12.浄化魔法の練習にはじゃがいもが最適です
北の大地でも、太陽の力を感じる快晴の日もある。
こんな日は、のんびりと太陽の明るさを感じながら読書でもしたいところだ。
そう、無気力姫の名に恥じないダラダラとした1日を過ごすのだ。
そう思っていたのだが、現実とは上手くいかないものである。
ダンスの練習の前に魔法を教えてほしいとリオネッタとミーナに頼まれて、軽い気持ちで引き受けた。
結果、気づいたら、エルフィリア付きの侍女と護衛どころか、何故かセルヴィンとアレンの護衛騎士、それからアレンまで勢揃いしていた。
「エルフィリア様、本日はよろしくお願いいたします」
「ええ……よろしく」
そう声をかけてきたのはセルヴィンだ。
「どうしてこんな大事に……?」
エルフィリアのぼやきに、リオネッタは申し訳なさそうな表情をした。
「申し訳ありません。施設の使用許可を取りに行ったら、お二人も参加すると」
「……殿下と殿下付きの魔法師が浄化の魔法が必要なの?」
どう考えても、この2人が掃除をするように思えない。
「お掃除には必要ありませんが、魔物の魔力を浄化する面では有用かと」
「……まあ、それはそうね」
確かに掃除目的であるはずがなかった。
庶民的な思考すぎたようだ。
「あの、エルフィリア様」
ミーナが躊躇いがちに声をかけてきた。
「頼まれたものを用意しましたが、本当にこれでいいのですか?」
困惑気味の彼女の足元にはカゴいっぱいのジャガイモを足元に置いてある。
エルフィリアは泥だけのジャガイモを手に取ると、全員にみせながら言った。
「今日はみなさんに浄化の魔法をお教えします。ひとまず、このジャガイモを浄化して、泥を落とすところから始めます」
「ジャガイモ……」
「ジャガイモですか……」
セルヴィンとマルナが揃って呟いた。
よく考えると、ここにいる人間のほとんどは、泥のついたジャガイモなど見たこともないかもしれない。
リオネッタ、セルマ、アレンは表情こそ変えていないが、エルフィリアの手にあるジャガイモをマジマジと見つめている。
「みなさんにやっていただきたいのは、このように泥を落として綺麗な皮つきのジャガイモにすることです」
エルフィリアは説明しながら、手に持っているジャガイモに浄化の魔法をかけた。
すると、淡い光に包まれた後、ジャガイモから泥が消え去り、普通に洗うよりもきれいな皮付きのジャガイモになった。
「ジャガイモを選んでいるのは、成功か失敗か判りやすく、失敗したものも調理に無駄なく使えるためです」
エルフィリアは浄化したジャガイモを何も入っていない方のカゴに入れた後、もう一度、泥のついたジャガイモを手に取った。
「浄化の対象範囲がコントールできれば、綺麗に皮を剥くこともできます」
説明しながら魔法で綺麗に皮を剥き、芽を取った。
包丁でやるのと違って、魔法でやればジャガイモの凹凸にそって綺麗に皮が向ける上に、芽も無駄なく取れる。
ただし、魔法の難易度はこちらの方が高い。
「魔物の魔力を浄化する時も、対象物を正確に引き剥がす必要があり、ジャガイモの皮を綺麗に向けるぐらいの魔力操作ができなければ、人体に使えるレベルにはなりません」
エルフィリアが説明すると、アレンが疑問を口にした。
「技術が未熟だと人体に悪影響が?」
「悪影響というよりは、魔物魔力を浄化するときに、無駄に対象者の魔力を消費してしまったりします。もちろん魔力は回復するものですが、消耗している人間から魔力を奪うのが悪手なのはご存じかと」
「浄化する対象を指定することについては技術要求が高いということだな」
「そうですね。浄化が弱いのは問題になりませんし、強いのも、対象が明確であれば0以下にはなりませんから問題ありません」
アレンとエルフィリアの会話で、場の空気が引き締まったのを感じる。
その心持ちは、人間相手に試す時には必要だ。
しかし、今はジャガイモが相手である。そんな緊張は必要ない。
エルフィリアはぽんと手を打った。
「ジャガイモに遠慮は入りませんから、実践してみましょう」
護衛のセリアは魔法はほとんど使えないらしいので、アレンの護衛騎士とともに扉のそばで立ち、見学に回った。
エルフィリアは彼女以外の全員に、浄化の魔法のコツを教えて何度か目の前で試してみた後、各自の自主練習を見て回ることにした。
まず最初に挑戦したのはミーナだ。
彼女はジャガイモを手にもつと、息を思い切り吸った。
【浄化!】
彼女が極めて短い詠唱の後、ジャガイモは白く光を放ったあとーーー小さくなった。
