第二話 ~『クロエ姫』の事情~
「そ、そそそそそ、粗茶ですガ!」
声が裏返りながらも来客にお茶を出すというミッションをやり遂げたニーナは、重苦しい空気の中で震えながらも、部屋の隅に下がっていく。
我らがパーティホームの居間。
そこで、師匠と、師匠が殺そうとしていた来客たちは、ちゃぶ台を挟んで睨み合っている。
来客の方は、玄関で口を開いていたおじさんがちゃぶ台の前に居て、残りはその後ろに二列で並ぶ。この統制のとれ方からして、軍人なんなりの相応の訓練を受けた人たちだろうか。
玄関先での凶行を何とか説得することで思いとどまらせることに成功した僕とリディのとりなしにより、今回の話し合いが行われることとなった。
なお、師匠の殺気に当てられたルーテリッツさんはすでに倒れて自室に運ばれている。政治系なら僕が一番マシな対応ができ、来客対応はニーナの仕事で、師匠とリディが当事者だから、消去法で自分が面倒を見ると申し出たメアリーが看病することになった。
まさか、この重苦しい空気に不穏なものを感じて逃げ出したわけではあるまい。うん。
「ニーナ?」
「は、はひぃ!?」
「ちゃんと、お客様に出すお茶には、毒を仕込んでおいたかい?」
「はい! ……はいぃ?!」
師匠的には、お茶目なジョークのつもりか何かなんだろうか……?
コミュ力の異様に高いニーナがどうするべきか分からずにおどおどする中、そもそもお茶に手を付けようともしていなかったお客様方は特に反応もせず、ただ沈黙が続く。
涙目になるニーナに、実の両親に関する話と聞いて他に気を回す余裕を失ってるリディも、単に空気に流されて口を開けなかった僕も声を掛けられない中、沈黙を破ったのは師匠だった。
「何人かは昔見た顔だな。どれも違う血族派閥だったはずだが……ハッ、次期後継者争いで敗退したな? 何を考えてるやら知らないが、後ろ盾となる血族が滅んだリディを傀儡にして、伯爵家の後継争いにもう一度参加しようってか」
「誤解です、剣術指南役殿。我々は、権力を私物化しようとする不届き者どもからレイバール伯爵家を――」
「不届き者? ああ、『彼女』――リディの母親が政治的に嵌められて、血族もろとも滅ぼされたのを、ライバルが減ったって大喜びで見てたお前らのことか?」
「ってことがあったんですけど、どうすれば良いと思います?」
「知らん」
それだけ言うと、ハーミット様はスコーンようなお茶菓子に満面の笑みでかぶりついた。
客人たちとの大騒動も昨日のこと。今日は、朝一番からハーミット様の執務室にリディとお邪魔していた。僕とリディはお揃いのギルドの制服に身を包み、さらにリディは目立つ銀髪を一時的に黒く染めている。
師匠と客人たちの話し合いは、あのあと部外者には理解できない言い合いとなって、何の収穫もないままに終わってしまった。
客人たちが一度宿に引き上げ、頭を冷やしたいって師匠が自室にこもり、困った僕はアイラさんを頼って黒竜騎士団の駐屯地にリディと共に向かった。そこで、表の政治の話なら、とハーミット様と面会するように勧められた。
で、権威的にとんでもないお偉いさまなはずのハーミット様と、なぜか翌朝一番に面会である。実は近衛騎士団一番のお偉いさまだったエミリアちゃんまでは来れなかったのか、必要がないってことなのか、お茶の準備をしたメイドさんは見たことのない人で、とっくに室外に下がったんだけど。
「あの、『知らん』って……」
「領主たちは形式上、代替わりごとに領地と爵位を与えられるってことになっておる。しかし、実質的には世襲するものになっていて、理由なく領地や爵位を取り上げれば他の領主たちからもクレームが飛ぶのじゃ。加えて、次期当主の選定に、呼ばれもしないのに中央が口を出せば不当干渉になる。中央のわしが、気軽に口を出せる話ではないのじゃよ」
