1.さじ加減を間違えて、敵国への賠償金がわりになりました
「エルフィリアを和平の証として、ヴァルデン帝国に嫁がせる」
突然呼びつけて、そう言い渡したレオナール国王の言葉は、命令の響きを伴っていた。
エルフィリアの意思はどうでもよいのがありありとわかる。
ーーー一応、国王とは血のつながった娘でもあるんだけど……。
国王の隣にいる正妃は小馬鹿にしたように笑った。
「あらあら、無気力姫を差し出すので向こうは納得しているのですか?」
「納得しようがしまいが、差し出せる姫はこの娘以外にいない」
その反応でよく分かる。
この男はエルフィリアを娘として認めてはいない。
そんなことは母が死ぬ前からわかっていたはずなのに、何とも言えない気持ちがエルフィリアの胸に広がった。
もしかすると自分は、父の無関心を自覚はしていたが、いっそ嫌悪されているとは思いたくなかったのかもしれない。
「どうした。返事をしろ、エルフィリア」
念押ししてくるこの男は、王が臣下に命令するのと同じ温度だ。
「承知しました」
だから、エルフィリアも淡々と承諾の意をかえした。
ーーーあまりにも無気力姫を演じすぎたということね。いや、でも、私が生き残るにはこうするしかなかった。
唯一の後ろ盾だった母が死んだ後、エルフィリアは当然のように王位継承権争いに巻き込まれた。
エルフィリアはもともと、頭が切れるタイプで、王族の中でも才能を評価されていた。
しかしそれは、王宮で生き残るにはむしろ邪魔ですらある。
出る杭は打たれるのだ。
「言っておくが、向こうでうまくいかずとも戻ってくることは許さない」
父王の言葉にエルフィリアは内心でため息をついた。
もちろん戻ってくることはない。
エルフィリアにとって、ここは戻ってきたい場所ではないのだから。
王妃はじっとエルフィリアの黒い髪と赤い瞳を交互に観察して、どこか侮蔑を含んだ笑みを浮かべる。
「突き返されないとよいですね。あの頭でっかちな女の娘の割には、たいして賢くもないのが残念ですが……。ヴァルデンにはその不気味な暗い色の髪も多いと聞きますから、むしろ歓迎されるかもしれませんね」
貴族の娘でありながら生活魔法の学者だった母は、国内では珍しい見事な黒髪を持っていた。
エルフィリアの黒髪も赤い瞳もどちらも母譲りだ。
そろそろ長居しても仕方がないので撤退しよう。
そう思って下がろうとしたが、ふと、重要なことを聞いていないことを思い出した。
「ヴァルデンとおっしゃいましたが……どなたに嫁ぐのですか?」
エルフィリアの問いに、国王と正妃がにやりと笑う。
「王太子アレンだ」
国王に告げられた意外な名前にエルフィリアは思わず顔を上げた。
「王太子殿下……ですか?」
「ええ。そうよ。あの冷酷で残忍と名高い氷の王太子。私のかわいい娘をそんなところに嫁がせられないでしょう?」
ヴァルデンの王太子は冷淡な人物で有名だ。
物理的に身も凍えるとの噂すらあり、氷の王太子という名がついている。
もちろん比喩だろうが、そのぐらい、他人に冷たい男なのだろう。
正妃が他国の王太子妃という椅子に、自分の娘を座らせなかったのも納得というものだ。
「承知いたしました。失礼します」
エルフィリアが嫌がる様子が見たいかもしれないが、見世物になるつもりはない。
話は終わったので、エルフィリアはその場を後にした。
それでもこの時のエルフィリアは、まさか自分がわずか1週間足らずでヴァルデンに送り出されようとは思っても見ていなかった。
一国の王女が嫁ぐ準備が間に合うはずもないと思っていたが、それなりに準備された荷物とともに送り出された。
どうやらエルフィリアが知らされたのがギリギリなだけだったようだ。
驚くべきことに、侍女の1人もつかない旅道中だ。
厳密には、ヴァルデン王国までは護衛やら侍女やらをそれなりにつけているが、彼らはエルフィリアを送り届けたらさっさとレオナール王国に帰還するらしい。
どっちがつけた条件なのかわからないが、あまりにも杜撰な扱いである。
