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下宿屋の方向性も定まり、そのあとは医術学校に行くジルベルトを見送って、執務室で山になりかけの書類を処理しつつセバスチャンに教えを受けて1日の大半をコーディリアは過ごした。
書類が山になりかけというのは偏にコーディリアの処理が遅いからだ。セバスチャンはコーディリアにそれら書類の処理方法を教えながら、またコーディリアの仕事を不備がないか確認しつつ、彼女よりも数倍の量の書類を処理していた。
そのうえさらに屋敷の手入れに手を出そうとしていた彼を、コーディリアは必死に止めた。このままではセバスチャンが倒れてしまうと思ったからだ。
セバスチャンは苦笑して大丈夫だと言ったが、当主権限を行使して止めた。
正しい権力の使い方である。
「昨日の火事の調査、あまり進んでいないようね」
「……そうでございますね」
アーレンシャールを治める領主は現在コーディリアだ。だが治安維持や調査、防衛などの実働部隊は地方騎士団、及び魔法部隊が担っている。
一応彼らは領主に従う下部機関という形になってはいるが、残念ながらアーレンシャールのかの二部隊は独立性が強く、コーディリアにとってはどのように手を出したらいいのかわからない部隊だった。
地方騎士団というだけあって、騎士自体はアーレンシャールの領民から募っている部分はあるものの、その隊長達は王都から派遣された者達だ。領主に従うと言うよりも、王家に従うといった色が強い。特に、元当主は仕事の一切を彼らに丸投げしていたので、当然のことだろう。
ストックウィル家への信用のなさが透けて見える。
コーディリアはそのことに気づいているのかいないのか。しかし良くは思われていないのだろうな、と彼女の手にある紙をみて思っていた。
「当主への事情聴取の呼び出し状なのだけど、これってやっぱり侮られてるのよね?」
「おそらくは」
コーディリアはあの火事の現場にいて、更に燃える中飛び込んで生還した、いわば重要な目撃者だ。事情聴取に地方騎士団に呼び出されるのは当然のことだろう。
しかし、いくら当主と公表されていないとはいえ、時候の挨拶もなく乱暴な呼び出しの文面と、使者を寄越すでもなく不躾に送りつけられたその書面には、コーディリアも苦笑してしまった。
正式には、向こうから出向くべきである。
箱入り娘とはいえ、貴族として教育されてきた。そして数少ないとはいえ、社交界にも出て、父親のことに関する嘲笑や皮肉に耐えてきた彼女は、悪意には敏感だった。
そして他人への思いやりを持つ感受性豊かな彼女は、それらのことからいろんな気持ちを察してしまう。
ーーー試されている。
それは察せられるけど、果たしてそれに対してどのように行動したらいいかわからない。
かといって、先延ばしにすればするだけ、見切りをつけられるということだ。
セバスチャンは、彼女が今あるものの中でどのように対処するのか、じっとみつめていた。
学校から帰ったジルベルトを迎え、3人で夕食を食べた。本当は使用人であるセバスチャンは主であるコーディリアと同じ食卓を囲むことはないうえに、身分差を気にしてジルベルトも共に食事をとることを渋った。しかし、悲しそうで酷く沈んだ面持ちの彼女に結局2人は折れた。
彼らはコーディリアに甘い。
これまで父親と共に食事をするなど遠く幼い頃の微かな記憶しかなく、母親は病弱ゆえに共に食事をとることも少なかったコーディリアは、香菜が夕食を家族と食べる記憶に憧れを抱いていた。
誰かと共に食事をするのは彼女の悲願であったのだ。
食事を終えて夕闇は深まり、それぞれの部屋に戻ってくつろぎの時間が訪れた。とはいえ、おそらくセバスチャンはまだ仕事をしているだろう。
コーディリアは、カーディガンを羽織り庭に出た。
空を見上げれば、柔らかい月が庭を照らし、充分先を見通せる。
「でも、やっぱり月明かりでは文字は読めないわよね」
ぼそっと呟いて、コーディリアは内心で自嘲した。なんて馬鹿な考えだろう、と。こういうことを考えるのは、香菜のほうだったはずだ。そんな近くて遠い存在の彼女が嫌いではない。
コーディリアはただ、夜になにかできることはないかと、考えていただけだった。
なにをするにも明かりが必要だ。質素倹約を心がけなければならない現在、費用のかかる蝋燭を使うことは避けたい。魔法道具の魔力灯も同じ理由だ。ゆえに夜に書類仕事はできない。早く領主としての仕事に慣れたいが、あまり一気に進めれば1つ1つの仕事がおろそかになるからと、セバスチャンは一定量の仕事しか彼女に渡さなかった。とはいえ、こういうことはこなさなければ身につかない。
