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第七話 ~女神の愛はかく語りき~

 ああ、熱い。

 ああ、痛い。

 ああ、――凄い!


 僕の着ている虹色蜘蛛の糸でできた羽織袴はおりはかまは、鎧の代わりの前衛装備だって師匠に認めてもらうためにわざわざ素材を探しに行った一品だ。

 実際、ニーナが行方不明になったとき、地下水道で僕の手の平を易々やすやすと刺し貫いた一撃をもってしても、その守りが破られることはなかった。


 それがどうだ。

 ただの一撃でもって、見た目通りのただの布きれのように斬り裂き、肉をち、臓器をほふってみせた。

 それも、いつ間合いに入られたのかが分からないのだ。


「お、追い払ってぇ!」

「チッ」


 腹部に突き立っていた異物が引き抜かれる感覚があり、直後に視界を閃光が埋め尽くす。

 腹を両断せんとする白刃は消え、それを食い止めていた刀を握る両腕から力が抜ける。

 そこで一息ついたのがマズかったのだろう。それにとどまらず、両足からも力が抜け、左ひざをつくことで何とか倒れ込むのだけは防ぐことが出来た。


「早く、早く治して! え? ど、どうすのかって聞かれても……うぅ……と、とりあえず何とかして!」


 その変則的に行使される魔法でマトイ・ヤクサに距離を取らせ、慌てて駆け寄ってきたルーテリッツさんは、血を止めようと傷口を押さえながら、動揺を隠そうともしていない。

 ただし、その範囲が大きすぎるせいで、ただ彼女の手を赤く染める程度の結果しか生んでないけど。


 さっきからやけにんでいる思考では、必死に僕を救おうとする魔女は、回復魔法の真似事をしたいんだろうけど、知識が足りなくて細かい指示が出せず、そのことが余計にあせりを生んでいるんだと理解する。


 つまり、アテにはならない。


 現状をもって、あの女剣士と戦わねばならないということ。


「まともな詠唱もなく、敵を殺すのに過剰とも言える火力を叩き込める。イサミと違って大した魔法の才を持たない私では近づくしかなく、なのに近づくのが困難ときた。まったく、とんでもない難敵ですね。――まあ、せめて間合いがあと二十倍もあれば、ですけど」


 そう言いながら、女剣士は悠然と歩いてくる。

 仕切り直すために大きめに間合いを取っていたと言っても、基準が剣の間合いだ。すぐにたどり着いてしまう。


 ルーテリッツさんは攻撃の一つも撃ち込めないまま、その接近を許してしまった。

 仕方ないことだろう。むしろ、命のやり取りについて素人しろうとの身で、僕を救おうと動けただけ、上出来。腕があっても心が追いつけなければ無意味なのだから。


「さようなら」


 その言葉と共に、必殺の一閃が魔女に迫り――


「おや、まだ動けましたか」


 ひざをついたまま放つ、上方を薙ぎ払う斬撃ではじき返した。

 そのまま立ち上がり、狙いもつけぬままに適当に払った一撃を後方に下がられてかわされる。


 今は勢いで動いているだけ。ここで距離を取られたら、きっと僕は限界を迎える。

 だからこそ、手負いの獣と打ち合わず、女剣士は一度下がったのだ。

 それが分かっていても、これ以上の追い打ちは出来なかった。

 したくても、足が出なかった。


 この瞬間、僕らの敗北は決定的となった。


 いや、別にそれは大したことじゃない・・・・・・・・・んだ。


「違う……違う違う違う違う!」


 マトイ・ヤクサがぎょっとしてこっちを見る。

 傷口からあふれ出す血潮が増し、寿命が縮まっていくのが感じられる。


 だけど、この怒り、ぶつけずにいられるものか!


「こんなぬるい斬撃はいらないんだ!」


 そう。こんなことが許されるものか。


「さっきは死角を縫って移動することで、残像すら認識させずに近づいて来たんだろう? まるで、『正面から奇襲する』ような戦い方。それが今度はノロノロと……いや、別にこれはどうでも良いんだ」

「え? いや、未完成とは言え、あなたのような未熟な剣士に初見でこちらの切り札の本質まで見破られた上に、どうでも良いって……。イサミから聞いていたんですよね? むしろ、そうであってくれないと笑うしかないんですけど」


