第十一話 ~誰がための剣閃か~
「皮一枚、か」
そう呟き、敵であるオーガの巨体に対して、刀を構えて向き合う。
これまでまったく刃が通らなかったことからすれば、間違いなく進歩。
だが、この結果が、驚いて飛びのいたオーガによるのではないところが問題だ。
確実に間合いに捉えて、でも、皮一枚から先は弾き返された。
つまり、まだまだ未熟。
「そうだよな。そう来なくちゃ」
思わず笑みが浮かび、同時にそんな言葉が漏れる。
自分の成長が目に見えていて、しかも壁はまだまだ高いと来た。
最高じゃないか!
「さあ、この程度でひるむなよ? まだまだ相手をしてもらわないと困るんだからな!」
「グラァァァァァアアアアア!!」
そのまま、僕の方から突っ込む。
こちらを威嚇するような吠え声を上げたものの、オーガの方は警戒感を隠そうともせずに待ち構えるのみ。
構うものか。
斬ってしまえば、同じこと。
向こうが僕の五倍くらいの大きさがある以上、間合いは向こうの方が広い。
その間合いを侵した瞬間、敵は右手の棍棒を振り上げる。
時間にして、一息か、二息か。
今の『焦点』があった僕は、そのわずかな時間の中で、敵が繰り出す攻撃の軌道まではっきり見える。
そうして、振り下ろしが来ると判断した僕は、オーガの左側へと回り込む。
右手で振り下ろしをしたことで、体捌きの結果、左手が振り上がって無防備な状態。
上段に刀を構え、『斬撃』のために集中に入――ろうとしたところで、唐突な浮遊感。
ふと下を見れば、オーガの前面から弧を描くように放たれた左足が、地面を走っていた。
そうして半円を描けば、オーガにとっては、姿勢を崩して宙に浮く僕を正面に捉えた状態。
その顔が笑みを浮かべているように見えるのは、果たして気のせいか否か。
そんなオーガの左手はまだ振り上がったままであり、そのまま巨大な手の平が振り下ろされ
る。
棍棒なんて無くても、僕の五倍の大きさの手でのこの一撃をまともに受ければ、何をする間
もなく止めまで一直線なのは分かりきったこと。
かと言って、体のどこも接地していない空中でできることなんて何もないに等しい。
体勢を変えるなんてまず無理だし、こんなところから適当に刀を振り回しても通る訳がない。魔法については、ルーテリッツさんの大規模魔法に無傷なんだからほとんど通る見込みはないし、そもそも、僕は全く使えない体質なんだから、選択肢にない。
だから、接地面を作った。
「どぉっせいっ!」
「グルァッ!?」
刻一刻と迫る手の平がすべて見えていた僕は、体に触れる直前、腕が届く距離に入ってからのわずかな時間に、両手を、巨大な手の人差し指と中指に掛ける。
そして、腕の力で一気に体を押し出し、叩き潰される前に攻撃から逃れた。
無様に地面を転がり、泥まみれになりながらも、何とかオーガの間合いの少し外で立ち上がって中段に構える。
この攻防、明らかにさっきまでならありえなかった。
身体能力が高くとも、動き自体は単調で、間合いに入ったら攻撃をするまでしか考えていなかったのだ。
それが、今回は、どう考えても僕が一撃目をかわした後のことを考えての動きだ。
「学習している?」
魔物が考えながら戦うなんて、一般的には笑い話だ。
そんな知能はない。
でも、一般的にどうかなんて関係はない。
「いいな。すごく良い!」
僕の攻撃を受け止め、その体は半端な斬撃モドキを弾き返し、しかも僕の動きを学んで対応してくるときた。
期待をどこまでも上回ってくれる敵に、喜びを感じないなんてことかあるか!
