間話 ~大人たちの思い~
「残ればいいのに」
街灯に淡く照らし出される帝都の大通り。黒竜騎士団の本部へ向けて並んで歩く剣士に、アイラ・マクドゥガルは静かにそう語り掛けた。
「残れればいいのに」
飲み屋街とも娼館街とも離れ、ほとんど人影のない石畳を進みながら、イサミ・ヤクサはぽつりとそう返した。
「思い付きで帰るとか言い出した人の言葉じゃないわね」
「思い付きじゃないよ。やらない言い訳がなくなりそうなだけだ」
「実家どころか、母国から出てきて十年以上。ほとんど他人みたいなものじゃない? 子どもたちも弟子も、全部ほっぽり出して帰るつもり? そっちの当主事情なんて知らないけど、片道五十日はかかる帝都まで気軽に来れないでしょうに」
普段なら、アイラという女性は、笑みでも浮かべながらからかうように問いかけてくるのだ。
だからこそ、淡々と事務的に語り掛けてくることにやりにくさを感じつつ、イサミは答える。
「何年経っても、あそこが俺の育った場所なのは変わらない。見捨てられないよ。ずっと平和なヤマトじゃ、大軍の指揮能力なんて発揮する場所がないからね。俺みたいに分かりやすい腕っぷしの強さこそが、武門の家を立て直すために一番手っ取り早いんだよ。政治力なんて、どうせそっちが本職の家にコネやらなにやら勝ち目なんてないんだし」
「で、十年以上帰ってない実家からの、マトイ・ヤクサがやらかしたことに対する政治的やそれ以外の突き上げで苦しいって窮状を訴える手紙を信じたの?」
「どうせ大げさに言ってるって思ったろ? 俺もそう思って、ヤマト国から来る商人たちに聞いてみたんだ。そうしたら、むしろ見栄張って、実際よりもずっと良く書かれてたんだよ。現実のままに書くのは、弱音を吐いてるみたいでプライドが許さなかったんだろうさ。ヤマトの武門は、そういうところはかなり気にするし」
「そう。なら、好きにすればいいけど。私は、マトイ・ヤクサの首があればいいの。あなたが戻る戻らないついては、どうこう言える立場じゃないし。でも、ちゃんと『後始末』だけはしていきなさいよ」
「基本的に、みんな自活できる程度には立派に育ってるし、『ブレイブハート』は俺がいなくても大丈夫だよ。ただ……」
「ただ?」
一定の速度で歩み続けていた二人だが、ここでイサミが足を止める。
数歩進んだ先で気付いたアイラも足を止めて振り向き、二人は街灯の光の下、人気のない大通りで向き合う。
「ただ、ミゼル君のことを頼みたい」
「え? いや、そりゃ知らない仲でもないし、ブレイブハートのみんなを助けるのはもちろんだけど」
「そうじゃない。マトイ・ヤクサの首があれば、近衛騎士を続ける理由もなくなるだろう? 仕事を辞めて、俺の代わりにミゼル君を導いて欲しい」
「……え?」
思わず素が顔をのぞかせてきたアイラは、頭を下げて思いもよらない頼みごとをしてきた男を見る。
確かに、父親の仇を討てれば、エリートであると同時に相応の激務を求められる今の仕事を辞めることも構わない。むしろ、その時はとりあえず辞表を叩きつけて、無駄に積み上がった貯金を切り崩しながらゆっくり第二の人生について考えるつもりなことは、いつぞやの酒の席で言った覚えもある。
「お宅の義娘さんたちなら、まあ親馬鹿かって分からなくもないけど。何で、一番心配なさそうなミゼル君? しかも、彼がこっちに残るかも分からないのに。随分と剣にご執心みたいだし、あなたについていくと思ってるんだけど」
「苦労するのが分かってるから、誰も連れて行きたくはない。そして、仮に他の誰を連れて行こうとも、ミゼル君だけは絶対に置いていく」
頭を上げ、そう言い切るイサミ。