2つのジレンマに悶えることに見切りをつけたあとの無駄な足掻きの考えが、月明かりで書面がよめないか、という呟きに繋がる。
要するに、夜になにかできる仕事はないか、ということだった。
明かりを使わずできることは限られる。庭仕事は危険だから絶対に止められるだろう。夜闇ではなにが飛び出すかわからないからだ。かといって馬の世話も、肝心の馬はこの時間眠っている。
あとは……洗濯くらいだろうか。前世の記憶の中にあるように、センタクキというものがあれば助かるのに、とコーディリアが苦笑したとき、背後からさくっと草を踏む音がした。
「こんな夜中に、なにをしておられるんですか」
「あ……」
ジルベルトが、なんともいえない表情で立っていた。
「お休みにはなれませんでしたか?」
「いえ、そうではなくて。ふと外をみると月が綺麗で、外に出てみたらあなたをみつけたんです」
「そうでしたか。本当に今日は月が綺麗ですね」
2人で空を見上げる。
「たまたまこちら側に出てきましたが、ここが庭だったんですね」
「はい。ここは花壇で、この先には噴水があります。あちら側には梨の木があって、その隣に、サクラがあるんです」
「サクラ?」
「はい。……少し、そこまで行ってみませんか?」
ジルベルトが頷くのを見届けてから、コーディリアはとある木の下まで歩いていく。そこは少しだけ小高い丘のようになっていた。
「この木がサクラですか。初めて見ました」
「はい」
桜の木は未だに花をつけ、咲き誇っていた。薄紅の可憐な花弁が、柔らかい月明かりの中をひらひらと舞い落ちる。
「美しい、ですね」
ジルベルトが眩しそうに目を細めて、コーディリアをみていた。花弁舞う中で月に照らされる少女は美しい。
けれどコーディリアはそれに気づかず、彼が桜を気に入ったのだと喜んでいた。
「この木は、名をもたない不思議な木なのです」
「新種の木ということですか?」
「はい、少し前までこの庭の世話をしていた庭師はとても植物に詳しかったのですが、この木は知らないと。だから、幼い頃にこの木にサクラと、私が名づけたんです」
小さい頃は、どうしてその名を思いついたのかわからなかった。けれど、彼女の母、ローゼリアが亡くなった時にその理由に気づく。
その花の名を、前世の記憶で何度もみた、毎年春に美しい花を咲かせる木を思い出したのだ。
ふと振り返って、ジルベルトに視線を合わせる。ジルベルトは黒髪を風に遊ばせていた。その色に懐かしくなり、彼の薄茶の瞳にすべて見透かされたような心地になる。
たまらずに、ずっと言おうか迷っていたことが、口から零れた。
「あそこに、東屋があるのがみえますか?」
「はい。うっすらとですがみえますね」
「野薔薇に彩られた東屋で、病弱な私の母のお気に入りでした」
「お母様、ですか」
「はい。2年前に亡くなりましたが」
「それは……、お辛かったでしょう」
「そうですね。あのときは毎日泣いて、使用人達には随分と心配をかけました。食事も喉を通らず、寝込んでしまいましたから」
「無理もないでしょう」
本当は、寝込んだ理由は前世の記憶を取り戻したからだ。急に頭の中に詰め込まれた、1人の人間の18年分の記憶に、頭が耐えられなかったのだろう。だが、その記憶のおかげでコーディリアは立ち直ることができた。
前田香菜という存在が、香菜の家族に香菜が愛されていたという記憶が、人のぬくもりをコーディリアに思い出させたから。
「父は私が生まれた時からアーレンシャールの領主をしていて、私の中のストックウィル家の当主の姿というのは、父の姿でした。あの人は本当に困った人で、問題ばかり起こす人で。貴族でありながら、周りの目も気にせず女性の元に通い、気に入った人物がいればその人がどんなに怪しくても屋敷に住まわせ、賭け事にハマって散財するような人でした。領内で問題が起きても知らぬ顔でセバスチャンに処理を押し付け、遠くまで旅行にでかけて、少数民族のお面やまじない、毒花の種や動物を土産に持って帰るような人でした。いつでも、自分探しをしている人でした」
「自分探し……ですか」
「父曰く、ですが」
今までずっと冷静だったジルベルトでさえも戸惑わせる父親の奇行にコーディリアは苦笑する。でも少し、戸惑う彼の表情がみれて得した気分でもあった。
