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第七話 ~かつてあった日々・下~

「私にかき集められるだけの金貨を集めたわ。少なくとも、当面は何とかなるはずよ。だから、あなたは早く逃げて。このままじゃ、あなたまであの伯爵と一緒に殺されてしまうかもしれない!」


「……は? いや、急に何を言ってるんだ?」


 恐らくは金貨が詰まってるんだろう小袋を手に必死の剣幕で言葉を紡ぐ少女を、何とか落ち着けたイサミ。

 そのまま少女を、以前彼女の娘が寝かされていたベッドに並んで座らせ、とにかく情報収集を優先する。

 錯乱状態だったとは言え、先ほどの発言は無視するにはあまりに尋常ではなかったからである。


「俺が逃げなきゃならない理由から聞いても良いか?」

「……うん。今、このレイバール伯爵領では、増税しようって話が出てるの」


 いわく、隣国との戦争や宮廷闘争など、とにかく出費がかさむ出来事が立て続けに起こり、しかもこの先少なくとも数年単位で続く見込みなんだそうだ。

 そして、曲がりなりにも自ら派閥を率いるレイバール伯爵としては、出費を減らしては示しがつかないし、状況について行けなくなる。

 今すぐにでもお金が必要な状況で、ゆっくり領内に投資する費用も時間もない。

 だったら、増税以外に方法がない。


「だけど、そう簡単じゃないの。地縁血縁で結びついた氏族連合のトップに居る形の伯爵は、何でもできる訳じゃないの。それぞれの氏族の利権を保護して、代わりに忠誠を得る。なのにそれを無視して伯爵が増税を強行しようとしてる。だから、氏族連合は武力行使で伯爵を排除することにしたの。六大氏族で示し合わせての、完全な奇襲による短期決戦」

「……その、俺は伯爵の部下ってことになってるんだけど、話してよかったのか?」

「言うの? 別に、あの人に個人的な思い入れとかないでしょう? それに、すでに兵力は動き始めてる。今更伯爵が動き出しても、精々が泥沼の戦いに持ち込むのが限界。その上、たぶんここでの立身出世とか目指してる様子もないあなたじゃ、関わるだけ損だしわざわざ首を突っ込まない。明日にも戦いが始まるだろうから、それまでに逃げてね。――それに、もし言っちゃうなら、それは私に人を見る目がなかっただけだから。バカな女だって笑ってよ」


 持たされた金貨袋を手に、伯爵の居城に与えられた自室へと帰る。

 彼女に直接言ったわけではないのに勘付かれてた様子だったが、立身出世とは全く違う目的がある以上、確かに地元の面倒事は御免だ。

 地位なんて貰っても姉の討伐の邪魔にしかならないし、内乱明けの領主から貰えるものなんて物理的に知れている。特に、地元勢力を片っ端から敵に回してるなんて、反乱勢力側が奇襲を成功させて短期決戦にする以外、どう転んでも領地は大打撃に決まってるんだから、地位や領地なんて身動きできなくなるもの以外恩賞を出しようがないんだから。

 命を懸けて参加する理由なんて、それこそ皆無。


 どう考えても、答えは決まっている。

 ソニアの好意を受け、貰った金貨を手に逃げるのだ。

 姉のを追うための軍資金稼ぎって意味では、期間を短縮できたのは大儲けだ。何も問題はない。

 そう。訪れることが決まっていた別れが、多少早まっただけ。事情が変わったんだから、迷うことなんてないじゃないか。


 そうして、背負える程度しか残っていない私物をまとめようと決意したところで、ノックの音が響く。

 すでに日が暮れ、ソニア以外に個人的に親しくしている相手も居ないのに何事かと思いながら扉を開くと、そこには見覚えのない兵士が一人。


「ご当主様がお呼びです。ただちに執務室までお越しください」


 急な話に、とりあえず肯定の返事を返し、身支度があるからと部屋に入って考える。

 反乱の件かとも思うが、関与を疑われるようならばすぐさま拘束されているはず。

 反乱に関係あろうとなかろうと、ここで暴れて敵を作る必要はない。どうせ武器は預けさせられるし部屋に置いていくことになるのが心配だが、過剰に反応して荒事になる方が怖すぎる。