馬車に揺られて1週間の旅道中を経て、エルフィリアはあっさりとヴァルデン帝国についていた。
「すごい……大きい街だわ……」
カーテンを閉めた馬車の隙間からそっと外をのぞくと、活気ある街が広がっている。
エルフィリアにとってのヴァルデン帝国は侵略者のイメージがある。
ヴァルデン帝国とは3年前まで戦争をしていて、ずっと緊張状態だった。帝国は大陸北部の主で、軍事力は強いが、食糧難にずっと悩まされており、定期的に南部に侵略してくる。
レオナールではそう言われていた。
「お母さまの言う通り、見てみないとわからないものね……」
しかし、エルフィリアの目の前に広がる街の様子を見ていると、冷たいという印象より、むしろ活気があって温かみすら感じるほどだった。
知らず知らずのうちに、レオナール王国での印象操作に染まっていたのかもしれない。
大きな街だと思ったのが、帝都だったようだ。
しばらくすると馬車の揺れが止まった。
エルフィリアは扉が開かれるとともに馬車から降りる。
「寒い」
降りた瞬間、冷たい空気に晒された。
エルフィリアはローブを羽織っていたが、レオナール王国の王都の冬装備であり、北国であるヴァルデン帝国の冬装備ではない。
ヴァルデンにとっては、まだ秋口なはずなのだが、もうこの寒さだから、北国とは恐ろしいものである。
エルフィリアはとりあえず凍死するのを防ぐために、自身のローブに魔法をかけたが、ローブでは隠せない首や顔などが寒い。
レオナールから来た一団は皆寒がっているだろうなと思い視線を向けると、なぜかエルフィリア以外はしっかり暖かなコートや、首に風除けの布を巻いている。
ーーー珍しくちゃんと用意されていると思ったら、これも嫌がらせだったの?
今までは洗濯すらしてくれないぐらいの放置ぶりだったというのに、今回の輿入れにあたっては、王女としての品格を保てる程度の新しいドレスと靴と宝石が用意されていて、事前に確認させられた時は驚いたものだった。
しかしどうやら、エルフィリアが北部に詳しくないことをいいことに騙されていたらしい。レオナールで生きる王女としては十分な準備だったが、明らかにヴァルデンの王子妃の準備としては足りていないものも多い。
しかもまた、何故こんなに寒いかというと、レオナールの一団を城にいれるのが憚られたためなのか、なぜか城の外でお出迎えをされているからだ。
城門の前で出迎えてくれたのは、侍女二人だ。そのうち一人が前に進み出る。
「遠路はるばるお疲れ様でございます。エルフィリア様の侍女としてお使えいたします、リオネッタと申します」
「出迎えご苦労様。エルフィリア・レオナールよ」
黒い髪をきつくまとめた無表情な女性だった。所作は丁寧で美しく、口調も丁寧なので、おそらく感情の波があまりないタイプなのだろう。
彼女はじっとエルフィリアを見て、そしてわずかに首を傾げた。
「とても薄着ですが、お寒くはありませんか?」
「とても寒いわ。でもこれ、レオナールの厚着なのよ……」
エルフィリアがそう返すと、リオネッタは小さく頷き、隣にいた茶色の髪の少女に声をかけた。
「ミーナ、エルフィリア様の防寒具を見繕っておいて。既製品で一次的にしのいでいただくから」
「承知しました! あ、私はミーナと申します。どうぞよろしくお願いします! エルフィリア様」
「ええ、よろしくね。ミーナ」
ミーナは明らかに若い。14歳ぐらいだろうか。エルフィリアにつけられるにしては新人すぎる気もするが、快活で表裏がなさそうなのは都合が良い。
今の所、敵国にきたというのに、自国の侍女よりもこの2人のほうがエルフィリアを敬っているように見える。
この寒さなら、自国の人間が、もう一枚ぐらいローブを持ってきてくれても良いぐらいだが、そんな気の利く侍女はここにはいない。
やれやれ、と思っていたら、あっという間にレオナール王国の馬車はどこかへ走り去って行った。
ーーー本当に、こんなにすぐに帰るの?