「でも母は、そんな父に呆れながらも、許していたんです。父は、男子を産めなかった母を責めなかったから」
「……」
普通貴族は男児に家を継がせるものだ。男を産めない女性は、非難されるのが世の常である。
「でも父は、母が亡くなったとき、帰ってこなかった。お葬式の日にも。父が戻ったのは、母が亡くなってから3か月後のことでした。帰った父の顔を見た瞬間、私は母が考え違いをしていたことにようやく気付いたんです。父は母を責めなかったんじゃない。どうでもよかったのだと。母が男を産もうが女を産もうが、どうでもよかったのだと。そのとき私の胸に湧いたのは、怒りではなく諦めでした」
母が亡くなったそのときから、自分の家族はいなくなった。コーディリアはそう考えた。では自分は一体なんのために生きているのかと、それもわからなくなった。
「そして2か月前、父が姿を消しました」
「ご不在ではなく?」
「はい。行方知れずです」
ジルベルトの目が険しくなる。
でもコーディリアはそんな顔はしないで、と思った。そんな心配するに値するような人ではないと。
「捜索は未だに続けています。ですが、これに近いことは今まで何度もあったので、正直なんとも思いません。姿を消した理由も明らかです」
「借金……ですか」
「はい。自分の身だけではどうにもならないところまでいったのでしょう。我が家の宝飾品は気づかぬうちに消えていましたし、ストックウィル家固有の資産、貯金も全て消えていました。アーレンシャールの経営費に手を出されなかったことが唯一の救いです」
「……」
「父のことは心配していません。今まで通り好きにすればいいのです。……こんな私を、軽蔑なさいますか?」
「……いいえ」
ジルベルトは目を伏せた。
「あなたが強い女性だということを、改めて認識しました」
「え?」
「あなたを軽蔑することは、決してありません」
きっぱりした答えに、知らずに入れていた肩の力を抜く。
コーディリアは、ジルベルトに軽蔑されるのが怖かったのだ。
「そして、こういうことは誤解を招くかもしれませんが、話していただけて嬉しかったです」
「……。すみません。愚痴のようなものを聞かせてしまいました」
「いいえ。おかげでいろんな疑問が解消されました」
胸のなかでやはり、と呟きを落とした。
質屋での姿や、取り立て屋とのやりとりを見られている。きっといろんな憶測と疑問が渦巻いていただろうに、彼はなにも聞かなかった。だからこそ、その優しさに対して誠実でありたいと願った。こんな重くみっともない話をするのは気が引けたが、ずっと疑問を抱えさせ続けるのは不義理だと考え、コーディリアはこれまでのことを語る。
しかし、少し愚痴を言いたい気分だっただけなのかもしれない。
「先ほどの答えですが」
「はい」
こんな夜中に何をしているのか、への答えだ。
「私は考えごとをしていました」
「考え事、ですか」
「つらつらと、お遊びのようなことを考えていました。ですが、本当は別のことを考えるために、向き合うためにここに来たんです」
「……」
ジルベルトはじっとコーディリアをみつめた。コーディリアは少しそわそわと、髪を手櫛で髪を整える。次回からはどんな時でも髪を櫛でちゃんと梳いてから外に出ようと、心に刻んだ。
「私は、コーディリア・メイデ・ストックウィル女伯爵です。もう、ただのコーディリアではなくなってしまいました」
「はい」
「役目を与えられたことは、嬉しく思います。元々私は自分のやりたいことなど持っていませんでしたから、求められることがあるのなら、応えたいと思うのです。ですが、このお役目はあまりにも多くの人に関わることです。数千人の領民達、私に仕える者達。この国の人々、それを統べる方々」
「そうですね。あなたはこの土地を治めている。王と民の中間の存在として」
「はい。ストックウィルの名を、背負うことになりました。心の準備もなく突然に。だから、伯爵となった自分と向き合わなくてはと思いました。今までは、他のことに集中していて、考える時間がなかった。いえ、考えることから逃げていたんです。でも……」
コーディリアはジルベルトをみつめ返した。
「私は、ちゃんと役割を果たせるでしょうか。私の中には、確実に父の血が流れています。覚悟もなく、なにもできない小娘であると自覚しています。民として、今あなたの目の前にいる女は、どうみえますか」
今のコーディリアは代理だ。父が明日にでも戻ってくれば、彼女の役目は終わる。そもそも貴族の家は男が継ぐもので、女が継いでもそれは少しの間の中継ぎだと思われる。その場合、すぐに結婚するか養子を迎えるのだ。
