第四章最終話・上 ~戦いの終わりに~
「おーい。女神さまやーい」
朝日の差すアルクスの町の大通り。
疲れ切った体に、いつもの羽織袴の腰に差す刀の重みにすらふらふらと体を揺らされながら、のそのそと足を進める。
特異個体が死んだことで魔物の群れは統率を失って自壊し、自然消滅した。そうして危機を無事に乗り越えたアルクスの町だが、今はその機能が完全に死んでいる中を僕は歩いていた。
酒と言う名の敵の物量の前に死屍累々な光景を見ながらつぶやいた言葉に、やっぱり返事はない。
今回の襲撃騒ぎの元凶である特異個体を討ち取るとともに意識を失った僕だが、戦いの翌朝に目覚めてからのこの三日間、何度呼びかけても女神さまから返事が来ることはない。
ここで、大欠伸を一つ。
一晩中、町を挙げての大宴会だったせいで、建物の内外を問わずに酔い潰れた男や女や老人や若者が転がっている。
そういう僕も一睡もしていなくて、子供たちがどこかから手に入れてきた木の枝で、眠りこけている巨乳なお姉さんの双丘を突き回しているのを見て、何をするでもなく通り過ぎる。
止める気力なんて尽きたし、興奮できるほどに体力は残っていない。
視界の隅に後片付けに動き始めている人たちもちらほら見えるけど、宴会の一番の大スポンサーだし、宿の部屋に帰って惰眠を貪っても許されるはず。
そう。この惨状を作り出した原因筆頭は、僕なのだ。
そもそもの始まりは、特異個体との戦いの翌日の午後。眠っている間にアルクスの冒険者ギルドの医務室に運ばれていた僕の目が覚めてすぐのことだった。
「ちょうど良かった。これで今夜の式典には間に合うな、勲功第一位。お前ら四人が揃った方が、新聞記者どもも喜ぶだろう」
そう言って、寝間着姿のままベッドで上半身を起こす僕の肩に手を置くのは、帝国冒険者ギルドのアルクス支部長のエルフ族の女性。
詳しい説明もないままに風呂にぶち込まれ、しわ一つシミ一つなく綺麗にされていた羽織袴と刀を身に着け、引きずり出された先は、ギルド内の講堂のような場所。
客席前列の人たちが入ってきた僕をカメラで撮影しているのは、新聞社の連中だろう。機械仕掛けと魔法仕掛けなカメラは、この世界では高価すぎて、新聞社でもなければまず持っていないのだ。
そして演壇を見れば、リディにメアリーにルーテリッツさんが椅子に腰掛けている。
まあ、それぞれ、ガチガチ、平然としてる振りしながら汗が凄い、白目、なんて状況なのは見なかったことにしておく。
式典が始まり、支部長さん以外は誰だか全くわからない人たちによる無駄に長い話を聞かされると言う苦行。
とりあえず、敵将の首を獲った僕が勲功第一位。『敵将が見つかるまで待ち続け、見つかった後に一発限りの大技で敵の群れを薙ぎ払った』ルーテリッツさんが勲功第二位。必死の治療で死者を一割以下に抑えたメアリーが勲功第三位。陣頭で味方を鼓舞し続けたリディが勲功第四位。
……うん。勲功第二位さんの功績が少しばかり脚色されていることには突っ込んではいけない。どう見てもビビって動けなかっただけなんて公表したところで、ルーテリッツさんがビビってる間に死んだ人たちの家族や友人たちの心を荒立てるだけだ。
真実は、常に救いになるとは限らないのだから。
で、式典後。
報奨金だとか言って十年くらいは遊んで暮らせそうな大金を、それぞれが現ナマで渡された僕ら。
前世の小市民感覚が抜けない僕が大金を持ち歩くことにビビっているのをリディやメアリーにイジられて進み、むしろなんでお前ら二人は平然としているのかと思いながら、ルーテリッツさんも含めた四人でギルドの一階に。
「おい! ブレイブハートの四人が来たぞ!」
階段から姿が見えるや否や、そんな言葉と共に数百人規模の大歓声が僕らを出迎える。
「ありがとう! お蔭で、生きて帰れて、報奨金もザックザクだ!」
「私、メアリーさんの治療があったから死ななかったんだ!」
「ルーテリッツさん! あの魔法スゴかったよ!」
「リディエラさんの背中がなかったら、オレ、とっくに諦めてた! 勇気をありがとう!」
そんなこんなで、大歓迎を受ける僕ら。
他人が苦手らしいルーテリッツさんが、無数の善意の前にあわあわしているのはご愛敬。
二、三年は遊べる、低ランク冒険者では見たこともない大金に浮かれる人々。いつもの笑顔だが、少し赤みがさして満更でもない様子のメアリー。普通に照れてるリディ。――遠くから、黒いオーラを放ちつつ鋭い眼光を向けてくる高ランク冒険者の皆さま。
今回、彼ら彼女らは何もしていない。
つまり、報奨金だって、参加賞レベルの低額だっただろう。
本来は貰えるはずだったお金を『奪われて』、いい気分ではないのは見て分かる。
理屈ではないのだ。感情的に、分からなくはない。
これは、ブレイブハートを含めて、高ランク冒険者たちに恨まれる流れではなかろうか?
