7.婚約者と思ったよりも打ち解けました
「それにしても見事な魔法だな」
冷たい前菜は下げられ、温菜がでてきたタイミングで、アレンがしみじみと振り返った。
あれはリオネッタの増幅魔法のおかげだが、リオネッタが手伝ったことを言って良いか分からない。
チラリとリオネッタの方を見ると、リオネッタは小さく頷いて、そして口を開いた。
「少々、お手伝いいたしました」
「見事な増幅魔法だったわ」
リオネッタが真横ですまし顔をして言うので、エルフィリアはにっこりと笑って同意した。
「あれだけの魔力があれば、私の魔法教えたら、私より威力強いのできるわね。寝室も暖かくできるかも」
暖炉に火が入れられない極寒の部屋と化しているが、これだけ急速に凍らせられるのであれば、あの部屋を一気に温めるパワーもありそうだ。
「でしたら、私は早く覚えたほうが良さそうですね。このままソファで寝ていただくわけにもいきませんから」
「意外と、暖炉の目の前で快適よ?」
話しながら、エルフィリア目の前の料理を食べることにした。
温菜は見たこともない鮮やかな薄紅色のスープで、ビーツと肉を使ったもののようだ。
口に入れるとほのかな甘みと酸味が広がり、じんわりとその温度でエルフィリアの体を温めてくれた。
「待て。話は終わりか?」
スープを楽しんでいると、目の前のアレンがもう待てないとばかりに話しかけてきた。
しかしエルフィリアには心当たりがない。
「何のことでしょう?」
「ソファで寝ていると言ってなかったか?」
「はい」
「なぜだ?」
「寝室の暖炉を使えなくしたバカ……いえ、その、不届きものがいたようですね」
言い繕ったものの、品のない言葉はすでに口をついて出てしまっていた。エルフィリアは王女として育ったが、会話の相手はほとんど平民だったので、教師以外で貴族の言葉を学ぶ相手がいなかったのだ。
だから気を抜くと、下町言葉がでてしまう。
「報告は?」
アレンが眉を顰めて聞いた。
「リオネッタがしました」
「はい。侍女長に内務卿の管轄なのでご報告をと言われ、向かいましたが、いつ治るかはわからないとおっしゃっておりました。内務卿にとって、エルフィリア様の寝室の暖炉は小事のようです。そして、それはすなわち、殿下のご意向かと思っておりました」
嫌味満載の言いように、アレンは呆気に取られたあと、イライラしながら言った。
「私はそんなくだらない嫌がらせはしない。冬の暖炉の故障は死に直結する」
たしかに秋でこの寒さでは、本格的な冬になって暖炉がないのは凍死するだろう。南部の人間であるエルフィリアにとっては、寒さと戦うのが1番厳しい。
「内務卿に話をつける。あと、くだらない嫌がらせをされたら私に報告しろ」
アレンは口調は冷たいが、意外と面倒見は良いタイプなのかもしれない。
報告しろということは、釘を刺してくれる気があるのだろう。しかし、嫌がらせを全部報告していたらあまりにも報告事項が増えそうだ。
「くだらない嫌がらせをいちいちご報告していたら、うるさくて仕方がないと思いますけど」
「まだあるのか? 昨日到着したんだろう?」
ついて1日でそんなに嫌がらせされたのかとでも言いたげな様子だが、それはこちらのセリフである。
「窓が開け放たれていたり、薪の小部屋が水浸しだったり、食材をダメにされて、食事が幼子に出す量で提供されたり、さまざまですね」
リオネッタがエルフィリアに代わって淡々と嫌がらせを報告する。
そしてその報告によってわかったが、昨日の夕食は幼子に出す量ぐらいしかなかったらしい。
幼子が食べるには量が多そうだったが、そもそも食べきれそうな量が出てくるのが異常だと言う事だろう。
「首謀者は?」
「首謀者はエルフィリア様が専任侍女の任を解き、追い出されましたので、これ以上、部屋の中に何かされることはないかと」
「……それは、あの女たちか?」
「そうですね」
「城から追い出すように善処する」
アレンはそう宣言した。
そして、アレンはふと思い出したようにちらりとセルヴィンの方を見た。
魔法の威力が強すぎて、寒さに震え、血色が悪くなっている。
エルフィリアの手前、食事中そのままにすると言ったが、致命的なダメージを負わないか心配なのだろう。
「暖炉は、早めに直ると嬉しいです。殿下の側近の 言葉であれば内務卿も考え直すのでしょうか」
