間話 ~メアリー・ヤクサという少女~
メアリー・ヤクサという少女にとって、ミゼル・アストールという少年は、幼いころからの絶対的な敵であった。
義父に多大な労力を払わせての特別扱いをしてもらっているまだ見ぬ少年に対し、義姉と二人待つ家で、ひたすらに憎しみだけを溜めていったのだ。
義姉は、気にしていないと言っていた。
きっと、あの眩しいほどにどこまでも真っ直ぐな単純バカは、本心からそう思っているのだ。嘘を吐くなんて器用な真似、バレずに行えるわけがないのだから。
その後できた義妹は、どうでも良いと言っていた。
義父に依存しない強い子だからこそ、互いのやることを尊重できるのだろう。
でも、メアリー・ヤクサは、耐えられなかった。
戦災で両親を失ったその日から愛に飢え続けた少女は、失う恐怖に耐えられなかった。
ボロを纏い、同じ境遇の子どもたちと協力し、裏切られ、裏切り、奪い合う日々を過ごした少女は、今日の幸せが明日には奪われているかもしれないことに耐えられなかった。
幼すぎて体を売ることすらできなかった少女は、幼すぎてまともに戦うことすらできなかった少女は、今日の糧を得るために、良心なんてものを早々に捨て去っていた。
義父との出会いも、そうだった。
すべてを失ってどうしようもない、哀れな少女。
そんな演技をして近づき、物乞いか、チャンスがあれば金か食料でも奪うはずだったのだが、気付けば標的を義父と呼び、帝都で出会った獣人の少女を義姉と呼ぶこととなっていた。
何が何やら分からなかったが、これがとんでもないチャンスだと言うことはすぐに理解できた。
だから、二人が受け入れてくれた少女『メアリー・ヤクサ』であることを選んだ。『メアリー・○○○○』であることを捨てたのだ。
そんな少女は、生きるために人を見る目を必死に鍛えるしかなかった。
だからこそ、『お人好しなバカ二人』の愛が本物であることが痛いほどによく分かり、『ヤクサ家』という絆を失うことを恐れた。
そうして、ついにその日は訪れた。
ある日、当たり前のように我が家に居た『敵』は、ただのガキだった。
おっぱいを当ててやれば簡単に鼻の下を伸ばすエロガキを見て、こいつはチョロイと思った。
ヤクサ家の次女であるメアリー・ヤクサとして、上手いことやれると確信した。
かぶり続けた仮面は、『メアリー・ヤクサ』という存在は、万人に優しい少女。誰かを排除しようなんて考えない。それは、家族の知る自分にはありえない感情なのだ。
だったら、抱えたままに墓場まで持っていくのだ。
でもだからって、好意的に振る舞ってやることはない。
虫なんて今更気にするような人生を送ってきていないが、そんなことをバカ正直に伝える必要はない。
才能のない自分でも分かるほどの才能の塊が苦しむのは、心地が良かった。あまりにも心地良くて本音が少し漏れてしまったのは、失敗だが。
あのガキの妹が帰ってこないなんて、どうでも良かった。その程度の安い悲劇、かつての少女の周りにはありふれていたのだから。
そして、運命は、どこまでも少女に優しくはなかった。
少女にとって、義父と同じ道を歩めなかったことは、恐怖だった。
その恐怖を知りもしないやつが、同じ道を歩む才能を与えられたやつが、能天気に少女の才能を褒めることは、少女の仮面を打ち砕くほどの憎しみを生んだ。
殺意なんて誰かに向けるのは、生まれて初めてだった。
かつては生きるためであって、相手に対して明確に何かをぶつけようとは思わなかった。
拾われてからは、ただ得たものを守るとの思いだけで戦ってきた。
だからこそ、溢れんばかりのどす黒い感情を、勢いのままにぶつけることしかできなかった。
上手に処理する方法なんて、少女は知らなかったのだ。
それでも、少女はバカではなかった。
なかったからこそ、少年にぶつけるべきではなかった思いまでぶつけてしまったことを理解できてしまった。
そんな八つ当たりをしてしまったこと以上に、家族が愛を注いできた対象が虚像であることを、よりにもよって『敵』に知られたことに気付き、震えた。
