第八話 ~最弱の魔女~
僕らの陣地中央のちょっとした丘の上、形ばかりの本陣が置かれた場所に立ち、眼下の戦闘を見下ろしている。
メアリーから救護体制が日暮れまで持たないとの宣告を受けてからそう時間は経っていないが、少しずつ赤みの増す空の下で、何の打開策もないままに時間だけが過ぎていく。
何が問題かって、そもそもからして戦うための組織づくりをしなかったことから、指揮系統が存在しないのが最初の問題。ただし、これは各パーティごとの対応を求めることで、致命傷の一歩手前くらいで済んでいる。
ここで致命的なのは、後衛からの支援攻撃がほとんどないことだ。
戦いが始まって間もなくここから見た時は、魔法や矢が飛び、防御柵の近くで戦う前衛への負担をかなり軽減していた。
しかし今は、ほとんど後衛からの攻撃はない。魔力や矢が尽きて、やりたくても行えないのだ。
結果、前衛での負担が増え、防御柵を乗り越えられる箇所が増え、追い返すためにより多くの犠牲が出て、救護部門への負担が跳ね上がる。
後ろに目を遣れば、この場での僕以外の唯一の人影。敵の群れが見える前からずっと同じ、しゃがみこんで震える爆乳魔女の背中。
ご両親曰く名門の帝都魔法学院の卒業生であるルーテリッツさんなら、ここの冒険者の多くよりもまともな魔法による援護攻撃が出来るのではないかと思う。でも、あの怖がり方は戦う以前の問題だし、何より、僕が話しかけても会話にならないのだ。
「はぁ……どうしろってんだよ……」
右にある木箱から水入りのビンを一つ取り出し、腰に手を当てて一気に飲み干す。
冷たい刺激に少し気が紛れた僕が空きビンを木箱に戻していると、左側から急に声を掛けられた。
「頼むから、溜め息なんて見せないでくれよ」
「あ、シルルさん。お疲れ様です」
現れたのは、小柄なドワーフの女性で、Dランクパーティ『白銀の戦乙女』のリーダーのシルルさん。ここでの実務をほぼ丸投げしている、事実上の指揮官と言ってもいいかもしれない。
頭の先から足の先まで返り血塗れの彼女は、僕が水を取り出した木箱から一ビン取り出し、頭から水をかけ、残りの半分弱を飲み干すと、話を続けた。
「ミゼル・アストールとリディエラ・ヤクサって二人の天才Cランク冒険者が、返り血すらほとんど浴びずに余裕で敵を排除し続け、メアリー・ヤクサって稀代の癒し手が後ろに控えているってのが、あたしら他の冒険者の頼みの綱なんだ。とにかくお前らは、揃いも揃って名前が売れてるからな。その一角が弱気なところを見せようものなら、誰もが不安になるんだよ」
「そういうものなんですか」
「そういうものなんです。現に、あたしがかなり不安になった」
そう言って笑顔でビンを持つ右手を顔の横辺りに持ってくると、小刻みに震えている。
僕やリディと他の冒険者たちの戦いに対する悲壮感の違いは気付いてたけど、そこまで見られているとは思わなかった。
姐御肌なリディならともかく、この休憩が終わった後に前線に出たら、僕は気付かずに不安な空気を出していた気がする。
「教えていただき、ありがとうございます。気を付けますね」
「ま、それはそれとして、だ。マズいのか?」
こんな聞き方をされて、実質的にここを動かしている人に隠し事をする理由はない。
ここから見ると後衛からの攻撃が途絶えていることがよく分かることと、メアリーに聞かされた救護体制が崩壊寸前である話を聞かせると、シルルさんは頭を抱えてしまった。
「これはアレだな。とにかく準備不足だ。物資やら魔力やら、足りないものが多すぎるのか」
「だからシルルさん、何かお知恵はありませんか?」
「あるなら、とっくに出してるってんだ。とにかく、日暮れまでになんとか――」
「あのぉ~。ちょっとぉ~、予定が早まっちゃったぁ~」
聞きたくない声に、僕の脳が機能を一時停止する。
分かる。分かるさ。疲れが色濃く出ていても、同居人の声を聞き間違えたりしない。