それとなく、セルヴィンを退席させても良いということを伝えてみると、アレンは少し考えた後、小さく息を吐いて言った。
「……セルヴィン、内務卿に釘を刺しにいけ」
「……! 拝命します」
セルヴィンは、冷たい服を脱ぎ捨てられるとばかりに喜んで、満面の笑みで返事した。そしてエルフィリアの方を向いて、感謝を述べた後、足早に部屋を出て行った。
冷気を放っていたセルヴィンがいなくなって、部屋の温度が少し上がった気がする。
「あれは、服を脱いで放置したら自然に解けるのか?」
「魔力が失われれば解けると思いますが、彼が触れている間は彼から魔力が供給されるので、解けませんね。それを待つよりは、魔法を解除したほうが早いとは思います」
「いつかは解けるなら放置で良いな」
アレンはあっさりとそう言って、食事に向き直った。
彼は基本的には無口だったので、その後も会話は多くはなかった。
しかしながら、この短い時間で少し会話をしたことで、謁見の間に向かうまでの気まずさのようなものは薄れて、少しだけ打ち解けられた手応えがあった。
そうして、思ったよりは会話ができた昼食を終えると、アレンは最後に水を飲んだ。
その水を飲む手に傷があるのが見えた。手の甲についているのは3本線の引っ掻き傷のようなものなので、魔物にやられたものだろうか。
魔物の魔力の残滓があるような気がするので、浄化はしたほうがよさそうだ。
その視線に気づいたアレンが、自身の手を見ながら言った。
「昨日の魔物討伐の傷だ。見苦しくてすまない」
「治されないのですか?」
「治療する魔法師の魔力も限度があるから、傷跡だけのものなら放置している」
「それは明らかに魔物の魔力を帯びていますから、傷跡だけかというとそうではなさそうに見えますが」
エルフィリアが言うと、アレンの後ろにいた護衛が、やや身を乗り出して尋ねてきた。
「魔物の魔力とはどういうことですか? 放置するとどうなるのですか?」
「魔物にもよりますが、魔力を持つ強い個体は、魔力を帯びた攻撃をしてくることがあります。魔力の残滓が消えないと治りづらいので、自然治癒を待つのはおすすめしません」
「殿下、今すぐにでも治療すべきです」
「大したことはない。治りづらいぐらいなら、いつかは治る」
治療しに行くのが面倒なのか、それとも人的資源を無駄にしたくないのか、あるいは両方だろうか。
ーーー私が浄化すればどっちも解決するわね。
本当は手に触れたほうがいいが、視認できているならこのぐらいの浄化は可能だろう。
エルフィリアはじっと傷を見つめて、魔物の魔力の残滓を浄化していく。
詠唱したほうが早いが、攻撃だと誤解されて護衛に剣を突きつけられるのはごめんだ。
無詠唱でこっそり浄化して、気付かれなかったら気付かれなかったでいい。
バレないようにと静かに浄化していたが、気を抜いてしまったのか、最後の最後にふわっと白い光が、アレンの手の傷跡から放たれて、最後の魔力が弾けて宙に消えていった。
そのあからさまな魔力の光は、バレないわけがない。
アレンは手を見つめながら、やや首を傾げて言った。
「これは? 痛みが引いた……?」
気のせいで通るかと思ったが、アレンはエルフィリアを見て、尋ねてきた。
「何かしたのか?」
正面から質問されたら、誤魔化さないほうがいいだろう。
「……勝手ながら、魔力の残滓を浄化だけしました。傷の治療ではないので、傷跡を早く消すなら治療を受けられたほうがいいですが、少なくともただの傷跡にはなったかと」
「そんなことが可能なのか?」
「はい。理論を知っていれば簡単ですよ」
生活魔法で使う浄化と根本は同じ原理だ。何を浄化するかが違うだけで、難しいことはない。
「感謝する」
「感謝されるほどのことではありません。また討伐で怪我されたら、浄化します。もちろん、怪我をされないほうが良いですが」
魔物を自ら討伐し、民の生活を守っている守護者なのだ。ちょっとぐらいの貢献はして然るべきだ。
それに、エルフィリアが少しは有用であるほうが、生き延びられる可能性は高くなる。
有用すぎてもいけないかもしれないが、多少の価値は演出すべきだ。
「では、もしまた怪我したら、頼む」
「はい」
治療しなくていいとは言っていたが、不快感があったのかもしれない。
自発的には浄化に来ないかと思っていたので、この場で頼まれるとは意外だった。
