第七章最終話 ~高貴なる幼女~
色々あったが、大体は平和と言える日々が続いている今日この頃。
「たまには休息も必要だから」との師匠の教えで定期的に入る半休日である今日は、昼食後にやることがなくなり、何となく一人で街中を歩いている。
パーティーホームの近所の商店街に差し掛かり、フード付きマントで全身を隠す幼女っぽい人物とすれ違いながら考える。
「おい」
『至高の斬撃』とは、果たして何なのか。
「おい、ミゼルよ」
いや、師匠の一撃からすべてが始まり、僕の目指すべき道の果てがその先にあることも明白なんだ。
ただ、その果てに至るための道は、決して一つではないのかもしれない。
そう、例えばマトイ・ヤクサが――
「返事ぐらいせんか!」
「痛っ!」
僕が感知するよりも早く、後方から僕の右太ももへと杖による打撃が加えられる。
「いやだって、お忍びのところに声を掛けるのはマズいでしょう?」
「ならば、わしから声を掛けた段階で返事出来たじゃろう?」
そう言うのは、皇帝陛下の相談役であるハーミット様。
義務教育の教科書にすら載っているらしい大物が顔を隠しながら一人で歩いているとか、絶対に厄介事だろう。
僕に気付かずにどっか行ってくれないかなぁ、なんて儚い祈りは打ち砕かれ、無言で促されるままにハーミット様に続いて人の気配のない路地へと入る。
下手人が元神様なんて規格外だろうと見た目だけは幼女なことと、殴られた僕との雰囲気が険悪でないこともあってか、もう誰も気にしていないようだ。
「そう警戒せんでもよい。別に、積極的に何かしろと言うつもりはないのでな」
「あ、そうですか」
「ここで見るからにほっとした様子を見せるとは、交渉に向いてないと言うか、わしをそれだけ信用していると判断すべきか……」
何やらぶつぶつ言ってるハーミット様だが、すぐにため息を一つ入れて気を落ち着かせると、改めて口を開いた。
「もしも、『のじゃのじゃ』言ってる、無駄に偉そうで、高そうな生地でできた服を着ている幼女が居たら、宮殿まで連れて来てくれればよい」
「はぁ、その幼女は……」
と、ここで慌てて口を閉じる。
だって、その『のじゃ幼女』さんって、明らかに良いとこの娘さんだし、皇帝陛下の相談役なんてお偉いさん自ら探すほどの訳ありなんだ。絶対に、深入りしたら面倒なことになるやつだ。
「まあ、賢明じゃな。あと、もしも見つからなければ、誰にも言わずにそのまま忘れよ。それと、連れてきた報酬はギルドを通して支払おう。現金五十万デルンを用意してあるが、他の形が良ければ応相談じゃ。ギルドを通して要望を出すのじゃな」
そのまま去りゆく背中を見送ろうとすると、背中越しに最後の言葉を掛けられた。
「そう言えば、見つけておいて放置する、というのはお勧めできんぞ。巻き込んでおいて悪いが、場合によってはとんでもないことになりかねんからな」
そんな不吉な言葉を残し、今度こそハーミット様は去った。
とりあえず、僕も散歩を再開する。
まあ、積極的に探さなければいけない訳でもないし、大丈夫だろう。
三十万都市の帝都で、たった一人の幼女と出会う確率なんてものは――
「だからね、お嬢ちゃん。今お金を持ってないなら、そのリンゴを売ることは出来ないんだって」
「じゃから、払いは城につけておけと言っておるのじゃ! 商人たちは、誰もがいつもそれで売ってくれておるのじゃ!」
デザインはシンプルでも、明らかに高そうな生地で出来たワンピース。
その辺の商店街の小さなお店でリンゴ一個をツケで買うのが当たり前と思っている世間知らずぶり。
「何でこうなるし……」
あー、知らんぷりしたい。
絶対に存在そのものが厄介事だろうからこの幼女を見なかったことにしたいけど、ハーミット様の警告もあるしな……。
「まあまあ。ここは一つ、僕が代金払うから。ほら、おじさんもお嬢ちゃんも、これで解決ってことで」
