14.あっという間にお披露目です
お披露目会当日。
厚手のカーテンの向こうに、冬の光がにじんでいる。窓ガラス越しでも、北の空気の冷たさが伝わってくるようだった。
「エルフィリア様、紐を締めますので息を吐いてください」
リオネッタがドレスの背にある編み紐を締めながら編んでいく。
深い紅色のドレスは、ヴァルデンの夜会用に特別に仕立てられたものだ。南部の冬用のドレスよりもずっと厚手で、袖口や裾には銀糸で雪の結晶が刺繍されている。
肩には、ヴァルデン式の白いローブがかけられていた。裏地には薄い毛皮が縫い込まれていて、まとった瞬間、冷えた空気が少しだけ遠ざかる。
リオネッタにもらったローブを羽織ろうと思ったが、今回はヴァルデン王家の紋が入っているものを勧められた。
それがエルフィリアの立場を安定させることに繋がるから、とのことだ。
鏡の中の自分を見つめて、エルフィリアは思わず視線をそらした。
「寒くはありませんか?」
リオネッタの問いかけに、エルフィリアはこくりと頷いた。
思わず握りしめたローブは分厚く暖かい生地だ。
「大丈夫よ。ローブもあるし……暖炉もついているしね」
「でしたら何よりです。あとはアクセサリーを」
ミーナが、両手で大切そうに小箱を運んでくる。
開けられた箱の中には、アレンの瞳と同じ色の石がはめ込まれたイヤリングが光っていた。
「殿下とお揃いの、あのイヤリングですね……!」
ミーナの声が、どこか嬉しそうに弾む。
小箱の中のイヤリングは、エルフィリアがアレンに渡したイヤリングとほとんど同じデザインだ。
同じデザインかつアレンの色石で作られたものがちょうど昨日、贈られてきたので、これはお返しということなのだろう。
「はい。王妃陛下からも、本日はぜひお揃いでと」
リオネッタが言い、そっとエルフィリアの耳にイヤリングをつける。
冷たい金属が一瞬だけ肌に触れ、すぐに体温になじんだ。
「……似合ってるかしら?」
「とてもお似合いです、エルフィリア様!」
ミーナが即答し、リオネッタも小さく頷いた。
「殿下のお隣に立たれても、何の遜色もございません」
その言葉に、エルフィリアはわずかに胸をなで下ろす。そしてイヤリングの青を見つめながら、ため息をついた。
ーーーお披露目会で禁色のイヤリングがせいぜいだというのに、禁色のドレスなんか最初から着たらと思うと……。リオネッタやミーナがまともで助かったわね。
今回は王妃と王太子の許しを得ている。基本的には禁色は自分の判断で身につけて良いものではない。
レオナール王妃もそれをわかって嫌がらせをしてきたのであれば、中々の策士である。
「緊張なさらずとも大丈夫です」
「え?」
「ダンスのことで緊張されているのかと」
「あ……ええ」
違うことを考えていて忘れていたが、今日、ついに公式の場でダンスしなければならない。
ダンスの練習は、アレンのおかげでどうにか形になっている。何度も練習してわ回転のタイミングも体に染み込んだ。
それでも、本番となると話は別だ。
今日は大勢の視線が集まる中で、音楽に合わせて失敗なく踊らなければならない。
思い出すと、寒いと言うのに、緊張で手に汗が滲んできた。
扉がノックされ、マルナが顔をのぞかせた。
「エルフィリア様。アレン殿下がお迎えにお越しです」
「……来たのね」
ついに来てしまった。
リオネッタたちが最後の皺を整えた後、エルフィリアはローブの前をそっと握りしめ、部屋を後にした。
王宮の大広間へと向かう廊下は、いつもよりも灯りが増やされていた。
壁に掛けられた燭台の炎が揺れ、赤い絨毯の上に金色の光を落としている。
角を曲がった先で、銀髪の青年が待っていた。
青いマントを肩にかけ、胸元にはヴァルデンの紋章が輝いている。
「迎えに来た」
アレンの視線が、上から下までエルフィリアを一度だけなぞる。そして、耳元で揺れる揃いのイヤリングで目を止めた。
「ドレスもイヤリングも、似合っている」
