間話 ~魔女の歩む道・下~
2016/02/10二本目にして最後の投稿です。
最後の転機は、突然やってきた。
いつものように引きこもっていた彼女であるが、精霊たちの様子がおかしい。
何があるでもないのに無駄に騒がしいのだ。
おかしいと思っていると、部屋に向かってくるいくつもの足音。
やけに数が多いと思っていれば、近づくたびに精霊たちがどんどんと騒がしくなる。
ついには、自我や感情が薄いはずの精霊たちが、強い『恐怖』を感じている。
すると、精霊たちと繋がっているに等しいルーテリッツにも、その感情は伝わってくる。
何事かは分からないが、とにかく心拍が上昇し、心が落ち着かないことから、いつもの逃げ場所――ベッドの中へともぐりこんでやり過ごすことにした。
「あのー、ルーテリッツさーん。ご自分で出てこられないのなら、僕がお布団を剥がしますよー?」
苦しいほどの胸の高鳴りに苦しんでいると、そんな言葉と共に明るくなる世界。
顔を上げれば、信じられないものがある。
『何もない』のだ。
いや、確かに少年がいる。
それでも、何も感じないのだ。
感情が見えて当たり前の少女にとって、何の揺らぎも感じない存在など、今まで見たことはなかった。
こんなに『完成された存在』が、本当にこの世のものなのか?
何が何だか分からない。
ただ精霊たちの恐怖の感情に飲まれ、そのまま気絶してしまう。
それから、とにかくミゼルという名前らしい少年をじっと見ていた。
感情が分からない以上は次に出てくる行動が読めない訳で、その少年を打ち倒したらしい少女の背に隠れて自分の安全を守る。コワくはあっても、理解すらできない存在よりはよっぽどマシだった。さらに言えば、その少女の自分に向ける感情は、母親からのそれに近かったこともあって、比較的信じるに足るものだと思ったことも大きかった。
そんな『盾』がなくては観察に困るのだが、心配せずとも、ミゼルという少年にはセットで必ず付いてくる。
精霊たちが怖がり、何を感じているのかが分からない存在を自ら追い回そうとの勇気まではなかったが、なぜか向こうから追い回してくるのだ。ミゼルに近づきたくはないが興味深くもある彼女にとって、都合がいいと言えば良かった。
そうして色々と連れ回されるルーテリッツ。
気が付けば人生で初めて帝都の外に連れ出され、野原の真ん中の小型の魔物の縄張りのど真ん中に置いていかれたときには、本当にどうしようかと思った。どこに居てもどこかの縄張りで、ずっと怒られている。とにかく謝り倒すしかできなかった。
そんな苦労をして疲れ果てていた彼女は、よく分からないままに連れてこられた丘の上で、今までにない『恐怖』が迫っていることに気付く。
目で見ても分からないが、間違いない。
これは、敵意なんて甘いものではない。
すべてを破壊しつくしてやるとの『殺意』。
それも、一つや二つではない。
数千にも及ぶその膨大な『最上の悪意』に対して、それを無防備に受け止めるしか手段を持たない彼女は、ただ震えて過ぎ去ることを祈ることしかできない。
もう、何かを考える余裕すらなかった。
心の中はただ、その向けられる殺意に染められ、時間の感覚すら失われる。
「あの、ルーテリッツさん?」
そんな中、その言葉は掛けられた。
それは完成されているが故に、こんなときでも揺るがない存在感。
精霊たちの恐怖を呼び覚ますその存在は、この殺意の波動から逃れられるのならば何でも良かったその時の少女にとって、間違いなく救いであった。
精霊たちの感情に連動するあの苦しいほどの胸の高鳴りで、この感情を塗りつぶそう。
そして、そんな思いを抱いた少女は、振り向いた先で驚愕することとなる。
――彼は、怖がっている。
『何も感じさせない何か』から漏れ出ている恐怖・不安のような感情。
それは、自分にとって、もっとも慣れ親しんだもの。
感情なんてものがあるのかも分からなかった存在が唯一感じさせたものがそれだったことは、間違いなく幸運だった。
「落ち着いて聞いて下さい。敵は僕らが食い止めますから、ルーテリッツさんは最初に逃げる人たちについていってください」
「え? あなたも、こわいのに? ――あっ……」
自分だったら、まず間違いなく逃げている。
なのに、彼は立ち向かうと言った。
――自分が求めて求めて求め続けて、それでも得られなかったものを、彼は持っているのだ。
学生時代に受けた忠告を破って自分の異常性を見せたことで相手を怒らせるのではないかと、とっさに恐れたが、適当に誤魔化せば、それ以上は追及してこない。
だったら、私の番だ。
どうして、立ち向かえるのか。
自分にはどうしても手に入らなかった『勇気』をどうして持っているのか。
間違いなく怖がっている目の前の少年は、恐れ知らずの物語の英雄たちとは違う。怖がりの自分に近い存在なのに、どうしてあんな『殺意の波動』を前に恐れながら立ち向かえるのか。
後から考えれば、随分とみっともないことをしたようにも思ったが、そのときは答えが欲しくて必死だった。
声を掛けられてから上がり続ける胸の高鳴りに押されるように問い詰めれば、答えが返ってくる。
「その、一応はここの責任者なんで責任もあります。それに何より、自分にしかできないことだから、やらないとなって。少しでも救えたかもしれないって、後悔したくないですし」
そんな答えに、自分はどうかと考える。
あの殺意を前に、自分にしかできないこととは何だ?
ここで何もしなかった自分を、未来の自分は後悔しないのか?
目の前の『唯一無二の存在』である少年と居ると、胸の奥から激しいものが湧きだしてくる。
その鼓動の高まりが、心を熱くさせる。
さっきまではただ苦しいだけだったのと同じ現象が、心の持ち方ひとつでまったく違う結果をもたらしてくれる。
今なら、彼が共に居るなら、自分にもやれるかもしれない。
これまでの自分を乗り越え、新たな一歩を踏み出せるかもしれない。
だからこそ、思うのだ。
「私も、なんとかしてみる……! やれることを、私も、やってみたい……!」
――ああ、この胸の高鳴りに、私のすべてを委ねたい。