 そうだ。この傷でいつまで口を開いてられるかもわからないのに、こんなどうでも良いことに掛ける時間はない。


「今の『斬撃』はなんだ!? 最初の斬撃は、それは素晴らしかった! 師匠の、剣そのものと向き合ったそれとは違う。剣を振るうこと・・・・・と向き合ったあの斬撃は、僕なんかよりも遥か高みにあった! 素直に見惚みとれて、もう一度見たいと思わせる一閃だった! なのに、今の斬撃は全然違う。すでに終わった勝負に、ただ結果をしるすための作業。まったくもって、誰かに・・・振るおうとしていない、気の抜けた一撃!」


 そんなもの――


「そんなもの、認めない! 最初にあれだけの剣線を見せておいて、こんなくだらないもので死ねと!? ふざけるなよ、マトイ・ヤクサ!」


 何とか言いたいことを言いきれて、安心した。

 代わりに、意識が朦朧もうろうとして立ってるのもつらいんだけど。


「ああもう、本当に、なんであなたはイサミ・ヤクサの弟子をやっているんでしょうね。――良いでしょう。お望み通り、全力でもってあなたの命を刈り取りましょう」


 もはや、目もかすんで、女剣士の表情すら分からない。

 でも、あの白刃の輝きだけは見逃さない。

 僕よりも遥か高みにある『斬撃』を、見逃すものか。


 ――ああ、わたしの愛しい人。ごめんなさい。


 不意に、そんな言葉が頭に響く。


 ――あなたは今、満たされたままに死にゆこうとしている。


 これで幾度目かの、女神からの呼びかけ。

 だけど、何を謝ると言うのか。

 いつもの刀身への加護は、刀を振るえない今の僕に意味がない。現状を打開できるような通常よりも強力な肉体強化をすると、皇帝相談役殿いわく、負荷に耐えきれない体が崩壊を始めるので意味がない。だから、この戦いに介入して僕の邪魔・・をすることは出来ないはず。

 まさか、僕が死ぬことを謝ってる?

 女神さまが悪いわけでもなく、しかも僕はこんなに満たされているのに?


 ――でもね、わたしの愛がささやくの。


 瞬間、僕の視界を闇色が染め上げる。

 続いて、石畳が粉砕される轟音が響き、「何者だ!」とのマトイ・ヤクサの誰何すいかの声が響く。


 だけど、その腰まで伸びる闇色の髪の持ち主はそれらすべてを意に介さず、右手に持つ小太刀ほどの大きさの銀色の杖の土埃つちぼこりを払うように振り、こちらに振り向いて笑顔でこう言った。


「愛しい人の夢のため。至高の斬撃へと歩ませるため。ここで死なせちゃいけないって」


 白い衣に身を包み、宝石を思わせる輝きを放つ青い瞳を持った僕と同年代に見える優しで美しい少女は、不思議な神々しさを纏っていた。

 背中に羽でもあれば、天使と言われても疑い一つ持たないだろう。


「ああ、こうして触れ合うのは久しぶりね、レーヤ!」


 そうして抱き付かれ、思考が詰まる。

 レーヤ。つまり、『玲也』。

 それは、この世界で誰も知るはずのない、僕の前世の名前。


「今のわたしには、これが精一杯なの」


 そう言って名残惜しに離れると、違和感を覚える。

 まさかと思って左わき腹に手をやれば、そこには少量の赤い液体が付いているのみ。

 致命傷が、きれいさっぱり無くなっている。


 服はそのままだから、斬られたのが気のせいってことはないはず。でも、ルーテリッツさんのように精霊に指示を出すことすらせずに致命傷を癒したって言うのか?

 いや、そもそも、僕の前世の名前を知ってるってことは転生についてやっぱり何か知ってるはずで。

 ――まあでも、マトイ・ヤクサの、あの・・斬撃の前には大した問題じゃないんだけど。


 ……あれ?