 そうして覚悟を決め、丸腰のまま伯爵の執務室へ。

 しかし、その覚悟は一言目で崩れ落ちることとなる。


「あの、もう一度、お聞かせ願えますか……?」

「六大氏族の一角、エディラ氏族が反乱を起こそうとした。この領都近くへと兵力を進めていたのだが、カテリア氏族にゲオリア氏族の兵力と伯爵家の直轄戦力の連合軍で奇襲し、これを殲滅せんめつしたそうだ。これといった証拠がなく念のために動かした兵力だったが、緒戦から最高の仕事をしてくれた。残りの氏族にも動員を命じたが、剣術指南役であるお前にも部隊を率いて――」


 気付いた時には部屋を飛び出していた。

 きっともう戻らないだろう自室に飛び込み、刀と私物、金貨をひっつかみ、そのまま城も飛び出す。


 ソニアは、完全な奇襲からの短期決戦を目指すと言った。

 確かにわざと情報を流して油断させるのも策としてありえないとは言えないかもしれないが、エディラ氏族が『殲滅せんめつ』されたのが気になる。

 予定通りなら、適当に戦って逃げればいい。正面から戦ってどうなるというのか。


 考えすぎならばいいのだ、そうであってくれ。

 そんなことを考えながら駆け抜けたイサミを迎えるのは、すでに一階から火が上がる通い詰めた屋敷と、それを囲むまばらな兵士たち。


「む? 何者――」

「押し通る」


 こちらに武器を向けた兵を、問答無用で斬り捨てる。

 騒ぐ時間は与えない。

 すでに火が上がった以上、のんびりしている時間もない。


 いつも使っている二階の窓へとつながる木への道に居る兵士ざっと十人ほど。軍事拠点でもないし、出てくる者を見落とさない見張り程度の、名ばかり包囲網なのも当然だ。

 そして、自らの存在を知らせぬままに口を封じられるとの意味で、イサミにとっては願ったりかなったりでもある。


「ソニア!?」


 目撃者をすべて一刀のもとに消し、いつもの窓から侵入したイサミが見たのは、ベッドにもたれ掛かるソニア。

 そして、その腕の中に居る娘のクロエであった。


「ああ、本当に来ちゃった……神様も、なんでここだけ願いをかなえてくれるのかなぁ……」


 階下から剣劇の音が響く中、異様に落ち着き払っているソニアに、イサミは声をかけられない。

 その全身からあふれ出る血潮を前に、自分が間に合わなかったことを知ってしまったから。

 人間ならば、きっと意識も失っている。種族特性として生命力の強さがある獣人だからこそ、まだ口を開いていられるんだろう。


「まさか、他の氏族たち全部に裏切られるとは思わなかったなぁ。お父様も運がないんだから」

「ソニア……ソニア……!」

「あ、この子が静かなのが気になる? ちょっとお薬使ったの。今は騒がれると困るから」

「逃げよう……すぐに逃げよう。俺、これでも強いんだ。きっと二人とも逃がしてみせる――」

「ねえ、イサミ。この子をお願い」

「それじゃあ君が――」

「もう助からないよ。だから、お願い。日が昇るまでは薬が効いてるはずだから、急に騒ぎ出したりはしないの。ずっと面倒見てほしいとは言わない。どこか、出来るだけ遠くの孤児院にでも入れてくれればいい。だから……だからこの子には、生きさせてあげて。私の分まで……」


 何も答えられない。

 そのまま、震える手で何とか差し出された子を受け取る。


 無力だった。

 例え叶わぬものだとしても、自分が惚れた女一人守り切れなかった自分が、恐ろしく無力だと思う。

 剣の天才だのと幼いころからもてはやされようとも、守ってあげられるのはその刃の届く範囲だけ。姉の凶行を止められなかったときに父親の死という形ですでに知ったはずなのに、どうして刃の外の彼女を守れなかったことがここまで悔しいのだろうか。


「……この子はクロエだったな。間違いなく預かった」

「あー……『リディエラ』」

「ん?」

「その子は、今日からリディエラ。銀髪の獣人は珍しいけどそこそこ居る。だけど、名前まで同じじゃマズいでしょ? だから、新しい名前。伯爵のつけた名前じゃなくて、私があげるの。私の大好きな古い物語に出てくるお姫様の名前でね、与えられた運命を拒絶し、自らの剣の腕一本で運命を斬り開いて見せた、ただ周りに流されるだけであった私とは正反対の、強い女の子の名前。そんな風に生きてほしいって、私の願い」

「……リディエラ。良い名前だと思う」

「そう、良かっ、た……」


 もう、彼女が言葉を返すことはない。


 その後、焼け落ちる館を背に、一つの影が闇の中へと消えていった。





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