第五章最終話 ~答えは遠く~
「昨日はよく……眠れなかったみたいですね」
昨夜の騒動が嘘のような青く澄んだ朝のこと。
城の奥深く、僕に貸し与えられた客室の扉を叩く音に答えて開けば、メイド服のエミリアちゃんの第一声がこれである。
「あはは。おはようございます、エミリアちゃ……さん?」
「そんなかしこまらないで下さい。エミリアちゃんで大丈夫ですから」
ニッコリ笑ってる、見た目は美しいギリ幼女。
だが、『近衛騎士団筆頭』とかいう、聞くからに偉い肩書付きである。
むしろ、推測される偉さ的に、見た目通りの年齢と考える方が難しいレベル。
肩書的にも、推定実年齢的にも、落ち着いて考えれば『ちゃん』はない。
「立場的に難しいものがありまして。実権がないけど影響力の大きい友人のところに近衛騎士団筆頭が居ると、無用の『誤解』を招く恐れがありますからね。だから、ここではメイドのエミリアちゃんなんです。それに、わたしは『みんなの団長ちゃん』ですから」
最後の方が何を言っているのか分からなかったけど、ちゃん付けを要求する理由があることは理解した。
「それで、エミリアちゃん。何の用で?」
「ああ、朝食です。ハーミット様の執務室で、昨日の件についてお話ししながらになりますけど」
断る理由なんてもちろんないので、大人しくエミリアちゃんについていくことに。
「おお。昨日はよく……眠れなかったみたいじゃな」
ハーミット様の執務室に入って、いきなりコレである。
僕がとっても酷い顔をしているんだろうことに苦笑いを浮かべつつ、確実に僕の顔よりも酷いことになってるだろう、いつものように床まで本が散らばった部屋を進み、応接用のソファとローテーブルが置いてあるところまで何とかたどり着いた。
「朝食を運んでくるので、少し待ってて下さいね」
そう言ってエミリアちゃんが出て行き、ハーミット様と無言で向かい合ったまま気まずい思いをしていると、三人分の朝食を持ってすぐに帰ってきた。
バターたっぷりのトーストに、スクランブルエッグ、ソーセージ、ミニサラダと柑橘系のジュース。
量的にも文句ないし、一口食べれば素材や料理人の腕の違いが嫌でも感じられる一品に舌鼓を打っている時のことだ。
「さて。いきなりで悪いが、後も色々とあるのでな。昨日の話をやっておこうか」
一気に現実に引き戻され、手が止まる。
正直、マトイ・ヤクサに突きつけられた問いだけで精一杯だし、それに関係する昨夜のことは思い出したくもないけど、逃げてどうにかなるものではない。だからこの部屋にも来たんだから。
「わたしは大丈夫ですよ。むしろ、昼からの会議までに光竜騎士団の方にも顔を出さないといけないので」
「あ、僕も大丈夫です」
「では、事件の表向きから纏めてしまうかの。エミリア、今のところ判明している損害は? 徹夜で城中が大騒ぎじゃったし、大体は分かっておるんじゃろう?」
「ああ、大したことはありませんよ。魔剣がたかが三百本少々奪われたくらいです」
ストローでジュースをすすりながらつまらなそうにそう言うエミリアちゃん。
うん。ちょっと待ってほしい。
「魔剣って、デリグが帝都で騒動起こすときに使ってたやつですよね!? そんなのが三百本!?」
「ん? ……ああ、そういうことですか。大丈夫ですよ、ソウルイーターは色々と規格外ですから」
そう言ったエミリアちゃんは、その小さな口で優雅にトーストを一口かじり、話を続ける。
「『最悪の魔剣』ソウルイーター。殺した相手の魔力を喰らって力を増し、自らの『子』として繋がりを持った剣を介して死体を操る。しかし、魔剣と呼ばれるのは、喰った魔力に応じて発揮できる力が大きく変動するとの不安定性からです。かつて国を滅ぼしたり、デリグの帝都襲撃の際に発揮された力は、『天剣』と呼ばれるレベルです」
「天剣?」
「ええ。魔剣の上位存在。ただ力を秘めるだけの魔剣と違い、かなり高い適性を持たねば、持ち主の意思すら喰らって捻じ曲げるほどの存在。まあ、圧倒的多数は、魔剣や天剣の素養をそもそも持たないので、どっちだろうと使おうとしただけで死んじゃうんですけどね」
天剣か。
どこかで聞いたことがあると思えば、そうか。
「デリグが担いでいたのが、『天剣使い』だって、エミリアちゃんが言ってましたよね」