そうして、リンゴの代金にいくらか色を付けて疲れた表情の店主のおじさんに渡し、幼女の手を取って騒ぎに集まってきていたやじ馬たちの中から連れ出す。
「何やらよく分からんが、とにかく助かったのじゃ」
「うん。まあ、そのお礼は素直に貰っておこう」
騒ぎから十分に離れたところで幼女のペースにまで歩く速度を落とし、手を繋ぎながら通りを歩く。
「うむうむ。殊勝な態度なのじゃ。そんなお主には、朕の帝都観光に付き合うことを許すのじゃ!」
「あー……光栄だけど、ちょっと行くところがあるから。ごめんね」
「うぇ……? まあ、仕方ないのじゃ……」
そうこうしながら歩いていると、幼女が口を開く。
「ところでどこに向かっているのじゃ?」
「ん? 良いところだよー」
「ふむ、そうか」
そう言うと同時に、幼女が手を振り払おうと急に手を振り、一気に駆け出そうとする。
「こらこら、急にどうした?」
「放せ! 放すのじゃ! いじわるババアの手先め!」
「いじわるババア?」
「どうせ、あやつに言われて城に向かっておるのじゃろう!? 話も面白いし美味しいお菓子もくれるが、やれ勉強しろ、やれ外に出るなと……見た目はほとんど変わらんのに偉そうに! ムキーッ!」
『いじわるババア』って、条件的にハーミット様のことだろう。
実際、彼女に言われた通りにこの幼女を城に連れて行こうとしてたわけで、城の方に進んでいたとは言っても限られた情報から答えを導き出した辺り、中々に聡い幼女である。
てか、周囲の目が痛い。
幼女は力の限り暴れるし、無理に押さえたりしたら通報されそうな勢いだ。
「まあ、待て。落ち着いて話そう」
「だって、少しくらい、外で遊びたいのじゃ……」
静かになったと思えば、大粒の涙を浮かべている。
それはまるで、師匠に出会う前、ただの山を駆け回っていた日々。その中で、ニーナが――
『レーヤ、死ん―ゃい―。―な―いで! お願い―から……』
「!?」
「え? ど、どうしたのじゃ? 頭を押さえておるが、痛いのか?」
「あ、いや。もう大丈夫。大丈夫だから」
なんだ、これ。
こんな記憶、覚えがない。
覚えがないけど、とっても悲しくて、涙は見たくなくて――
「のう、本当に大丈夫なのか? どう見ても、大丈夫じゃないのじゃ……」
「大丈夫、問題ない。それより、泣かないで。君の涙は見たくないんだ」
「……へ?」
「ちょっとだけだよ。ちょっとだけ、君のわがままに付き合ってあげるから」
「や、やったのじゃ!」
現金なもので、すっかり涙が引っ込んで喜ぶ幼女。
彼女の涙は止められなかったけど、今回は――
……『彼女』って、誰だ?
「ほら、そうと決まれば早く行くのじゃ!」
「はいはい。分かりましたよ、お姫様」
子供の瞬発力は凄いものである。
あっちに行っては、あれは何だ。
こっちに行っては、これは何だ。
「これが庶民の食べておる甘味か。……何と言うか、薄っぺらい甘さなのじゃ。しかし、それがたまらんのじゃ!」
肩で息をする僕の隣で公園のベンチに腰掛け、屋台で買ったクレープを食べる幼女さん。
どうしてそんなに元気なのか……。
「ん? そんなに見つめても、クレープとやらはやらんぞ?」
「別に取らないよ。ちゃんと、後でお城からお金は貰うから、それは間違いなくそっちのもの。――だから、そんな安物じゃなくても良かったんだぞ、ペンダント」
幼女の胸に輝く、赤い石を中心に飾り付けられたペンダント。
その辺の露店で胡散臭い兄ちゃんが売ってた、わずか七百五十デルンの一品である。
「別に、値段が美しさを表すわけではあるまい。これが良いと思ったのじゃから、これでいいのじゃ。これが、今日の日の思い出なのじゃ……」
この幼女、結構いいことを言うじゃないか。
むしろ、幼女だからこそ、か?
ベンチの背もたれに体を預け、空を見上げる。
とっても疲れたけど、たまにはこんな一日も良いだろう。
「さて、そろそろ城に……」
隣を見ると、そこに居るべき人物が居ない。
なんで、どうして!?