「さあ、来いよ! まだまだこれからだろう!?」
「グアッ!」
まさか言葉が通じてるわけではないだろうが、僕の言葉に応えるように向かってくるオーガ。
その姿を見て、すうっと上段に構える。
『斬撃』と向き合うのに、僕にとってはこれ以上のものはない。
幼き日、僕の道を定めた一撃は、ここから放たれたのだ。
今までは表面をなぞるだけだった僕は、その先を目指すのだ。
高速で駆ける巨体が迫る――集中だ。
棍棒が振り上げられる――『斬る』んだ。
視界が一撃に埋め尽くされる――まだ『違う』。
「弾いて!」
最近凄く聞いた声が響いた瞬間、目の前まで迫った棍棒が突然大きく上に弾き飛ばされ、オーガの巨体ごと後ろにのけ反った。
その影響は僕にもあり、眼前で吹き荒れる突風に目が開けられなくなって思わず目を背ける。
「バカ! 死ぬ気!?」
いつも聞きなれた銀髪犬耳少女の声が横を駆け抜ける。
風が止んだこともあり目を開ければ、体勢を立て直そうとするオーガにリディが突進の勢いのままに刺突を叩き込むところだった。
「何これ!? 刃が通らないんだけど!?」
予想通りに攻撃が弾き返されると、体勢を整えたオーガは反撃とばかりに右手側から横薙ぎを放つ。
それに対してリディは、「撤収!」なんて言いながら慌てて駆け戻ってきて、僕の首根っこを掴むと、何が何やら分かっていない僕を引きずって高速離脱。
一息つけるくらいに大きく間合いを取って、そこで解放された。
「リディ、何しに来たんだ?」
「知らないわよ。限界超えてる状態で訳も分からず雑魚の相手をしてる冒険者のみんなの手伝いしてたら、あんたがヤバいとかで地面を這っていこうとしてるのを見つけて、あんまりにも必死だから連れてきたの。メアリーが色々言っても聞かなくて、仕方なくね。そしたら、あんたが自殺しようとしてたってわけ」
足元を見れば、座り込んで僕を見上げるルーテリッツさん。
呼吸なんかは落ち着いてるけど、その顔色は真っ白。青ざめるとか通り越して、もはや血の気を感じられない。
「あ、あなたは、どうしたいの?」
「どうしたいって言われても、僕は、ヤツを倒すんです」
当たり前のことを答えれば、なぜか頭を抱えるルーテリッツさん。
「あ、あの、ダメだよ」
「何が?」
「ダメなの。『そっち』は、戻ってこれないから」
抽象的な話に、理解が追いつかない。
オーガの方は状況の変化を見て様子見を選択しているので、意識をそっちにも軽く振り向けながら考える。
……いやまあ、考える材料そのものがないから、分かる訳ないんだけど。
ルーテリッツさんは、心『は』読めないって言ってたけど、明らかに僕らには見えない何かが見えている。それ関係だろうか。
「あ、あなたは、『そっち』に行っちゃ、ダメなの」
「そっち、とか言われても分からないんですけど」
「そ、その、みんな必死に戦ってて、さ、さっきみたいな無茶は、あなたの命も危なくて――」
「で、それがどうしたんです?」
「!? あんたねぇっ! あたしたち二人が落ちるってことは、他の連中じゃどうしようもないってことなのよ! その意味分かってんの!? あたしたちは、みんなの命を背負ってんの!」
なぜか怒り狂うリディ。
そんなことより、僕は『斬撃』と向き合わなきゃいけないのに。
「あんた、本気で分かんないの?」
僕の不思議そうな顔を見て、勝手に機嫌を急降下させる姉弟子は、刀をその場に放り出すと、右手を握りしめて大きく振りかぶる。
その迷いのない動きに反応して迎撃の構えを取ろうとして――僕の左頬から乾いた音が響き、遅れてじんわりとした痛みが広がる。
「せ、責任があるって言った」
魔力切れの症状が治まっていないだろうに無理している魔法使いの少女は、座り込んだまま平手を放ち、そのまま僕を真っ直ぐ見上げる。
「こ、後悔したくないって言った」
その目には、薄っすらと涙が浮かんでいる。
「わ、私を守ってくれるって言った」
さっき地面を転がって泥だらけなのも気にせず、僕の服を掴んで何とか立ち上がった。
ルーテリッツさんは、僕の首に手を回して支えにしながら何とか立ち、至近距離で僕の目を見上げて言葉を紡ぎ続ける。
「け、けど、今は『楽しん』でる。わ、私とお話してくれたあの時は、コワいのに立ち向かおうとして、何とかしようとしてたのに。い、今は違う。あの時は前を向いてたのに、今は全然違うところを見てる。こ、このままだったら、あ、あなたは帰ってこれないよ?」
鬼気迫るほどの気迫。
自らの限界を超えてでも伝えたいとの信念がそれを生み出すのだろうか。
「こ、これが、あなたにしか出来ないことなの? やらないといけないことなの? ――少しでも多くを救う、後悔しない道なの?」
――私の憧れた、コワくても進む『勇気』の果てなの?
