第六話 ~開戦~
「ま、魔物だぁっ! 凄い数の魔物が、こっちに来てるだぁっ!」
そんなクレアさんの叫びを受け、その場のほぼ全員が一斉に東を見る。
「うーん。黒いのが、ずっと向こうで動いてる……?」
「あれが何かまでは分からないよぉ~」
僕も、そんなリディやメアリーと同じだ。
中天に差し掛かりつつある太陽に照らされて何かがうごめいているような感じはするが、
むしろ、今もしゃがみ込んで震えているルーテリッツさんや、大騒ぎしているクレアさんがどうやって魔物と判別したのかが謎なレベルだ。
「いや、クレアの視力は確かだったみたいだぞ。間違いなく魔物の群れだ。真っ直ぐこっちに向かってやがる」
そう言い切ったシルルさんの方を見ると、望遠鏡をのぞきながら一条の汗を流している。
無言で手渡された望遠鏡をのぞいてみれば、そこに見えるは、確かに魔物の群れ。
ゴブリンやオークのような見慣れたものから、見たことのないものまで、本当に様々な種族の魔物が一丸となってやってくる。
「って、先頭の方に居る魔物の一団が一気に加速しましたよ。他の連中を置き去りにして、すごい勢いです」
「ちょっと貸してみろ……やっぱり、ダイアウルフだ。二、三百は居るな」
僕から望遠鏡を受け取ったシルルさんは、苦々し気にそう言い捨てると、リディやメアリーにも望遠鏡を渡して机の方へと歩いてゆく。
「おい、いつまで騒いでやがる!」
「ふぎゃっ!?」
「目が覚めたなら、うちのパーティメンバーも使って、陣中に戦闘準備をさせろ。駆け足!」
「は、はいぃっ!」
脳天への拳骨一発で自分の正気を取り戻したシルルさんの言葉に、クレアさんは慌てて飛び出していく。
戦力外の一名を除き、ブレイブハートとシルルさんで机を囲んで自然と会議が始まる。
「あれ、二千くらい居るわよね。会議で聞いた敵の総戦力とほぼ変わらない気がするんだけど、本隊は何をしてるの?」
口火を切ったのは、そんなリディの問いだった。
「僕が思いつく限りで、すでに負けた、敵に別働隊が居た、会わなかったってところか」
「最初の二つはないと思うぞ。あたしが見たところ、魔物はこの辺の中堅どころまでくらいしか居なかった。本隊の高位冒険者なら、兵力が半分でも簡単に勝っちまう。それに、特異個体ってのは、別に頭まで良くなる訳じゃねえ。どれだけ賢い種族でも、同時に二つ以上の目標を攻めるような本格的な策略は使わねえよ。精々が、目の前の敵を包囲するために一時的に戦力を分けるくらいだ」
「だったら、本隊の連中は、あのバカでかい群れの脇を素通りしたの? どんな索敵してんのよ」
呆れているリディだが、今はそこを問題にする余裕はない。
「それでぇ~、わたしたちはぁ~、どうするのぉ~?」
敵が迫りつつある今、これを考えないといけない。
本隊の動向によって選択肢が変わりうるのだが、彼ら彼女らがどこに居るのか分からない今、答えは一つしかない。
「撤退だろう。正直、戦いにならないだろうし。丸太で作った柵じゃなくて、町の城壁を頼りに籠城して、本隊の到着を待つ」
ここには、味方の数こそ千五百ほど居るが、その過半は経験や実力不足のE・Fランク冒険者だ。数百ほどであっても、数で上回る敵と戦うには質が心配すぎる。
そんな常識的だろう提案は、思いもよらぬところから否定された。
「無いな。ここで戦うべきだ」
ほら来た、やっぱりリディか――なんて思って顔を向ければ、口を開けて呆けている銀髪犬耳娘。
慌ててその視線の先を見れば、難しい顔をしたシルルさんが腕を組んでいる。
「な、なんでですか? 劣勢になるのは、目に見えてますよ?」
シルルさんの言葉に呆けたということは、流石のリディでも思いつく事実だ。
むしろ、低ランク冒険者の立場に近いシルルさんが、どうして思いつかないんだ?
