第十話 ~『斬撃』~
ついに出会えた、強敵。
ルーテリッツさんの大規模攻撃による破壊の跡に悠然と立つ巨体が、右手の棍棒を振り上げて攻撃態勢に入る。
互いの間合いの外で向き合うのは、オーガ種の『特異個体』。僕の味方を壊滅させつつある、様々な種類の魔物の群れの統括者。打ち倒してしまえば群れが統制を失い自壊を始める、ラスボス的な存在。
「グァァァァアアアアア!!」
浴びるだけで思わず怯みそうな咆哮が、戦いの開始を告げる。
自分の五倍もある巨体が、想像もつかない高速で間合いを詰めてくる。
僕にとって十歩はあった間合いは、瞬きする間に潰し切られた。
天に向かって掲げられ、真っ直ぐ振り下ろされる棍棒。
受けるのはあり得ない。刀が耐えられるか以前に、体格差が大きすぎて押しつぶされてしまう。
ならば、回避するのみ。
一歩飛び下がって敵の攻撃の射程圏外へ。地面に叩きつけられた打撃によって舞い上がった土塊までもが良く見える。
目の前の敵と向き合う高ぶりと共に鋭敏になる感覚に任せ、大地にめり込む棍棒のすぐ脇へ大きく踏み込み。
対処が難しい、敵の間合いの内側へと踏み込んでの袈裟斬り。
眼前の存在は攻撃を空振りして体勢を崩していることから、反撃のない安全圏からの攻撃を放とうとして――慌てて後方へと飛び下がる。
「速いな。本当に、オーガか?」
大きく二歩、三歩と下がったところで中段に刀を構える。
完全に体勢を崩していたのは間違いないが、棍棒から手を放し、そのまま右手で薙ぎ払うように迎撃されるのは完全に想定外だ。
振り下ろした体勢から無理矢理に攻撃を放てることも驚きだが、何より、その機敏な反応が想定外すぎる。
オーガとは、先生に連れられて行った修行先で何度か戦ったことがある。
その怪力は脅威だったが、巨体に見合う鈍さだったことから、完全にカモにしていたのだ。
それが、怪力な上に速さまであるとくれば、反則だ。
そう、――
「その反則的な強さ……良いな!」
「グルゥ……」
僕を見る目が、さっきまでと違う。
ただ荒れ狂っているだけの野獣の目に、明確な警戒の色が見える。
そう来なくちゃ。
目指す先は『至高の斬撃』なんだ。僕みたいな未熟者が簡単に越えられる程度の壁じゃ、そんなところまで至れるわけがない。
この道の先に答えがあるかは分からないけど、高ぶる感情に任せて動けば、何かが見えそうな感覚が間違いなくある。ならば、突き進むまでだ。
「行くぞ」
そのつぶやきは、自分自身に聞かせるためのもの。
今度は僕が全速で間合いを詰める。
この場の他の魔物ならば反応する間もなく討ち取れるだろう突進に、目の前の巨体は反応して見せる。
僕の行動に対して、敵は右手の棍棒を振り上げて迎え撃つ体制を整える――想定通りに。
「残念!」
「!?」
今までの行動から、こいつはまず棍棒を使っての迎撃をしてくることは想像がつく。
そうして、間合いに入ったところを横薙ぎの一撃で吹き飛ばそうと、掲げられた右手が動きだした瞬間、その右手に向かって飛び込んだ。
別に、バカ正直に敵の攻撃に当たりに行ったわけではない。
その風圧がまともにぶつかるほどの至近距離をくぐり抜け、その無防備な右半身を横から捉える。
流石に、攻撃動作中ならば、反撃は遅れるはず。
着地した僕は、まだ攻撃を終えていない巨体を前に、無防備な脇腹の肉を狙い、上段に刀を構えて一気に振り下ろすと、返す横薙ぎでの迎撃が来る前に大きく後ろに下がって間合いを取る。
「いってぇ……」
「ガウ! ガッァァァァァアアアアアア!!」
怒り狂って地団駄を踏むオーガを前に、手に残る重い衝撃に顔を歪めながら刀を構える。
鋼にでも斬りかかったかのような固い手応えにまさかと見れば、刃には何もない。
脇腹の肉に間違いなく斬りかかりながら、皮一枚も斬ることが出来なかった。
どういうことだ?
間違いなく柔肉に斬りつけたんだぞ?
これが『特異個体』ってものなのか?