皮という次元の問題ではない。身の外側がまるごと消えたのか、煮っ転がしにちょうど良いサイズのじゃがいもに変身している。
「どうして!?」
「身まで削ったみたいね」
「皮がないどころではないですね……。可食部が減っちゃいました……」
ミーナはがっかりしたように肩を落とした。
それを隣で見ていたマルナが、続いて挑戦した。
【光よ、泥を落とせ】
彼女の詠唱はより直接的だ。
それが功をそうしたのか、ジャガイモは光に包まれた後も皮付きの状態でそこにいた。
ただし、泥は残っている。
「……汚れが落ちきっていませんね」
「まあ、食べられるんじゃない?」
「ですが、エルフィリア様にお出しできるレベルではありません」
「そんなに細かいことは気にしないけど」
「気にしてください」
慰めたつもりだったが、たしなめられてしまった。確かに、王女が泥つきのジャガイモを許容するのはいただけないかもしれない。
エルフィリアは咳払いすると、次の挑戦者、リオネッタを見た。
【輝ける光よ、我が願いに応えて、汚れを払いたまえ】
ジャガイモの浄化に対しては、丁寧な詠唱と共に、光が放たれた。
リオネッタの手にあるジャガイモは、皮がところどころ失われているが、泥はついておらず、小さくもなっていない。
「……美しくありませんね。芽も残っています」
芽をとるのは難しいと思って説明を省略したのだが、リオネッタは気づいていたようだ。
不満げな顔をしているが、初めてにしては上出来だ。
彼女はしげしげと自身が浄化したジャガイモを観察すると、エルフィリアに尋ねてきた。
「私の場合は、過剰に浄化しているところと、少ないところがあるということでしょうか?」
「ええ。対象の指定が甘いのだと思うわ。まあでも、芽まで取るのはかなり高度な技術よ? 説明を省略したのも、今日は難しいだろうと思ったからなの」
「精進いたします」
リオネッタの目が座っているが、ジャガイモの浄化にそこまで本気にならないでほしい。
ジャガイモの浄化に失敗したところで、調理すれば問題なく食べられるのだから。
「次は私の番ですね」
セルヴィンは楽しそうにそういうと、ジャガイモを手に取り、詠唱した。
【聖なる光よ。淀みと乱れを識りて分け、正しき姿へとかえせ】
ジャガイモの正しい姿とはなんだ、とエルフィリアが考える間に、白い光に包まれたジャガイモは、皮なしの姿でそこにいた。芽だけついている。
詠唱は本人のイメージを助けるためだけにあるので、他人にとっては疑問が生じようとも、成立はするという良い例だ。
しかし、どうやらセルヴィンとしては納得いっていないらしい。
彼はためいきをついた。
「芽が残りましたね……」
「皮は綺麗にむけているから、私の思っていた今日のゴールにはなってるわ」
「……ミーナさんほどではありませんが、小さくなった気がします」
セルヴィンは浄化ずみジャガイモをカゴに入れると、そのまま新しいジャガイモをとり、隅に歩いて行った。練習するらしい。
「最後は私だな」
アレンはそういうと、泥のついたジャガイモを手に取った。
【澄みきった光よ、我が手に宿れ。汚れを見抜き、静かに断ち切る刃となれ】
青い光としろいけむりにつつまれたアレンの手の中のジャガイモは、皮も芽もないが、なぜか凍っていた。
アレンは瞬きを何度かした後、途方に暮れた様子でエルフィリアを見た。
「……どうして凍った?」
それはこちらが聞きたい。
しかしそう返す訳もいかないので、エルフィリアは必死に思考を巡らせた。
「えーっと……ずっと魔力が溢れて冷気を発していらっしゃるのですよね? 他の魔法を使う時も氷魔法が混ざっているのかもしれませんね」
浄化の魔法の本質は何かを取り除くことなので、それ以上の効力はない。ジャガイモを凍らせるのは、浄化の魔法ではない外部要因があるはずだ。
「少し、失礼します」
エルフィリアは彼の手からジャガイモを受け取ってカゴに入れたあと、そっとアレンの手を取った。
その瞬間、冷気が押し寄せ、エルフィリアの手もジャガイモと同じ末路を辿りそうになる。
エルフィリアは寒さで手が震えるのを感じながらも、アレンから溢れ出した魔力を調べていく。
魔力そのものが氷属性というよりは、どちらかというと氷魔法を常時発動している状態のようだ。
だから、勝手に発動している氷魔法を抑えることができれば、物理的に冷たい状態は回避でき、浄化対象を凍らせることもなくなるはずだ。
ーーー触媒になるものが欲しいけれど……。あ、ひとまずこれでいいか。
