040 謎の女性
「ふふ、どうその身体は? 気に入ってもらえたかしら」
ヅラいじりに没頭している俺の目の前に現れた一人の女。
ところどころ肌を露出しているが、白銀の鎧に身を固めている。
あれか。レイヤーさんってやつか。
「悪い。今忙しいんだ」
俺は女を無視し再びヅラをいじり始める。
「こ、この私を無視するなんて……。いい度胸しているわね、貴方」
怒りに声を震わせた女は俺の前へと歩み出る。
そして右手を伸ばし――。
「あっ! やめて! 俺のヅラ返して!」
「返して欲しくば私の話を聞きなさい」
「聞く! 聞くから! だから返してー!」
駄々をこねる俺に満足したのか。
それともハゲヅラを持っていたくなかったのか。
女はそれを乱暴に俺に投げつけ、俺は必死の思いでそれをキャッチする。
「……どこかで設定を間違えたのかしら。こんなにハゲヅラに固執するようなデータは無かったはずなんだけど」
女がブツブツと呟いているが、俺はヅラの無事さえ確認できればそれでいい。
今度は取り上げられないようにしっかりと頭に装着しておこう。
「で? 話ってなんだ」
ヅラの位置を微調整しながら俺は女に問う。
「――桂いさむ。都内の大学に通う21歳の青年。成績は良くもなく悪くもない。彼女いない歴イコール年齢」
「な、なぜそのことをっ!」
「姉妹大学である女子大に通う佐塚真奈美とは幼馴染で、友達以上恋人未満の関係……ね。ふーん、いちおうお相手はいるにはいるのね」
「ま、真奈美は関係ないだろっ!」
急に幼馴染の名前を出され焦ってしまう。
ついさっき、この《TSO》にログインする直前まで彼女と喧嘩をしていたわけなのだが――。
いや、それよりもこれは……個人情報の漏えい?
「貴方、どうしてそんな格好になってしまったのか知りたくない?」
妖艶な笑みを零した女は、そっと人差し指を俺の頬っぽいところに当てる。
あれだ。小悪魔的な感じで『つつー』ってやるあれだ。
「やだ! ベトベトしてる!」
慌てて指を放し、その辺の草で拭き取った女。
なんか、すごく汚らしいものを触っちゃったみたいな顔をしているし。
うん。
「……こほん。その顔は知りたいっていう顔ね。じゃあ教えてあげるわ」
俺が何も答えないので女は先を続けるようだ。
後ろを向いた女はさも重要な話を始めるかのような表情で天を仰ぎ、そして再び口を開いた。
「貴方をその姿に変えたのは、この私よ」
「へー」
「……そして、ログアウトが出来ないように仕向けたのも、私」
「へー」
「……」
俺の返事に満足がいかないのか。
天を仰いでいた女は表情を変え、俺を睨み始めた。
「ハゲヅラ、割るわよ」
「ヅラだけはやめて!」
咄嗟にヅラを押さえた俺は、女から一歩後ずさった。
その姿に満足したのか、女は表情を戻し先を続けた。
「貴方、工学部に所属しているんでしょう? それもあの有名な教授の研究室に」
「教授……? ああ、大野教授のことか」
大野昭之助。
テレビ番組のコメンテーターとしても活躍している、大学でも有名な教授だ。
俺はその教授の研究室に配属された、卒論メンバーというわけなんだけど。
「あの先生にはちょっとした『貸し』があってね。それを代わりに貴方に返してもらおうと思って」
「ちょっと待てよ! なんで俺やねん!」
「理由は今、話したでしょう。貴方があの教授の教え子だからよ」
「それだけ!? それだけの理由!?」
「理由なんてそれで十分でしょう。貴方は大野教授の代わりに、私の言うことを聞かなければならない。私が求めているもの――それは『最強の剣』よ」
女はキメ顔でそう言った。
俺は聞き間違えたのかと思い、もう一度女が繰り返すのを待った。
「……私が求めているものは『最強の剣』よ」
先ほどよりも少しだけ小さな声で繰り返した女。
今度はキメ顔というよりも、ちょっと恥ずかしそうに下を向いたまま繰り返した。
「ええと、つまり、どういうこと?」
「最強の剣を作れって言っているのよ! 貴方説明書くらい読んできたんでしょう! 鍛冶師に弟子入りして鍛冶職のJOBに就いて私のために最強の剣を作れっつってんのよ!」
顔を真っ赤にして一気にまくし立てた女。
これ以上彼女を刺激してはマズい。
命よりも大切なヅラを割られてしまうかもしれない。
「わ、分かった。剣を作ればいいんだな? 最強って……最強?」
「最強」
「ちょっとだけ最強より劣るけど、切れ味は抜群で見た目も恰好いいのとか――」
「最強」
……これはマジな目だ。
つまり、このTSOの世界で最強の剣を作り上げなければ、ログアウトをさせてもらえないという話らしい。
いや、それならまだマシだが、このヅラを取り上げられてしまう可能性もある。
それだけは何があっても阻止しなくてはならない。
「期間は?」
「特にないわ。どれくらい時間がかかっても構わない。だってこの世界の1年は現実世界ではたったの1日ですもの。私が外の世界で一週間待っていれば、貴方は7年もこの世界にいることになるから」
怖いことをさらりと言いのけた女。
つまり、何年かかってもいいから最強の剣を作れというわけだ。
それがどうして大野教授に対しての『貸し』を返すことに繋がるのかは知らんが。
その辺はまったく興味が無いから聞かないことにして。
「いいぜ、分かった。その『最強の剣』とやらを作ってやらぁ。素材集めとかは行商や他のプレイヤーに頼んで分けてもらえばいいし、実際の鍛冶も他の鍛冶師に協力を要請して――」
「それは駄目よ。素材集めも鍛冶も貴方が一人で行わなければいけない。もちろん他人に貴方の正体を話すのも駄目」
「マジで! それかなり難易度高くね!」
「というか、もうすでにそういう設定に変えてあるから。貴方はログインプレイヤーとしてではなく、この《TSO》の世界で最弱のモンスター――『ヅライム』として生きていくのよ」
「うそーん!」
じゃあ他のプレイヤーから襲われる可能性もあるのか?
しかも最弱のモンスター?
そんな底辺スタートで最強の剣を作れと?
ていうかスライムなのに鍛冶なんて出来んの?
そもそも鍛冶師にJOBチェンジとかも出来んの?
「……色々と不安です」
「ふふ、いいわ、その顔。表情は読めないけど、絶望感漂うその顔……。嗚呼……」
うっとりとした表情で俺を見下ろした女。
そして右手を突き出して俺の顔をさすろうとしたが、直前で思いとどまったようだ。
「……こほん。じゃあ、さっそく頑張ってちょうだい。私も当分この世界にいるから、私とだけは連絡を取れるようにしておいてあげる」
後ろを振り向いた彼女は長い黒髪を払う。
ふと彼女の腰に目を向けると、剣の鞘だけが腰に差さっていた。
「あ、そうそう。私の名前を教えてあげるのを忘れていたわ」
去り際に思い出したようにそう言う彼女。
そして口元に笑みを浮かべ、彼女はこう言った。
「――私はアリス。勇者アリス。この《TSO》で最強の称号を持つ者よ」
USER NAME/桂いさむ
LOGIN NAME/ヅライム
SEX/???
PARTNER/――
LOGIN TIME/0002:35:22