「メアリー、仕事はどうした?」
「えっとぉ~、魔力がなくなっちゃたぁ~」
力なく笑ったハーフエルフの少女は、本陣の中央に置かれている机のところにある椅子に腰掛け、机に突っ伏してしまった。
しかし、冗談じゃない。
これで、重傷人は事実上見捨てるしかないってこと。医薬品も他の回復役の魔力も尽きかけていることを考えれば、まともな治療は受けられないことになる。
「さて、どうするかねぇ……」
苦虫を噛み潰したようなシルルさんの言葉に、何も返せない。
本陣の裏手でのろしは上げ続けているけど、見渡す限り、どこにも増援らしい姿はない。
せめて『特異個体』とやらでも見つかればイチかバチかの大攻勢に出るって選択肢もあるけど、見渡す限りどこもかしこも魔物だらけの中で、どれが『特異個体』かなんて分かりはしなかった。
うん。もう、できることはただ一つだ。
「逃げましょう、シルルさん」
「……間違いなく、大勢死ぬぞ」
ほとんど睨みつけているに等しい鋭い視線で、そう問いかけられる。
でも、他にやりようがないのだ。
「だからって、このまま耐えるのは無理です。疲労もたまっているのに、治療すら受けられない。しかも、見晴らしが良いこの場所からまだ援軍が見えないなら、やってくるのはかなり先です。どの道、大勢死ぬのは決定的ですよ」
「……分かった。少なくとも、追撃されると一番面倒なダイアウルフはかなり叩いたからな。やるか」
シルルさんはわずかな時間で決断する。
すでに覚悟を決めて動く気満々の表情は、時間がない現状では心強い限りだ。
「それじゃあ、まずは負傷者と戦えない後衛職を送り出します。次に、戦闘能力の低いパーティや冒険者から、小集団を作って順に送り出しましょう。すでに戦死した人たちは、遺品代わりにギルド登録証だけ持っていきましょう」
「ふむ。となると、殿はCランクの二人と、まだ戦えるDランク冒険者か」
「リディは放っておいても勝手にやるんでしょうけど、Dランク冒険者の方々には付き合っていただきます」
「なあに。数が違いすぎてどうせ先に逃げた連中のところまで敵は行くんだから、たった二人のCランク冒険者様と一緒に居る方が安全ってもんさ。任せとけ」
そう言うと、攻撃的な笑みを浮かべてシルルさんは丘を下っていった。
前世で見た、戦国武将のやった退却戦の采配を参考にしてみたけど、これで良いのだろうか。
正直、状況が全然違うからここでマネしても良いのかは分からないけど、やるからには全力を尽くさないと。
特に、殿は魔物にアルクスの町付近でも喰い付かれていると、城壁内に入れてもらえなくなる。その辺も考えないといけない。
でもとりあえず、まずは片付けておかないといけない問題がある。
「あの、ルーテリッツさん?」
びくりと震えた少女は、しゃがみこんだまま、おずおずとこっちを向く。
魔法学院卒の才媛でも、彼女は冒険者ですらないんだ。精神的にも戦えるとは思えないし、非戦闘員としてさっさと逃げてもらわないと困る。
会話にならないだろうことは分かっているが、限界なメアリーには任せられない以上、僕が何とか伝えないといけない――そんな覚悟で話しかけたわけなんだけど。
「えっ……ふぇっ……!?」
僕を見たと思ったら、思わぬ反応。
今までリディを盾に見てるだけだったルーテリッツさんは、なぜか大きく目を見開いて僕を見るだけ。
近くに居るのに、逃げる気配がない。
何がどうなっているのか分からないが、話が早いのは助かる。
シルルさんに注意されたことを参考に、不安を出さず、笑顔で話しかけるんだ。
「落ち着いて聞いて下さい。敵は僕らが食い止めますから、ルーテリッツさんは最初に逃げる人たちについていってください」
「え? あなたも、こわいのに? ――あっ……」
その言葉に、頑張って浮かべていた笑顔が凍るのが分かる。
メアリーと違って質の低い僕の虚勢が見破られた?