話の見えないアイラにすれば、どうして彼だけ、との疑問は当然湧いてくる。
「彼は……似てるんだよ」
「似てる?」
「同じって言う方が正しいのかもしれない。――マトイ・ヤクサと」
その名を聞き、アイラの視線が鋭くなる。
この程度の反応ならば予想の範囲内。イサミは、一切怯むことなく、アイラの眼光を正面から受け止めて話を続ける。
「たぶん、本質的には大して違いはないんだよ。剣に魅入られ、剣に狂う。社会的に許されない方向にねじ曲がったのがマトイ・ヤクサで、今のところは剣に対して、ただ真っ直ぐ狂ってるのがミゼル君なんだよ。八色家には、熟練の剣士が多くいる。たぶん、ミゼル君の本質はすぐに見抜かれる。そうすれば――」
「きっと、ミゼル君は殺される」
「違うね、ミゼル君に殺される」
本当に、今日は想定外ばかりだ。
そう思いながら、頭を抱えたくなるのを堪えつつアイラは問いかける。
「熟練の剣士の多くいる、東方の大国の一大流派の総本山である敵地での話よね?」
「俺が居たころと水準が変わってなかったとしたら、ミゼル君ならやってやれないことはないと思うよ。お家そのものが斜陽なんだから、下がってることはあっても上がってることはないだろう」
「いや、そんなまさか。それなり以上の質を備えた物量に、一人で立ち向かうのよ? それとも、あなたも一緒に暴れるつもり?」
「俺も、ミゼル君の底が見えないんだ。危険人物を排除しようと殺しに来た刺客を返り討ちにして、そこから本当に八色家の全部を斬りかねない」
「……そんなに?」
「そんなに」
そう言われても、アイラはいまいちピンと来ない。
近衛騎士の端くれとして、様々な状況での戦い方を叩き込まれている。
だからこそ、一対多数での戦いの困難さも分かる。あらゆる方向に気を配り続けるなんて無理だし、疲労もたまる。敵のすべてが素人だったとしても油断していい状況ではないのだ。
イサミは、それでもミゼルは勝つと言っているのだ。
「本気で言ってるの?」
「もう一度言うけど、俺にも底が見えないんだよ。でも、この前のアルクスの特異個体による襲撃騒動。その時の特異個体ってさ、反応速度も普通の速さも、速さについてはブレイブハートで圧倒的に一番のリディが、肝を冷やしたってくらいに俊敏だったんだよ。その敵に対してミゼル君は、リディが自分なら避けられないって判断するくらいまで攻撃を引き付けてから、攻撃を回避してたんだってさ」
「あら、ミゼル君って、そんなことまで出来たんだ。リディちゃんより速いなんて、とんでもないわね」
「出来ない」
「出来ない?」
「少なくとも、鍛錬中、俺相手に全力で掛かってくるミゼル君に、リディが回避できないところまで引き付けてから回避するなんて出来ないよ」
「……意味が分からないわ」
「ミゼル君は、戦いの、命のやり取りの中でしか本気を出せない。たぶん、自覚はないだろうね。俺も少し前から気付いてはいたけど、命のやり取りの有無でここまで変わるまでに悪化してるなんて、思いもしなかった」
「命のやり取り……ああ、それに気付いて、全面的に『受け入れた』のがマトイ・ヤクサなのね」
イサミは、その問いに黙って頷く。
命のやり取りで剣が冴えるならば、より質の高い命のやり取りによって剣を研ぎ澄まそう。
理屈にすればそうなるのだろうが、アイラにとってはまったく理解できない次元の話である。
本番に強い、というのは聞いたこともあるが、それにしても極端すぎやしないだろうか。
そう思うアイラには、同時にこの問題についての根本的な解決策が思い浮かんでいた。
「消さないの?」
「ミゼル君を殺せって?」
「ええ。それが一番安全よ」
