第三話 ~形だって大事である・上~
とある晴れた日のこと、そろそろ昼になろうというところである。
朝の鍛錬が終わり、昼食までの間、各自がなすべきことをなしていた。
リディは今日の食事当番なので昼食の準備、師匠は武器の手入れ、アイラさんはなぜか当たり前のように朝食に現れて「じゃ、仕事だから」と食べ終わったらさっさと騎士団の詰所に出勤していった。
先の騒動の後の補償金やら返金された罰金やらがあり、しかも分割で年単位で入ってくることから、贅沢をしなければ当面のブレイブハートにはわざわざ仕事をしてお金を稼ぐ必要がない。
それでも近々、鍛錬の一環として魔物討伐には出る予定だが、しばらくは基礎鍛錬や木刀での模擬戦に力を入れる予定だ。
力を入れる予定なのだが……。
「九十七……九十八……九十九……」
「じ~……」
素振りをする僕と、縁側に座ってそれをじっと見るハーフエルフ娘。
本来、僕は誰かに見られていても素振りくらいできる。実際、故郷の村では、面白がった子どもたちやヒマなエルフたちに、見学されたり応援されたりは日常茶飯事だったのだ。
でも、笑顔のメアリーのたれ目がちな瞳に射抜かれていると、どうにも落ち着かない。
心がざわざわして、意識がそわそわして、本能がくらくらする。
……何を言っているのかよく分からないが、つまりはよく分からないから困っているのである。
このままではどうしようもないので、手を止めて問いかける。
「じっと見てるけど、面白い?」
「ん~……そうでもないかなぁ~」
にっこり小首傾げてそんなこと言うくらいなら、なぜ見ているのか。
メアリーの戦い方は、弓か魔法か緊急用の短剣だと自分で言っていたのに、面白くもないものを見る理由があるのだろうか。
「ほら、あんたたち。昼食の時間よ」
そんな風に謎だらけで困っているのを救ってくれたのは、僕らを呼びにきたリディだった。
「今日の昼食は特別ゲストがいるから、あんたはいつもよりも念入りに汗を落としてから来なさい」
そんなことを言われ、上下水道の整っている都会だからこそ使えるシャワーを使う際にちょっと多めに石鹸を使い、居間に向かった。
そこで僕を出迎えたのは、ブレイブハートのみんなと、焼き魚と、ほうれん草っぽいもののおひたしと、みそ汁と、白ご飯と、そして、
「あなたがミゼルさんですか。ヤクサ家末妹のルシア・ヤクサです」
五、六歳くらいの、やけにしっかりした幼女である。
「まあ、細かい話は食べながらってことで。ミゼルも、さっさと座りなさい」
そんなこんなで、昼食が始まった。
師匠たちと話している合間に聞いてみれば、ルシアちゃんは冒険者ではなく、同じ帝都内の高級服飾店に住み込みの見習いとして奉公に出ているらしい。
「って、小人族だからその見た目だったのか。二つ下なら、ルシアちゃん呼びは失礼だったね」
「実際年下ですし、そのままでも良いですよ。小人族は実年齢より下に見られるのは慣れっこですから。むしろ、最近はそれを仕事に生かしてるくらいですし、気にしてませんよ」
そこで強かさを感じさせる笑みを浮かべられる相手を『ちゃん』付けするのはどうかとも思うが、本人の言葉に甘えて呼び方は変えないことで決着がつく。
「いやぁ~、久しぶりだねぇ、ル~ちゃん」
「リディ義姉さんは金策のこともあってちょくちょく会ってましたけど、牢屋の中のお義父さんや、遠征してたメアリー義姉さんにはしばらく会ってませんでしたからね。本当はもっと早く帰るつもりだったんですが、大口の仕事があって抜けるに抜けられなかったんです」
「ルシア、自分で言うのもアレだけど、家族の大事に抜けられないくらいに仕事はきついのかい?」
「オーナーは抜けても良いって言って下さいましたけど、私が自分の意思で断ったんです。逮捕されてる間、金銭面でとてもお世話になった以上、可能な限り迷惑をかけるわけにはいきませんから」
「いや、それなら良いんだ。うん」
「お義父さん。副業で東方の、特にミソやショーユやコメなんかのヤマトの食品を仕入れてくれる昔なじみの店だから大丈夫だって言って下さったのは、お義父さんですよ。そのヤマト風の服を仕立てるためにちょくちょく様子も見にきてますよね? ダメならダメって言えますから、過保護は止めて下さい」
「でも、義理でも父親だから――」
「ちょぉぉっと待ったぁぁぁあああ!」
今、なんて言った?
ここに来てから当たり前のように時たま出る和食の仕入れ元のこと?
まあ、それも大きな情報だろう。
だが、最重要なのはそこではない。
「師匠の服一式、僕にも作ってもらえませんか!?」
「え? いや、その、素材の都合で防御力は再現できませんけど、形だけならまあ」
「いぃぃよっしゃぁぁぁあああ!」
袴である、和装である、サムライ・スタイルである!