口数は少ないが率直に褒められて、エルフィリアは気恥ずかしさから視線を外した。
そして口ごもりながら、言った。
「アレンも、その……いつもより、華やかですね」
アレンの服は、深い青の礼服に、銀糸で氷の紋章が刺繍されている。
肩から流れるマントの裏地には白い毛皮があしらわれ、彼の冷たい印象をかえって際立たせていた。
そして、片耳には、エルフィリアとおそろいのイヤリングが光っている。
「今日は見せつける場だ」
多くは語らないアレンだが、その言葉の意味はわかる。
婚約がうまく行っていると見せるための場、ということだろう。
「行こう」
アレンがそっと手を差し出す。
エルフィリアは深呼吸を一度だけして、その手を取った。
イヤリングの効果で、アレンの手はもう、冷たくない。
ひんやりとしていないことにホッとしながら、歩いていく。
大広間へと続く扉の前まで来ると、扉の前に立っていた兵士に声をかけられる。
「アレンディス殿下、エルフィリア殿下。ご準備はよろしいでしょうか」
「問題ない」
「……ええ」
2人の返事を受けて、扉が、ゆっくりと開いていく。
ヴァルデン王宮最大の大広間は、まばゆかった。
高い天井から吊るされたシャンデリアには無数の魔石が埋め込まれ、淡い光が雪のように降り注いでいる。
壁際には、帝都の有力貴族たちがずらりと並び、中央には広いダンスフロア。
奥の一段高い壇上には、国王と王妃が座っているのが見えた。
侍従長の声が響き、アレンとエルフィリアの名が高らかに告げられる。
その呼びかけに答えるように、2人は中へと進み出た。
大広間の空気が、ざわめいている。
多くの視線がこちらに集まるのをひしひしと感じた。
「あれが“無気力姫”か」
「思ったよりも……」
小さな声が耳に届く。
冷ややかな視線もあれば、好奇心に満ちた視線もある。中には、あからさまに値踏みするような目も。
誰も彼もがエルフィリアに注目しているようだった。
ーーー最近は無気力なフリをする暇もないけど、どう評価されることやら。
この様子では、エルフィリアがさして努力しなくても、大した評価は得られないだろう。
それでいい。
何事においても舐められているぐらいのほうが立ち回りやすい。
薄いプライドなど、身を守るのに何の役にも立たないからだ。
エルフィリアは周囲の視線を意識しないようにしながら、アレンの隣を、彼と歩幅を揃えて進んでいく。
国王と王妃に挨拶をした後、2人はダンスホールの中央に進み出た。
ファーストダンスのためだ。
アレンに腰を引き寄せられて、2人で間近で向かい合う。
練習の時もそうだったが、王家の象徴である美しい青い目が間近にあると落ち着かない。
エルフィリアは視線をアレンの胸ポケットに落とした。
「緊張しているのか?」
「少し」
「演技には慣れているかと思ったが」
「え?」
思いもよらぬ言葉に、エルフィリアが顔を上げると、曲が始まった。
リードされながらステップを踏み出す。
始めての練習の時よりは、体が軽くなったように感じられるのは、慣れのおかげだろうか。
曲のリズムと、アレンの呼吸に合わせながら、エルフィリアは足を運んでいく。
それでも、やはり足元が気になって、視線がうつむくのは止められない。
「エルフィリア」
低い声で名を呼ばれて、顔をあげる。
アレンと目があった。
「顔をあげていろ」
「でも……あ」
アレンの顔を見ていると、足元がおぼつかなくなり、ステップを踏み間違えた。
しかしアレンがフォローしてくれて、何事もなかったかのようにダンスは進んでいく。
「申し訳ありません」
「足を踏んでも構わない。胸を張れ」
そうはいっても、やはり大衆の前でもたつくのは恥ずかしい。
高評価を得る気はないものの、だからといって、ダンスも踊れない王女の烙印を押されるのは避けたい気持ちはあるのだ。
「ですが……」
「実際のステップより、態度のほうが大事だ」
的確なアドバイスに、エルフィリアはハッとして顔をあげる。