「そうですね。多少は仕込みも使っていたみたいですが、昨夜、帝都を『死なせた』のが彼女一人での所業だって言えば、そのマズさが分かりますか?」
帝都を『死なせた』――僕やルーテリッツさんみたいな例外を除いて、急に人々が活動を停止したのが、個人の仕業。
そりゃあマズいだろう。天剣とか言っても剣な訳で、剣で武装した一人の少女が街を『殺せる』となれば、治安を維持する側からすれば悪夢でしかない。
「まあ、一人二人を除外するならともかく、効果範囲内に散らばるそれ以上の人数を意図的に効果から除外するのは困難ですし、昨夜もそうだったように、街一つとなれば時間も長くないです。ここに居る存在のように自力で効果を無効化できる存在は希少なことを考えれば、乗じて動ける味方を使い大きなことをするのは難しいですけどね。まあ、城の奥の武器庫から、木っ端魔剣を三百本ほど盗むのが限界ですし、要人の周囲にはそういう方面の備えは一応ありますからね」
「いや、天剣のマズさは分かりましたけど、それはそれとして、魔剣は大丈夫なんですか?」
「魔剣も天剣も、製法が失伝した古代文明の遺産という意味では貴重です。けど、魔剣では、適正最大でも個人戦で優位に立つのが精一杯。しかも、苦戦はしても、対処法がない訳でもありません。そもそも、この地域で最大勢力である我が帝国ですら百人も適性持ちを確保できないものを、三百本もどうするのか。他所の国も、適性持ちが少なくて余らせがちなんで売りさばくのも難しいですし。まあ、何かしらのアテがあるんでしょうけど――」
「おそらくは今日の臨時会議でも議題になるだろう敵性天剣使いの存在よりは圧倒的に優先度が低いし、この場においては、最悪の場合には冗談抜きに世界が滅びかねん上、この場に居るメンバー以外が知ったところでまずできることがない女神関係を話し合うのが優先じゃな」
と、ハーミット様がさらに頭の痛い話をふってくる。
自分にまたく覚えがないのに、原因も分からないままに何やら凄すぎる存在に気に入られているとか、どうしろというのか。
特に、何となく僕のことを中心に考えてくれる気がするけど、細かい行動原理が分からないから、不用意な反応をしたら何が起きるのかが分からないあたりが最高に胃を痛めてくれる。
いっそ、女神というのは嘘で、ただ僕に付きまとってる電波女でしたー、とかの方がどれだけ気楽か。この場合、面倒になれば斬れば終わるからな。
「まあ、この場に居るわしらも含めて、地上の存在が天上の存在に出来ることなどほとんどないのじゃがな」
お手上げだと言わんばかりにそう言い捨てるハーミット様。
しかし、『地上の存在』とまとめるのには違和感がある。
昨日の騒動の中でも聞いた時はとても驚いたからよく覚えているセリフと矛盾しているように聞こえるからだ。
「あの『ナズナ』と名乗った女神さまは、ハーミット様のことを『先代様』と呼びました。あなたも地上の存在の括りなんですか?」
「そうじゃ。わしは間違いなく先代の破壊と再生の女神じゃが、ここの帝国の初代皇帝に惚れこんで、神格関係の力をすべて放り投げて降りて来たのじゃ」
「惚れこんだ……初代皇帝は女性……あっ」
「これ、エミリア。わしがそっちの趣味がないことも、惚れこんだがそういう意味ではないことも知っとるじゃろうが。わざとらしく距離を取ろうとするでない」
一拍置いて、見た目幼女二人組のあっはっは、なんてわざとらしい笑み。
「あの、面白くなかったかの……?」
「すいません。今ちょっと、愛想笑いとかしてる余裕ないんですよ」
「そうですよ。今のはちょっと気遣いが足りないんじゃないですか?」
「おい、エミリア! 貴様が発案者じゃろうが!」
茶番を見てて無性に悲しくなってきた僕は、気力の限りを尽くして、なんとかあっはっは、と愛想笑いをしてあげることに。
いやおい、お望み通りに笑ったんだよ。二人とも、目を逸らすなよ。
笑えよ。
「まあ、とにかくじゃ。わしは大精霊と言っておるが、正確には、『大精霊級の力だけが残る神の器』となる。じゃから、知識以外はあまり期待しないでおけ」
「は、はい」
「その上で話を進めるが、あの女神は、間違いなくわしの後輩じゃ。あやつの持つ力は、わしが捨てたもの。ただし、あそこまで感情豊かな自我を持っているのが理解できん」
