすっと来訪者を確認に行く。しばらくして戻ってきたセバスチャンはコーディリアに耳打ちし、手紙を渡す。それをちらりとみて、コーディリアはなんでもないと、朝食を食べる面々に笑った。
「あの、お弁当をご用意しました。よろしければお持ちください」
「え、お弁当?!」
小さなバスケットにサンドイッチを詰め込み、彼らに渡す。
「わざわざ、ありがとうございます」
「いえ、余計なことかもしれませんが、お弁当を作って渡す下宿屋さんもあるとお聞きしたので」
コーディリアが笑うと、彼らは驚きと共にそれぞれ感謝を述べてくれる。
足取り軽く学校へ行く彼らを見送り、また心配そうに振り返るジルベルトも見送って、屋敷にはバーナードとセバスチャン、コーディリアだけになる。
「先生、お昼から出かける用事ができました。お屋敷に1人にしてしまうことになります。申し訳ありません」
「いやいや気にしないでくれたまえ。そうだな。私も外に出かけるとしよう」
「……そうしてくださると助かります」
領主の館に1人の人間を残すことはできるだけ避けたいこちらの気持ちを汲んでくれたようだ。バーナードも弁当を持って出て行った。
コーディリアが握った手紙には、地方騎士団からの捜査協力への感謝と、昼ごろ迎えに来るという先触れが書いてあった。




