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第五話 ~さあ、流血と闘争の夜へ~

「ただいま」

「……ただいま」

「あ、二人ともお帰りなさい! お夕飯まで少しかかるので、先に汗を流しちゃってください!」


 師匠がアイラさんと共に出ていってから四日後の夕方である。

 師匠に代わってパーティリーダーの業務を行うことになったリディは、高ランクパーティの会合帰り。僕は、その補佐として出席していた。


 玄関で出迎えてくれたニーナのいつものような明るい振る舞いに、「分かった」と機械的な返事だけを残して、リディは一人、部屋へと引き上げていく。


「ニーナ、師匠は帰ってきたか?」

「まだ。アイラさんと一緒に出ていってから、一回も帰ってきてないままだよ」


 お手上げだと言わんばかりのため息混じりの返事に、つい、僕もため息で返す。


 師匠が残していったものは、ブレイブハートにとってそれだけ大きかったのだ。

 言ってみれば、もうすぐ『ここ』が無くなるかもしれないのだ。

 しかも、義娘むすめ二人にすれば、家族がバラバラになるかもしれない状況。仮にそうならないとすれば、自分たちが生まれ育った帝国を去ることを意味する。

 急にこんなことを言われて、何も思わない方が不思議なもの。この家の雰囲気は、すっかりと重くなっていた。


 分かりやすく様子のおかしいリディもそうだし、見た目は変わらない家族大好きっ子のメアリーだって心の中は穏やかではないはず。

 ……そろそろ、僕も動いた方が良いのかもしれない。


「お兄ちゃん。もしかして、リディお姉ちゃんかメアリーさんの相談に乗るつもりだったりしないよね?」

「え? そのつもりだけど」

「……ハァ」


 ジト目と共にされた妹メイドの問いに答えれば、返ってきたのはあきれ果てたと言わんばかりの盛大な溜め息。

 いや、何か変なことを言ったか?


「私が良いって言うまで、気がかないお兄ちゃんは自分から動くの禁止。向こうから言われた時に限って、話を聞くことだけ許します」

「いや、僕だって仲間だし、力になり――」

「お兄ちゃん。お兄ちゃんは『仲間』であって、それだけなの」


 真剣な表情に、いつもよりも一段低い声。

 その静かな威圧の前に、何も言えず、ただその言葉を聞き続ける。


「ヤクサ家の一員ってほどに近くはない。他人ってほどに遠くはない。――あの義姉妹と同じ立場に立つには遠くて、何もかもを忘れて思いを吐き出してもらうには近すぎる。そんな立ち位置だって分かってるんだよね?」

「え……?」

「今はデリケートな時期なんだから、この程度にも思い至らないようなお兄ちゃんが行くのは危険すぎるの。何より、将来に関わるような大問題なんだから、出来るだけ自分で決めるべきだよ。私たちが首を突っ込むのは、もう少し行きづまってからにするべき」

「あ、はい」


 その返事に一応は満足したのか、ニッコリ笑って威圧を消すニーナ。

 色々なものが削られて消耗したので引き上げようとしていると、思わぬ追撃が。


「もう、少しはルーテリッツさんを見習ってよね。あんな性格だし人付き合いは下手なのかなって思ってれば、この四日間のリディお姉ちゃんとメアリーさんへのさり気ない気遣いとか凄いんだもん。自分の立ち位置を分かった上であれだけやれるなんて、私も感心したよ。なんなら、お兄ちゃんも弟子入りすれば良いんじゃない?」


 あの人の場合は精霊による感情感知チートがあるから――なんていう訳にもいかず、適当に誤魔化して逃げるようにその場を去る。

 分かったような分からないような。

 そんなモヤモヤした気持ちのままに庭沿いの廊下に出れば、目に入るのはメアリー。


 物憂ものうげな空気を纏いながら縁側に腰掛けるハーフエルフの少女。

 茜色の空を見上げながらお猪口ちょこを傾けるその横顔は、『猫を被っているか黙っていれば美少女』という言葉を思わせるほどに美しいものだった。


 この状況で考えていることなんてただ一つに決まっていて、ニーナの言う通り、僕が軽々しく関わるようなことではないのだ。きっと。

 だけど、夕陽に照らし出されるその姿は、あまりにも痛々しくて。

 だからって、どうすべきかは分からなくて。


 思い立った僕が台所で夕飯の準備をするニーナに「お猪口ちょこを一つ」と言えば、呆れた目で「さっき言ったことは忘れないでね?」と言いながら、戸棚から取り出したお猪口ちょこをくれる妹メイド様。

 そうして縁側に戻った僕は、徳利とっくりを挟んでメアリーの右側に座る。


「よっ」

「ん~? ……ああ、なんだ」


 僕だと分かった瞬間、一瞬で脱ぎ去られる『猫』。

 黙って左手でお猪口ちょこを振ることで徳利とっくりの中身を分けてもらっても良いかと尋ねれば、メアリーが黙って笑みを浮かべながら右手でおしゃくをしてくれることで返答される。