僕らもいろいろ大変そうだが、Dランク以下のパーティや、高ランクパーティ所属だが主力から置いていかれた低ランク冒険者にとって、割とシャレにならないのではなかろうか。
「助けて、シルルさん!」
「ん? 一体、何ごとだ?」
しれっと勲功第五位になってたりする女ドワーフに救いを求める。
事情を語ると、彼女は迷わず言い放った。
「美味い酒と美味い飯。それで全部解決だな」
「いや、そんな適当な……」
「つっても、酒か装備か娼館か、くらいしか金の使いどころがないのが冒険者だからな。後は、精々が博打くらいだが、身持ちを崩すやつが多すぎて、禁止するパーティがほとんどだし」
「で、でも、目下が酒をおごるって、向こうのプライドとか……ねえ?」
「高ランク冒険者になれるだけの何かを持ってて、その上、この場面でプライドとか名誉を気にする奴らはな、とっくに軍か警備隊に行ってるんだよ。社会的地位が天と地の差だからな」
その言葉に大いに納得する。
軍や警備隊は公務員だからな。確かに、どこの誰でも即日なれる冒険者とはかなり違うだろうさ。
そこで翌朝、さっそく町の酒場のオーナーを集めて会議である。
「よ、予算が……足りない……」
話そのものには興味を示して、みんな快く集まってくれた。
しかし、そこで提示された金額が半端なく、僕はアテもなく街を彷徨っていた。
高ランクパーティは数百人規模が普通で、ちょっとした会社みたいなもの。普段はパーティ内でさらにグループ分けをし、それぞれが別々の場所で仕事をして、大きな案件の時だけ全員が一か所に集められる。
アルクスの『大掃除』は大きな案件に入らないらしく、多くても一パーティ百かそこらくらいしか来ていない。それでも、今回の討伐の本隊は二千人を超えている。
それなりに稼ぎのある高ランク冒険者が飲み食いするものは、それもまた高ランク。
結果、僕が貰った、個人が高が十年遊んで暮らせるような金では、まったく届かないような金額を請求されることとなった。
「うーん、どうする? でも、後はブレイブハートのお金に手を付けるくらいしかないし……」
「おぉ~い、どうしたのぉ~?」
町中なのでよそ行きモードなメアリーさんが、正面から歩いてくる。
正直、仮に彼女の所持金を足しても焼け石に水な状況ではどうしようもないのだろうが、何か活路が開けるかもとのわずかな希望を込めて事情を話してみた。
「一緒に戦った人たちにぃ~、出してもらえばぁ~?」
「え? いやでも、低ランク冒険者にとっては貴重な収入だろ? 出せって言うのもなぁ……」
「どうせぇ~、貰った分は多かれ少なかれ飲みつぶすんだからぁ~、会費だと思って出してもらえば良いよぉ~。何よりぃ~、わたしたちよりもぉ~、受ける利益は向こうが多いんだしぃ~」
そんなこんなで、カンパを呼びかけることに。
これまたシルルさんを通じて呼びかけてもらった、その夜である。
「えー、主催者挨拶なんて誰も求めてないでしょうから、さっそく。――かんぱーい!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
アルクスの町の中央広場で、飲み会の幹事をやってます。はい。
飲み会の話はあっという間に共に戦った低ランク冒険者たちに広がり、次から次へと寄付金が集まって、当初の想定予算を大きく超えるまでになった。
その過程で少し聞いてみたところによると、高ランクパーティに所属する人たちを中心に、まともな報奨金を貰い損ねた高ランク冒険者からの無言の圧力を感じていたらしい。
そんな訳で、彼ら彼女らも自分の未来を守るために、むしろ助かったのだそうな。
そうして、アルクスの町の中央広場で大宴会という訳である。
と、それはそれとして、結局のところ一番多く出してるのが僕には違いないんだから、入るだけ胃に詰め込んでおかなければ損だ。