慣れてない以上、あるともないとも判断がつかない。演技の能力なんて、磨いたこともないからな。
とにかく、今はペースを取り戻そう。
「ははは、凄いですね。まるで、心を読まれているようだ」
「こ、心は読めない! ……よ」
今一つ、ペースが掴み切れない。
話の枕として言ったら、思わぬ勢いで否定されるし、なぜか最後の方で失速するしで、何を考えているのかが分からない。
でも、まるで、心ではない何かを読んだとも取れる言い回しに自分で慌てていたけど、何かがあると言わんばかりの反応としか思えない。
「そ、その、一つ、聞いても、いい、かな……?」
「え? あ、はい」
こっちが考え込む間に、向こうから問いを投げかけられるとの、思いもがけない事態。
本当に今までの逃げ回られる反応と違いすぎて、何が何だか分からない状況だ。
「な、なんで、逃げない、の?」
「え?」
「だ、だって。あいつら、あんなにこわいんだよ? あんなに『殺してやる』ってうるさくて、それしか考えてなくて、あなたもあいつらがこわくて!」
立ち上がって一気に詰めよってくる魔女は、その胸のものが僕の胸板に潰されても気にする様子がない。
僕よりも背の低い彼女は、少し見上げるような上目遣いで、僕が引くのを許さないとばかりに問い続ける。
「それでも、なんで『食い止める』なんて言えるの!? 戦えるの!? 逃げたくないの!?」
そこまで言うと、その大きな目で僕の目をじっと見つめて答えを待つ。
たぶん、彼女は僕らとは全く違うものが見えているんだろう。
本来の依頼である引きこもり対策は、きっと、そこを掘り下げるべきなんだと思う。
明らかに平静を失っている今こそ、そのチャンスかもしれない。
だけれども、今はそれどころではないのだ。
「僕は、戦いますよ。みんなの――あなたの背中は、守って見せますから」
「なんで?」
これまでが信じられないほどに饒舌な少女。
この答えが、彼女にとって何か重いものなんだとは分かる。
だからこそ、この真摯な問いに、思ったままを答えてやるまで、満足してはくれないのだろう。
「なんでって聞かれても、言葉にするのは難しいんですけど」
「うん」
「その、一応はここの責任者なんで責任もあります。それに何より、自分にしかできないことだから、やらないとなって。少しでも救えたかもしれないって、後悔したくないですし」
言ってしまえば、そういうことだ。
やらずに後悔より、やって後悔。
みんなを見捨てれば一人でも簡単に逃げ切れるだろうけど、たぶん、それをやってしまったら、『僕』は終わってしまう。
ミゼル・アストールが生きていても、それまでの僕とは違う『ナニカ』になり果ててしまっている。少しでも救い上げることが出来るのにそれをしなかった僕が、どうなってしまうのかが怖い、って言いかえてもいいかもしれない。
「自分にしかできないこと……後悔したくない……」
「さあ、時間がないんで、急いでください。そこのメアリーと一緒に――」
言いながら歩き出そうとする僕だが、袖を引っ張られ、歩みを止められる。
振り返れば、そこには強い意志を感じる目。今までとは別人のような少女。
覚悟を決めた? 誰かに恋をしている?
――いや、これはそんなかわいらしいものではないと思う。
「私も、なんとかしてみる……! やれることを、私も、やってみたい……!」
熱にでもうなされたような、激しい高揚。
危うさすら感じさせるが、なにかの突破口になるのではないかと期待させてくれるような力強さを感じさせるものだ。
さて、この『らしくない』宣言は、すがるに足る蜘蛛の糸なのだろうか?
テストが終わったので、週1,2回更新でいきます。
次回が、ルーテリッツさんの間話で、内心の動き。
その次が、ルーテリッツさんの『本気』と、ミゼル君の『素敵なパーティ』の開幕、の予定です。