アイラにとって、ありえない選択肢ではないと思う。
切れ味が良すぎて鞘にもおさまらない剣は、逆に使いどころが難しすぎるのだから。
しかし、
「その気はないよ」
アイラにとって予想通りのその言葉を、イサミは何の迷いもなく言い切る。
「『かもしれない』ってだけで命を摘み取るなんて、そんな傲慢なことをする気はないよ。少なくとも、俺には出来ない」
「それで良いのよ。あなたはそれくらい甘くてちょうど良い。ブレイブハートってのは、その甘さが作った場所なんだもの」
そう言葉を掛けるも、イサミの反応は芳しくない。
はて、何かまずいことでも言っただろうかとアイラが思えば、イサミが口を開く。
「甘いだけじゃないさ。下手にミゼル君を消そうとする方が危ないかもしれないってのもあるんだ」
「危険?」
「言ったろ。命のやり取りこそが、彼を強くする。つまり、彼と殺し合ったことのない俺には、彼の本気がどれほどか分からない。この目で見ることもできなかったしね。俺と戦うことで変な方向に目覚めて、俺を返り討ちにするかもしれない。その後なんて、考えたくもないね」
「そう……決断するには遅すぎたのね」
「どうだろう。もっと早い段階で消そうとしても、それこそ、その命のやり取りで目覚めさせるだけだったかもしれない。剣を教えなかったとしても、あの手合いは勝手に道を見出すからね。それこそ、真っ直ぐ育つように導いてやるのが一番だよ」
「剣を極めるって大変なのね。私には、もうよく分からないわ」
「ああ、大変さ。彼と出会ったころ、いつマトイ・ヤクサ発見なんて言われるか分からなかったから、理屈をつけて、ミゼル君を正式な弟子として迎えなかったんだ。それこそ、失敗して俺が死ぬかもしれないし、お役目を果たして帰ることになったかもしれない。今思えば、彼の才を惜しむなら、半端なことをせず、ちゃんとした弟子にしてしっかり向き合うんだった」
そういうイサミは、すっかり暗くなっている。
戦闘技術なんてどれも仕事の道具で、そこにそれ以上の何も見出さないアイラには、正直言って真に理解できたとは言い切れない世界である。
だけども、自分の良く知る少年が、剣に溺れ、自分の父親を理不尽に殺した剣鬼と同じところに落ちるかもしれないと言われれば、まったく無関係とも思えない。
自分のように大切な誰かを奪われる者を増やしたくはないし、あの居心地の良いヤマト風のお屋敷で、ゆったりと第二の人生を送るのも悪くはないと思う。
「ほら、そろそろ歩くわよ。心配しなくても、あなたのお願いは聞き入れてあげる。どうせ、やることもないしね」
「うん、ありがとう」
「って、お礼を言うのは気が早いわよ。あんなに格好つけて出てきて、返り討ちで戦死しましたならまだともかく、また取り逃がしましたなんて言ってすごすご帰ったら、あなたとんでもなく居心地悪いわよ? 特に、気にしないで、なんて気を遣ってくる義娘の温かい視線とかね」
「うっ……」
そうして、二人はまた歩み始める。
「そう言えば、なんで私? 戦闘方面なんて才能もないし、刀なんて東方の武器の面倒なんて見れないわよ? 本当に無差別殺戮を始めないように声を掛けてあげるくらいしか出来ないわ」
「いやぁ……こっちに来てから知り合いや友人もたくさん出来たけど、まだ若いミゼル君をそれなりの期間見てられるほどに寿命が残ってそうで、最低限ミゼル君のおかしさに気付きうる実力者ってなると、残りの選択肢が幼女主義者くらいしかいないんだよね。あはははは」
「ああ。まあ、ミゼル君がロリならともかくねぇ……」
すっかり普段の調子を取り戻した二人は、乾いた笑みを浮かべながら夜の帝都を歩いていった。




