10.授業だと思ったら閉じ込められました。
エルフィリアのヴァルデンでの朝は清掃から始まる。
王女の朝としてはおかしい気がするが、侍女を2人だけにしぼった責任をとって、朝起きたら、まずはメインの部屋全体に浄化の魔法をかける。
次に、自身にも浄化魔法をかけてさっぱりすると、洗面所と浴室、バーニャの部屋をそれぞれ浄化する。
最後に玄関ホールを浄化したら朝の清掃は終わりだ。
寝室はまだ使っていないので、掃除は2人に任せている。
暖炉はアレンと食事をしたその日に内務卿自らやってきて状況を確認し、資材などを手配した上で今日、直しにきてくれるらしいので、これからは寝室の清掃で1日が始まるだろう。
ここまでやったら、エルフィリアはもう一度、侍女のどちらかが起こしにくるまでに二度寝するのが日課になっていたのだが、今日は様子が違った。
「エルフィリア様?」
玄関ホールで浄化の魔法をかけていると、メインの部屋と続く扉の前に、ミーナが立っていた。
朝早くにこっそりやっているので、詠唱こそしていないが、魔法の光は特に抑えていないので、キラキラと金と白い粒子が舞っている。
息を吸って、できるだけ落ち着いた笑顔を作り、ミーナに挨拶した。
「おはよう。ミーナ」
「……エルフィリア様、もしかして、毎朝やってますか?」
ミーナがエルフィリアに近づいてきて、じっと目を覗き込んでくる。嘘は許さない、という表情だ。そのあまりの気迫に、しどろもどろになりながら聞き返した。
「な、何を?」
「清掃をです! なんだか毎日、やたら綺麗だと思ったんです。私とリオネッタさんの2人しかいないのに、掃除がこんなに楽なんて何かがおかしいと思ったら……!」
こっそり助けになれればいいと思っていたが、バレていたようだ。まあ、エルフィリアは浄化は得意な魔法なので、普通は掃除しなそうなところもピカピカにできる。
「い、いや……毎日というか、朝目が覚めたら暇つぶしにというか、習慣というか……」
「これは私たちの仕事ですよ! エルフィリア様がやらなくて良いんです」
「侍女を減らしたから、ちょっとしたお手伝いよ。私が魔法でやれば、5分で片付くんだから。人件費の節約にいいじゃない」
無駄に早口になって言い訳すると、ミーナが目を細めて言った。
「最初はリオネッタ様の仕事ぶりが完璧なのかと思っていたら、リオネッタ様にミーナは掃除が上手なのねと褒められて気づいたんです。リオネッタ様でも私でもない、誰かが掃除してるって!」
お互いの掃除スキルが高いと思ってくれるかと思ったのだが、そうはいかなかったようだ。それで不審に思ったミーナが、早めに起きてきて、発見したということだろう。
「火の番も今は2人だから、寝不足でしょう? 魔法でやれば掃除なんて大したことじゃないんだから」
「……お掃除の魔法って教わったら私たちにもできますか?」
「私は浄化が得意な方だから、同じようには難しいかもしれないけれど、できると思うわ」
「ではその魔法も教わったほうが良いですね……2人体制だと、エルフィリア様の魔法と同じ水準を維持するのが難しそうな気がします」
「別に、維持してくれなくてもいいわよ」
「よくありません!」
ミーナもリオネッタも真面目だが、定員4名のところ、2名しかいないのだから何かの仕事をサボるしか帳尻が合わない。エルフィリアとしても、あまりに頑張りすぎて体調を崩されても困る。給与では解決しないこともあるのだ。
「とりあえず、部屋に戻っていい? 寒い」
「し、失礼しました! 戻りましょう!」
短時間滞在するのは良いが、寒い玄関ホールでの立ち話は寒さが骨身にしみる。
2人はひとまず暖炉のある暖かい部屋に戻ることにした。
「お召がえの前に一度温まってください」
暖炉の前に座ったエルフィリアに、ミーナはブランケットを肩にかけながら言った。
彼女は薪部屋を開けると、薪の束を取り出してきて、暖炉にくべた。新しい薪に火が燃え移り、ずっと燃えていた薪は炭となって崩れ落ちていく。
「リオネッタさんがいらっしゃったら、お着替えをしましょう」
ミーナはそういうと、廊下へ続く扉を開けて部屋を出て行った。エルフィリアが今日着るドレスを用意するためだ。その後ろ姿を見送りながら、エルフィリアはため息をついた。
ーーー侍女を減らしてしまったけれど、紐付きの誰かを送り込まれる前に増やしたほうがいいかしら。