「とにかく、レーヤはここで大人しく待ってて」

「ちょっと……!?」


 口を開こうとすると、突然の立ちくらみ。

 僕の体が崩れ落ち、女神さまと思われる美少女の、そこそこの起伏のある母性の象徴に頭を抱え込まれて受け止められる。


「今のわたしじゃ、傷は塞げても、あふれ出した生命力は戻せないの。だから、ね?」


 そうしてうながされ、左ひざを地に付ける。

 片膝立ちなのは、どれだけ不調でも流石さすがに戦場で完全に無防備な姿は晒せないと言う、僕の意地だ。


 女神さまはそんな僕に笑みを送ると、その後ろに厳しい視線を送る。


「おい、そこのイレギュラー」

「ひゃ、ひゃぅい!」


 僕に話しかけるのと別人のような冷たい声に、爆乳魔女はガチガチの緊張が聞くだけで伝わってくる返事を返した。


「お前に特別に、レーヤを護衛させてやる。今度は、傷一つ負わせるんじゃないぞ?」

「ひゃっ!?」


 そんな返事になってるのかなってないのかよく分からない音を発したルーテリッツさんは、僕の左側で慌ててひざをつき、そのまま平伏した。

 僕の中の女神の加護にすら大げさとも言える反応をしていたんだ。その本体に出会ったなら、これくらいで済んでるだけ大人しいものなのかもしれない。


 それを見た女神さまは、ふんっ、と鼻を一つ鳴らすと敵へと向き直る。

 そう。ここまで全部、女神さまはマトイ・ヤクサに背中を向けたままだった。

 それでも向こうが動かなかったのは、僕らが感じているような何かを感じて動けなかったからかもしれない。


「わたしは、レーヤの道を邪魔するつもりはない。だから、負けると分かっていても、お前の強さが『反則』じゃなかったから手を出さなかった。でも、レーヤはもう戦えない。だから、この先はレーヤの道じゃない。――わたしが相手してやるから、とっとと来い」


 つまらなそうに言い放たれたその言葉。

 どう聞いても友好的ではないその言葉に、女剣士は言葉を返さない。

 ただ、一瞬の笑顔を返し、白刃をもって答えとなした。


 そこからは、壮絶な近距離戦。


 両者の息もつかせぬ攻撃は、その残像が見えるほどの高速の応酬。

 互いに足を止めないのに、その距離が開くことはない。どちらかが追いすがるというより、両者が有利な立ち位置を取ろうとはしても、間合いを取る気がないように見える。


 だがそれも、無限に続けることは出来ない。


 少なくとも、人間であるマトイ・ヤクサには体力の限界があるのだから。

 そうして自然に両者は距離を取り――女神さまの左腕だけ・・が地に落ちた。


「ひっ!」


 心臓に悪い光景にルーテリッツさんはそんな声を上げるが、僕やマトイ・ヤクサはそれどころではない。


「はて。攻撃が通った手応えもなく、そもそも服を切らずに中の腕だけを切り落とすなんて曲芸技を身に着けた覚えもないんですが?」

「お前にレーヤを痛めつけた罰を与えるには、これで十分だ」


 何らかの制約でもあるのだろう。

 でも、地に落ちた左腕が光の粒子となって空気に溶けても、女神さまに迷いや恐れはない。

 だからこそ、女剣士の方も一切気を抜いていないのだ。


「まあでも」


 女神さまは、右足を半歩前に出し、杖を構えた右手を前に出す。


「精々足掻けよ、ニンゲン。お前のちっぽけな牙でも、今なら、天上の存在を食い殺せるかもしれないよ?」


 両者の間で緊張が一気に高まる。

 ともに力を溜め、それを爆発させようとした、まさにそのときだった。


「ええい、めんか! その天上の存在のおきて破りの影響は、巡り巡ってこの地上に来るのじゃぞ! 控えめに言って迷惑じゃ!」


 僕が全快でも介入を戸惑うだろうほどの実力者たちの立ち合い。

 左側の三階建ての建物の屋上から飛び降りた見た目幼女な人物――皇帝陛下の相談役として歴史の教科書にも載るような大物であるハーミット様は、立ち会っていた両者と等距離な場所に陣取る。

 結果として、三者は正三角形の頂点の位置にあることになり、それぞれが残りの二者を牽制することで動きが止まった。


「なるほど。知らないが、どこか懐かしい力。お主が今の『破壊と再生の女神』で相違ないな?」

「あら、初めまして先代・・様」

「ふむ。『破壊』に『再生』。そして『転生』という結果か、なるほどな。はてさて。そうなると、お主はあの小僧の何に惚れこんだやら」

「あら! レーヤは、愛を知らなかったわたしに愛をくれた! 名を持たないわたしに名前をくれた! これ以上ないくらいにキレイなキレイな魂も持ってる! ああ、これ以上の何を望めと言うの?」

「名前……?」

「そう! 『破壊と再生の女神』なんて、力を在りようだけを示す記号じゃない。『ナズナ』。それがわたしだけの名前なのよ、先代様!」


 それを聞いて、何がマズかったやら、ハーミット様は頭を抱えた。


 夜は、まだまだ終わらない。





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