馬車の背を呆然と見つめていると、すっと横にリオネッタが立った。
よく考えると、エルフィリアが未練がましく馬車を見つめていたら、彼女たちも寒いのにこのまま外で立っていないといけない。
「あ、寒いわよね。中に入りましょう」
彼女たちの気持ちをくんだつもりだったが、リオネッタは静かに言った。
「防衛の都合上、レオナール王国の皆様は場外の施設でお過ごしいただきますが、侍女はお連れになってもよいので、呼び戻されますか?」
どうやら純粋に心配してくれたらしい。思っていたよりもまともな侍女がついたようだ。
少なくとも、自国で身の回りの何も世話してくれなかった彼女たちよりは、よっぽどまともだ。
「いいえ。私のための侍女はいないからいいわ」
「……かしこまりました。では、中へどうぞ」
事情を深く詮索しないのも良い。
エルフィリアの事情など詮索されても気まずいものしか出てこない。
城の周りをぐるりと水路が流れていて、その水路からは湯気が立ち上っている。どうやら凍らないようにするために少し暖かい水を張り巡らせているようだ。
エルフィリアは橋をわたり、城門をくぐると、そこで待っていた馬車に案内されて乗り込んだ。
馬車に入って驚いたのが、馬車が冷室のように寒いことだ。
これは嫌がらせなのか、と疑ったが、リオネッタとミーナに悪意があるようには思えない。
「……寒いわね」
「私のコートをお使いになりますか?」
「あ、それでしたら私のコートをお貸しします!」
試しに寒いとボヤいて見たら、リオネッタとミーナがそろってコートを脱ごうとしたので、それを手で止める。どうやら彼女たちに悪意はない。おそらく単純に、馬車を魔法で快適にするという習慣がないだけなのだ。
「魔法を使っても?」
「えーっと……特に魔物とかはいないですが、何に使うんですか?」
「この馬車を温めるの」
「温める?」
ミーナの無邪気な質問を見ていると、どうやらこの国では生活魔法が発展していないようだと気づく。ヴァルデン帝国は優秀な魔法使いも多い国で、軍事運用は進んでいるのに、生活魔法は研究していないようだ。
エルフィリアはため息を着くと、わかりやすいように詠唱した。
【冬の吐息を沈め、春の息吹をこの馬車に満たせ】
エルフィリアの詠唱とともに、エルフィリアの周囲に暖色の光とともに暖かい風が馬車のなかを巡った。冷たい風が外に出て行き、春の陽だまりの中にいるかのような穏やかな空気が馬車を満たす。
リオネッタとミーナはその様子を見て、とても驚いた表情を見せた。
「暖かいです……! 炎魔法ではないですよね?」
「生活魔法ね。強いて言うなら、風魔法に近いとは思うわ」
「生活魔法ですか?」
「生活魔法の概念もないの?」
ミーナは不思議そうな顔をして首をかしげ、そして隣にいるリオネッタを見た。リオネッタもまた、無言のまま首を横に振る。
どうやら本当に生活魔法がないようだ。
「もしかして……洗濯も手洗い?」
「洗濯、ですか? うーん……どうでしょう? 洗い場に行くことはないので分からないですね」
ーーーしまった。普通の侍女は洗濯しないわ。王女なのに洗濯せざるをえなかった私より、彼女たちのほうがよっぽど貴族らしい感覚だわ。
「確かに普通はそうよね。母は生活魔法を研究していたから、私は現場を見たことがあるの」
ーーー本当は、毎日洗ってたし乾かしてたけど。
この侍女たちは悪意もなさそうだし、エルフィリアの王女としてはあんまりの待遇をお知らせするのも、心配されてしまいそうで申し訳ない。あまり自国での待遇がバレないように大人しくしていよう。
怪しまれる前に話題を変えなければ。
「魔法で温度を調整しないと言うことは、城を暖炉とかで温めているの?」
「エルフィリア様の部屋をはじめとして、王族の皆様のお部屋には暖炉があって、暖炉で温めてます。私たちの部屋には個人の暖炉はないので、城の中心で温められた風を、城全体に送る仕組みで温度を維持しているんですよ」
個人の部屋に暖炉を設置すると、火の不始末で火事のリスクがあるからだろう。レオナールでは、冬の寒さはそこまで厳しくないので、どちらかというと涼しくする方法が特に重視されていたが、ここヴァルデンでは温めることを考えないとすぐに凍りついてしまいそうだ。
「この寒さの中、そういう仕組みで賄えるのはすごいわね。城内全体がこの馬車ぐらいの温度はあるの?」