確かに他人のダンスを見るときに、足さばきばかりを見ているということはない。
表情やしぐさで総合的に判断しているのだ。
「足を踏まれても、魔物よりはーー」
「ーーもう、まだ言いますか?」
アレンの軽口に文句をいうと、アレンが穏やかに微笑んでいた。
その表情が珍しいためか、周囲のざわめきが大きくなる。
注目が自分からアレンに移ったと思ったら、先ほどよりも力を抜いて踊れるようになった。
そうしてなんとか踊り切ることに成功する。
エルフィリアは一曲で終わりかと思ったが、アレンに引き止められて、結局、3曲連続で踊ることになった。
2曲目以降はほかの参加者たちも踊っていたので、1曲目よりは気軽に踊ることができた。
そうして3曲も踊って踊り疲れたエルフィリアは、アレンに連れられるがままに、会場の端に移動した。
渡された冷えたジュースを一気に飲み干したい気持ちを抑えながら、ゆっくりと品よく口に運ぶ。
「疲れたか」
「はい。とっても。……まさか3曲も続けて踊るとは思いませんでした」
美しいグラデーションの、何かわからないおしゃれなジュースをちびちびと飲みながら、エルフィリアは愚痴をこぼす。
「釘を指すなら徹底的にやるべきだろう。だからそうした」
淡々と告げるアレンの言葉の意味がわからず、キョトンとしていると、アレンもまた、驚いたような表情を見せた。
「もしかしてレオナールではそういう文化はないのか?」
「そういう文化とは?」
「3曲続けて踊る文化だ」
エルフィリアが知らないだけであるのだろうか。
母が何か言っていたかもしれないが、思い出せない。
「宮廷文化というよりも、民間の文化が逆輸入されている流行りのようなものだから、知らないのかもしれないな」
「どういう文化なのですか?」
「民間では、お祭りで3曲踊った相手とは末長く幸せになれるという願掛けのような言い伝えがあるらしい。貴族社会では、それが転じて、婚約者か夫婦以外では3回踊ってはいけないという暗黙のルールになったとされている」
母から聞いた覚えはない。母も知らなかったのだろう。
エルフィリアの知識のほとんどが母を通じて得たものであるため、クラシカルな文化には詳しくとも、流行りのような情報には弱い。
「では、ヴァルデン貴族は、みな婚約者や夫婦で3回踊るのですか?」
アレンが何度か瞬きした。
一瞬の沈黙の後、アレンは気まずそうな様子で言った。
「……詳しくはリオネッタに聞くといい」
なんだか妙に視線が合わない。
先ほどの話を素直に受け止めるのであれば、婚約者同士で3回踊っても何の意味もない気がするが。
「王太子殿下、お話が」
それ以上の追及する前に、アレンが貴族の令息に声をかけられた。
この場ではこれ以上の話は難しいだろう。
そう思ったのだが、アレンはなぜか、動かない。
声をかけてきた令息と、パチリと目があった。
互いに瞬きした後、ほぼ同時にアレンを見た。アレンの表情が冷たい。
先ほどとは違い、氷の王太子の名に恥じぬ感情のなさだ。
「王太子殿下……、その……」
戸惑いながらもう一度声をかけたその男性に、アレンは視線をやることもなく言った。
「パートナーに許可を得るのがマナーでは?」
アレンの言葉に、声をかけてきた男性はキョトンとした表情を見せた後、はっと我に帰った様子でエルフィリアに向き直った。
「し、失礼しました。エルフィリア殿下、王太子殿下のお借りしてもよろしいでしょうか?」
「……あ。え、ええ。どうぞ」
パートナーという言葉が自分の言葉だと遅れて理解して、どもりながらも了承の意を返した。
アレンはその返答に頷くと、不意にエルフィリアを抱き寄せた。
「では行ってくる。この広間から出ないように」
耳元で囁かれた良い声に、呆然としていると、温もりが離れて、アレンは男性を引き連れてその場から離れて行ってしまった。
周囲の視線だけがエルフィリアに残される。
ーーーっ! ふ、不意打ちすぎるわ! 耳打ちする必要あった!?