慌てて周囲を見れば、とてとてと駆ける幼女と、その先をゲラゲラ笑いながら歩くチンピラ四人組が。
「ふぎゃっ!?」
「あ?」
一体、何がしたかったのか知らないが、前方不注意な両者がぶつかり、幼女の方が跳ね返されてしまう。
「あ? なんだ、このガキ」
「ガキとはなんじゃ! そっちがぶつかってきたんじゃ――」
「ごめんなさーい!」
なんでか喧嘩売る気満々の幼女を小脇に抱え、急いで走り去る。
いやほんと、ここまで来たら、最後の最後に『あの人たち』に出てこられるのも興ざめだろうし。
せっかく回復した体力も使い果たし、適当な空き地に駆け込んだ。
「おぉー! 速い速い! 楽しかったのじゃ!」
当の幼女はのん気なものだ。
まあ、中身は皇帝相談役だの近衛騎士団長だったりするエセ幼女や、中身が幼女っぽいのにおっぱいバインバインな魔女と違って、ガチ幼女らしいと言えばガチ幼女らしい。
あぁ、ガチ幼女は見てていいわぁー。
……何か、僕が危ない人みたいだな。
「お主、名は何という?」
「僕? ミゼル。ミゼル・アストール」
「うむ、ミゼルよ。朕はディアナじゃ。ディアナと呼ぶことと、また朕と遊ぶことを許そう!」
「ははあ、ありがたき幸せ」
少々芝居がかった大袈裟なしぐさで一礼して見せれば、満足そうに笑みを浮かべるディアナさま。
そんな彼女もそろそろ限界だったようで、その後すぐに睡魔に襲われ、夕焼けが空を染め始める中、彼女は僕の背中で安らかに眠っていた。
「もう、出てきても良いと思いますよ」
「すまんな。迷惑をかけた」
人気のない道を選んで入り込み、声を掛ければハーミット様が正面から出てきた。
「いつから気付いておった?」
「ディアナさまが、僕とハーミット様の繋がりに気付いて暴れた時。あの騒ぎの時からずっと監視が付いてましたよね?」
ただ笑みが返されるのは、肯定ってことだろう。
ディアナさまからすれば城の人たちから解放されての『冒険』だったろうけど、チンピラとの争いが大きくなりそうなら、安全第一で、今も周囲に気配を感じる人員たちが出てきたんだろう。
幼女の夢は、出来るだけ守らないとな。
「ここで引きとって下さい。そろそろ、夕食なんで。すっかり眠ってますし、ハーミット様たちに見つかってたことにも気付かずに済むでしょう」
「うむ、了解じゃ」
そうして出来上がるのは、幼女が幼女をおんぶするという、中々愉快な図である。
ただ、ハーミット様の目は、我が子を慈しむような、見た目に似合わぬ母性に満ちたものだった。
「大事なんですね、皇帝陛下のこと」
「気付いておったか」
「まあ、一人称が『朕』ですし」
そうじゃな、と笑うハーミット様。
ハーミット様の頼みがなければ、信じなかったろうけど。
普通に考えて、一人称が『朕』なくらいで、街中に皇帝陛下が一人で居るとは思うまい。
「この子は、わしの大事な親友の血を引いていて、しかも彼女の生き写し。どうにも放っておけぬのじゃよ」
「なるほど」
元神様は、完全に人の親のような顔をしている。
幼女な見た目と合わさると、何か少々犯罪的ですらある。
「それに、この子の兄や姉は、皇帝のイスを巡って争って、相討ちのような形で互いの謀略で全滅。末娘のこの子が先帝最後の直系なのじゃ。失われることになれば、政治的な混乱はとんでもないことになる。――だからこそ、短期間で色々と大問題が立て込んだこの時期に、帝都のお忍びに出すわけにはいかなかったんじゃ。かと言って、城を単身で抜け出すほどに不満がたまったまま押し込むのも危険。だからこそ、神の奇跡を振るう剣士の助力を得て急きょ護衛体勢を組むことにしたのじゃ。終わった後になっていうのも遅いかもしれんが、協力、感謝する」
小さな体で幼女を背負うハーミット様は、物理的な理由で少しだけ頭を下げた。
「報酬には色を付けておく。現金で、ギルドのお主の口座に入れておくぞ」
「ああ、はい。それでお願いします」
そうして必要な事項の確認が終わると、背負う幼女に気遣いながら、ハーミット様は帝都をゆっくりと進んでいくのだった。