最後の言葉に、自然と首を傾げる。
「あの、ハーミット様。自我があることの何がおかしいんですか?」
「アレは、お主から名を貰ったと言ったじゃろう? わしの後任を空席にするわけにもいかんから、他の神々があやつを作ったところまでは良い。で、その後に名前を与えなかったというのは、存在を確定させたくなかった。わしのように自分の意思で勝手に仕事を放りだすような自由意思を持たせたくなかったんじゃよ。本当にお主が名を与えたならば、天上の奥底でただの力の塊として淡々と仕事をこなす女神のところに赴いて、わざわざ与えたというのが一番自然と言うことになる。――して、覚えはないのか?」
そう問われて考えるも、やっぱり覚えはない。
死んだんだろう時期に近付くほど記憶があやふやにはなってるけど、病床でどんどん弱ってる時期だったし欠落があるのかと言われても分からない。前世の友達や家族、読んだ本ややったゲームのことなんかも鮮明に思い出せるし、記憶がなくなってるなんて実感がまったくないのだ。
かと言って、覚えがないから自分は関係ないと言うには、女神さまの態度が確信に満ちていて引っかかるし。
「まあ、思い出したら言ってくれればよい。魂が正規の手順で転生しようとするところで、魂とお主が居た世界の繋がりを『破壊』し、記憶を残したまま新たな体を『再生』する。お主の魂そのものがそれなりに年季が入っていることからして、あの女神が自分で作ったということはないじゃろうし、お主の転生の経緯は間違いないじゃろう」
言われても、どう反応するのかが困る。
ただ、聞いていたエミリアちゃんが頭を抱えているので、何か相当大事なんだろうなぁ、くらいは分かるんだけど。
「あの力を持っていた先代としては、理屈は分かるが、やろうとも思わんし、やってどんな副作用が起きるのかもわからん。初めて話した時にも少し匂わせたかもしれんが、天上の存在は相手の本質を魂で見る。記憶の有無などに重きは置かん。それが、ナズナはわざわざあるべき流れを断ち切ってまでお主に記憶を残した。――お主が失ったことすら気付かぬ記憶。おそらく、鍵はそこにある」
数百年に渡って帝国の中枢を生きてきた相手からの重みに、何も言えなくなる。
その言葉が、僕を見る目が、僕に突き刺さり、事の大きさを理屈ではなく感覚で分からせようとして来るのだ。
ハーミット様にすれば女神さまのやってることは理由の分からぬ奇行で、その奇行をなす女神の力の大きさを知るからこそ、目的の見えないことが焦りを生んでいるのだろうか。
「はいはい。あまり子供をいじめないでくださいね。昨夜の件も、他の神々の干渉で肉弾戦くらいしか出来ないところまで力を押さえられて、勝手に体が崩壊するありさまだったんでしょう? すぐにどうこうなるとは考えにくいんですから、ただでさえ大変な子に、これ以上の重荷を背負わせないでください」
「……そうじゃな。焦りすぎておったかもしれん。とりあえず、話し合いはここまでじゃ。何か思い出したことがあれば、光竜騎士団の駐屯地で、お主の名前を出してエミリアを呼び出せ。後は、何も出んじゃろうが、午後にお主の体を少し調べる以外は、明日の朝にお主を帰すまで自由時間じゃ。有意義に過ごすのじゃぞ」
エミリアちゃんが食器を片付けだし、僕もそれについて部屋を出ることに。
昨日のこと、今日のこと、明日からのこと。色々と考えながら出ていこうとする僕の背に、ハーミット様の言葉が投げかけられた。
「同時にあれこれ片付けようとするのは止めておけ。お主ら師弟の問題じゃから具体的には口を挟めんが、多少時間を使ってでも、じっくりと目の前の問題だけに集中して片付けるのじゃな。今になっても答えを出せぬほどに迷うなら、慌ててもロクなことにはならん。ただ、白黒はっきりつけるだけが答えではないということを頭の片隅に置いて、後悔しない選択をせよ」
振り向いて一礼し、僕はそのままハーミット様の執務室を後にした。
最終話と言いながら、実はマトイさん側の間話が一つ入ります。
ミゼル君だけでなく、師匠たるイサミにも突きつけられる問い。
この師弟は、周囲は、どういう決断を下すのか。
なお、次章第一話冒頭一行目(予定)。
「ミゼル君、女体に興味はあるかい?」