だからこそ、『少年』が自分の前に現れた時、その背中に本当に驚いた。
「大丈夫、殺される訳じゃないんだ。大丈夫、生きて帰れれば十分だ」と、自分に言い聞かせていた時だったのだ。メアリー・ヤクサにとって『仮面』を付けることは、息をするようにこなせることだ。
だから、何をされても大丈夫なはずだったのだ。
だというのに、あんな理不尽な敵意を見せた自分を、どうして救うのか。
たまたま敵を見つけて追われていた自分の眼前には、三十は下らない敵が居るのだ。これとたった一人で戦うなど、自殺行為だ。引き返して助けを呼んでも誰も責めないだろうし、考えなくてもそれが最善のはずだ。
「悪いけど、そっちの意思は関係ない。僕は僕の思うまま、自分の意思を貫くだけだよ。泣いている女の子を勝手に救う。――だから、僕に勝手に助けられろ」
だからこそ、その言葉を死地で放った少年に不覚にもときめいたことは、不可抗力だったのだ。
――そんな言い訳は、すぐに不要になったのだが。
戦いが始まれば、ばったばったとなぎ倒される敵の群れ。
「うん。忠告ありがとう」
そんな言葉と共に、後ろを向かずに真後ろの敵を刺し貫いたときには、流石の少女にも言葉がなかった。
挙句の果てに、
「メアリー! 斬ってもいいか!?」
とか言い出す始末。
何のことはない。
きっと、自分なんかとは違って才能に恵まれた少年にとって、この状況は死地でもなんでもなかったのだ。
ああもう、なんでこんなやつにときめいたのだろう。
そんな自己嫌悪と劣等感に襲われる少女に、少年はさらに言葉を重ねた。
「だったらさ。もう、君の願いは叶ってる」
「確かに、僕やリディは師匠と同じ道を進んでる。でもさ、それは、一緒に居るわけじゃない。単に、後を追ってるだけなんだよ」
「だって、そうだ。僕らのできることってさ、師匠は全部一人でできるんだよ。だから、戦いの中で必要かどうかだけなら、師匠に僕とリディは必要ないんだ」
「でもさ、メアリーにはその治癒がある。師匠に出来ないことができるからこそ、師匠にとって必要な存在になれる。足りないものを補うからこそ、本当の意味で並び立てるんだよ」
少女にとって、剣は求めた絆の一つの形だ。
その絆は、いくつあっても満足することはない。
それでも、自分にも義父や義姉に与えられるものがあったんだとやっと気付いた少女は、確かにその時、救われたのだ。
とは言え、気付かせてくれたからと、少年に親切にしてやる義理もない。
少年に対する不満が消えたわけではないのだ。
それでも、少女は迷った。
敵に囲まれた少女が救われたのは確かだけど、少年にとっては覚悟する必要すらなかった普通の行動だったのでは?
自分が義父に与えるものがあったとは言え、義父にとって少年の方が大きな存在なのは変わらないのではないか?
だとすると、自分は、あの少年をどう評するべきなのか。
だから、たまたま出会った、兄を待つ少女に問いかけた。
「お兄さんってぇ~、どんな人なのぉ~?」
頑張って強がってはいるが、自分のような擬態のプロからすれば未熟な強がり方をする少女に問えば、隠す真意まで含めてすべて分かるとの自信があった。
こっちの擬態に気付きもしない程度の存在など、脅威でもなんでもないのだ。
まあ、そんな打算は不要だったのだが。
「二言目には剣のことしか言わないどうしようもない人だけど、困ってたら絶対に助けてくれる自慢のお兄ちゃんです!」
変に構えなくても、その正の感情が溢れんばかりの表情を見れば誰でも、これが心からのものだと分かっただろう。
何のことはない。自分が義妹に見よう見まねで愛情を必死に注いできたのと同じように、あの少年も自分の妹に愛情を注ぐ良いお兄ちゃんなのだ。
だから、メアリー・ヤクサは思った。
自分の仮面を見て変な反応をするのは後で躾けるとして――まあ、イサミパパの二番弟子を名乗ることを許してやらないこともないかな?
今年中に、第三章最終話と第四章一話くらいまでは投稿する(ことができたらいいなぁ……)。




