間話 ~剣に狂う女と夢破れし男~
月明かりも届かない地下深く、照明の光に淡く照らし出された石造りの階段を、二人の人物が下っていく。
先頭を進むは、左腰に刀を差す袴姿の女性。
腰のあたりまである艶やかな黒髪を後ろでまとめ優し気な笑みを浮かべる彼女だが、発する空気は凛とした力強さを感じさせるものだった。
「サラ、体調はどうです? まだ大丈夫ですか?」
「は、はい! まったくもって問題ありません! ご心配頂きありがとうございます、マトイさま!」
『マトイさま』と呼ばれた先頭を行く女性が尋ねれば、後ろからついてくる少女は、しっぽが振り切れんばかりに喜びを表す小動物を思わせるように、全力で応えてくる。
そこだけ見れば、十代半ばという年に相応な肩のあたりまでの金髪ショートボブの少し小柄な少女。
ただし、マトイとお揃いの袴姿はともかく、その手に握られる大剣だけが異様に浮いているのだが。
その刃が淡い紫色の光を放っていることが、何かしらの力の行使をしていることを表していた。
そうこうしながら歩けば、すぐに階段の終着地点――最深部へとたどり着く。
そこには、そう狭くはないという程度の空間と、その奥にあるたった一つの鉄扉しかなかった。
この帝都郊外の大監獄の看守であろう二人の武装した男たちも居るのだが、やってきた二人が咎められることはない。
マトイは、呆けたままただ漫然と虚空を見つめる男たちを漁り、鍵束を見つけると、何の遠慮もなく扉へと向かう。
「サラ、『仕込み』のついでの私のわがままに付き合ってくれて、ありがとうございます」
「そんな! マトイさまのお願いとあらば、お役に立てることが喜びですから!」
「それで、これからの仕込みとわがままを合わせて、どれくらいの時間を確保できますか?」
「マトイさまが望むなら、どれだけでも!」
そういうことを聞いてるんじゃないだと思いながらも、マトイは困ったような笑みを浮かべながら扉の中へと入っていく。
少女をこんなところで使い潰さないためにもこまめに様子を見ようと思いながら立ち入ったそこは、ただの『空間』であった。
広さこそ二、三人で生活できるくらいにはあるものの、ただ石造りの床と石造りの壁と石造りの天井があるだけ。
せめてもの救いは、用を足すことに関しての手当はなされているらしく、部屋の奥の壁にもたれ掛かって座る大男からの体臭以外の悪臭がないことだろうか。
「サラ、あなたは『仕込み』を。私はあの男と話すので、解放して下さい」
「了解しました!」
そうして二人は、片や部屋の隅に向かい、片や大男のところへと近づいていく。
薄茶色の囚人服に金属製の手かせ足かせを付けられた大男の前でマトイは立ち止まり、そのまま話しかけた。
「ほら、起きて下さい」
「あー? なんだ、もう公開処刑の時間が来たのか?」
さっきまで虚空を見ていた大男の目が光を取り戻す。
だが、これまで意識を失っていたことから、状況の把握はまったく出来ていない。
「……おったまげたな。こんな綺麗なお嬢さん方がお迎えか。最期の最期で、国事犯相手に情けでもかけてくれたのか?」
「むっ。失礼な。サラはともかく、私は三十路前です。お嬢さんはないでしょう?」
「ああ、すまねぇ。俺としたことが、久々に美人なんか見て舞い上がっちまったらしい」
子供みたいにむくれるマトイを相手に、大男は力ない笑みを浮かべながら返す。
そんなやり取りに、マトイの方は違和感を覚える。
事前情報を見ている限り、こんな和やかな会話が成り立つとは思ってもみなかったのだ。
「一つ確認したいのですが、あなたはデリグさん?」
「おお、そうだな」
「『最悪の魔剣』ソウルイーターを振るい、死者の軍勢を持って帝都を恐怖に陥れた稀代の大悪党?」
「ハハハ、まあ、その、なんだ。そこまで上等なもんじゃないんだがな……」
歯切れが悪いことにマトイが首を傾げてみれば、言いにくそうにデリグと呼ばれた男が口を開いた。
「確かに俺がやったことで、大体覚えてるんだがな。なんだ、自覚がないと言うかなぁ……」
「自覚がない?」
「冒険者としてパーティーの仲間と凄そうな魔剣を見つけたんだがな。それから、敵を殺して、味方を殺して、関係ない連中も殺して。どこぞのガキにその魔剣を叩っ斬られて、正気に戻ってみればこの様さ」
「ほう。人格に影響が出るほどに魔剣に『喰われ』て、正気に戻れたんですか。魔剣の類の適性が高かったからですかね? 珍しい」
「ん、詳しいのか?」
「そこまで詳しいつもりはないんですがね。色々あって、経験だけは少々」
そこでマトイは、作業中のサラの方へと一瞬だけ目をやり、その手に持つ大剣の刃が紫色の光を発していることからデリグも『そういうことか』と察する。
サラと言う少女の持つ魔剣らしきものに関係して、何かあったのだろうと。
「で、結局のところ、あんたたちは何しに来たんだ? 帝国でも随一の悪党連中が集められるこの大監獄の、しかも最深部まで来るたぁ、どうせまともな理由じゃあねぇんだろう?」
「ええ。近々、帝都で一騒動起こす予定がありましてね。仕込みのついでに、大先輩とお話してみようかと」
「……そんなことを馬鹿正直に言ってきたのか? それ以前に、俺に聞かせていい話じゃないだろう。俺が随分と暴れまわったお蔭で、冗談にしてもしばらくは取り調べコースになりかねんと思うが」
「ご心配なく。あなたを含め、この監獄の者たちは、誰も私たちに会わなかったし、記憶のない期間について疑問に思うこともない。そういう風になっているので」
「ああ、そうかい」
