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第六話 ~かつてあった日々・中~

「うわぁ、驚いた。脚力なら誰にも負けないと思っていたけど、私もそんなことは出来ないわ。どちらかと言えば、技術によるものかしら? 見たこともない異国の服を着たお兄さん、あなたはだあれ?」


「え? あ、イサミ・ヤクサです。先日、ここに剣術指南役として雇われた者でして」

「そう。私はソニア。ソニア・エディラ・レイバール。噂の剣士さんだったのね、びっくりしたわ。そう気を遣わずに、普通に話してちょうだい? レイバールの家名は持っていても、私的な場でかしこまられるほどに大層な身分じゃないから」


 樹上の自分と、お屋敷の二階の窓の少女。

 そんな普通じゃない状況に、明らかに領主と関わりある少女からの敬語をやめろのお言葉。『噂の剣士さん』とやらの風評も気にならないでもないしどうしようかと考えている間に、先に口を開いたのは少女の方だった。


「ねえ、良ければ、『外』のことを教えてくれないかしら?」

「外、ですか?」

「……」

「外、か?」

「ええ。私、領外どころか領内すらほとんど出歩いたことがないの。あなた、遠い異国からの旅人なんでしょう? だから、その話を聞いてみたいなぁ、って」


 イサミとしては、これはズルい、というのが正直なところだった。

 イサミが敬語で問いかければ悲しそうな顔をし、外の話を聞きたいと申し訳なさそうな顔をする。

 『レイバール』との、ここの領主である伯爵と同じ家名持ちの少女をないがしろにするって選択肢は確かに元々取りにくかったが、こんな顔をされては、余計に断りづらい。

 いっそ、家名相応の威圧的な態度で来てくれた方が、どれほどやりやすいことか。


「……まあ、良いですよ」

「ほんと!?」


 内容は、彼女の希望もあり、このレイバール伯爵領についてとなった。

 イサミとてそこまで特別詳しいわけではなかったが、自らの姉の潜伏先候補として一通りは情報を集め、自らの足も使って調べた場所ではある。

 そうして見聞きしたことを精一杯の話術でもって語るだけで必死だったのだが、反応は上々。


 時間も忘れ、程よい合いの手にも促されながら気分良く語っていたのだが、それに水を差すように柱時計の時を告げる音が響き渡る。


「あ、行かなきゃ……」


 そんな少女のつぶやきに、この時間の終わりを悟ったイサミ。

 適当に別れのあいさつでもして別れるかと考えている間に、先手を取ったのはまたしても少女だった。


「その、またお話しできない?」


 言われて、考える。

 討伐対象たる姉のことに関係しない時間を過ごすのは、久しぶりのことだった。

 国を出てからはずっと今は亡き部下たちと会議続きで、現在では一人になればどうすれば強くなるかを考え、剣術指南役として働きながらもどのように戦えばいいのかをつい考えてしまう。

 だけどこの時間は、そんなものとは無縁だった。

 終わってみれば、こんなに清々すがすがしい気分は随分と味わっていなかった。

 日の傾きを見るにそう時間も経っていないし、今回のように短時間であれば、気分転換にはちょうど良いのかもしれない。


「……うん、分かった。時間が合えば」

「本当!? じゃあ、明日はどう? また、この時間に!」


 そうして、イサミと少女の交流は続いた。

 タイミングを逃してしまい、少女の正体を聞くことこそできなかったものの、ねだられるままに毎日通っている。

 イサミにしてみれば、息抜きで通っているのだから、彼女の立場を聞いてしまえば気も休まらなくなるとの思いもあったのかもしれない。


 そうして八日目のことである。

 最近はイサミの故郷の話をねだられることが多く、今日はどんな話をするべきかと色々と考えながら約束の時間ピッタリに、いつもの木を登ったイサミだったが、今日は誰も居ない。

 いつもならば目を輝かせた少女が待ちわびているはずが、ただ開きっぱなしの無人の窓があるだけ。


 中から気配はあるものの、はて声をかけても良いものかと、そう言えば自分たちの会合が密会のたぐいであることを思い出しながら考えていると、窓枠の下側からひょっこり現れるケモミミ。そして、赤い髪。