そう思って、酒や食べ物を高そうなものからお腹の中に流し込んでいる時のことである。
「坊主! 上手いことやりやがったな! 単純だが、これだけやっておけば、明日にはみんなきれいさっぱりだ!」
「あ、ゲイルさん、どうも。あと、その、近いんですけど……?」
陽気に肩なんて組みながら引っ付いてくるおっさんは、ゲイルさん。
今回の特異個体討伐の総指揮官に任じられたAランク冒険者で、僕らブレイブハートを別働隊に配置した人物でもある。
そう考えると、今回の戦いの立役者の一人とすら言えるのではなかろうか。
「近い? まあまあ気にすんな! 仲良くしようぜ!」
「いや、その、はあ……」
「そう、仲良く頼む」
いい年してもう酔ったのかと辟易していたが、急に耳元で低音をささやかれ、思わず体が強張る。
「安心しな。オレにそっちの気はねぇし、仲良くしたいってのも言葉通りの意味だ。裏はねぇ」
「は、はぁ」
「実はな、オレたち本隊が策に嵌ってたかも知れねぇんだ」
「ええ……ん?」
まあ、狼煙で昼から合図を出して全く気付かれなかったんだから、それくらいの事情はあったのだろう。
つまり、言い訳がしたいのか?
「ピンと来ないみたいだな。――坊主。特異個体っても魔物だ。魔物に、主力を少数の兵力で森の中につり出し、そのまま数を悟られずに足止めしておくなんて策を実行できると思うか?」
「え……?」
そう言えばそうだ。
そんな高度な作戦、厳しい訓練を積んだ熟練の戦士たちに連携を叩き込んでやっとじゃないか。
そもそも、力押ししかしてこないはずの特異個体による襲撃で、別働隊による敵主力の誘引策なんて、非常識極まりない。
「ちょっと待ってください。それが本当なら、かなりの異常事態なんじゃないですか?」
「ああ。だが、今のオレたち高ランク冒険者は、世間的に、敵襲の中を関係ないところでほっつき歩いてた無能扱いだ。明日の新聞も、ここぞとばかりに叩きに来るだろうし、代わりにお前たちは英雄扱いだ。そんな状況で大きな声で言ったところで、こんな非常識な話、出来の悪い言い訳としか思われんだろう。だから、とりあえずは、ギルドと信用のおける実力者にだけ情報を流す」
はたから見れば、僕とゲイルさんは、仲良く肩を組んで酒を酌み交わしているように見える。
僕の表情が硬いのも、雲の上の人と話して緊張している風にしか見えないだろう。
だが、話が大きすぎやしないだろうか。
一定期間ごとに生じる自然災害に、これまでの常識が通用しなくなったってことだろ?
これ、下手しなくても、一介の冒険者が首を突っ込む話じゃない。最低でも、国の管轄だろ。
「ほら、あまり心配するな。特異個体自体が、そうそう出てくるもんじゃねぇ。今は、イサミに伝えてくれればそれで良い。後は、オレらベテランの仕事だ」
それだけ告げて、ゲイルさんは去っていく。
にしても、話が大きすぎる。
むしろ、大きすぎて心配の仕方すら分からん。
まあ、災害対策なんて僕がでしゃばる話でもないんだ。何かがおかしいってことだけ頭の片隅に置いて、今は頼まれたことだけやっておこう。
「た、大変だぁ! 何人かが、酒樽と料理を持って、町中に突っ込んでいったぞ!」
そんな事件を皮切りに、宴会は街の住人にも拡大。
人の金だと思って、酔っ払った高ランク冒険者たちが無差別に酒や料理を振る舞って回り、気付けば朝。当初の、回想を始めた状況に至るって訳だ。
町中に宴会の後が生々しく残っているほどの大事件に発展している。
まあ、お金は前金で全額支払い済みなんで良いんだけど、住人の大半が潰れてる中で、誰が後片付けをするんだろうか。
とりあえず幹事の職分は超えてるから僕ではないな、と勝手に結論付けて、柔らかなベッドに向けて足を進めることにした。