どうせこのまま死にゆく自分には関係ないとばかりにどうでも良さそうなデリグ。
突拍子もない話に対して彼は、追求するのではなく、一つの言葉を送ることで答えとした。
「お前らの人生だから、好きにすれば良いとは思うがな。失敗すれば、このとおりだ。――そこまでしてでもやり遂げたい、そこまでの思いがあるのかをよく考えてから動くんだな」
「ええ、ありますよ」
まさかの返事に、少しの間、呆けてしまうデリグ。
軽く流されるか、考え込むか。大方そんなことだろうと思っていたら、まさかの即答である。
「強くなるにはやはり実戦なんです。それで、国許や近隣国で片っ端から強者を斬っていて、気が付けば目ぼしいところを斬り尽くして。その上、大騒ぎにもなってうるさくなったんですよ。それで思い切って西に来て今に至るんです」
「お、おう……」
思っていたよりも狂った話に大きく引いているデリグだが、マトイはそんなことは気にもせず話を続ける。
「でも、こっちは勝手がわからなくて、強者を探すのは苦労しました。それでも在野の強者は結構斬ったんです。だからちょっと、軍の上の方に居る強者を斬ってみようかと。次元違いのバケモノも何人かいるらしいですし、楽しみです」
「おい……いや、うん。何も言うまい」
「はは、自分が普通じゃないことは知ってますからお構いなく。まあ、それでも生き物である以上は疲労もたまるんです。すると、たくさんの兵隊を斬って進む間に疲労がたまって、折角の戦いが台無しになる。で、現政権をぶっ潰してくれるなら雑魚を引き剥がしてくれるって人たちが付いてきてくれましてね。――ここまでお膳立てしてくれたら、斬るしかないじゃないですか」
頬を薄く染めながらそんなことを言われて、どう反応しろと言うのか――そんな思いを抱いたデリグは、愛想笑いで乗り切ることにした。
自分がおかしくなっていた時よりもよっぽど危険人物なんじゃなかろうかと思っているデリグに、笑みを浮かべながらの質問が飛ぶ。
「そう言えば、あなたにはあったんですか? そういう思い」
「俺? そんなことを聞いて、どうする? そもそも正気ですらなかったんだぞ」
「でも、魔剣なんてそう簡単に見つかるものじゃないでしょう? それを手に取ったのには、それなりの理由があるんじゃないかなぁーって思いまして」
「ふん、今更だな」
「今更で結構。もともと、興味本位ですからね。牢に押し込められて弱ってるだろう相手と斬りあってもしょうがないでしょうけど、剣を取って剣の道を進み、間違いなく時代に爪跡を残した人だ。万に一つくらいは得る物があるかもしれないってくらいの思いなんですから」
相変わらずの笑みに、デリグは考える。
こんな無為な話をする機会なんて、これで最後だろう。
死にゆく前に、自分の胸の内を誰かの心に残すのも悪くないかもしれない。
なあに、少なくともこっちは忘れるんだから、恥ずかしいこともないだろう。
そんな答えに至り、男は口を開く。
「もったいぶっておいて悪いが、大した思いはない。本当に、時代に爪跡なんて残す気はなかったんだ。俺は……惚れた女を堂々と口説きに行ける、実力に見合った社会的地位。ただ、それを得られるだけの実績が欲しかっただけなんだがなぁ……」
なんてことのない言葉だが、言ったデリグは随分と清々しい気分だった。
それを見てマトイは思う――ここで死なせるには、惜しい。
思ったよりもずっとまともな人格だし、失敗を失敗として受け入れられる強さもある。
戦力として素の彼がどこまで使えるかは謎だが、魔剣との親和性が高い点は期待が持てる。
何より、国を相手にするんだから、人材はどれだけいても多すぎることはないのだ。
「ふむ。あなたは、やり直してみたいですか?」
「ん? ああ、まあ、やり直せるものならな」
「では、私と共に来ませんか?」
「ま、マトイさま!?」
隅っこで作業をしていたサラが、思わず叫んでしまう。
予想だにしない発言に理解が追いついていないデリグと合わせて、おおむねマトイの想定内の反応だった。
「この男、今日の夕方に死刑判決を受けて、明日の昼には処刑される悪党ですよ!? しかも、無差別になんでも殺すなんてやり口、味方にするには危険です! そりゃ、マトイさまがお望みになるなら最優先で実現されるべきではありますけど……」
「まあ、大丈夫でしょう。『剣に喰われる』って感覚を誰より知るあなたなら、分かるでしょう?」
「でも、万に一つってこともありますし」
「それに、私個人としては、この男がここからどう生きるのかに興味がある。何より、裏切ってくれるなら、私の剣の糧がまた一人増えてくれるってことです。歓迎すべきことですね」
冗談でもなんでもなく、当たり前のようにそんなことを言われれば、サラは口答えする気はない。
ただ、敬愛する女性を害せば許さないぞ、との念を込めてデリグを睨みつけるのは忘れないが。
「さて。今更、国事犯の一人が増えたくらいでは、どうってことないような集まりではあるんです。そういう組織ですが――よく考えてみて、付いてきますか?」
「本気か?」
「ここまで来て、愚問ですね」
デリグの胸の内では、思わぬ言葉に、どう答えるかの葛藤が生まれる。
受け入れれば、自分は助かるかもしれない。だが、狂わされていたとは言え、仲間や無辜の民まで殺し尽した自分が、ここで逃げ出す資格があるのだろうか。
「さあ、どうしますか?」
そうして、デリグの目の前に、救いの手が差し出された。
ちなみに、デリグさんは新キャラじゃないですよ。
念のために言っておくと、1章のボスキャラです。