レオナールはかなりいい加減だったが、ヴァルデンだからなのか、エルフィリアが元敵国の王女だからなのか、侍女の目が途切れることがほぼない状態を維持して動いている。
いまのように、侍女が違う部屋にいることはあっても、侍女2人が外出しているという事態は起きないような体制だ。
ここまで厳格に管理するのであれば、侍女が2人しかいないのは負担が大きすぎる。エルフィリアは自分にあまり手がかからないのでいけると思ったのだが、見通しが甘かった。
「おはようございます。エルフィリア様」
「おはよう。リオネッタ」
考え込んでいるうちに、朝食とティーポットの載ったワゴンを運んできたリオネッタに挨拶されたので挨拶を返す。
彼女はそのワゴンをテーブル横につけると、紅茶を入れて、暖炉そばにおいてある小さなテーブルにソーサーとティーカップを置いた。
「今日はお早いのですね」
「え、ええ……そうね」
ミーナがこの部屋にいないので適当に言い繕ったのだが、挙動不審なのがバレたらしい。リオネッタがすっと目を細めると、静かに衣装部屋の方へ向かおうとした。
すると、今日のドレスを持ってきたミーナが部屋に戻ってくる。
「おはようございます。リオネッタさん」
「おはよう、ミーナ」
「聞いてください。エルフィリア様が毎朝、浄化の魔法で部屋を掃除してたんです!」
「毎朝、掃除を? ……もしかしてこの時間に起きていらっしゃいますか?」
「目が覚めたついでに浄化して、早すぎたら、二度寝しているだけよ」
わざわざ起きているわけではない、というアピールをしてみたが、リオネッタもミーナも2人揃ってため息をついた。
「それは私たちの仕事です。エルフィリア様がお気遣いいただく必要はないのです」
「でも、侍女の人数を減らしたのは私だから……」
「無能な侍女をエルフィリア様に付けたこちら側の落ち度です。私たちの仕事が増えようが、エルフィリア様が手を動かしていただく必要はありません」
「私がやったほうが早いし綺麗よ。魔法なら5分で終わるのよ?」
「5分……ご指導いただければ、私たちが魔法の修練をいたします」
「そうしましょう。それまではこの感じで」
リオネッタもミーナも不満げではあったが、魔法の方が効率が良いというのは納得したのか、その場は頷いた。
しかし、しばしそのままにしておこうというエルフィリアの思惑とは裏腹に、魔法の伝授の時間はすぐに催促されることになった。
一悶着の後、王妃からもらったドレスに着替えて、朝食をとり、早速2人にせがまれたのだ。
2人はまずは浄化の魔法から教えてほしそうだったが、難易度を理由に、服や部屋を温める魔法から伝授することにした。
2人ともエルフィリアより魔力が高いので、ちょうどよく温めるのに苦戦しているようだったが、練習すればなんとかなるだろう。
魔力操作の精度をあげるのは、アドバイスもある程度はできるが、最終的には自身の努力が必要だ。
「暑すぎる……」
「やけどしそうです……」
いきなり服で練習するのは危ないので、適当なブランケットで練習してもらっている。
ただ2人のかけた魔法では、魔力が多すぎて過剰に温めているのか、快適に眠るのは難しい温度だ。エルフィリアは温度が足りなくて悩んでいるのに、逆の悩みとは羨ましいかぎりだが。
「2人は魔力があるから、しっかり温められて羨ましいわ。2人が習得してくれたら、この部屋ももっと暖かくできそうね」
「がんばります!」
「精進いたします」
2人の練習を見守っていると、リオネッタが一度練習をやめて、暖炉前に座っているエルフィリアの元へとやってきた。
「フェルステン女史の本日の授業は図書館で行われるそうです。ミーナが同行いたします」
「そう。ありがとう」
お礼を言った後、リオネッタが何かをいうか悩んでいるような様子でまだそこに立っている。彼女の聞きたいことはわかる気はするので、そっと質問を促した。
「どうしたの?」
「彼女の授業は、いかがですか?」
「そうね……彼女は理想が高そうだわ」
「彼女の姪は、エルフィリア様の悪口を言っていた侍女の1人でしたので、気にかかることがあれば、すぐにおっしゃってください」
「なるほど。道理で嫌われているわけね」
ミラ・フェルステンの素性を聞いて納得した。フェルステン伯爵家は王太子の愛人なのか愛妾なのかを目指して侍女として娘を送り込んだものの、失敗して叔母がやってきたというわけだ。