こうして昼食会は終わり、アレンと護衛は部屋から立ち去った。
そうしてゆっくりできるかと思ったら、入れ替わりのように王妃からのドレスが大量に運び込まれてきた。
数着というレベルでは明らかにない。
エルフィリアの居室に高そうなドレスがずらりと並べられた。
「王妃陛下は何かおっしゃっていましたか?」
「私が寒そうだから、お手持ちのドレスを譲ってくださると言っていたわ」
「承知いたしました。それでは遠慮なくいただいておきましょう」
リオネッタはうなずくと、ミーナにテキパキと指示を出し、ドレスの整理を始めた。
「ローブも気にされている様子だったから、あなたから渡された言ったけれど良かったかしら?」
「はい。問題ございません」
ミーナはリオネッタの指示を受け、ドレスを持って衣装室に向かいかけてから、エルフィリアの方を見た。
「よろしければ今、どれかにお着替えされますか? どれを選んでも、今お召しのものより暖かいかと」
確かにエルフィリアのドレスより数段質が良く、北国にふさわしい素材のドレスばかりだ。
着替えたほうが寒さは凌げるだろう。
しかし、わざわざそのために着替えを手伝ってもらうのも気が引ける。
断ろう。
エルフィリアがそう決意して口を開きかけた時、リオネッタが先に答えた。
「いい提案ね。そのドレスを残してちょうだい。私がお着替えを、あなたは整理を続けて」
「承知しました」
着替えなくていいというのは言い出すタイミングがなくなり、あれやあれやと言う間に着替えさせられた。
今、着替えるために選ばれたのは、深い紅色のベルベットのドレスだった。
刺繍に使われている金糸の輝きがエルフィリアの知っているものと違う。独特の光沢が美しいAラインのドレスだった。
王妃陛下のドレスが全て真っ青だったらどうしようかと思ったが、青だけでなくさまざまな色のデザインのドレスを譲ってくれたようだ。
「王妃陛下が青いドレスをお召しになるのは、公式の行事だけなの?」
「おおよそ、その理解で問題ありません。正確に申し上げると、陛下が同席される場合は、青をお召しになる必要がございます」
つまり非公式の場でも、陛下がいると青を着ると言うことか。
「では女性同士の茶会などではそのドレスコードは免除されるのね」
「はい。ですが、王妃陛下は青を着ても問題ありません。エルフィリア様は、今のお立場では着ないほうが無難ですが、王妃陛下か王太子殿下に指定されればお召しになってかまいません」
2人がエルフィリアに青を着てこいと指定する日が来るのかは不明だが、一応、いつかは王妃になる予定の立場である。
嫌でも青のドレスを着なければいけない日は来るだろう。
「他に何か、王妃陛下に言われたことはありましたか?」
エルフィリアにドレスを着せて、背中の紐を締め上げていきながら、リオネッタは尋ねた。
「そういえば、王妃陛下がお茶会に招待するっておっしゃってたわ。贈ったドレスで来てと。あと、新しいドレスもリオネッタが仕立てる手配をしてくれるはずとも言ってたわね。まあ、あれだけいただいたら、仕立てる必要はなくなったかしら」
「お茶会は、お誘いがあるでしょうからその時に考えましょう。ドレスの仕立ては、王妃陛下からいただいたものでは足りませんから仕立て屋を呼びます。恐れながらドレスに合う靴やジュエリーなども足りませんから、そちらも」
「そんなに買い物して大丈夫かしら?」
「王妃陛下のお許しが出たので、邪魔するものはいないかと。陛下の前での発言は城中に知れ渡りますから、問題ございません」
「私のドレスが売れれば、足しにしてもらっていいんだけどね……。無駄にお金がかかって申し訳ないわ」
そもそも賠償金がわりに差し出されたのに、自分の身の回りの品も揃えてこないのは外交上問題がないのだろうか。
エルフィリアはただでさえ、微妙な立場の人間だ。あまりお金をかけて非難を浴びるような行動は慎みたい。
「生活に必要なものは堂々と揃えて然るべきです。エルフィリア様に足りていないのは奢侈品ではなく、生活必需品です」
「そうね……。本当は自国で揃えてくるべきだったんだけど……」
生活必需品が揃ってない王女がこの世に何人いるだろうか。
しかしその鬱々としていた気持ちも、着せられたドレスの暖かさを体感してしまうと、この暖かさを得るために買い物は必要だと思い直すことになったのだった。