「な、なんだが随分と嬉しそうだね」
「だって師匠! やっぱり、こっちの服装で刀は合いませんって! 時代は袴ですよ、袴!」
「あ、うん。そうなんだ。――念のために聞くんだけどさ、ミゼル君は帝国内の田舎の出身なんだよね?」
「やだなぁ、月に一回僕の実家に通って下さってた師匠なら、知ってるでしょう?」
「そうだよね。うん。なら良いんだけどね」
いやしかし、高級服飾店らしいがお値段はどれくらいだろうか。
場合によってはローンかなぁ、なんて考えていた時のことである。
「まぁ、普段着かぁ、上から鎧を着れば使えるんじゃないかなぁ~」
「いやいや、戦闘中も着るし、こっちの鎧を着たら台無しだろう?」
「いや、ただの布だけで前線に立たせるとか、ないでしょ」
メアリーとの会話に横から放り込まれた師匠の言葉によって、思考がしばし停止する。
「だって、師匠は――」
「俺のこれは、虹色蜘蛛の糸で作ってるからね。前衛やれるだけの防御力があるんだよ」
「じゃあ、僕もそれで――」
「ミゼルさん。見習いとはいえ職人の立場から言わせてもらいますと、虹色蜘蛛の糸は、お金を出したからって手に入るものじゃないんですよ。虹色蜘蛛そのものはこの辺にもいますけど、糸は空気に触れると一瞬で劣化する上、死体の中でも劣化が進行します。大きな体もあって生け捕りが極めて難しいことと素材としての優秀さから、まず流通には乗りません。保存用の魔法技能は地味に習得難易度が高いですから、冒険者なら他にもっと簡単に稼ぐ方法がありますからね」
「……そうだ! 魔法使い用ローブの素材を流用して――」
「あれは後衛だから許される強度なんです。しかも、精霊を集めやすくなる効果もあって魔法の威力が上がるからこそ魔法職には有用。前衛はそんなことより硬さ優先ですから、お話になりませんよ」
「あの……ヤマト風の鎧とか甲冑とかは?」
「ウチは服飾店なので専門外ですが……お義父さんは?」
「こっちでは聞いたことないなぁ。ただでさえ重い物な上、性能がこっちより飛び抜けて凄いわけじゃないから、実用品としての需要が少なくて交易ではまずこないだろうね。職人もわざわざ遥か東方からこっちにきて店を開く利点が少ないから、いたとしても数も少ないだろうしね。美術品として回ってくるかもしれない少数を探すしかないと思うよ」
絶望である。
なぜだ、なぜこんな、希望をチラつかせた上で取り上げる残酷な仕打ちが許されるのか……。
いや待て、まだ手はある!
「ルシアちゃん! 技能持ちを、糸の採集技能持ちを紹介してくれ!」
「ちょ、ちょっと必死すぎませんか? 出身が東方ってわけでもないのに、なんでそこまでこだわるんですか?」
なぜ? なぜと問うか。
「それはね……ロマンだからさ!」
「はぁ、ロマン……」
「そう、ロマン!」
すると、僕の熱意が伝わったのか、ルシアちゃんは箸を置いて真剣な顔でこっちに向き直る。
「加工はまだですが、採取技能は私も持っています」
「やった、じゃあ一緒に採集に――」
「行けませんよ」
「……え?」
「虹色蜘蛛の糸の採集から加工の技能は、それこそ高級店くらいでしか教えません。で、虹色蜘蛛の生息地までは片道二日ってところです。往復四日に採取の時間も合わせると、連続でそんなに休暇を取れる職人は皆無ですよ」
「そ、そんな……」
「正確には、一人前の職人なら可能かもしれませんが、人のためにそれだけのお休みを潰せるほどに休暇に余裕のある職人は皆無だと思います」
「あぁ、ロマンが……ロマンが……」
突きつけられる現実に心を折られ、地に両手をつく。
そして目の前が真っ暗な僕の前に誰かがひざをつく気配。
右肩に手を置かれ、声を掛けられる。
「まあでも、それは休暇を使っていく場合のことです」
「……え?」
「だから、オーナーに話を通してみますよ。予算は時価、としか言えませんけど、仕事としてなら問題ないですから。虹色蜘蛛を倒せるだけじゃなくて、糸を劣化させないために胴体を傷つけないって条件まで守れる強さを持った高ランク冒険者を捕まえるのが大変だから採取される量が少ないですけど、Bランクパーティのブレイブハートが動くなら問題ないでしょうし」
聞けば、虹色蜘蛛そのものは複数のDランク冒険者がいれば倒すだけなら十分らしい。
ところが、全体の大半を占める胴体を攻撃しないで倒せるかは別。
そんな芸当が出来る高ランク冒険者は、倒しても今更ギルドからの評価が上がらない中堅の魔物の討伐を嫌がり、結果、高額報酬でもそう簡単に手に入らない素材になったんだとか。
「ありがとう……本当にありがとう!」
「いや、まだ大口の仕事があって忙しいんで、オーナーが認める保証は流石にできませんから、そんなに期待されても困るんですけど……」
「それでも! 本当に――」
「食事中に騒ぎすぎ!」
感極まって詰め寄り、ルシアちゃんの手を握る俺に、リディから頭部へ振り下ろされる華麗な拳骨。
メアリーの笑顔や師匠の苦笑い、呆れたようなルシアちゃんの疲れた顔や、殺気すら混じるリディの視線を受けながら、明るい未来を想像して楽しい昼食は進んでいくのだった。