その答えに、緊張できょろきょろ見回しながら口を開けていないリディも、目に見えて肩を落としている。
だが、ハーミット様の言葉はそこで終わりではなかった。
「まあ、昨日の夜に少し調べて、レイバール伯爵家のことは少しならば話せるのじゃ。そこの娘の母親らしい人物は、確かに謀反未遂で血統丸ごと滅ぼされておる。その中で、『クロエ』との名の娘も、抵抗を選んだ母や館と共に焼け死んだことになっておるな。まあ、地縁血縁から来る対立が酷く、資料を何度も読みなおしたわしでも理解しきれんほどには酷い状態らしいからの。何があったやら怪しいものじゃが、少なくともイサミ・ヤクサは冤罪であると確信しているようじゃな」
「そう、ですか……」
その言葉に、ようやく口を開いたリディは表情が少し和らぐ。
実の母親がクーデターなんてやらかしてなかったんだろうって思えて、少し安心したんだろうか。
だが、流石に次の発言は衝撃的過ぎた。
「ここで、あくまで非公式な発言としてお勧めするならば、お主ら二人が結婚して、後を継ぐことじゃな」
「……え?」
「はぁ!? な、なんでそうなるのよ!」
相手の地位に関係なく、リディが怒鳴ったのは悪くないと思う。
こっちは真剣に相談に来てるのに、この見た目だけ幼女は、身を乗り出しながら何を言ってるんだか。
「割と本気じゃぞ? 血統はリディエラが補い、実務能力はミゼルが補う。反応を見るに、好いておるとは言えずとも、結婚そのものが嫌と言うほどではないようじゃしな。見も知らぬ連中に比べれば、わし個人としては安心できる。どうじゃ? やる気なら、中央軍を動かしても良いぞ?」
「は、はぁ!? ちょっと、いきなり何を――」
「てか、中央軍を盾に乗り込んで爵位を奪い取るって、中央に逆らったら、中央はもちろん、中央の犬扱いされてるから地元の助けも借りられないで詰むパターンじゃないですか? ちょっと、勘弁してください」
「……まあ、ここで簡単に目がくらまぬからこその期待ではあるのじゃがな。惜しいのう」
と、つまらなそうに、しかし簡単に引き下がってくれる。
「他の跡取り候補も女しか生き残っておらぬようじゃから、出産時の死亡リスクなどでの性差による有利不利はなし。おそらく、家督継承法に従っての不平等投票で決せられるじゃろう。関わりたくないならば、伯爵家の領地に赴いて、正式な協議の場で継承権の放棄を宣言するしかあるまい」
「あの、伯爵家の領地で、ですか?」
「言ったじゃろう? 爵位の継承は、もはや中央も関われぬお家騒動。家督継承法とて中央が定めてはおるが、本来は皇帝の地位の継承に関するもので、それを実態に合わせて爵位に準用しておるだけじゃ。その領地に行かねば、どうしようもないじゃろう。特に、すでに生きておることが知られてしまっておるならばな。継承権者の立ち位置がすべて明らかにならねば、手続は進まぬのじゃ」
ああ、リディ。「なんだ、簡単じゃない」なんて言ってる場合じゃないんだよ。
一族を殺し尽された唯一の生き残りのお姫様が、みんなが争っている爵位継承戦の真っ最中に、爵位継承権を引っ提げて帰ってくるんだぞ。
しかも、地縁血縁を理由に深くなるほど対立が古くから続いてるんだろ?
「理由はどうあれ、すでに『クロエ姫』の継承を支持する者もおるんじゃろう? 継承権を放棄しに赴くと、信じてもらえることを祈っておるよ」
ハーミット様の祈りが通じなければ、何が起きてもおかしくないんだから。