だが、今のところそんなつもりも予定もコーディリアはない。
ただ自分になにができるのか、どこまでできるのか。それを知るために客観的な出発点を知りたかったのだ。
「こう言えばあなたの望む答えではないかもしれませんが……」
コーディリアは身構える。なにを言われても受け止める心づもりで。
「相応しくあろうとするから、相応しい存在になるんです」
「え?」
予想外の言葉に、コーディリアは驚く。
「……少し昔話になるのですが。私も昔、家を背負う立場になったことがあります」
「え?」
「もちろん、あなたのような貴族の家柄というわけではありませんし、あなたと比べるべくもない。そんな家の話です。私は貧しい平民の家で、少しだけ頭のいい子供だと近所では言われていました。学校には通えなかったので、教会で神父様に教えてもらい、独学で勉強していたんです」
「それは、とてもすごいことですね」
「そんなことはありませんよ。私くらいの人間はそこら中にいます。本当にね。それで頭のいい子供がいると聞いたとある方が、私を養子に欲しいという申し出があったのです。その家が、代々医者をやる家系でした」
「まぁ……」
医者というのは、香菜の世界のような社会的地位の高い職業ではない。いや、社会的地位は高いが、その理由は医学を修める者ということではない。
この世界は、魔法が普通に存在する世界だ。魔力を持って生まれる人間はほぼ魔法使いになるし、彼らから生み出され提供される魔力によってこの社会は回っている。日本における電気のような存在が魔力だった。
もちろん日本ほど技術が発展しているわけではないので、それほど便利なものというわけではないが、火をつけるのも物を動かすにも魔力を使う。
それと同時に、怪我や病気も魔法で治す。癒しの魔法を使う者を慰者といい、彼らは主に魔法屋という店を営んでいる。質屋の主人が身重の妻のために魔法屋に行ったと言っていたが、それは魔法屋が診療所のようなもので、出産のために入院していたからだ。
魔法で全て治るのなら、医学はいらないのではないか。世の中にはそう考える人間が大半だ。そもそも医学という学問を認識していない人間も多い。
それでも医者は珍重される。それは医学を求めてのことではなく、彼らの魔法への知識の高さゆえだった。
コーディリアは前世の記憶の影響からか、医者はすごい人だという感覚が抜けない。医学を修めているだけで、それは立派なのだと思ってしまう。陳腐な表現だが、紛うことなき本心だった。
それはさておき、コーディリアが驚いた理由は、そんな社会からの認識で言われる医者の、家系というものが存在することに驚いたのだ。
「勉強は嫌いではなかったですし、私が減れば私の家の家計は少し楽になると思い、私はその申し出を受けました」
「ご兄弟がおられるのですか?」
「はい、5人程」
「そうだったのですね」
ジルベルトが優しくあり、その懐の深さは兄弟がいるからかもしれない。
「その家はルーデンというのですが、養母が私を可愛がってくれまして、ずっとその家を継ぐつもりでいました。ところがその養母が亡くなり、養父が新しく妻を迎えて、2人の間に子供が生まれたんです」
「それは……」
「養父に、養子を解消したい。学校には通わせてやるから家を出ていけ、と言われまして」
「ひどい……!」
「養母からは、養父には医学だけ学べと。他は反面教師にしなさいと言われていました」
「聡明な方だったのですね」
「そう、だったんでしょうね。あの火事で焼けた本は、養母からもらった本だったんです」
「え!」
コーディリアははっと口を押えた。
「それは、軽率なことをいたしました」
「え?」
「医学書をさしあげるなど……。その本の代わりにはとてもならないのに……」
「いえ、あのとき言っことのは本心ですよ。幸運だったのだと」
「……」
「ただ、養子を解消されて、自分がなんのために勉強しているのかわからなくなりました」
それは、コーディリアもとても覚えのある感覚だった。状況は違うが、似た気持ちなのかもしれない。
「それまでは医学を学んでいても、面白味も意味も見いだせなかった。魔法があるのだから問題ないではないか、と。医学を学んでいても、結局求められるのは魔法の知識ではないかと。ですが、アーレンシャールに来て、ソレイユ医術学校に来て、なぜ医学を学びつつも魔法を学ぶのか、その理由を知ったんです」