あるいは、本来なら叔母と姪で結託して、もう少しわかりやすい嫌がらせをするつもりだったのかもしれない。
「叔母の方は教師を引き受けるだけあって、知性があるのは助かったわ」
「……やはり、嫌がらせだと感じられますか?」
「多少は。でも教えられている内容は間違ってないから、構わないわ。のんびり授業をされても退屈になりそうだから」
「本当は今日、私もお側にいられると良いのですが……」
「侍女長のあなたがずっと私に付いているわけにもいかないでしょう。流石に実力行使はしてこないと思うわ」
と、リオネッタに自信満々に言ったわずか数時間後、エルフィリアは実力行使されて、禁書庫に閉じ込められていた。
話は、10分ほど前に遡る。
ミーナに案内されて、エルフィリアは王城の図書館に来ていた。図書館は寒いと聞いていたので、ローブもしっかり羽織ってきた。
図書館は外廊下で繋がっている単独の建物だった。外廊下には屋根はあるものの、風はよけてくれない。
そして、図書館そのものも寒かった。
本を保存するためにその場で火が使えないということで暖房施設はないのだそうだ。
三階分の吹き抜けがある解放的な図書館で、入った瞬間に紙の香りがする心ときめく空間ではあるのだが、とにかく寒い。
母が死んで以来、無気力姫を演じるために、人目を盗んでしか本を読むことができなかったエルフィリアにとっては、図書館は寒くても心踊る場所ではある。
心踊るが寒い。
もはや寒い以外のことを考えられなくなってきた。
「彼女はどこにいるのかしら?」
この広い図書館で、司書がいる受付のカウンターを覗いてみようかと思った時、横から突然話しかけられた。
【ミラ・フェルステン様の代わりに来ました。ミーナさんはリオネッタさんの元へ向かってください。リオネッタさんがお呼びです】
ーーー精神干渉魔法!
話しかけてきた男が一言話した瞬間、魔法を使っているのがわかったので、何の魔法かを解析する。
ミーナが精神干渉魔法のうち、軽度の傀儡の術にかかったようだった。ミーナは良くも悪くも人を信じやそうなので、この手の魔法と相性が悪いのだろう。
ミーナは瞬きした後、相手の男の言うことを素直に聞いて、エルフィリアには目もくれずに図書館を去っていく。
エルフィリアでも魔法を解くことはできそうだが、ミーナが正気に戻ってこの男と図書館のど真ん中で揉めるのは避けたい。この男にうっかり火魔法でも使われた日には、大惨事である。
それに、ミーナがリオネッタのところにいけば、リオネッタが様子がおかしいことに気がついて戻ってきてくれるかもしれない。
「ミーナ?」
とっさに、魔法に気づいていないフリをしなければと、ミーナに声をかけた。すると男は今度はエルフィリアに向かって魔法をかけてくる。
【エルフィリア様はこちらについてきてください】
精神干渉魔法は、相手に魔法をかけられていると自覚させた時点で失敗する。ただし、かけた側はかかっているかどうかは相手が言うことを聞くかどうかでしか判断できない。
ーーーついていって平気かしら……? でも図書館の中にいる間は一目もあるし、なんとかできるわよね。
とりあえず、エルフィリアは術にかかったふりをして、一歩男の方へと踏み出した。すると男は安心した様子で図書館奥へと歩いていく。
そびえ立つ本棚の間を一定の速度で歩いていくと、本棚に埋もれるようにして図書館の最奥に小さい扉があった。豪奢な作りのこの図書館にそぐわない、質素な見た目の扉だ。
しかしその扉には、見た目に反してかなり厳重に魔法が書けられていて、特定の鍵を持った人間か、魔法で登録した人間しか開けないような仕組みになっている。
この扉を開けられるということは、この人物は城で務めている人間なのだろう。
精神干渉魔法に自信があるのか、男は顔を平然と晒しているが、あまり特徴のない顔だ。背丈は男性にしては低めで、細身だが、魔法師としては平均的な体型と言える。
【中に入ってください】
開いた扉を抑えて、男は淡々と言った。
エルフィリアはやや悩んだものの、おとなしく従ってみることにする。
できるだけゆっくりと、扉をくぐり抜けて部屋の中に入る。部屋の中には人の気配はない。単に閉じ込めようとしているだけのようだ。
それならば、と後ろを向いて男と向き合った。男は扉を閉めようとしていたので、その腕を掴んだ。
【あなたも中にはいりなさい】
男の瞳が一瞬大きく見開かれたが、すぐにエルフィリアの精神干渉魔法にかかった。