気恥ずかしさで震えながら、エルフィリアは心の中で舌打ちをした。
これが仲を良好にみせる”演技“だとしても、不意打ちはずるい。
耳元であんな良い声で囁かれたら、ドキドキしてしまうのも仕方がないだろう。
「ヴァルデンには慣れましたか?」
悶絶していると、突然話しかけられた。
エルフィリアと同世代であろう女性3人だ。彼女たちはにこやかに微笑んでいるが、どこか嫌な感じがする。
「ええ。おかげさまで」
エルフィリアは短く答え、違和感を探る。
そうして、そういえばこの人たちに名乗られていないことに気がついた。
それに、初対面だというのに、話し始めに許可を出してもいない。
彼女たちは明らかに、エルフィリアを軽んじているのだ。
ーーーどうしよう。今更、無視もできないわよね。まあ、私も名前も名乗らず、名前を聞かずでやり過ごせばいいかしら。
手に持っていたジュースに口をつけると、彼女たちが続きを話すのを待つことにした。
しかし、どうやらその行動は、話しかけてきた女性陣には予想外の行動だったようだ。
3人はじっとエルフィリアを見つめ、そしてお互いに顔を見合わせた。
エルフィリアが何か話すまで自分たちも話さない気だろうか。
「エルフィリア様」
この場をどうしたらいいのだろうかと困っていると、聞き覚えのある声がして、そちらに視線を向けた。
黒髪を緩やかに巻いて優雅なシニヨンにした、表情の薄い美女がそこに立っていた。
普段より柔らかく華やかな雰囲気だが、誰かはわかる。
リオネッタだ。
「ご存知かとは思いますが、リオネッタと申します。王太子殿下の命で参りました」
初対面ではないので、彼女は名乗る必要はない。
だがあえて名乗るということは、この場の状況を理解しての立ち回りなのだろう。
本当に仕事ができる侍女である。
「綺麗ね。私の後に準備するなんて、時間もなくて大変だったでしょう」
「ミーナとマルナに手伝ってもらいました」
「あなたも何か飲む?」
「はい。……ところで、彼女たちは何をしているのですか?」
2人に無視されても、立ち去ろうとせずにまごついている女性3人に、リオネッタは冷たい目を向けた。
その視線に3人がすくみあがった。
そして、口を開こうとしたところで、エルフィリアが先に言葉を被せる。
「知らないわ。名乗られてもいないし、話をしてもよいかというお伺いも立てられていないもの。私にとってはこの場で名前を覚える必要はない人たちよ」
「さようでございますか。では、放っておきましょう」
その言葉を聞いて、1人が顔を赤くして何かを言いかけた。
しかし残り2人がそれを制し、3人は諦めたようにすごすごとホールの何処かに消えて行った。
リオネッタに歯向かわないところをみると、彼女はやはりそれなりの身分の令嬢のようだ。
「あの人たち、何がしたかったのかしら?」
「……特に何もされていないのですか?」
「ヴァルデンに慣れたかだけ聞かれたわ、挨拶もなしにね。その問いに答えた後、無視していたら、彼女たちも黙り込んでしまったの」
「おそらくは、エルフィリア様から名前を尋ねられるか、名乗られるかどちらかを期待していたのでしょう。どちらもなかったので、自分たちに非がない形の嫌がらせがそれ以上思いつかなかったのかと」
「私が自発的に慣習を破ったということにしたかったわけね」
お上品なことだ。
レオナールでは、もう少しあからさまな嫌がらせが起きるものだが、ヴァルデンでは、直接的な嫌味を良しとされていないのだろうか。
ーーーいや、初日のあの侍女もどきたちは、令嬢だったけど直接的だったわね。
「リオネッタから見て、彼女たちはそういう嫌がらせをするタイプなの?」
「……しないとは言いませんが、やり方が中途半端な気はしますね。嫌がらせをしたフリをしたとでも言いましょうか」
「穏やかではないわね」
「いずれにせよ、お気をつけください。悪意のある者があることには間違いありませんので」
リオネッタが真剣な表情でささやくので、安心させようと思って微笑んだ。
「大丈夫よ。私はほとんど外にも出ないしね」
そう、この時は大丈夫だと思っていた。
まさか、何かあるとは思っても見なかった。
お披露目パーティーが終わったあたりから記憶が飛び、気づいたら白銀の世界に放り出されていた、この時までは。