「あ、あの、僕は……」
頭をガツンと殴り飛ばされたような衝撃。
いや、剣の道そのものが間違ってるなんてありえない。
だけれども、鬼気迫りながらも縋りついてくるような弱々しさの前に、忘れていたことを思い出す。
見渡せば、周囲では僕にところへ他の魔物を近づけまいと多くの冒険者が戦っている。
彼ら彼女らは、僕を信じて、命懸けで戦い続けている。
そんなこと、すっかり忘れていた。
『斬撃』にしたってそうだ。
最初はまだ良い。身の丈に合う限界に挑んで、皮一枚を斬ったのだ。
さっきのは何だ? あんなの、限界を超えたとは言わない。ただただ無謀と言うんだ。勝手に無理して、ルーテリッツさんが居なければ確実に地面のシミになっているようなのは、僕の剣の道か?
身の丈に合わない壁にはね返されて死ねば、その先なんてないんだぞ。
すると、意識の『焦点』がぼやけていく。
ここまで、世界をはっきり――いや、正確には、僕が見たい世界だけをはっきり映し出してきた光景が消え、いつもの見慣れた世界が帰ってきた。
「僕は、ヤツを倒すんです」
最初、ルーテリッツさんの頭を抱えさせたのと同じ答え。
でも、その裏にある意志が違う。
現実を見て、前に進むための決意の言葉。
「うん」
ルーテリッツさんは、力なく弱々しい笑顔でそれだけ言い、そのまま胸の中に倒れ込んでくる。
「リディ、前衛を頼みたい」
「……ま、良いわ。今のあんたになら、付いてってあげる」
地面の上にルーテリッツさんを直接寝かせ、振り上げた拳を振り下ろす先を奪われてからオーガの方を牽制するように見ていたリディとそんなやり取り。
「で、どうすればいいの?」
「あの棍棒の、振り下ろしの一撃が欲しい」
「ふーん。まあ、しくじるんじゃないわよ?」
それだけ言うと、脇に落ちていた刀を拾ったリディは、ゆっくりと様子をうかがいながら歩みを進める。
「女神さま」
――任せて。いつでもやれるわ。
「前と同じで、長くはもたないんでしょう? 僕が『今だ』って合図したら、あの時と同じように刀の切れ味を上げて下さい」
――うん。頑張ってね。
僕が動き出したのを見て、リディは一気に速度を上げる。
だが、全力だと僕がついていけないので、ある程度加減をした速度ではある。
あのオーガは、たぶん学習能力がある。
だが、僕ら二人の連携はまだ見せていない。
どうせ僕の攻撃は一撃限りで限界なんだから、一閃ですべてを決めてやれば問題はない。
そうこうしている間も、少し前を進むリディがオーガの間合いを踏み越えた瞬間に、向こうも迎撃の準備を整える。
今の『焦点』がズレた僕には判断が付かなかったが、その高速の右腕の動きに対して、リディは一気に最高速度まで加速して脇を駆け抜け――ただ、上から叩きつけられた振り下ろしの一撃が残される。
一手目からいきなり本命とは、幸運だ。
振り下ろされた棍棒の数歩外から一気に駆け出し、もう一度振り上げられようとしているところに足を掛ける。
反応する間なんて与えない。
一歩目で棍棒に右足を乗せ、二歩目で右ひじに左足を掛け、三歩目で右肩に到達する。
「今だ!」
――さあ、わたしの愛を受け取って。これが、あなたの道を切り開く助けにならんことを。
僕の体を経由して、力が刀に流れ込んでいく感覚。
前は僕自身に余裕がなかったことから分からなかったけど、今ははっきりと分かる。
そして、狙うは大将首ただ一つ。
オーガは、やっとこっちを向いたところ。
ヤツは間違いなく強敵だった。
僕には過ぎた壁で、だからこそ僕も成長できたと思う。
だけれども、ここで終わりだ。
僕自身がやるべきことのために、お前の役目はここで終わる。
振るわれた剣閃は、吸い込まれるようにオーガの首の、肉を、骨を完全に断ち斬り――そこで限界を迎えた僕は、そのまま意識を闇に落としていった。