――やっぱり、こうなるわよね。相手は『神の奇跡の残骸』だもの。普通の『バグ』とは、存在位階が違いすぎるわ。
その声が頭の中に響いた瞬間、誰のものか分かった。
前回、聞いた状況が状況だ。忘れるものか。
「女神さま、なんだろ?」
――ええ、そうよ! あなたを愛する、一人の女神!
呼びかけに対して、溢れんばかりの喜びが込められている返事が返ってきた。
帝都に来て最初の事件、ソウルイーターとの戦いで呼びかけてきた声に違いなかった。
普段ならば、いくらでも聞くべきことがあったんだろう。
だけど、この場で掛けるべきはただ一つ。
「まだ体は動く。問題はない。僕の戦いだ、今度は手を出すな」
――ふふ。わたしの考えはお見通しなの? ああ、これも愛の力かしら。
「それは答えになってない。手を出すのか、出さないのか、どっちだ?」
肝心なところにまったく答える気がないことで、思わず刺々しい言い方になってしまった。
問いかけながらも、振り下ろされる棍棒を回避し、すれ違いざまに一閃。
しかし、またも刃は通らず、残るは両手の衝撃のみ。
――わたしが邪魔をされずにあなたと話せている時点で、前と同じくらい危ないのよ? でも、良いわ。それがあなたの願いなら、叶えてあげる。あなたの思う道を進んで。
すぐさま取って返して攻撃を行ってきたオーガは、棍棒ではなく肩から突っ込んできて吹き飛ばしにくるが、転がりながら右に回避し、すぐさま起き上がって対峙する。
――でも、忘れないで。わたしはいつでも、あなたを見てる。あなたがわたしを頼ってくれる気になったら、いつでも呼んで。この戦いの間なら、応えてあげられるから。
そこで、体の中の『何か』が薄まっていく感覚がする。
たぶん、言葉通りに女神さまは介入しないでいてくれるんだろう。
ならば、眼前の敵に集中するのみ。
都合のいいことに、向こうも攻めあぐねて様子を見ることにしたようだ。こっちも一度落ち着こう。
考えれば、ルーテリッツさんの『精霊砲』とやらっぽいものによる地形が変わるほどの攻撃を受けても、見た感じ無傷で生き延びているのだ。
普通の攻撃が通らないのも無理はない。
……待て。本当にそうか?
いや、確かに『普通の』攻撃ならばそうかもしれない。
でも、僕が放ったのは、『斬撃』だ。そして、『斬れなかった』。
斬撃で、斬れなかった?
そんなわけがあるか。
『斬れない斬撃』が、斬撃であるものか!
そうだ、あんなものは斬撃じゃなかったんだ。
幼き日の憧れに始まり、ひたすらにそれをなぞることだけを考えてきた。
思い出せ、今の僕の迷いの元凶を。幼き日に憧れた師匠の斬撃を、突然なぞれなくなったからだろう? それからずっと、進むべき道を探し続けているんだろう?
それは、ただ表面をなぞるだけの空虚なモノマネに過ぎなかったからじゃないのか? やっと、それが分かったってことじゃないのか?
『斬撃』ってものと、改めて真剣に向き合う時が来たんだ。
「斬る……そう、斬るんだ」
あらゆる思考を、ただ斬ることにだけ用いる。
刀を持った右手をだらりと下げたまま、敵に向かってゆっくりと進む。
低いうなり声を上げながら警戒するオーガの間合いの一歩外で立ち止まると、そこで刀を振り上げる。
上段に構え、感覚を研ぎ澄ます。
未熟者の思い付きで、いきなり答えが出るとは思わない。
でも、持てるすべてを出し切ることは出来る。
「グラァァァァァァアアアアアアアア!!」
ひときわ大きな咆哮の後、大きく上段に構えられた棍棒が、その右腕で僕に向かって振り下ろされる。
慌てるな、慌てても『斬撃』は放てない。
ただ、なぞるべき軌跡を導き出せ。
ひたすらに集中しろ集中しろ集中しろ集中しろ……『見えた』!
視界を迫りくる棍棒が埋め尽くさんとするその一瞬前、極限まで高められた感覚に基づいて直感が命じるままに一歩を踏み出し、大地を踏みしめてすべてを込めた剣閃を振るう。
「皮一枚、か」
驚いたのか、飛びのくように距離を取ったオーガが怒り狂うのを見ながら、刀の切っ先に付いた紅い一滴を右手で外側に払い飛ばした。