「理由?」
「医学を提唱した人物、クラウス・ルーデンは、魔法を目の仇にする人物だったそうです」
「ルーデン……」
「はい」
ジルベルトは楽しそうに笑う。
「彼は魔法を否定していた。というよりは、魔法ばかりに頼ることを否定していた。魔力は魔力を持って生まれてくる者がいなければその恩恵を受けることはできない。もし魔力を持つ者が減れば、抗争が起きかねない、魔法がなくなれば、私達はただ滅びゆくだけになる、と。ならばそれに代わる技術を育てなければならない。魔法の真価はその利便性にあるが、なにより命に関わることから優先して代用を探すべきだ。その考えのもと生まれたのが医学です。
そして、医学を追求するならばその対極にあるものも追究しなければならない。敵を知らずして己を知ることはできない。また、敵を知り己を知れば百戦危うからず!と言ったそうで」
「百戦……」
「まるで戦いに向かうような話ですよね。でもきっと、彼は戦う気概だったと思います。魔法という根付いたものに対して、医学という新たな学問を打ち立てた。彼にとって魔法はライバルだったんでしょうね。好敵手として認め、医学を高めるための」
「圧倒される考え方をされる方ですね」
「私もそう思いました。今の医学は彼のその考えを汲んでいるんです。だから医学と同時に魔法も学ぶ。魔力を使うものと、薬や刃物を使うもの。全く違いますが、でも逆に通じあうものもあっておもしろい」
「おもしろいと、思われたんですね」
「はい」
ジルベルトは自分の拳をみつめる。
「なんのために学ぶのか。それは私が医者でありたいからです。医者を目指しているんです。そして私は医術学校で学びつつも、クラウスの医術に、受け継がれたあの家で触れることができた。それは、私にとって大きな意味です」
だから、と彼は続ける。
「私は医者ではありません。今の私程度の医者は世の中にそれなりにいます。患者に触れる機会も多くあります。ですが、私はちゃんとした医者になりたい。魔法の知識ではなく、私の医術を必要とされる医者に。人のためにある医者に。そうなれるように、努力するからそんな医者になれるんです。クラウス・ルーデンが、魔法に変代わる命を救う技術を形にしたい、と努力したからこそ、医学という学問がここまでこれたように」
「……」
「あなたは、私が医学生だと名乗ったとき、医術を学んでいる、と言ってくれた」
「は、はい」
「それが、私にとってはとても嬉しかった」
ジルベルトの微笑みに、コーディリアは頬を染める。
「魔法を学んでいるのではなく、医術を学んでいると言っていただけたことが、嬉しかったんです」
「……」
ジルベルトはコーディリアの手に触れようとして、しかしそれを押さえる。
「これまで、よく耐えてこられましたね。本当に、そう思いますよ」
いたわりの込められたその言葉に、コーディリアは泣きたくなる。
「だけど、あなたが今欲していたのはいたわりではありませんよね」
まだ16歳だと、ジルベルトは思う。まだ子供だ。そしてそれを本人は自覚し、子供のままではダメだと、現実をつきつけてくれと、コーディリアは乞うていたのだと。だけど、半分しかその望みを叶えてはあげられない。なぜならジルベルトにとって彼女は既に、彼女が望む無能で、無力な少女ではないからだ。
「あなたにとってはきっと、なにげない一言でも、それは私の心を軽くしてくれた。今現在のあなたは人に影響を与えることのできる人です。伯爵家当主と領主の重圧はあなたを不安にさせるでしょう。けれど、それに真摯に向き合おうとする、逃げない心があなたにはある。悩んでいる時点で、あなたは領主にふさわしい人間になろうとしている。
だから、大丈夫です。
私にできることは少ないですが、あなたが困っていたら助けます。必ず。きっとセバスチャンさんもそうでしょう。あなたがあなたでいる限り、助けてくれる人はいます。だから、思うとおりにがんばってください。最初から領主に相応しい人などほとんどいない。領主であろうとするから、あなたは領主なんです」
どんなに引け目を感じていても、頑張っていいのだと。頑張ることは辛い。苦しい。怖い。恐い。でも、今まで期待もされず、がんばるものを持たなかった者にとっては、それは背を押される言葉。
コーディリアは、うずくまった。涙を流したのは、母が亡くなったとき以来だろうか。
ジルベルトは尋ねた。
「あなたが望む領主は、どんな人ですか」
と。
めちゃめちゃ長くなってすみません。