「そりゃ、すでにダイアウルフが突っ込んできてるからな――いや、天才ばっかりで下積みなんて無きに等しいブレイブハートだと、気付かないか」
そう言って何かに納得したシルルさんは、さらに説明を続ける。
「普通は、高ランクパーティだろうと、低ランクパーティだろうと、個々人は実力をつけるために下積みを頑張るんだ。その中で、何体か『壁』となる魔物が居る。ダイアウルフは、その一体さ。あたしら中堅以下の冒険者にとっちゃ、出会ったら最後、犠牲が出ることが確定の『中堅殺し』のうちの一体だよ。無駄に生活圏が広いから、気を付けていても遭遇しかねないところも恐ろしいところさ」
「だったら、余計に戦いなんて無理ですよ。今の話を聞いて、僕としては一刻も早く撤退準備をはじめたくなったんですけど」
「ダイアウルフは、速い、デカい、賢い。あたしら中堅以下の冒険者には、悪夢のような存在さ。何せ、見つかったが最後、逃げることすら困難ときてるからね。背を向けて逃げ出しても、あっという間に追いつかれる。特に、ここから町までみたいな、何もない平原地帯だとどうしようもない。むしろ、背を向けた分、被害が増えるな。敵に防御柵が意味をなさない飛行型の魔物が居るなら、一か八か全滅覚悟で散り散りに逃げるのもありかもしれないがな」
勝ち目がなくとも、戦うことが一番生き残るのに近い道。
あまりの事態に頭を抱えたくなる僕に、とどめの言葉が送られる。
「断言しても良い。今この状況で逃げるなら、どんな段取りを整えようと、ブレイブハート以外は確実に全滅だ。防御柵を頼りに、救援が来るまで耐える方がまだ生き残れる」
消去法で方針が決まった。
こうなったら少しでも生き残るために頭を回し始めたところで、一人の少女が立ち上がる。
「わたしがぁ~、救護の責任者をやらせてもらうよぉ~。他に高位治癒を出来るのが居ないだろうからぁ~、それを理由で良いよねぇ~。今から決める時間はないしぃ~」
そんなハーフエルフ娘の言葉に、反対する理由はない。
一応はシルルさんとリディの方を見て無言で確認してから、メアリーに頷き返す。
「じゃあ~、各パーティの回復役を集めてぇ~、後方に作る救護所とぉ~、前線で回復して回る役に分けるねぇ~。あとぉ~、戦力価値の低いFランク冒険者とぉ~、ギルド職員の中でぇ~、応急処置のできる人たちも借りるねぇ~」
一見、いつも通りの笑顔の仮面に、いつも通りののんびりした話し方。
ああでも、彼女も心が揺れているんだ。
「メアリー、弓矢を忘れてるぞ」
「あ……ありがとぉ~。あぁ~、ギルドから貰ってた物資の中の医薬品も確認しなきゃぁ~」
僕の指摘に、素が出かけたのを飲み込んで、慌てて椅子に立てかけていた自分の武器を取り、駆けていく。
その時にちらりと見た拳は、爪の色が変わるくらいに強く握りしめられていた。
非常時だからこそ、いつもの仮面を無理矢理かぶり続ける。
ネタが割れているとはいえ、それを簡単に気付かせるあたり、彼女の動揺の強さが見えてくる。
そんなメアリーも自分のできることをやりに行ったんだ。こっちもやれるだけはやらないと。
「まずは、確実に場所の分かる町まで人を出しましょう。大掃除の効果で魔物が居ないことを祈ることになりますが、戦闘能力のないギルド職員に頼もうと思います。確実に誰かが着くように、何度かに分けましょう」
「良いと思うぜ。アルクスの町は数十人の警備隊しか居ないから援軍は出せないだろうが、物資くらいは送ってくれるかもしれないからな」
「あとは、狼煙を使いましょう。何かがあったと分かれば、本隊も町も動いてくれるはずです」
「だな。少しでも早く異常に気付いてもらわないと、先にこっちが全滅だ」
ここで、僕とシルルさんが揃って黙り込む。
「で、あたしたちは何をするの? 黙ってないで、さっさと言いなさいよ」
このリディの問いが、僕らの口を重くしていた。
「あのな、リディ。何もしようがないんだよ」
「何よそれ。いつもみたいに、何をすればいいのかあたしに教えなさい。全部ぶった切ってやるわ」
「何をするか考えても、それを実行できないんだよ」
不思議そうなリディに、出来るだけ手短に伝える。
僕らは、戦うことを予定していなかった。
だから、指揮系統なんてものも用意していないのだ。各自、本隊の討ち漏らした少数の敵を奪い合うだけのつもりで、用意する意味がなかった。
そして、敵が迫る中で慌てて構築しても、上手く回せる訳がない。
きっと、メアリーも急に救護システムを構築することになって、苦労していることだろう。
「だから、各自持ち場を死守せよ、しか言えないんだよ」
「ふーん。つまり、あたしも好きに暴れていいのね」
僕のその言葉に、舌なめずりをするリディ。
まあ、せめてやる気だけでもあるのは良いことだ。
そうだ。ここまできたら、精神面くらいは戦えるようになってもらわないと。
「あの。一つ策があるのですが、ご意見をうかがっても良いですか?」
悲壮な表情で立つ冒険者たちの間を、悠々と通り抜ける。
出来るだけゆとりを見せながら進んでいると、周囲の視線が集まる。
やがて、丸太で組まれた防御柵にたどり着くと、自分の身長よりも少し高いそれを飛び越えた。
目の前には、迫るダイアウルフの群れ。楔形の陣形で一直線に突っ込んでくる。
うん。柵からもそこそこ離れたここら辺かな?