「いえ! とんでもない。多分、あと10度ぐらい低いと思います」
それは嫌なことを聞いてしまった。
この馬車の気温は、春の日中ぐらいの気温で、今のエルフィリアの格好で快適に暮らせるぐらいの気温だ。これから10度下がったら、エルフィリアの格好では耐えられない気温になりそうだ。
そうして城について馬車から降りて、ミーナの言っていることが正しかったとすぐに実感することになった。
建物の中に入っても、とにかく寒いのだ。そして、皆、厚着である。エルフィリアの格好は明らかにこの城で生きて行くのに適していなかった。
石作りの城は、重厚で高級感のあるつくりではあるのだが、全体的に寒々しい。
「エルフィリア様、お寒いと思うので、こちらをどうぞ」
あまりに震えているのを哀れにおもったようで、ミーナが自分のコートを脱いでエルフィリアにかけてくれた。彼女の体温でじんわりとあたたかいそのコートは、彼女の優しさそのもののようだった。
ミーナとリオネッタは寒い城内を歩きながら、今日の予定を説明してくれた。
「本当は、皇帝、皇后の両陛下、それからエルフィリア様の婚約者である王太子殿下もお出迎えの予定だったのですが、急な魔物の討伐が入ってしまって、出払ってしまって、今日は戻られないと思います」
まずはリオネッタが状況を説明してくれた。
「お三方とも魔物討伐に?」
「はい」
「皆様が強い魔法使いでいらっしゃるので、この国は成り立っているんですよ」
リオネッタの返事は簡潔だったが、ミーナが言葉を足した。
「素晴らしいわね」
ーーーレオナール王族とは違うわね。
レオナールで魔物が出たら、絶対に王族は城から出ないと断言できる。民のために先頭にたって戦うなど誰もしないだろう。彼らは自分たちの権利にしがみついてふんぞりがえっているだけだから。
「エルフィリア様には、本日はお部屋でゆっくりくつろいでいただいて、明日の午後ぐらいに改めてご挨拶の時間を設けられればと」
「わかったわ」
エルフィリアとしては、のんびりできるのであればそれに越したことはない。どうせ、この国の皇帝にも皇后にも、将来の夫である王太子にも良い印象は持たれていないのだ。
敵国で政治的に価値も薄い王女など、挨拶などしてもしなくても変わらないぐらいだ。
そんなやさぐれた気持ちとは裏腹に、リオネッタとミーナにはきちんと気遣われながら、城内を歩き続け、そうして、ようやくとある部屋の前で立ち止まった。
「エルフィリア様のお部屋はこちらです」
ミーナがそう言って扉を開けようとしてくれた時だった。部屋の中からキャッキャと騒ぐ女性たちの声が聞こえてきた。
「お姫様、そろそろ来るかしら?」
「ああ。戦争の賠償金の残債を取り消す代わりに寄越されたかわいそうなお姫様でしょう? 無能だからと売り飛ばされるなんて、王女も楽じゃないわよね」
ーーーなるほど。私、賠償金がわりに差し出されたのね。花嫁じゃなくて借金のカタだったとは。
自国でも知らされなかった事実を知れてありがたいと呑気に思っていたら、隣のミーナの手が小さく震えていた。リオネッタも、ベースは無表情ながらも、かすかに動揺した様子で立ち止まった。
まあ、敵国だろうがなんだろうが、自分の同僚が王女の悪口を言っていたら気まずいのは分かる。
しかし2人のそんな気まずい空気の中、部屋の中の話は進行していく。
「アレン王太子殿下もあんな女を押し付けられて可愛そう。どうせ、敵国に押し付けられる王女なんて、対して美人でもないでしょうに」
「そうね。でもまあ、無気力で無能な王女という噂だから、御しやすくていいんじゃないの?」
「無気力なら侍女の人数、減らしてくれないかしら。こんなところに配属されるなんて」
「まあ適当にやっていればいいでしょ。あんまり文句も言わないんじゃない?」
出迎えてくれたリオネッタとミーナがまともな対応だったので忘れていたのが、和平を結んだとはいえ、ここは数年前まで戦争をしていた敵国だ。
このぐらいの悪口は、序の口だろう。
ーーーこういうのは、序盤が大事なのよね。
エルフィリアは王太子の愛は望まないが、唯一望むものがある。
それは、穏やかで快適な暮らしだ。
それを脅かすものとは、戦わなければ。
「どいて」
手が震えているミーナに変わり、エルフィリアは自らその扉を開け放った。




