第九章第一話 ~故郷からの手紙~
「お兄ちゃん、お父さんから私たち宛てに手紙が来てるんだけど」
妹のニーナからそんなことを言われたのは、レイバール伯爵領での継承騒動が終わってからしばらく経った、ある晴れた昼下がりのことだった。
昼食を終えて予定もなく自室で休んでいたところに、ニーナがやってきたのだ。
「手紙ったって、何ごとだ? こっちから送るならともかく、普通の農家には安い出費じゃないだろうに」
僕ら兄妹がこっちに出て来てからまだ数か月なのにわざわざ送料が安くもない手紙なんて書いて来た不自然さはニーナももちろん気付いてたのか、首を傾げている。
もしや何かあったのではないかとの不安を抱えながら読んでみれば、思ってもみなかったことが書いてあった。
「森のエルフたちが、なぁ……」
曰く、森の中が『何か』おかしい『感じがする』。
だから、身近な範囲で一番の出世頭の僕の伝手で、誰かその方面に詳しいものを呼べないかと、森のエルフたちの村長がうちの実家にまで来たらしい。
「だけどなぁ……」
「だけどねぇ……」
「「あのエルフたちだし」」
日本に生きていたころの森の民なファンタジー種族エルフならば、僕は信じても良かった。
ただ、この世界の、少なくともうちの故郷の集落の隣に住んでいたエルフたちは、子供たちの遊び場にお菓子を持ってきて、長寿故に実際に見ていたおじいちゃんおばあちゃん世代の恥ずかしい話を子や孫たちに披露しては爆笑してる連中だ。
神秘も何もない、ただの長生きで世話好きな近所のおばちゃんである。
そんな連中の直感が、と言われても、イマイチ危機感が湧かない。
そもそも、冒険者は肉体労働系であって、知的労働系の伝手などあるはずもないし。
でもまあ、わざわざ向こうの村長さんがうちの実家に頼んだくらいであるし、全く信じないのも気が咎める。
なんで、餅は餅屋と言うことで、彼女の部屋を訪れたのだ。
「お前の故郷のエルフが、か」
ヤクサ家の次女、ハーフエルフのメアリーである。
半分とは言えエルフの血が入っている彼女なら、エルフたちの感覚がどこまでアテになるのか意見がもらえると見込んでのことである。
メイドとして家事が残るニーナとは別れたので、俺一人の訪問。故に、ほんわか仮面を取ったガチモードである。
――あるのだが、何か思ったよりも深刻過ぎる顔をされて、どう反応すれば良いかわからないんですが。
「お前の故郷って、確かド田舎だったよな?」
「お、おう」
「じゃあ、戦闘用に多少使えても、地元に魔法系の専門家なんて居ないだろうし、この程度じゃ地元ギルドなんかも人材を呼ぶとかは無理だろうし……ここは、ちょっと無理してでも学者先生を探した方が良いぞ」
「え? いや、え?」
あまりにも深刻な表情に戸惑っていると、ふと何かに気付いた様子でさらに言葉を続けてくれた。
「魔法系の連中の間の俗説なんだが、エルフってのは精霊との感応能力が生まれつき高いらしいんだよ。教会で回復魔法を習ってた頃の先生も、経験上たぶん間違いないって言ってた。私の覚えが他より良くて、そのことを教えてくれたんだ。まあ、私も純血のエルフほどじゃないけど感覚が鋭いって言われても、他の連中の感覚なんて分からないから実感はないんだけど」
なるほど。
そう言うことなら、メアリーの危惧も分からないでもない。
あの愉快なエルフたちも、結構すごい連中だったんだな。
同時に、ものすごい伝手が身近にいたことも思い出した。
「って訳で、助けて下さい、ルーテリッツさん!」
「ひぃっ……!」
「なんでぇ、わたしまでぇ~……」
ルーテリッツさんって、出会った時はただの引きこもりだったけど、精霊と会話できるうえに魔法学院卒のガチエリートだったのだ。
メアリーから精霊との感応能力云々を聞くまですっかり忘れてたけど。
あとメアリーは、エルフの感覚が云々って説明する係として手を引いて連れて来た。
俗説って言ってたし、ルーテリッツさんが知ってるとは限らないから、説明用に連れて来たのである。
結論から言えば、必要なかったけど。
「わ、わかった……」
「え、本当に良いのか? 遠出だし、知らない人がいっぱいだし」
「ほ、他の人たちに頼めるほどじゃ、ない、し……エ、エルフ、たちは、精霊たちに、まだ敏感、だから……」
精霊を見て会話もできる人のお墨付きで、エルフの精霊に対する感応能力の高さが認められてしまった。
まあ、これはルーテリッツさんの世間に隠している特殊能力ありきで分かることで他者に説明できないし、けどヤバそうなのは確かだから自分で来てくれるってことか。
「ありがとう! じゃあ、具体的な日程なんかは近々改めて!」
そんなこんなでルーテリッツさんの部屋から出てすぐ、メアリーが口を開いた。
「私は行かないぞ」
「いやまあ、こっちの問題だし、そりゃ嫌ならそれまでだけど……」
誘ってすらないのに先制で断られるという、メアリーの自意識過剰な行動に軽く引いていると、ため息一つの後に再び口を開いた。
「良いか? この先は、野生を生き抜いた元戦災孤児としての助言だ。当時はな、年に何回か、よく分からないけどとんでもなくヤバい感じがすることがあったんだ。私は、その直感に従って生き残ってきた。それに従って、その時その時手を組んでた連中にも忠告したけど、大人も子供も、男も女も、私の忠告に従わなかった奴で生きて戻ったやつはいない。――いや、正確には、生きて戻ったやつも一人だけいたけど、何も語らずに自ら命を絶った」
その目には、何とも言えない凄みがあった。
修羅場を何度もくぐってきたからこそ出せる迫力、とでも言えばいいのだろうか。
「今回は、逃げるんじゃなくて、お前の故郷のエルフたちは『何とかしないといけない』って直感が語ってるんだろう。だったら、きっと、何とかしないといけないんだろう。それも、本能が悲鳴を上げるような、デカい何かをな」
完全に飲まれた僕は、そっと距離を詰めて耳元で囁く言葉に、何の反応も出来ず、ただ聞いているしか出来なかった。
「私の直感が、エルフの血の感応能力によるものなのかは分からん。でも、そういうものかも知れないって覚悟は決めた方が良い。だから、その森を探索するなら、自衛に不安のある『お荷物』はとにかく減らせ。ルーティは、魔力は大きくても性格からして根本的に戦闘に不向きだ。加えて回復専門の私も、となれば足手まといが多すぎる。普通の危険地帯だと思うな。生き残るために邪魔な要素は、出来るだけ減らせ――覚悟を、決めろ」
黙って一人で去る少女の背中を、何とも言えない感情を抱えたまま見ることしかできなかった。