「諸君! 君たちの指揮官、Cランク冒険者のミゼル・アストールだ!」
土煙を上げながら迫る敵に背を向け、悠然と冒険者たちに向き直る。
音で大体の位置は分かる。見ている人々に不安を与えないよう、平然としなければならない。
「これは好機だ!」
見える範囲では、冒険者たちは面食らっているのが多いようだ。
そうだろう。すぐそこに迫る敵に背を向け、強敵たちを前に危機ではなく好機とくるんだから。
「我々は勝利する必要はない! ただ、生き残るだけでいいのだ!」
そこで敵に向き直る。
心と体を戦闘態勢に切り替える。今だけは、後ろに居る冒険者たちのことは考えない。ただ、敵を斬り捨てるためだけにここに立つ。
完全に戦闘距離に入った敵に対し、構えるは上段。一撃でもって敵を粉砕する、必殺の構え。
間合いまであと少し。僕の三倍、五マルトはあろう巨体が飛び上がって一気に襲い掛かってきた――リディが言っていた、やつらの戦い方通りに。
「ハアッ!」
狙いすました斬撃は、縦一文字の軌跡をなぞり銀線となす。
その白刃は、鼻先を捕え、肉を裂き、骨を砕き、その体を両断する。
続いて、その後ろに居た三頭が、勢いのままに突入してきた。
ぎょっとしてるようにも見える彼らは、向こうの間合いも近いのに戦闘態勢を取らない。
そして、そんな相手に慈悲を掛ける理由はない。
横薙ぎに払われた一撃は、その頭蓋骨を斬り砕き、致命傷となる。
ここで、後続の動きが止まる。
それを確認すると、意識を一気に引き戻した。
僕にとってはまったくもって物足りない敵だが、僕以外には恐怖の象徴。これだけあっさりと倒せば、十分だろう。
唸り声を上げながらこちらを警戒する敵から間合いを取り、背を向けて冒険者たちに向き直った。
「殺せば死ぬ! 簡単だろう!?」
実際がどうかなんて知ったことか。
どうせやるしかないなら、同じことだ。
「のろしに気付いて本隊が戻るまで耐えれば、名声も報償も思いのままだぞ! 全員、パーティごとに持ち場を死守せよ!」
指揮官陣頭。
空気に酔わせ、戦意を上げるのに、現状ではこれ以上の方法はないだろう。
「さあ、剣を握れ、弓を構えろ、詠唱を開始せよ!」
再び、動きを止めている敵の群れに向き直る。
警戒しながらも戦意を高めるダイアウルフたちを見ながら、その血に塗れる刀を右手で大きく掲げる。
「放てっ!」
号令と共に刀を振り下ろすと、僕の背を超え、七色の魔法と弓の雨が敵へと降り注いだ。
ここに、万に一つの勝ち目も見当たらない、来るかも分からない味方をただ信じるだけの絶望的な防衛戦が始まった。
※修正情報
第一章第一話冒頭に、女神さまの存在を示唆する文を載せました。
ここまでご覧になって下さった皆さんは確認しなくても問題ないはずです。新しい情報は、女神さまが『わたしの愛しい人』の願いを叶えたので新天地で自由に生きろ、と言ってることだけなので。
※次回更新
テスト期間に突入するため、次回更新は2016.1.30(土)の予定になります。
無理そうなら、活動報告で報告します。