 一口飲めば、ほんのりと風味を残して、するりとのどを通る。

 水でも飲むかのように素直に雑味なく、ただ旨みだけが心地よく残る辛口のそれは、『ヤマト酒』。原料やら工程やらを聞く限り、前世の日本酒に相当する酒の様だ。まあ、前世では酒を飲まないままに死んだので、同じものなのかは判断できないんだけれども。


 そのまましばらく、言葉を交わすこともなく、二人でただ空を見上げていた。


 何をするでもなく時間だけが過ぎる中、僕の右側、廊下の向こうにちらっとルーテリッツさんが現れる。でも、あっという間に立ち去ってしまった。

 高ランクパーティの代表が集まる会合に三人で参加するのは多すぎるので置いていき、帰ってきたからいつものように僕にくっつきに来て、普段はさらさない素で居るメアリーに気を遣ったってところだろうか。

 周囲の誰も気付いていないメアリーの演技だって見抜いているんだろうと何の疑いもなく思わせるあたり、あの年上爆乳魔女は本当に存在からしてチートとしか言いようがない。


「何も聞かないんだ」


 そんな言葉が巨乳ハーフエルフ娘から出てきたのは、茜色だけだった空が、半分近く夜の闇にまれたころのことであった。

 お互いに空を見上げたまま、会話をする。


「師匠の言ってた、身の振り方について考えてるんだろ? それは、自分で考えるべきことだ。そっちから頼ってくるんなら話は別だけどな」

「そっか」


 そこで一気にお猪口をあおったメアリーに対して、さっきのお返しだと、今度は僕が左手でおしゃくをする。


「で、その気のいた配慮。誰の入れ知恵?」

「……ニーナ」

「正直でよろしい」


 こっちを見ながらくすくす笑ってるけど、どういう意味だ。

 あれか? 僕の気がくわけないって?


「で、メアリーはどうするつもりなんだ?」

「なんだ、聞かないんでくれるんじゃなかったっけ?」

「残念でした。ミゼル・アストール君は、気がかないものでしてね。悪うございました」

「えー、ねるなよー」


 ねてなどいない。

 天地神明に誓って、そんな子供みたいなことはしていない。

 あ、でも、剣に誓うのは無しの方向で。


 一頻ひとしきり笑っていたメアリーは、一口酒を飲むと、その顔を引き締め、空を見上げて話し始める。


「わたしは、お義姉ちゃん次第かな」

「リディ次第って、自分自身の意思を大事にしろよ」

「大事にした結果だよ」


 人任せが自分の意思を大事にした結果なんて言われて混乱していると、メアリーが真剣な眼差まなざしでこちらを向き、言葉が続く。


「イサミパパは故郷に帰る。それに対してうちの三女ルシアちゃんは、独立心が強いからね。きっと、奉公先を辞めてついていく、なんて絶対に言わない」


 あまりにもつらそうで、見ていられなくて、――だからこそ、彼女の覚悟から目を逸らしてはいけないんだと思って。


「そうするとさ。わたしとお義姉ちゃんが同じ答えだと、義父親か義妹か、どっちかが一人ぼっちになるんだよ」


 偽りの仮面を被ってまで守りたかった家族。

 それがどうしたってバラバラになるって分かって、それでも最善を尽くそうとして。


「人生の半分くらいは顔も見てはいないって言っても血の繋がった人たちが居るとか、仕事仲間が居るとか、それは分かってる。でもさ、『家族』って、やっぱり特別だと思うんだ」


 ああ、ニーナの忠告に大人しく従っておけばよかった。

 目の前の少女の覚悟は、あまりにも――重い。


「ただいま」


 だから、聞こえるはずのなかったその声は、どうしようもなかった僕にとって救いであって、


「師匠!?」

「イサミパパ!?」


 僕たちにとってとんでもない驚きだった。


「やあ、そろそろ一度帰ってしっかり休んで来いって、追い返された。残念ながら、まだ決着はついてないよ」


 玄関に二人でドタバタと駆けていけば、苦笑いなんて浮かべながらそんなことを言う師匠の姿。

 何の解決にもなってないって分かっていても、無事な姿を見れば安心する。


 そのまま一緒に居間に行くと、タイミングを見計らったかのようにニーナが師匠にお茶を持ってきて、風呂上がりでまだ髪の湿っているリディも飛び込んでくる。

 ルーテリッツさんが来るなら、もう少し後だろう。部屋との距離を考えて、普通に歩けば自室に居たリディやルーテリッツさんが付くにはもう少しかかるはずなのだから。


「で、先生。どうなったの?」

「それは――」


 真剣な顔でリディが尋ね、師匠が答えようとした、正にその時だった。


 ――背筋を、何か冷たいものが走り抜ける。


 全身を覆うように何かがい回るような感覚。

 本能的に嫌悪感が強く呼び覚まされるそれは、次の瞬間には霧散むさんする。


 目に見えて何があったでもなく、何だったのだろうかと首をかしげれば、周囲がおかしいことに気付く。


「あの、師匠? リディ? メアリー? ニーナ?」


 声を掛けても、肩を揺すっても、何も反応がない。

 だた呆けたまま、虚空を見つめるだけ。


 じっと考えていれば、さっきまで聞こえていた、外の人々の生活音も一切が消えていることに気付いた。


 まるで、時間が止まった世界に、僕一人が取り残されたみたいじゃないか。





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