ぼんやりとした表情になると、男は部屋の中に大人しく入ってきた。男が部屋に入ると同時に、扉は支えを失って、ゆっくりと閉まっていく。
精神干渉魔法は、相手に魔力を感知させないのが肝になる。魔力量が多くない割りに、魔力操作に秀でているエルフィリアは、精神干渉魔法は得意な魔法でもあった。
ただし、エルフィリアの母は精神干渉魔法を毛嫌いしていて、技術を教え、磨かせ、防衛のすべも教えた割りには、身を守る時以外は使うなと口を酸っぱくして言っていた。
だから、エルフィリアもレオナールで死に直面するような嫌がらせを受けない限りは、この魔法を使わないようにしていたし、誰かに魔法を使っているところを見られないようにも気をつけていた。
【あなたは私に何をしようとしたの?】
ひとまず、この部屋に誰もいないことは確信できたので、エルフィリアは尋問することにした。これは、セルヴィンがエルフィリアに使おうとした自白の魔法である。
「あなたを禁書庫に閉じ込めようとした」
ここは禁書庫だったのか。
それはまずい。
禁書というのは、機密という意味にも等しい。敵であろうが味方であろうが、他国の王女であるエルフィリアがこの場所に立っていること自体がスパイ行為になってしまう。
【あなたはこの禁書庫に入る正当な資格を持っているの?】
「持っている」
【あなたは誰の指示に従って、私を閉じ込めたの?】
「ミラ・フェルステン」
【ミラは禁書庫にいつ来る?】
「30分後に来る」
【あなたは本当は、ミラに私の閉じ込めが完了したら報告しにいく予定だった?】
「報告予定だった」
【ミラは誰かと一緒にここにくるの?】
「知らない」
【ミラは私を発見して騒ぎ立てるつもりなの?】
「知らない」
【あなたはなぜ、ミラに従ったの?】
「重大な仕事のミスを誤魔化してもらうため」
ひとまず聞くべきことはすべて聞けたと言って良い。
【私との会話だけ忘れて、眠りなさい】
エルフィリアの指示をすると、男はその場で崩れ落ちた。念のため拘束魔法で男の手を縛っておく。
とにかくこの男はどうでもいいので禁書庫から出なくては。
エルフィリアは扉のノブに手をかけて回してみる。
しかし、びくともしなかった。
冷静になって扉の魔法を解析してみると、この扉は外側だけでなく、内側からも正当な資格を持っていないと開けられないようだ。
ただ、精神干渉魔法の対策も組み込まれていて、精神干渉魔法を書けられた状態の人間は資格があってもこの扉を開けることはできないようになっている。
つまり、この男を操って外に脱出することはできなさそうだ。
「困ったわね……私がここにいるのは本当にまずい……」
ミラが来るまでには30分あるという。しかし、この男が報告しにこなかったら、不審に思って時間を早めるかもしれない。
エルフィリアは禁書庫をぐるりと見渡した。入口は目立たぬようになのか小さな扉だったが、禁書庫自体はかなり広いスペースだった。
禁書庫の中も通常の図書館と同じく3階建ての中央が吹き抜け構造になっていて、階段部分には別の認証魔法がかかっている。飛行魔法も禁じられていそうなので、この禁書庫の中でも、人によって入れる区域が異なるのだろう。
エルフィリアは禁書庫に仕掛けられている罠にかからないようにしながら、慎重に窓へと近づいた。
窓があるところは階段を数段あがった中2階のようなスペースだ。
飛び降りられない高さではないが、魔法がかっていて、窓の高さより下に降りられないような魔法がかけられている。
厳密には、窓の下枠より下に降りると、魔法の力で通報される仕組みだ。
窓を開けること自体には制約がないことを確認し、窓を開けた。
窓を開けて冷たい外気を浴びて、ようやく、今、自分が寒いことを思い出した。その風から逃れるべく、とっさに窓を閉めそうになったが、我慢して窓から顔を出した。
下は無理だが、上には制約がない。飛行魔法は検知されそうだが、その魔法を使わずに上に上がって、図書館の通常の窓から侵入し直せば、くぐり抜けられそうだ。
「運動神経にあまり自信がないのだけれど……やるしかないわよね」
覚悟を決めて、窓から脱出を試みようと、深呼吸した時だった。
「誰?」
声に驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、王妃にそっくりな顔をした、黒髪の少年だった。