「ああ、ソニア――」

「シーッ!」


 普通に声をかけるだけで、なぜか必死な様子で静かにするように身振り手振りで示してくる。

 ならばと、今度は声を潜めて尋ねる。


「どうかしたか?」

「えっと……まあ、今日は誰も居ないから良いか」


 返事に代わり、そのまま室内へと招かれる。

 初めてのことに、しかし今更罠もないだろうと最低限の警戒だけをしながら入っていくイサミ。


 室内は、随分と落ち着いたものだった。

 生活感がないわけではない。

 安い部類のものですら庶民では手が届かない高級品である本が何冊か並び、いくつか人形もあったりする。

 殺風景というより、こまめに整理が行き届いていると言った方が正しいのだろう。


 少女は、そんな部屋の隅にあるベッドの側に立っていた。


「この子、やっと寝てくれたところなの。普段のお昼寝の間は乳母に任せてるんだけど、今日はお休みでね。メイドたちも外回りのお仕事ばかりで、誰も残っていなかったから。母親としては、本来当然の仕事なんでしょうけどね」


 そこで寝息を立てていたのは、銀髪な獣人の子ども。年は、一歳から二歳ってところだろうか。獣人の成長については専門外だからはっきりとは断定できなかったが。


「……ん? 母親? 誰が?」

「私よ?」

「……はぁ!?」


 今度は口を押える強硬手段で声を抑えられ、そこに当の子どもが寝返りなんて打ったのを「目が覚めたか」と二人して慌てて目をやり、そんなことがなくて二人してため息をついてから一拍。


「まあ、気持ちは分かるわね」


 声を潜めて少女は語る。


「私が伯爵に側室として嫁いだのは、まだ十一歳の時だった。それからすぐに妊娠だもの。普通に考えて、母親として若すぎるものね」


 聞けば、本当は彼女の姉が嫁ぐはずだったそうだ。

 だが、その直前に大病をわずらい、命こそ助かったが、子を産めない体になってしまう。

 そこで代わりに、次女だったソニアが嫁ぐこととなった。


「このレイバール伯爵領は、当事者でもすべては分からないくらいに複雑な無数の婚姻同盟で結びついているの。その厄介な地縁血縁関係の中で生まれた派閥のようなものが、『六大氏族』。私の名前の中に入っていた『エディラ』も、そのうちの一つよ。私は、そのエディラ氏族の直系って言われている家系の娘。正直に言って氏族同士の中はお世辞にも良いとは言えない中、主家筋へ直系の娘を嫁がせられる機会は失えなかったらしいわ。例え側室でも、政治的にアレコレがあるらしいの――って、お父様が言ってたわ」


 だからこそ、いくら早くとも結婚なんて精々が十代後半からの今この時代に、幼くして嫁いだ。


 イサミとて、国へ帰れば貴種の血筋。こういった話とは無関係ではなかった。

 無関係ではなかったからこそ、『理解』していることが『納得』していることと等しいわけでないこともよく知っていた。


「なあ――」

「心配してくれなくても大丈夫よ。エディラ氏族の直系の娘として、むしろレイバール伯爵の側室なら望みうる限り一番いい嫁ぎ先だもの。それにね、この子に――クロエに出会えた」


 そう言って、自らの娘の頬をそっと撫でる少女。

 どうしてだろうか。今まではただ幼かったその顔が、ひどく優しく、慈愛に満ち、どこまでも美しい。

 思わず目が離せなく――


「どうかしたの?」

「――いや」


 それ以上は、何も答えられなかった。

 また翌日、いつもの時間に待ち合わせることを約束し、どうしてか自らの意思に反して早くなった鼓動を気付かれないようにさっさと立ち去る。


 翌日、イサミはいつものように少女の元をおとずれ、いつものように二人で異国の話をして帰った。


 また翌日、イサミはいつものように少女の元をおとずれ、いつものように二人で異国の話をして帰った。


 そのまた翌日、同じことを繰り返した。


 ソニアの気持ちは、イサミには分からなかった。

 だが、自らの気持ちには心当たりがあったからこそ、彼はこの少女のところでこれまで通りに振る舞い続けた。

 詳しい素性の分からないただの・・・少女に対していた時のように。


 そうして四日目。終末は、突然訪れた。


「私にかき集められるだけの金貨を集めたわ。少なくとも、当面は何とかなるはずよ。だから、あなたは早く逃げて。このままじゃ、あなたまであの伯爵と一緒に殺されてしまうかもしれない!」





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