エルフィリアは身につけていたイヤリングを外した。
なけなしのイヤリングだが、一時的に貸し出す分にはかまわない。
イヤリングを浄化した後、それについているルビーに魔法付与をした。
「何をしている?」
アレンはイヤリングを興味深げに見ている。
エルフィリアは付与が終わったことを確認するために、イヤリングを軽く揺らして観察すると、アレンにそれを差し出した。
「ちょっと、これを身につけてみてください」
アレンはイヤリングを受け取るとマジマジと観察した。
王妃の侍女と同じく、セルヴィンが確認しにくるだろうか、と思ったが、セルヴィンは特に動く様子はない。
彼はジャガイモとの格闘に夢中のようだ。
そうこうしているうちに、アレンは確認し終わったのか、イヤリングを身につけた。
「これは……魔力の放出が抑えられている?」
「厳密にいうと、放出されている氷魔法だけ、抑えています。戦闘の必要がない場合はこうすればーーー」
そこで言葉を切って、エルフィリアはアレンの手にそっと触れた。
先ほどまで冷気を放っていたが、それがなくなり、彼の体温を感じることができた。
「ーーー冷気を抑えられます」
魔法の放出を抑えた状態で触ってみてわかったが、アレンは意外と体温が高い。
「今回の練習の時だけじゃなく、私とダンスする時は、身につけてもらえると、凍えずに済むので、つけてもらえるとありがたいんですが……」
手の温かさが心地よくて、手を握ったまま顔を上げた。
すると、思ったよりも近い位置にアレンの顔があった。
「このまま魔法も使えるのか?」
距離の近さに驚いたエルフィリアは、質問に答える前に手を離して一歩下がった。
「はい。試してみてください」
アレンが魔力をあつめて、魔法を使うと、彼の手のひらに氷が生まれた。
エルフィリアとしては、ジャガイモで浄化を試して欲しかったが、魔法を使えるかどうかをまずは試してみたようだ。
「問題ないな……」
「使えそうですね。いつもより、氷魔法はちょっと威力が落ちると思いますが、有事でなければ問題になる程ではないかと思います」
「これはどういう仕組みだ?」
「理由はわかりませんが、殿下は氷魔法を常時発動している状態なので、氷魔法を抑えているだけです。魔力そのものには作用しないので、氷魔法以外の魔法は普段と同じように使えると思います」
「このイヤリングはもらっても?」
「そのデザインで良いのですか?」
「ああ」
本当は貸し出すだけのつもりだったが、アクセサリーもかなり買ってもらったので、しばらくイヤリングが0になっても、なんとかはなるだろう。
金の長い鎖の先に控えめなルビーが付いているデザインなので、男性がつけてもそこまで違和感ではない。
「それなら一度貸していただけますか?」
イヤリングを外してもらい、エルフィリアは付与を増やすことにした。
王妃に渡したものと同じ、浄化の効果の付与だ。一度人前で歌ったので、二度目の付与は、羞恥心もやや薄れた。
「イヤリングに魔力を流せば、強い浄化の効果が得られます。ただ身につけているだけだと、緩やかに浄化の効果が現れます」
「母上に渡したものと同じ効果か?」
「はい」
アレンはイヤリングを受け取ると、そのまますぐにつけた。
そして心なしか満足気な表情を見せた。
「これでようやく、自慢されなくなるな」
「……え?」
「母上が、エルフィリアから色石をもらったとうるさいんだ」
アレンの言葉に、自分の瞳の色の宝石がついたアクセサリーを贈る意味を思い出す。
かあっと頬に熱が上るのを感じた。
「ち、違うんです! 別にそれは殿下に求愛したわけでは!」
「婚約者なのだから良いのでは?」
「そ、それはそうかもしれませんが、そもそも私から求愛されて嬉しいのですか?」
「悪くない気分だ」
あっさりとそう返したアレンの表情にはからかいの色が浮かんでいる。
「からかいましたね?」
「嘘はついてない。それとーーー」
アレンが一歩、こちらに歩み寄ってきた。
彼の耳につけられたイヤリングが揺れる。
気付けば、彼の顔が目の前にあった。
「ーーー殿下ではなく、アレンだ。慣れろ」
低く落ち着いた声が耳を打つ。
心臓がとくりとはねた。
「し、承知しました」
「この後のダンスの練習で、名前を呼ぶ練習もしろ」
「……? ダンスの先生をでんーーーアレンに見立てるということでしょうか?」
意味がわからず問い返すと、アレンが呆れた表情になった。
「私が教えるから、君の言うところの先生は私だ」




